第29話

 雨あがりの朝、木漏れ日は星空のよう

 

 冴えたエアが見渡す限り山と谷とタイヤの内圧にまで満ち満ちてどこまでも遠くへ行けそうだった。先ほど別れの挨拶は済ませたが、Fは教授の家めがけクラクションを叩く。囲炉裏の側で小粒の目が瞬いた。


 

「予備のガソリンの分だけ軽くなってる。一丁、すっ飛ばして行くぞっ!」

 背中に背負しょったオニギリ食べて、ビートルは今にも羽ばたこうと震えている。


「雨で路肩が弱くなってるから慎重に走れ」

「俺がそんなドジ踏むわけねぇだろ」

「違う。後ろを付いてくる助けさん格さんが危なっかしいからだ」


「…………ほ?……へ? なにぃぃ!? ……あいつらまだ尾行してたの?」

 

「当たり前だ。日本にっぽんの警察なめんなよ」

「いや……それなら部屋余ってんだから家に呼んでやればよかったじゃん」

「それじゃ彼らのプライドが許さん。夜中にこっそり水を汲みには来てたがなぁ」

 Fはやれやれのポーズからギアをカコンと滑らせる。もう一度だけクラクションを長く響かせたが……やはり教授が家から出てくることはなかった。

 

「おい、なんか気の紛れるBGMかけてくれ」

 助手席で喜一郎はタオルで顔を覆う。


「了解っ! ぽちっとな」

 大音量に包まれた。2種類の振動は共鳴し車内は熱を帯びる。


「あのなぁ、この『完全感覚』って歌詞の意味は?」

「さぁ、超絶と絶対の中間くらいじゃね? ロックは考えるな、感じろ!」

「了解。タオルは結んでおこう。視覚と聴覚のに遮断する。林道抜けたら……起こしてくれ」

 喜一郎はスイカ割りの準備に入った。


「? ふっざけんな…………途中で交代だかんな?」

「免許がない」

「俺も無免許だぞ?」

「この車の運転は……俺には無理だ」

「チッ」舌打ちが合図となり、風景の中でビートルの色気いろけが濃くなった。



「よっしゃガソリン満タン! タバコたっぷり! 真っ黄色のサングラス装~着!」

 サイドブレーキが緩み、わずかに車体が上下する。手綱から放たれたビートルは、

 ハァフハァフと舌を出して喜び、老犬とは思えぬロケットスタートを切る。

 

  


 青緑色ターコイズ VS 緑青マラカイトグリーン VS 萌葱色訳せません VS エバーグリーン日本語がわかりません


 濃さの違う同系色のキャラメルみたいに車とランドスケープはお互いを融かし合い奇天烈なドライブが始まる。あとは稜線を削りながら突き進むのみ。




         教授の美しき孤独が遠ざかってゆく。








・じいさん……。まぁ~だ、なんか悩んでる? (心ここにあらずや)



・あんたは十分かっけぇよっ! だから……(せめて気分あげてくれ)










 …………俺は辿り着いた。でもいったい、何に辿り着いた?

 二人を怯えさせるほどの存在、ならば金も権力も思いのまま。

 人は欲望に生かされる。その点において、白川に隘路あいろなどない。

 擬態? 命を狙われた。誰からも犯されぬ安全を手に入れる……それだけ?


 イデオロギー? 何らかの思想? いや、佐藤豊にそのような政治的動きはない。

 寧ろ奴は、己の思想や境界きょうがいの呪縛に囚われた、右と左、革新と保守、富民と貧民――制限された思考、抑制された能力しか発揮できない者達をあざ笑い、その自由で実践的行動力を持って、権力を奪い握ってきたではないか。

 そこに白川の影はない。




 宗教? 有神論? 無神論? 終末論? なんらかのドグマティズム? 



 はぁ? なんだそれ……実感も、体感も、共感もない。



 白川を動かしている――その行動原理はなんだ? 



 奴とて人間なのだ。そこに何らかの体温があるはず。





 




 時は過ぎ、知らぬ間に太陽は真上にあった。でも喜一郎にそれは見えない。Fには構っている余裕がない。真っ黄色いサングラスが光のスパークから彼を守っている。


 やがて過酷な斜面に差し掛かった。残念ながら視覚と聴覚を遮断しても三半規管に嘘はつけない。喜一郎は歯を食い縛る。想像するだに恐ろしく体勢はフリーフォールに近い。国交省所管の道に幼児の頭ほどの石が無数に転がり、揺れはアメイジングに膨らんでいく。

