第12話

 このまえ確認した通り、不破家の床下は色好いろよい野菜が育つほど、まんべんなく掘り返されていた。リーホァの指示で芳男が掘ったのだろう、その時点までは、間違いなくこの土地のどこかに ”なにか” が埋まっていると考えていた。目的は、あくまで埋まっている ”なにか” であり、でなければ側溝が単なる側溝ではないことにも気付いたはずである。


 古い地図を正確に現在にトレースすることは難しい。桜木のあった場所が我が家の台所付近とわかるまでに約二週間。それから動向把握に盗聴器を仕掛け、完全に留守になるときを待った。


「しかしなにも埋まっていなかった」

 喜一郎は床下で煙草を吸った。床下で吸う煙草がなぜうまいのか、その理由を喜一郎は知るよしもない。


 不可解だった謎も、解き明かしてみれば、それは論理的な思考に基づく端的な行動の積み重ねなのだと悟る。リーホァはあくまでスマートに、喜一郎に危害を加える事なく目的を達成するつもりだったのである。

(機関銃でミンチ肉は、彼女にそぐわない……セーラー服は似合いそうだが)


 土間の三和土たたきに通じる杉板を外し、するりと玄関に立った。部屋中が荒らされているのがその場所からもわかる。おそらく喜一郎の家も同様で、やくざ達の荒っぽい手口にウンザリする。失礼を承知で、靴のまま一階のリビングへ向かう。カーテンが閉じていることを確認して……


「はてさてどうするか?」

 喜一郎は隙間から外をうかがい、思案した。


 やくざ達はいない。斜め向かいの家の窓はふとんが干してある……おいおい。

 今回は床下の状態を確認するために廃路を使ったわけではない。真ん中の円と接触を謀るためである。だが、妨害するやくざがいないことは結構だが、真ん中の円がどこにいるのかわからない。一番外側の円から警務が撮影している状態で、真ん中の円と接触しなければ意味がない。






「あのぅ、警備局はとっくに引き払いましたよ。彼らは今それどころじゃない」


 喜一郎の心臓は止まりそうだった。声はカモフラージュされることなく、背後から聞こえている。ゆっくりと振り返る。そこに、見知らぬ男がいた。


「山林が雇ったやくざも当然いません。あいつらガラクタでしたからね。警務は100メートル先のマンションから撮影しているでしょうが、やつらに突発的な適応能力はありません。やはりガラクタです」


「どこから……」

「はぁ、普通に玄関から入ってきました。肉体労働は向いていないので」

 男は、約3メートル先の扉の横に立っている。この距離、この声、この感覚。


「おまえはあの夜の……」

「どうも、二度目まして。あのときの強盗です」

「どうして……」

「いえいえ、それはこっちの台詞セリフです。なんで金髪にぃちゃんのスマホを追跡したらヒグラシさんがいるんですか? こっちの心臓が止まりそうでした。おっと……それ以上、近づかないでください。格闘技にも自信はありますが、あなたと正面からやり合うほど、私は馬鹿じゃありません。用意しているものを使わせないでください」

 男はシルバーグレイのスプリングコートを少しだけ揺らした。


「ひざが痛いんだ、座ってもいいか?」

「どうぞどうぞ」

 喜一郎はひっくり返っているフリル付きのピンクの椅子を壁面に据え、ゆっくりと腰を下ろした。体力を温存するためだ。


「さっき、重要なことをさらっと言ったな。警備局だったのか? 佐藤豊に指示された?」

「ええ、その手引きで、やくざをかわしてあなたの家に侵入したわけです」


(なんだ? この違和感は……この違和感は……この違和感は……)


「年を取ったな。話がこんがらがって全体像が掴めない。ひとつ老人に解説してはくれないだろうか? そのあと殺そうが好きにするがいい。武士のなさけだ」

 喜一郎はお手上げのポーズをとった。


「ヒグラシさんにそんな言葉は似合いません。それに殺すこともありません」

「あの夜は、殺そうとしたじゃないか」

「職務であれば致し方ない。どんなに嫌なことでもね」

 喜一郎は戦慄した。


(違和感の原因は、この男の、自分に対する ”敬意” )


