第34話 たとえ化け物になっても
ダグザの咆哮が壁に反響する。アズマの殴打を受け止めた六本の腕がみしみしと言う音を立てていた。
「不完全……のようじゃが規格外か」
そう言ったアズマの体を木っ端微塵にしようとダグザがありえない体勢から蹴りを入れる。老爺はそれをすべて『転移』で
「うゼェェナァアぁぁぁ……ちょこマかとぉ……」
喉の奥で低い音を鳴らしながら人外が地を踏み鳴らす。肩から瘴気のようなものが吹き出し辺りをどす黒い魔力が包んでいた。
アズマは少し難しい顔をした後、残った魔法遣い達に指示を出す。
「手遅れになる前に抑える。包囲せぇ。
教員達は皆静かに首肯し、じりじりとダグザとの距離を詰め魔力で防護壁を作る。
防護壁は粉砕される度に新しいものを重ね、時間を稼いでいた。その隙にアズマは地面に手を当て、ゆっくりと彼の足元まで魔力を這わせる。
防護壁が割れるたびにガラスの破砕音のような耳に残る音が響く。そして、怒りの咆哮を再度撒き散らそうと、ダグザが大口を開けた瞬間、老爺の一声が
「総員、退避せよ! ぶちかますからのぉ……!」
合図とともに教師が退くやいなや、彼の足元から無数の刀身が漆黒の鎧を貫いた。
つんざくような悲鳴と人のものとは思えないどす黒い血が辺りへ飛び散った。
「よかったですね……『
教師の一人が、倒れたものを治療しながら賢人に言った。
『
対象者は、あらかじめ魔力で作られた的を無数の『剣』で生花の如く堅固に固定される。これは罪人を捉える裁きの剣である。
「うむ……、じゃが……酷い有様じゃのう……」
そう言ってアズマは眠るように動かなくなったダグザへと近づいた。彼を覆っていた魔力は硬質化して徐々に剥がれ落ちてきていた。
先程魔力でマーキングした箇所は致命傷にならないよう選んでいたため、何とか一命は取り留めたのだろう。
「少し……冷や汗をかかされたわい」
アズマは拘束を解き、そっとダグザを抱きかかえた。
校舎の修繕、怪我人の治療等には約一週間を要した。幸運にも、事件の詳細が校外に知れ渡ることはなく、開校して以来の非常事態に、学校全体としてダグザ=ヴェルターに対して監視体制に入ることに決定した。もっとも、事件の記憶だけはどうしても残る。根も葉もない噂が広がる前にとアズマは全校生徒に訓練中に魔力が暴走した生徒によるものだと説明し、なんとか騒ぎを最小限に抑えた。
一人の生徒を除いて、皆落ち着いていた。
騒動から五日後、校内の某会議室が珍しく騒がしかった。
「アズマ様、ダグザ=ヴェルターの東西南北対抗魔法競技会代表の件ですが。失礼ながら反対させていただきます」
教師の一人が意見する。周りの者たちの大半が賛同していた。
「代表者はダグザ=ヴェルターだと、会議で紹介したからのぉ……おいそれと代えられん……」
「ですが流石にこれ以上ふさぎ込むようでしたら、アズマ様もお考えになるべきかと」
「ふむ……」
賢人は異端児の師父、グランノーデルの言葉に悩むようにして下を向いた。
実際のところダグザはすでに目を覚ましている。目を覚ましているにもかかわらず動けないのだ。意識ここにあらずといったようで時折体を震わせ、食事もほとんど喉を通っていなかった。そんな者を戦わせると言ったって無理がある。
「あと五日以内に彼の容態が変わらないのなら、再度会議を開こう。その時は、わしもそれ相応の覚悟で決断する」
それで会議は閉幕した。
高い位置にある窓から入る朝日で、ダグザは目覚めた。だいぶ眠っていた気がするが……。
少し体を起こすと節々が痛んだ。怪我自体は治癒してもらったものの、やはり骨折した箇所などは痛む。
急に吐き気を催して、近くの桶に吐く。先ほどの吐物はもう捨てられたようだ。
暴走騒ぎで破壊された保健室に代わり、新たに作られた保健室は教会のような造りでだだっ広い部屋にベッドが並べられていた。
