第19話 立ちはだかる壁
「本当によく気を失うね」
ダグザは聞き慣れた声で目を覚ました。
どうやら自室まで運んでくれたらしい。声の主はエイバだった。
それよりもーー。
「全然歯が立たなかった……」
彼は事実を噛み締めるようにゆっくりと言った。
正直なところ体術には自信があった。城下町では年上の人とだって渡り合えていたし、魔法区域に来てからも数える程しか敗れていなかった。
悔しくないといえば嘘になるが、ヨン=ロイという人物が
「ヨンが謝っていたよ。手加減できなかったって」
「手加減って……対等な立場で戦ったと思うけど」
ダグザはお互いに丸腰で一戦交えたことを思い出しながら言った。
エイバはそれに笑いながら返答する。
「逆にヨン相手に素手で挑んだ君の方が賞賛されると思うよ」
「そんなに強いの? マーベルが一番だろ?」
ダグザは殴られた腹をさすりながら言った。青い黒いアザが、ヨンの一撃の重さを物語る。
「
「右手が……武器?」
ダグザが心底困惑した表情を浮かべた。
「知ってるだろ。『心武拳』。あれは利き手あってこそのものらしいからな」
エイバの曖昧な返事にダグザは虚ろな表情で頷くしかなかった。
昨日の疲労からか、ダグザはいつの間にか眠りこけていたらしかった。
窓からカーテンに遮られた薄っすらとした日差しが差し込んでいる。
「エ……イバ……?」
彼が目を擦りながら乾いた唇を動かした。歯磨きし忘れた口内がベタついて気持ち悪い。
エイバからの返事はなかった。
「朝飯……かな」
彼は重い身体を起こし、共同の洗面所に向かった。
鏡に映る眠そうな自分と目が合う。
「ひっどい顔……」
ため息混じりに呟いた。
彼が部屋に戻ってもエイバの姿は見えなかった。
「もう朝飯の時間は過ぎてるし……ひとまず教室に行くか……」
そう言ってダグザはやけに物静かな廊下をゆっくりとした足取りで歩き、教室へ向かった。
(まさか……授業中、とか?)
辺りを見渡しても誰も見当たらないことに不信感を抱き、自然と小走りになるダグザ。
そして教室の戸を勢いよく開けるとーー中にはグランノーデルただ一人。
「あれ? 先生、だけ?」
そんな素っ頓狂な彼の声にグランノーデルは気さくに答える。
「そうだね。僕だけだ」
「なっるほど! それで焦って駆けずり回ってたわけか」
今までの経緯を説明したダグザの肩を叩きながらグランノーデルは大口を開けて笑っていた。
彼は気まずそうに頷いた。
「まあ、知らないのは仕方ないよ。『一等級』は基本授業しないなんて……わかるわけないよな」
「ないんですか?」
「ああ。たまに実戦形式のテストを行うくらいであとは自習、かな」
「じゃあ、あの……」
「卒業試験はあるか、かい?」
ダグザの声を遮るようにグランノーデルが普段と変わらぬ笑みで言った。
彼も教師であるため事情を知っていて当然だとダグザもわかっていたのだが、真っ直ぐに言われるとやはり応えるものがあった。
「残念ながら、卒業試験はないよ」
グランノーデルの言葉にダグザは動揺を隠さずにいられなかった。
「それはどういう……?」
焦る彼を見てグランノーデルは嬉しそうに答える。
「アズマの独断と偏見。これが『一等級』から、東魔術指南学校から卒業する条件だよ」
「え?」
ダグザは意味がわからず、困惑した表情を浮かべた。
「一年に一度、ちょうど『一等級』昇格試験の前かな、賢人アズマから卒業生が発表されるんだ。人数は特に決まってなくてね……去年なんてゼロだからねぇ」
早口で喋るグランノーデルの所為で余計に彼は状況をつかむことができなかった。
しかし、思い当たる点があったのも事実だ。現にマーベル=ムーンライトはもう何年も『
「でも……そんなのどうすれば……?」
思わず泣き言が
「それは君が考えろ」
突然の強い口調に彼は顔を上げた。グランノーデルは別段変わった様子はなく、笑顔のままだった。
「でも……もし君が僕を頼りたくなったら、もしくは自分に足りないものがあると気づいたなら、その時は僕のとっておきを教えてあげよう」
「……はい……」
どうせ戯言なんだろうとダグザは何もない教室の天井を眺めて、上の空で返事をした。
その時、教室へ新しい来客。
「あー! ここにいた。マーベルが探してたよ。話があるってさー。大図書館にいるから」
ミランダが腑抜けた声でダグザに言った。
「わ、わかった……では、先生これで……」
そう言ってグランノーデルに一礼して、彼は教室を後にした。
一度振り返ってみるとミランダがグランノーデルに大きな笑い声を上げて絡んでいるのが見えた。
大図書館とは東魔術指南学校の生徒及び関係者のみが使用できる図書室とは違い、一般人ーー魔法区域の人々も自由に使用することが可能な大きめの公共施設だ。
ダグザはここに訪れるのは初めてだったが、たいして驚くことはなかった。
「何でもかんでもデカけりゃいいわけじゃないと思うが……」
彼はそびえ立つような本棚を見て言った。
昼時だからだろうか、人がかなり少ないように思えた。
館内の奥の椅子に座る少女の背中が見えた。肩に届くか届かないかほどの黒髪の隙間から見えるうなじが、まだ幼さを帯びていて、真っ向から強さを目の当たりにしたダグザでさえ可愛らしさに頬を緩めていた。
「……ん、ヴェルターさん……。こちらへ」
じっと見つめていた彼に気づき、マーベルが小さめの声を上げる。
ダグザは言われた通り、彼女の向かい側に腰掛けた。
「それで……話って?」
彼はまるで何か期待するかのように催促する。
マーベルは開いていた本をゆっくりと閉じ、その大きな瞳で彼を見つめた。
ごくり、とダグザは生唾を飲む。
そんな彼の思念をことごとく裏切るように、マーベルは鋭くも綺麗な声で言葉を紡いだ。
「私と、東西南北対抗魔法競技会に参加して欲しいの」
ダグザは二、三度頷きーー、
「何だって?」
場違いな高い声で聞き返すのであった。
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