「あなたに解説できるのは光栄なことです。単純なんです。リーホァが佐藤豊にブラフをかけた。なんらかの弱みがあったのでしょうね。で、無視すればいいのに堪り兼ねた佐藤が外務省に泣きついた。それでその下部組織の ”私” に依頼が来た。なにかあればそれを奪還し処分する……それだけの任務です。当然、なにもありません。パフォーマンス、つまり強盗に入ったとの実績だけ作って、今度は ”山林健一に雇われたやくざとしての”私”” が ”強盗の一味の”女””を捕獲し、山林に献上してその懐に入ったわけです」

 男は開かれたドアを背にしてもたれ掛かった。


「不可解な謎も時系列を追っていけば、単純なものです」

 喜一郎との言葉のキャッチボールは求めていないのだろう。男はそう続けた。


「警視庁公安部……」

「ええ、あなたは退職したとは言え、もと家族です」


 警視庁公安部 古くは特別高等警察、通称 ”特高”の流れを汲み、そのノウハウと情報組織網を引き継ぎ、時代の歪みと何らかの力を受け、警察組織の中の異分子として成長した、 ”この国で唯一、本物のスパイ活動を許された組織”


「不破芳男を指名手配したのは?」

「ええ、そうですよ。佐藤も山林も金髪のにぃちゃんのことなど覚えてもいないでしょう。リーホァの行方は気になるでしょうが……」

 男はカメレオンのようにその表情を変えた。適切な指示が脳から伝達されれば、聖人にもヤクザにも瞬時に変われる。


「あいつはこの件には関係ない。それよりリーホァは? 彼女はなにを?」

「当時、5才の子供ですからね。ほとんどなぁんにも覚えていませんでしたよ。父親と佐藤豊に親交があったことは確かなようですが、昔のことですから調べようがない。たった一つ、可能性と言おうか懸念があります」

「………………本当は埋まっていたと言うのか? それをあいつが隠したと?」

「ええ、なんにも覚えてないのに、桜木と父親の記憶が妙にリアルでしてね」

「それで……生きている人間を殺して……指名手配か?」

「職務です。それを決定したのは私の上司で、私は指示に従ったまで……」


 喜一郎は目眩がした。この ”気違い” に自分は敬意を払われている。”同じ” 警察組織に居た人間として、仲間として、敬意を払われている……………………その事が何より恐ろしかった。











「なんだよね~」

「へーそのおじいちゃん面白いじゃないの」


 バースデーケーキを積んでいないことを神に感謝しながらindigo Blewは同じ色の海に突き当たり、そのまま幹線道路を法定速度を守りながら北上する。

 警察に止められれば即アウト。急ぐわけにもいかないので、自然とおしゃべりに花が咲く。


「最初の始まりはエフF1エフワンの事故が始まりだったわけ」

 芳男の無免許とは思えないハンドルさばきで、タントは順調に京都から福井に抜けようとしていた。


「元々、粉じんを飛散させない技術の専門家でさ、百合子さんの旦那さん。それで最初は単身赴任するはずだったけど、百合子さんと愛依も付いていくことになって、さぁ大変。じいさんが猛烈に反対して最後は離婚しろって言ったらしい」

「おじいちゃんの気持ちもわかるじゃん。だって放射能怖いじゃん」

 OL風のカープ女子は妙にエロかった。日本海の潮かぜで、前髪と少し開いたブラウスがはためいている。


「怖いつったってさぁ、住むところは福島第一原発エフワンからは離れているんだし、そこに移住するからって離婚しろってのはなぁ」

「だって愛依ちゃんってまだ幼稚園でしょ? 子供には影響大きいって」

「そうなんだけどさ。まあそれで親子の断絶寸前まで行ったみたいで」

 タントは無事に福井県に入った。蟹の季節でないことが悔やまれる。


「で、じいさんさぁ。寂しさに耐えかねて、黙って福島に家買っちゃたわけ。相談もせずに……子供だろ? 暫く百合子さんにも黙っていたらしいんだけど愛依に連絡とって。んでさ、なんだかんだで元通り仲良くなったのはいいんだけど、……娘婿? 百合子さんの旦那さんとは未だに気まずいんだって」

