第13話

 不破芳男の指名手配は、解除された。広島の商店街での発砲は、警察官による威嚇射撃として処理された。出血大サービスである。



「靖彦っ! いいか! 男が玄関から悠々と入っていくのを確認しながら、警務は2時間以上なにもしなかった。この意味がわかるな? お前が俺に流した情報も俺の挙動も全部筒抜けだった。この意味がわかるな? お前の自慢する一枚岩の警察庁本丸、官房に、警視庁公安部の裏工作が浸潤しんじゅんしていると言うことだ! お前らが監視しているんじゃない。お前らが丸裸なんだ! そのときの映像があるはずだ。それがあれば指名手配を解除できる。公安が主張しようが押さえ込め! ……お前の親分に交渉しろ。おまえは決してあっち側に行くな! 無実の人間を貶めるようなことは、絶対にゆるさん。俺が死んでも、それは許さん!」


 靖彦からの最後の言葉は「わかりました」だった。


 喜一郎は、息子同然の存在を失わずに済んだ。ただし、捕らえたモンスターは無条件で引き渡されることになる。そうでなければ靖彦の立場があやうい。

 警察の大失態としての扱いになることへの交換条件。それは、致し方ない。


|佐藤豊、緊急入院 京エレ記念病院| 

 政界のほうも動いていた。喜一郎は新聞をにらみつけた。

 京エレ記念病院。只の病院ではない。日本を代表する企業群、京都エレメントの企業団地、その敷地内にある要塞。そこに、佐藤豊は籠城した。

 守るは警察庁警備局、平たく言えば ”機動隊” が全力でガードするのだ。


「自衛隊の知りあいでもいればな」

 喜一郎は笑うしかない。正面から侵入すれば2秒で撲殺される。仕様が無い。

 山林健一に捕らわれているリーホァを救出たいほして、この事件は幕を下ろす。警視庁公安部がどれほどに恐ろしい組織だとしても、明るい日の光にさらされれば干からびる、ドラキュラ。警備局や刑事局、警務のような全国組織ではない。だから……自分は助かったのだ。


 あのカードは、このカードに強く、そのカードには弱い。

 海を渡れるが、山は越えられない。山は越えられても、平地では無力。


 喜一郎が危険を避け、ある電話をかけるために、Fのスマホを使った。

 モンスターは焦った。捕獲を他組織に頼っていた。福島にみずから動いた。

 彼が組織として動いていたら、自分は助かりはしなかった。だが……



 モンスターにセーラー服は似合わない。




 喜一郎は機関銃での殺戮は人間の入れ替えだと考えていた。やくざ3人と誰かとの交換。考えればそれはおかしい。取り囲んでいたやくざは、その誰もが素人だった。

 銃声がせぬよう特殊な武器を使用する人物像に……機関銃なら、なにか論理的な訳がそこになければならない。そこまで考えて、ひぐらしは鳴くのをやめた。時系列が整理され謎が解き明かされて、それが一体なんだ? 

 それでもなぜか、たった一つ、美しい情景が脳裏に浮かんだ。


 秋田の山奥、陰鬱で澄み切った硝子の冷気。枯れ葉を踏む音は清潔で清らかで、そこに居た人の情熱をかき消すようだった。なにもありはしない、空間。



 京都エレメント会長、御手洗みたらい……彼もまた、その村の出身者であった。











「そんで、やもめのジョナサンがすんごい子沢山なんよ。元刑事なのに肝っ玉母ちゃんに頭上がんないの。それと漬け物おじさんがカムチャッカ役で暴れて夏の北海道で競争するの。タイヤが焼けないように仲間が沿道から水かけて……」

 運転はカープ女子に交代していた。ハンドルを握った彼女は、一種のトランス状態に入り、言っていることは、ほぼ理解不能。


 日本海はひさかたの雨を歓迎し、もっとくれ、もっとくれ、と手を差し伸べるように荒波が立つ。タントは雨水と塩風を吸い込み、フロントワイパーだけが、純血を守ろうとしゃかりきに動いている。

 もう既に新潟県に侵入していた。春とはいえ雪国の風は冷たく、そのまま会津方面から福島へ、もう少しだった。


(ウウー ウウー ウウー)


