第11話

 相手から切られたカードは32枚。そのどれもこれもがゴミカードだった。


 紫苑側の若手議員が釈明に追われ、大臣経験者の記者会見も開かれた。数十万円の贈賄と年甲斐もないスキャンダルで、明治から続く名門の子弟がつぎつぎと素っ転ぶさまは滑稽でしかない。

 事件は飽和状態。一枚のカードは一日二日、いや数時間で消える。ただまあ、本人達の地元ではそうもいかない。


 大胆つ繊細。佐藤の仕事を見て俺はいつもそう思う。こんなやり方もあったのかと驚かされもする。議員辞職するほどのネタでは駄目なのだ。自らが幹事長を務める与党本体にダメージを与えるようでは……追求する野党にも、バランス良くカードがかれ、国会はすでに機能停止。こちらが放った右ストレートは、真綿で包まれるようにその効力を失った。俺の元には紫苑からの反撃要請が矢のように降り注いでいる。


 警察庁警備局。その規模と重厚感に魅了された。そこを押さえている佐藤は、やはり非凡だ。地方で羽を伸ばす俗物の弱みをまだどれほど握っているのか? ……もっと強力なカードがあるのではと疑心暗鬼を誘う……巧妙な手練てれん




 大胆且つ繊細……そして執拗……それは昔からよく知っている。


  


 俺はまぁ、平凡で幸せな高校生だった。貧しくとも、高い空がそこにあった。 

 春からは、近くの工場で働く予定。見学も済ませ自分なりに納得もしていた。

 大学に行くことは憧れでしかなかった。奨学金を貰う程のガッツもなかった。

 このまま誰かと、それなりの恋をして、家族が生まれ、死ぬ予定だった……


 転機は交通事故。だが、……あまりよく覚えてはいない。乗っていた自転車がひしゃげ、自分の顔もぐちゃぐちゃになった。相手は見ていない。今も……誰だかわからない。 

 余程の有力者だったのだろう。もみ消しに携わったのが佐藤だった。そして……両親は簡単に金に転んだ。


 俺は一浪し、国立大学にすすんだ。その後の、フォローも完璧だった。


 生まれ変わったその人生で選択を迫られたとき、俺はシンプルに最適な道を選んだ。その結果、今ここに居る。それはある種の屈折を伴い、社会での俺の立場をあり得ないほどに飛翔させた。


「ふっ」いつのまにか笑っている。

 コインの入れ過ぎで、ショットグラスから屈辱が溢れたわけじゃない。

 青臭い情動ではなく単純に勝負がしたかった。佐藤豊が死ぬ前に……あははははは、青臭いか?


 第一秘書が電話を持ちながら恨むような目でこちらを見ている。

「これも修行だ! がんばれがんばれ!」

 口には出さず、目でそう返した。彼の毛並みもなかなかのもの、10年後は、良き手駒になるだろう。抱えているだけで親から大金も入る。



 さて、この混沌カオスは想定された謂わば必然。

 一枚のカードがここにある。 ”煉獄のフレア” 

 佐藤豊には、なにひとつ傷をつけられない、無意味なカード。



 長い歴史を振り返ればこの国の本流は終始一貫、紫苑。佐藤は彼らの特権意識と奢りの隙を突き、のし上がった天才に過ぎない。


 佐藤が仕掛けたこの混乱の状況下で、かかるカードが切られたら……すべての……人間は……誰がやったと……認識するであろうか?


 ”日本国内に於ける、核兵器密約” 


 紫苑の現在の主力メンバーの、その祖父、曾祖父の時代の、昔話。

 集めたのは佐藤、封印したのも佐藤、使うのが俺。


 現在進行形の古傷を斧で切られ、本気になったこの国の本流、いやアメリカとどう戦う? 純粋に興味だけだ。さぁ、お手並み拝見。と、いこうじゃないか。











「おねえさん、○×マイルド」

「あれ~おひさしぶりねぇ、おにいさん」

 喜一郎はいつもの駅前にいた。これからの作業を考えれば、吸わないではいられない。なんだかんだと理由を付けてはやめられない。もはやその理由を考えるのも面倒だった。


 このあたりには大きな木場があった。昔は水運が主流で必然的に周囲より低地にある。鉄道は元々、人の為ではなく、木材を運んでいた。

 材木景気で人が集まり、列車は人も運び、不景気になり、大小のコンクリートだけを残して、この土地はいびつな姿になった。


 おねえさんに手紙の礼をして、その死角に入り、駅の裏手の柵を越える。最初にここで、愛依に声をかけられたときは驚いた。

 生え始めた春草がつぼみをゆらし、湿っているだけで水は流れていない、見ただけでは単なる水路、苔むした石の入り口に中腰になり侵入をはかる。

 我が家と隣家をフリーパスで遊び回る愛依が、偶然に見つけたラビリンス。 


 自分がなにを追っているのか。それさえわからない捜査は正直、堪えた。現役の頃は少なくとも星という目標があり、雲を掴むような話だと最初からわかっていながら、本当に雲を掴んだら怒りが込み上げてきた。

