第18話 丸腰の闘志

 東の国からほんの少し、西にずれた所にロイと呼ばれる集落がある。

 東の国の統治下にあり、温厚な人々が住む平和な村だ。

 これといった観光名所などもなく、珍しいものがないその場所にも唯一、他に誇れることがあった。

 それはヨンの誕生である。

 幼くして、伝説とまで謳われた陰の武術『心武拳しんぶけん』の真髄まで辿り着きその上、かの有名な東魔術指南学校に特待生入学した少年。

 村の人々は皆口々に言った。


「君は我らの誇りだよ!」


 ヨンはそれに毎度のことながら笑顔で答える。

 ずっと笑っているうちにその空っぽの笑みは顔から剥がれなくなった。

 いったいどれほどの重圧プレッシャーが彼の肩に乗っているか村の中にそれを察する者はいなかった。

 村の為に努力し、村の為に結果を残し、村の為に生きる。

 一番に、一番にならなくては。

 この重圧から逃れることはできない。

 そうして鍛錬を積み、彼が十五回目となる夏を迎えた時だった。脅威が現れたのは。

 彼女の力によって、ヨンは頂点の座から引きずり降ろされた。

 別段、彼が無抵抗だったわけではない。足掻けるだけ足掻いた。しかし、それは圧倒的でぶっちぎりで、なおかつ桁外れの力の前では自分はこれほどまでに無力なのかと彼の心に深く刻み込むだけで終わった。

 マーベル=ムーンライト。

 それが脅威の名だった。

 敗れた後も幾度となく彼は挑んだ。

 自分の地位を、自信を取り戻すため、村の人々の期待に応えるため。

 その為に積み重ねた努力は、彼の顔つきに変化をもたらした。

 目の下のクマ、少し痩せた頬、そして何より獰猛な獣のような瞳。時折その細い瞼から覗く眼光は、目が合った者を縮み上がらせる力があった。

 それでもーー、


「つまらないわ」


 望みには届かず、勝者は相変わらずの冷徹な一言で戦いを閉めるのだった。


 何でーー?

 どこで道を間違えた?


 どうしてーー?

 一体何を怠った?


 ーーひょっとするともう僕は、彼女には一生勝てないのだろうかーー


 ヨンの頭にそんな考えが根強く刻まれた頃、転機は訪れる。

 かの脅威に恐れることなく挑んでいくばかりか、追い詰めた存在の出現。

 自分よりも五つも年下の少年。彼の出現によってヨンは居ても立っても居られなくなった。


(確かめなければ)


 無意識のうちにヨンはそう思うようになった。

 脅威に、マーベル=ムーンライトに、触れることのできる少年に自分はどれほどまで通用するのか、このまま、挑み続ける資格・・が自分にはあるのだろうかと。

 今にも溺れてしまいそうなヨンがやっとの思いで掴んだわら


 その名はーーダグザ=ヴェルター。






「『痛波つうは』っっっ!」


 ヨンの声が部屋に反響すると同時に、ダグザの腹へヨンの左手のひらが打ち込まれる。

 彼の左手はまるで『伝導』を帯びた刀身のように、藍色の魔力に包まれていた。


「んがっっっ!」


 ダグザはその一撃に悶え、悲鳴をあげる。


「何だ……それっ! ただの波動とは違う?」


 彼はずきずきと継続的に痛む横腹を抑えながら、ヨンとの距離をとった。


「その通りヨ。『痛波』は波動よりも高威力かつ継続的ダメージに特化してるネ。というか……大丈夫? さっきから一度も君の攻撃当たってないヨ」


 ダグザはヨンの言葉を遮るように攻めへと転じた。

 しかし、ダグザの素早い突きや蹴りは全て受け流されヨンの体の芯を捉えることはできなかった。


「本当にっ! 片手なのかよ!」


 彼は率直なヨンへの感想を口にした。ヨンが左手のみでダグザの相手をしているのは見ればわかるのだが、尋常ではない手数と守りにそう錯覚してしまうのは無理もなかった。


「あ……!」


 ダグザが右腕を振り抜くと同時に彼の視界からヨンが消える。瞬間、足払いにより体勢を崩される。

 彼は咄嗟に地面を手の平で捉え、宙返りして転倒を避けた。


「才能はあるんだよネ……」


 ヨンがり足でゆっくりと彼に近づいていく。その顔を依然として、笑顔だ。息も上がっていない。

 対するダグザは余裕がなく、呼吸も荒かった。

 ここまでの戦況でどちらが優勢なのかは一目でわかる。

 しかし、ヨンはダグザ=ヴェルターがタダでは終わらないことを信じていた・・・・・

 マーベル=ムーンライトがまぐれなんぞで届くような存在ではないことはヨンが一番よくわかっていた。


(仕掛けてこないなら……、こっちから!)


 ヨンがダグザに向かって大きく一歩踏み込む。

 ドンッという大きな音と、突然の出来事に少しばかりの焦りをダグザは感じた。その隙をヨンは的確に突いてくる。

 彼の眼前でヨンの左手がブレ・・る。

 そして、衝撃。


「『痛波』」


 ダグザの足が地面から離れる。

 彼は声にもならない悲鳴をあげた。

 続けざまにヨンの猛攻が炸裂する。


「『虚弾きょだん』」


 ヨンの左手を『痛波』とはまた別の色の魔力が包み、宙を舞っている彼の横腹に渾身の殴打が放たれる。

 拳が触れた瞬間、ダグザは全身を殴り飛ばされたような感覚に陥る。

 いや、正しくは感覚ではなく、しっかりと彼の体は見えない・・・・拳に捉えられていた。


「ぐっっっはっっっ! ……っごほっ!」


 勢いよく地面へと倒れこむダグザ。

 彼は急いで起き上がりながらも、込み上がって来る吐き気を必死に抑えていた。

 また一歩、ヨンが踏み込む。


(来る……!)


 ダグザは痛みを怖がるように必死に彼の動きを目で捉えようとする。

 ヨンの体が、空気が、動く度にダグザは身構えた。

 風を切る音の後、彼は今頃、顔面を吹き飛ばすはずだったヨンの回し蹴りをなんとか受け止めた。


「ガードしてても……なんて威力してるんだ……!」


 彼はジンジンと痺れる右腕を見ながら言った。


「へぇ……止めたんだネ……じゃあ、これは?」


 ヨンの間の抜けた問いに、ダグザは首をかしげる。


「『崩弾ほうだん』」


 突如彼の右腕から・・発生した衝撃波にダグザは驚天動地の表情を浮かべ、ゆっくりと、意識の手綱を手放した。


「嘘……だと言って欲しいなんて……初めて言ったヨ」


 広い部屋の真ん中で、たった一人で立つ少年はダグザにも勝る愕然とした顔だった。

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