虚ろな目で辺りを見回しているとまた声が聞こえて来た。
ーーーー喚き散らす君の姿、実に滑稽だったよーーーー
「……うるさい……だまれ……」
頭が痛い。瞼が重い。眠りたくない。眠るとまたあの夢を見るからだ。あの忌々しい夢をーーーー、
『おはよう』
ペタの声で飛び起きると、ダグザは周りの景色を見てまた夢の中だと悟る。森を出たところすぐの綺麗な川辺だ。遠くで高い塔が見下ろしている。見たことはないが、ここ数日何度も
『さあ、行こう』
ペタがダグザの手を取った。彼は
連れられるまま小さな土手を越え、一本道を進んでいく。しばらく歩き塔に着くと奴は言う。
『あと少しだよ』
そうして彼らは長い長い螺旋階段を昇る。等間隔に開けられた窓から吹いてくる風も毎回同じだ。そしてここで決まって思い出す。水辺に写っていた自分の顔が人間じゃなかったことを。
いやでもこのタイミングなのだ。そして必ずダグザの心臓は早鐘を打ち始める。強制的に心が推理し始め、あらゆることを想定し恐怖し、そして諦める。この一連の感情の動きに彼はもう疲れ果てていた。そんなことは御構い無しだと言わんばかりにまた同じ夢をたどる。
『着いたよ』
塔の上には小綺麗な化粧台が置いてある。風が吹き付ける中、ペタはダグザに鏡を覗きこむよう勧める。目を背けたい。何度も経験しているから死ぬほどわかる。見れば後悔するのだ。
一歩、一歩とゆっくりと鏡の前まで進み、ダグザは
怒りに震え、真っ赤な顔が三つ、黒く染まった腕が六本。見慣れているのに見慣れない。ダグザは何度目かわからない胸を撃ち抜かれるような恐怖を味わう。問題はここからなのだ。
『ねぇーー、あれをーー』
ペタが一点を指差すといつからいたのかマーベルがこちらを見ている。あなたを諦めないと、そう強く言ってくれた眼差しで見ている。ここでダグザは強い安心感を覚える。
ーー君なら、君ならわかってくれる。僕はこんな化け物になってしまったけれど、君なら。
ズブリ。
腕を伝う柔らかい肉の感触。何が起こったのかわからないダグザにペタは優しく教えるのだ。
『君は、化け物だ』
どす黒い腕に貫かれた少女を見て、必死に彼は言い訳する。違う、抱きしめようとしただけだ。殺すつもりなんて、なかったんだ。
『君は一人だね。でも大丈夫。僕がいてあげるよ』
ペタがそう言って歩み寄る。ここでいつもダグザの肩に触れるのだ。そこで悪夢は終わる。そういつもなら。
唐突に腕の中に生命の息吹を感じた。初めての感覚だ。そうして眼前に表れたのは、腕を貫かれてなお目の輝きを失わない、マーベル=ムーンライトの姿だった。
「なん……で、僕が君を……」
不思議と声が出た。
彼女に言葉はなかったが、彼の手は強く握られていた。自分のことを貫いている手ではなく、別の手だ。
強く、
「僕は君の為に頑張るよ……。いや頑張らせて欲しい。僕は君がーーーー」
いつの間にかペタは消え、周りも塔ではなく新しい保健室に変わっていた。ただ一つ変わっていなかったのは、ダグザに強く手を握りしめられているマーベルの姿だった。
「…………君が? 何かしら」
「なんっ……! 何でここにっ!」
彼は慌てて手を離すと後ろに下がった。もう陰鬱は気持ちはどこかに消え去っていた。
マーベルはしばらくダグザの顔をじっと見つめた後、頷き、
「……案外元気そうね」
と言ってローブをはたきながら立ち上がった。
この時、代表再考までの猶予が残り一日のことであり、マーベルが目の下に大きなクマを作っていることをダグザが知るのは、約三時間後のことであった。
異端児の武勇伝記 於保多ひろ @panteyon
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