「かわいいじゃん。おじいちゃん」

「かわいいちゃかわいいんだけど……大人げなくね? じいさんの癖に。謝ろうにも旦那さんはPM2.5関係で今は北京ペキンだから……」

「色々考え方もあるんじゃろうけど、うちはやっぱ広島におるからかもしれんけど……うう~ん、難しいね」

「なにが正しいかは……難しいよな~」

 ふたりは日曜日の午後の、熟年夫婦みたいな会話を延々と続けていた。









「二重人格など、この世に存在しません」


 高度な情報戦とは、純然たる物々交換である。

 どちらかが全くの出ししみをすれば、どちらもなにも得られない。情報を友好的に提出し、有機的な共有をする。駆け引きはしつつ、そのキャッチボールの繰り返しが真実に近づける道なのである。


「工学部卒ですが、医療関係も徹底的に学びました。そんなものはネタに困った脚本家の逃げにすぎません。まあ、それが金髪にぃちゃんを疑ったゆえではあります……が、リーホァは信じていましたね……あの子は素直で優しいので」

 ギリギリで差し出した情報は、相手に鼻で笑われた。



「素直で優しい?」

「恋もします。職務として」

 こんな吐きそうなやりとりをもう2時間も繰り返している。椅子に座ったのは不正解だった。とっさの瞬発力を発揮できるか否か。立ったままでいたほうが良かったかも知れない。どの道、相手は隙を見せてはいないが……


「随分とセンチメンタルなんだな。彼女は少なくとも医者を殺している」

「それについては正当な理由がありますよ、ヒグラシさん」

「正当な理由?」

「リーホァの顔に初めてメスを入れたのはあの医者です。彼女が17才の時だそうです。そのあたりの情報はそちらにも伝わっているはずですが?」

「…………」

「彼女は自分の体を玩具おもちゃにした人間以外を殺害していません。私も危なかったわけですね、ふふふ」

「プラトニックだと?」

「道具で遊びはしましたがね。職務とあらば、やぶさかではなかったですが」

 情報量が多すぎて処理しきれない上、内容もマニアックすぎる。喜一郎は48人順番に言えるオタクを相手にしている気分だった。もう殺されたとしてもけりを付けてしまいたくなった。


「佐藤豊が邪魔なのはわかる。では、山林健一はどうなんだ? あいつはお前らの陣営に入ったはずだ」

「それについては等価交換といきましょう」

「等価交換?」

「金髪にぃちゃんの居所です」

 男はそこで凶器を見せた。拳銃ではないが、それに近い武器だった。


「銃声がしないので最近はこんなモノを愛用しています。殺傷能力は十分なのでご心配なく」

「それはご丁寧に」

(一人二役。いや、リーホァの仲間の顔をいれれば三役か? それと近未来兵器……007だな、まるで)



猫糞ねこばばしたのでしょうから、貴金属の類いでしょう。しかしそれでは佐藤豊を潰す道具にはなりません。彼が我が方に落ち、それを佐藤の側が知る、その状況が一番ふさわしいのです」

「居場所は知らない」

「あなたに不破芳男から連絡があったのは確認済みです。10秒だけ待ちます」

「”殺すこともありません” じゃなかったのか?」

「10」

「9」

「8」

「ヒグラシさん、あなたを尊敬しています。あなたが関わった事件の捜査資料は、美しい物語ストーリーでした。7」

「6」

「5」

「4」














 NOモーション











 完全なる死角からの











 パンツ丸出し! ハイキック!












 喜一郎は手加減することが出来なかった。孫の命が、懸かっていたからだ。

 受け身の取れない技。一つ間違えていれば、喜一郎は殺人者になっていた。



 (ルルルルルル ルルルルル ルルルル)


「もしもし? ……慌てるな、おちつけ…………心配ない。だから……心配いらない。そこに居ないのはわかってる。ここに居るからな。だから……ここに俺と一緒にいるんだ」

 電話の主は、泣きそうな声の百合子だった。


「おまえ、それ誰に習ったんだ?」

「おっきぃにぃに~~」

 愛依まいはニッカリ微笑んだ。











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