 整備予算は官僚の遊興費に充てられたのか? などと、考える余裕もない。 


「じいさん舌噛むなよっ! 言っとくけど登りのほうがやばいからなっ!」

 大きな石で立ち往生するより鋭い小石でのパンクを警戒してFの視神経は驚異的な取捨選択をする。脳に情報を送っている暇はない。



「(ガコンッ)……なぁじいさん」

「なんだ?(ゴゴッ)」

「よく考えたらさ、……教え子さんがやってくる(キィギィギィ) ”ルート島根”

から日本海に出たほうが(バコッ)良かったんじゃね? (シャシャッ)昨夜のじいさんの勢いでな~んも考えずに出発しちゃったけどさ、俺たち……」

「…………引き返せるのか?」

「無理だな」

「だったらロックに集中させろっ! (それがモラルさ♪)」

 曲はサビに、傾斜は上方へと向かう。ヘッドバンキングは一層その激しさを増し、

今夜のGIGギグはダイナマイトの香りがするぜ。


「……そろそろか?」

「……そろそろだな」


 道は水平になった。

 ここから先は勢いに任せたその場限りの曖昧なステップは許されない。

 静かに……車は……歩く。



「なあ……じいさん」

「さっきからなんだっ! ……喋ってる余裕はあるのか?」

「や、喋ってるほうが……気が紛れんだよ…………ふぅ~…………ふ~………………ふ~…………ふゅふ~…………ひぃひぃふ~……………ふぅ~ぃひぃ……………ぉふぅ~……ふぅ~ぃひぃ……ぃぅ………………ひぃひぃ………………………ふぅ~ぃひぃ……………ふぅ~……………おっっしゃ渡りきったぞ。眺めてみろ。景色いいぞ」



「……嘘だな。俺が刑事を何年やってたと思う? まだ……中ほどだろ?」

「いや…………三分の一も進んでねぇ……いやそこまでも行ってねぇ。一服する」

「…………」

 Fは煙草のフィルターをちぎって捨てた。強烈なニコチンをダイレクトに脳に届けこんばんはとおこしやすを繰り返すしかない。麻痺させる。




 必ず起こる咳き込みも、なぜだかこの時ばかりは収まっていた。




 ドアの存在は無意味。左右どちらに落ちても死亡。こんな構造物がどうしてここに存在するのかは謎。レンガは昨夜の雨水を吸いその一つ一つが高級カステラのようにぬらぬらと光っている。



「これは道なのか? 道だとしたら作った奴をどうにかしたいね……けど道じゃないよなぁ~。これが一体なんなのか…………じじいっ! 今すぐスマホで検索だ」

「目隠しを取る気はない」

「死ぬんなら、死ぬ理由くらいは知りたいだろうがよっ!」

 カタツムリのようにのろのろと真っ直ぐに……でも均等に割り振ってはいけない。

 水平に見えても僅かに左右どちらかに傾いている。傾きに逆らってハンドルをミリ単位で動かす必要があった。


「これさぁ~予備のガソリン積んでた方が安定したんじゃねぇかな。ケツが滑る」

「……聞こえん」

 遠くから眺めれば、経年で様々に色を違えたモザイクのレンガの壁にコントラストも美しく Beetle of the turquoise が優雅にお散歩しているように見える。


 乗っている二人が人食い巨人に睨まれた壁上の戦士の心境だとは誰も思わない。


 妖精が仕掛けた春のベールを楽しむ余裕なく、喜一郎はスイカに辿り着けない。




「なぁ、F……」

「なんだ? 死にたいのか? 集中しろと言ったり話しかけてきたり」

「あの自称格闘家と喧嘩して勝てると思うか?」

「いまその話する?」

「どうもあいつは本当に強そうな気がするんだ」

「しらんがな。んなことより、百合子さんへの言いわけ考えとけよ」

「……まだ連絡も入れてない」 

「車ガタガタだぞ……」

 フロントガラスには額縁に納まった名画があった。




 




・まーだ、思い詰めてやがるのか? (心ここにあらずや、パートⅡ)


・彼女への罰は先払いされていた。(でも彼女が二重人格でないのなら)


・リーホァは純粋な殺人者だ。(支払いを終えぬパンに手を出した鬼畜)



・俺の推理が……揺れたのは……ふ~……ふぅ~………………現実から目をらしていたから……ふ~(彼女が二重人格でないのなら)……俺と同じでないなら……ひぃひぃ……ふぅ~ぃひ……ひぃひぃ……(彼女を救う手立てはない)……ひぃひぃ……だとしても俺は……ふぅ~ぃひ……ふ~……(隠し玉を隠したままにする)……ふぅ~………………ぃひ…………ひぃひぃ……ふ~…………ひぃひぃふぅ~…………