 ただしこの物語には、異物がある。その異物だけを守る。それだけが、喜一郎の目的になっていた。


 真ん中の円は誰だ? どちらにしろ不破芳男を指名手配にした人間であることだけは間違いがない。殺人事件が起きた場所には近づけず、周辺捜査もやるべき事、そのすべてをやった。もはやそいつらとの……直接交渉以外の術はない。


 生きている人間を殺して、指名手配をでっち上げた、母なる、警察関係者。


 家の近所まではまだ良いが、そこから先の細道は想像するだにうんざりする。

「どっちの方向から声が聞こえてるかわからんだろ?」

 格好つけるのは骨だった。


 リーホァの父親と佐藤豊はどんな関係だったのか? 誰が殺した? 養父母は? 誰が殺した? 強盗が3人も死んだ。誰が殺した? 整形外科医はなぜ? 誰が殺した? これから誰が死んで、誰が誰を殺すのか?  


 徒労と作業は思考をくるくると回す。誰が殺した? それは刑事だった頃、一番大切なものだった。それが今では、どうでもよくなっている。


 ただ一つ気がかりがあるとすれば、誰もが事件の初動で思い浮かんだ疑問。


 ”機関銃をぶっ放した人物は、セーラー服を着ていたか?”    だ。


 喜一郎は相当に疲れていた。









「よっしゃぁぁ、でけたぁぁぁ」

 この人の職業を聞くのはやめておこうと芳男は思った。赤いタントは艶のあるindigoインディゴblueブルーに見事に塗り替えられていた。


「ナンバープレートもいい感じっしょ? ビス調べられたらアウトだけど、見ただけなら付け替えたのわかる奴はそうそういないけん。うち、すごいじゃん?」


 一時期、レディース達の保養所と化していた教授の家には様々な道具が残っていた。時間があればウイングも付けられたらしい。


「ポリシー曲げることになるけど、巨人オレンジよりはしじゃんね?」

 同意を求められ、どこのファンでもない芳男は頷くしかなかった。縦ジマよりは、可也いいだろう。


「ほれぇ~ほれほれほれほれ! あんたがガソリン運び終えたら出発するで!」

 非力な芳男はもう7回も50メートルの坂道を往復している。もうそろそろ気を失いそうだが、今日の昼、教授の元教え子がやってくるのでその前に出発する必要があった。急がなければならなかった。


 じっとりと汗をかいた肌に、高所の冷たい風が心地よい。草の匂いと、教授が育てる野菜達に与える肥料の匂いは混在し、それは不快ではない。日差しは木々の新芽を通り過ぎ柔らかく、これからの夏を期待させる。その前に梅雨は来るだろうが……無音で唯一、石盥いしだらいの水音だけが、キラキラと流れる。

 芳男は不思議な気持ちになった。冬場は辛いだろうが、本当に辛いのだろうが、でもこの場所に帰りたい、だからこの場所にもう少しだけ居たい。衝動の理由、それさえもわからずに、涙がはらりと落ちた。

 汗と涙の見分けは付かない、誰に見咎められるはずのない、この一瞬を多分、自分は生涯忘れられないだろう。芳雄はそう思う。それは予感で、現実だった。デジャブにも似たリアル。


「あんたなにぃな。そんな辛かったん? 目ぇ真っ赤にして」

 カープ女子は笑いながら、エンジンをかけた。振動はタントの健康状態を告げ、正常なトルクは「はやく行こう!」とせっついている。


 慣れた手つきは、滑らかに携帯の充電をしようと、美しい女体の三角比を形成しながらダッシュボードのシガーポケットに、入れてはならないものを入れようとしている。


「充電はしないでくれ。電源切っていてもスマホは案外、危ないんだ」

「へぇ~」

「それと俺が運転するよ。女性にばっかり頼ってちゃ男がすたる」

 染めたばかりの黒髪は、短髪なので揺れはしない。


「ふ~ん。お! そだそだ! バット忘れてる! ちょっと待ってて? 美容に悪いけん拳銃は撃たんけぇね~うち。武器がないと不安じゃけん」

 カープ女子はえっちらおっちら胸を揺らしながら、教授の元に走って行く。



「ほいバット」

「サンキュー、教授」

「OL風のコスプレがまったく似合ってないな」

「ほっといて! 教授」



「…………本当に行くのか?」

 教授は少し先の車を見て、躊躇いながら問いかけた。


「うん! いくよん」

「おまえは、わしがなんの専門家だったのか、あいつに言ってなかったんだろ? ここに連れてきた本当の目的は……」

「シィ―――――――」

 カープ女子は唇に人差し指をおき、ウインクをした。


「恒例のクイズやで~教授! 今度、来るときまでに考えとぃてぇな!」

 カープ女子は振り返り、後ろ手でピースサインをした。



「問題です! わっちは、どっちの男に惚れたでしょう~~~か!?」




 リッター千円のガソリンを満タンにした車が、軽快に走らぬはずがない。

 Indigo blueの赤いタントは昼少し前の鋭い太陽を受け、山の稜線を疾走する。

 それはすぐに米粒みたいになり、in the course of timeやがてきっかけもなく、どこかへと消えた。





 

 

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