 背後にパトカーが接近していた。


「赤と青のまだら模様の軽自動車、停まりなさい!」

 ふたりを引き裂く無情の声が、マイクを伝わり聞こえてくる。


「やばいっ!」

「…………」

「しっかりつかまって!」

 カープ女子はそう叫ぶとアクセルを思い切り踏み込んだ。予想外の相手の動きにパトカーは慌てて引き離されるも、直ぐにそのエンジン性能は遅れを取り戻そうとする。


 カープ女子はアクセルを押さえたまま、ブレーキとフットブレーキを同時に踏んでハンドルを切った。神業。

 激しい水飛沫を上げ、タイヤをロックしたまま横滑りしたタントは、反対車線から伸びる細い側道を塞ぐようにすっぽりと停まった。


「ふー、これで車は通れない」

 カープ女子は助手席の方を向いた。ドアは開こうとしていた。


「警察が追っているのは俺だ。尋問されたら俺に脅されたって言え!」

「ちょっと!」

 扉は開かれ、雨の中を飛び出し、走り出す。……だが、数メートル先、芳男は振り返りそのまま立ち戻った。バックを持った手と逆の手を伸ばす。


「そうこなくっちゃ!」

 カープ女子もバットと逆の手を伸ばす。


 いくら気弱でも、やもめのジョナサンは、桃次郎を置いてはいけなかった。

(パトカーは全国のトラック野郎達が足止めしてる。急げ!)

 ”一番星号” もハザードをだしてエールを送る。


 握る手を間違えた二人は、クルクル回る。

 指名手配は、解除されたのに。

 二人は走る。その先の神社の石段めがけ。

 警官は呆気にとられ、ぽかんとそれを眺めた。


 二人は走る。石段を駆け上がる。二人は走る。だけど……



 グリーンの色鉛筆の領域線に茶色や水色の線が侵食している。

 それは、……以前よりずっと……











|佐藤豊、緊急入院 京エレ記念病院|

 山林健一は新聞をにらみつけた。


 ここまでは計画通り。怪物はお仲間の怪物を頼った、それだけの話。いずれは大阪冬の陣で外堀を埋め、夏の陣でとどめを刺す……予定で、そのカードも準備している。だが……


(核兵器密約。その話題の一切が、封殺された。そんな馬鹿な)


 有識者の中に日本に核兵器がないと信じている者は誰もいない。しかしそれはあくまで――寄港する米戦艦と潜水艦に積まれている可能性――としてである。

 このカードは違う。北海道の広大な大地のどこかに、ロシアの極東の重要施設の喉元に……あの第三次世界大戦、核戦争寸前まで人類を脅かせたキューバ危機と同じ状況…………なのに、どこも報じない。


 情報元の筋が悪いと一流紙が避けるのは理解できる。その可能性はある。

 だが、どこも報じない。週刊誌もアングラ紙も右翼系も左翼系も、都市伝説を扱うペーパーバックさえ。こいつらの矜持はどこに……


 佐藤が押さえたのか? それならどうして、佐藤は籠城した? アメリカからの工作から身を守るため、私有地に立てこもり議員特権と機動隊に守らせる、ならその振る舞いがおかしい。なぜだ? なぜだ? なぜだ?

 紫苑? そんなはずはない。脇の甘いエリート集団にこんな真似は出来っこない。泥臭い人間関係の寝技など一番に嫌う奴らだ。それなしに、どうして押さえ込める?


 秘書のひとりが電話を受け、青い顔で駆け込んできた。彼のバックにはなんの門閥もんばつもない、庶民の血統、優秀なだけの、ただのガラクタ。


「なんだ! 場所をわきまえろ!」

「大変です先生。大変な事が起きました……」











「はーい、あぁんして」

「あーん」

 柳沢省吾はとても幸せだった。


「もぐもぐした? じゃあお肉ばかりだと体に悪いからお野菜もね」

「あーん」

 柳沢省吾は幸せを噛みしめた。


 ピンクが好きな彼女の好みに合わせ、マンションの内装に大幅に手を入れた。

 リノベーションに近いその改装には、一千万以上の金が掛かった。でも少しも惜しくない。

 フリル付きのエプロンがこれほど似合う女性がいるか? 料理も抜群に美味い。


 杉原瑠璃子を瑠璃ちゃんと呼べる幸せを、柳沢省吾は神に感謝した。


 タワーマンションに降りかかる雨は、他人事のように優しい。そこに住む住人は、だから優しい。地面に這いつくばる人間の苦悩を匂いも味もない単なる映像として眺める彼は、だからこそ優しい。


「今度は豚の角煮。はーい、あぁん」

 杉原瑠璃子の栗色の髪が揺れた。










 グリーンの色鉛筆の領域線に茶色や水色の線が侵食している。


 京都と広島が大阪側に付いた。それでも名古屋との力の差は歴然としている。東京は真っ二つに割れ、繁華街では抗争が頻発し、見まもる他勢力は戸惑った。勝てそうもない戦いにどうして老舗が介入したのか? わけもわからずオロオロするなか、福岡だけが北上する。

 戦国時代とは違う。そのイケイケの集団は新幹線で一気に大阪と名古屋に突入して、名古屋では共闘を取り、大阪では遂に発砲事件が起こった。7人が死傷、うち2人は一般の市民。とてもではないが、各県の組織犯罪対策部で対応しうる事案ではない。


 だがこの未曾有の事態に、各局への応援要請は空を切る。

 記者会見する警察官僚の目はうつろで、まるで他人事だ。






 警察は、ひとつになれなかった。

 





 

 


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