 二種類の鳥の鳴き声がする。それは臨死から引き戻す鐘の音みたいに、ビートルを包む、そのあらゆるモノを立体化し、本来の意味を取り戻させた。



「綺麗な鳥だな。あんなん初めて見た」

「………………ん? 芳男なのか?」

「いや、俺は常に芳男なんだけれども。なんだこれ? すげー汗べっちょべちょなんですけど。うぅ……体だりぃ」

「そっか。渡りきったか……」

 喜一郎は目隠しを外す。そこにはあり得ないほど巨大なスイカが砕けていた。



「吐きそうだ」

「me too」

 二人は車から降り、枯れ草が貯まる小さな窪地で暫しの休息を取る。


「煙草くれ」

「あいよ」

 喜一郎はフィルターを千切った。嫌煙家にとっては理解し難い、至福の時。


「なぁじいさん」

「(ぷかー)なんだ?」

「なんか俺の存在って怖くね?」

「はぁ?」

「だってさ……目が覚めたらなんも覚えてないんだぜ。ホラーだよ、ホラー。一緒にいて恐ろしくねーか?」

「ガキが……そんなのは俺に一度くらい喧嘩で勝ってから言え(ぷかー)」

 唇から漏れた濃密な紫煙はただよい、それもやがて棚引たなびいてゆく。


「この景色はたぶん一生忘れられんな」

「あぁ」

「美しい……俺は田舎暮らしをしたことがないから、ここ数週間は新鮮だった」

「じいさん案外、都会人だもんな」

「冬は辛いだろうけどなぁ」

「冬は籠もるんだと。準備して籠もる。食い物も何もかも冬を越すために他の季節がある。今時は異常気象に手を焼くだろうが、それも計算し尽くして拵えるんだとさ」

「俺には無理だな。とても真似できん。あの人は凄い」

「でも……寂しいんじゃないかな?」



 深いグリーンとあおたてがみ鮮やかな小鳥が、枝に止まる地味な小鳥の周りを舞う。



「あっ! 雄と雌か? 種類は同じ。綺麗なほうが雄で……鳴き声まで違う」

 芳男は首を傾けながら寝転んだ。


「おまえ……彼女のことどうするんだ?」

「なんだいきなり? キャンプファイアの夜かよ」

「大きなお世話だが付き合うなら大切にしろ。あの子は良い子だ」

「三十路に ”子” って言うな ”子” って!」



「俺は妻しかしらん。……仕事仕事で禄に構ってもやれなかった。子供がなぁ、中々出来なくてなぁ……死んじまってから想うんだ。幸せだったのかなぁって……」

「どうしたじじい? 吊り橋効果か? ……俺が言うのもなんだけど、百合子さんの性格みてれば幸せな家庭だったんじゃね? だったら奥さんも幸せだったろうよ」

「だったらいいんだがなぁ……うんしょっと」

「なんだ?」

「しょんべんだ、しょんべん!」

 喜一郎は立ち上がり、隅の雑木林に歩いて行く。



「こらっ! タバコはちゃんと始末しろ! ったく…………んなこと言われなくてもわかってるっての……なんせ初恋の……」

 喜一郎が投げた吸い殻を携帯灰皿に始末して、芳男は誰に告げるでもなく呟いた。











(ふぅ―――――――――(ぷるぷる)――――――――――――――――っ)


 喜一郎が描く小学生張りの放物線は、精巣と卵巣で歴然と色の違う蝦夷えぞ馬糞ばふんウニをこんもり盛り付けたようなレンガの構造物に降りかかり、白い湯気が立ちのぼる。

 喜一郎はきつく目を閉じた。


 この利尻産高級箱ウニが如き塊がなんなのか自分にはわからない。別に知りたくもない。そこにあったはずの人の営みもやがて朽ち果て風化する。それは自然なことで教授の美しき孤独も彼が死ねばやがては同じことだろう。永遠など存在しない。歳月とはそう言った性質のもので、人間にあがらすべはなく、一生はその本質を容易に知れるほど長くはない。……が、そこになんらかの温もりは残る。




 白川拓馬が生きている。これは、なんの、問題提起か?





 白川のルーツを手繰たぐろうにも、実体に迫るには時間の経過が邪魔をする。

 呪われた村、その輪郭には霞が掛かる。

 秋田の聞き込みで得た山の民。それは福島ではテンバ。全国的にはサンカと呼ばれた集団であろう……だが、教授の調べでは東北にその存在は確認されていない。

 戸籍の定かでない人々は、ではどこで捉えられたのか?


 春から秋は川魚漁。冬は(農機具)作りをしながら漂泊を続け、土地を持たず、

(非所有、非定住)権力の支配を受けず自然と共に在った人々。


 社会から忌避された癩者らいしゃ(ハンセン病)にも暖かい手を差し伸べた優しき集団。

 農村の子を勾引かどわかし、仲間として育てたとの恐ろしい逸話。

 事実か虚談か? もはや、知る由も無い。



 近代、山窩さんか(洞穴に住む盗賊)と蔑称を受けた集団は確かにいた。警察権力なるものが自らの存在顕示と予算獲得にスケープゴードを作ることは今も昔も変わらない。

 戸籍制度の整備に伴い、明治、大正、昭和にかけて彼らはその数を減らし……

 最後に彼らが公的文書に記されるのは特定の地域に限定される。


 出雲、伯耆ほうき石見いわみ、つまり現在の島根、鳥取県に跨がり横に長く伸びる中国山地一帯。その中でも富に出現が顕著なのが広島県山間部。川筋から海にかけての地域。『瀬戸内の十字路』と呼ばれた古い港町、尾道。そして晩年はその周辺、瀬戸内側の新興都市近郊が最後の住処として集中することとなる。




 果たして……

 リーホァの養父母が秋田から遙か遠く、呉に移り住んだのは偶然か?

 囚われの彼らに、なんらかのアイデンティテーの継承があったのか?

 それは想像に過ぎない。


 そも、あの呪われた村の子供らの、ルーツは同じなのか……



 戸籍なく歴史の裏側でその存在を忘れられた人々。山の民、谷の民、蝦夷アイヌ、家船えぶね――船上で生涯を暮らした海の漂泊民――。畿内における土蜘蛛……

 たくさん居た。高々、100年にも経たぬ過去に、この日本に、たくさん居た。


 だが、今となっては検証は不可能。ただ数奇なる境涯。根ならざるモノ。


 集団は捉えられ、その彼らを親世代として、金属の板に名を刻んだ子ら。


 何者かに支配され、ねじ曲げられた、運命。そこには同情を禁じ得ない。




 …………だとしても



 白川の行為を肯定できるか?






 喜一郎は目を開けた。景色はその瞳に映らない。ただ自らの臭いしょんべんの匂いが鼻を突く。……つんと鼻を突いて、涙がこぼれるだけである。



 年齢を鑑みれば男はそんなことを繰り返してきたのか?

 そんなことを幾度も幾度も、繰り返し生きてきたのか?



 綺麗ごとを言った所で、いい女を抱き、旨い物を食って、周りを従わせ(権力)、自由に羽ばたき(富力)、名声を浴びる。所詮、男の本質などそれに尽きる。


 

 そのどれにも属さない男の生きる、意味、目的。

 その男が生きていたとして、それがなんなのか。

 孤独さえない。人に求められ生きることもない。



 憂き身に身をやつす。装いを凝らす。贅沢をせず。誉れを追わず。


 目的はなんだ? 糞がっ! 


 許されざる者。親を殺し、妻を殺し、子を殺し、仲間を殺し、だだ生き延びる。



 

 自分はその男に直接触れず、今その恐怖を体感している。


 靖彦は、組織の裏切り者を甘く処分したのではない。そんなことに構っている状態ではないのだ。つまり……佐藤豊の死は暗殺。


 信じられない。命令されれば自らの死を厭わず行進を続けるこの国最強の男達。


 彼らが守る、枢密での暗殺。靖彦は何方いずかたのバランスにある? 最早もはや手出し無用。






「じいさん! いつまでションベンしてんだ? 林道の後半も甘くねーぞ!」

「わかってる。日が陰る前にアスファルトの道に戻ろう」



 違う。俺の疑問はそこではない。考えて考えて考え抜いた疑問はそこではない。



 白川拓馬は生きている。彼がどのような存在か。何をなそうとしてるのか。

 そんなことはどうでもいい。もう俺に出来ることなどなにもない。



 腐れ外道が我が身可愛さ、家族を生け贄に生き延びた。それはわかった。



 ではなぜ? 生き残ったリーホァをそのままにした……疑問はそこにしかない。


 どうして佐藤が庇護するのを許した? リーホァに対する佐藤の気持ちが憐憫だとしても、それは一種の反逆ではないか? 無力な幼子だから放って置いたのか……





 ――――違う。




 ――――興味がなかったのだ。




 ――――その男にとってそんなものはなんの関心事でもなかった。





 




 我が子にさえ、興味がなかったのだ。

























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