第3話





「本日未明、福島県○×郡の工場跡地において爆竹のような破裂音がしたとの通報を受け、駆けつけた捜査員が複数と見られる遺体を発見しました。マシンガン等の特殊な銃器が使用された模様で遺体の損傷が激しく、人数その他、詳しい事はまだ分かっておりません。前代未聞の……」



「テレビを消せ!」

「はい」

「……邪魔だ。出て行け」

「はっ」


 秘書の腹底はらそこが冷えるのがわかる……こいつも使えない。自ら威圧しておいての失望。使える人間もそれはそれで厄介ではあるのだが……

 雨上がりの虹が国会議事堂にかかる朝、佐藤豊は窓をすべる水滴の行方を追った。


※※※※※(おじちゃんへ)※※※※※


よく駅前でタコ焼きを買ってきてくれましたね。父の膝の上でそれをほお張り、ふたりが話しているのを子供ながらに嬉しく眺めていたことを思いだします。

少しドン臭い父と違いおじちゃんは都会的で颯爽としていて……でも、ふたりは親友だったのですね。


私は父の遺産を掘り返しました。当然それは私が受け取るべきものだからです。

でもそれは、私が期待したものではなかった。

恥ずかしいのですが、貴金属だとかそう言ったものを期待していたのです。

私は父の遺志を尊重したいと思います。だからそのまま土にもどしました。

もしもそれが必要であるなら、どうぞ掘り返してください。

あなたの秘密を。


※※※※※



 奇怪にも髪の毛の束と一緒に送りつけられた、その手紙を手の中で握る。


 受け取った当初は無視するつもりだった。

 (もしかして)……疑念は降り積もり、やがて愚策が頭を突く。

 (あの子は戦争でもするつもりか?) 結果を見て戦慄が走る。



「山林健一を呼べ」「は、あの……山林先生のスケジュールが」

「いいから呼べ」「はっ」

 インターフォン越しに、秘書の声が震えている。







 グリーンの色鉛筆の領域線に茶色や水色の線が侵食している。前よりずっと。  河川敷を覆ったコンクリートの上、金髪を風が撫でる。不破芳男は不吉な地図から目を逸らした。


 発見された遺体はほぼミンチ状だったそうで、人数から昨夜の強盗なのだろうと思う。 

 ……やったのは彼女?


 別に下心があったわけじゃない。彼女と出会ったとき、一緒に頑張ろうと言われたとき、まだそのときは顔さえ知らなかった。……恋をしたのはそのあとだった。

 脳幹の機能不全。こんな恐ろしい事件の渦中に、思い出すのは甘い想いだけ。




「俺が取り付けてやるよ」彼女に良いところを見せたかった。


「盗聴器は一個じゃなかったんだな?」 「あぁごめん。言うの、忘れてた」

 そう答えた。……だが、恐らく彼女が取り付けたものだろう。自分はやはり、頼りにはされていなかった。でもそのお陰で、人ひとりの命が助かった。


 助けられた本人は、「強盗の話はしばらく黙ってろ」っと言ったくせに、強盗が殺されたら元刑事でも黙っている訳にはいかなかったようで、「もうすぐ警察が来る。ややこしいからお前は帰れ」……命の恩人に、怖い顔をした。




 もう一度、地図に目を遣る。自分に出来ることはこれくらいしか無い。

 元々この周辺地図も、古い家の見取り図も、彼女が持っていたものだ。

 ……一体、何が埋められていたのか?


「あああああぁぁぁあっ」

 髪を掻きむしる。集中しようにも、穴から這い出す虫みたいに雑念が浮かぶ。 目の前のやるべき事と彼女の事件が螺旋状に絡まる。明確なストーリー破綻。


「畜生ぅっ」 彼女の事を想ってもしょうがない。自分は騙されたのだ。



 もう一度。もう一度。地図を見る。

 グリーンの色鉛筆の領域線に茶色や水色の線が侵食している。

 順位が上位の猫の縄張りに下位は入り込まない。目指す猫のグリーンの領域線に地域で一番下っ端の二匹がうろちょろしている……のは、その影響力が消えたせいだ。


「ばあちゃん、悲しむだろうなぁ」


 猫は死期を悟ると自分から姿を消す。

 飼い主、依頼主、自分の家を囲むこの地区は、大きな洪水があったとかで片側の川堤防はコンクリートが敷き詰められ、もう片方にはバイパスがある。田舎のわりに猫が安心して死ぬための、土の地面が少ない。一箇所を除いては。

 今、そこに向かっている。近所の聞込みでもよく猫の死骸があると聞く。段々と近づくにつれ嫌な気持ち……もしも猫の死骸があれば、自分が依頼者に報告しなければならない。

 堤防の脇の古い塚。周りを低い木が取り囲んでいる。



  (もしかして)……薄々は考えていた。でも先延ばしにしていた。


   …………依頼者は、一人ぼっちの寂しい老婆ひと



 自分のひざ丈の草に一歩、足を踏み出す。(ざぁざぁっ)ジーンズと青草が擦れた。 三十分ほど隈なく探せば、どうあれ現実は見えてくる。



 その時、足元の音に紛れ 「不破君!」 後ろから声がかかった。


 振り向けば一人は目の鋭い見知らぬ男、もう一人は知っている。



「爺さんに会いに来たんですか? いまちょっと取り込んでるみたいですけど」


「いや、君に会いに来たんだよ」

 歪んだ顔をさらに歪め、男は笑った。







 特別待遇。事前に県警副本部長から因果を含められていたのだろうからそれも当然で、何人かの内、一番古株の刑事が喜一郎に敬礼をする。

 表沙汰にはしないつもりだった。しかし、殺人となれば初動捜査で見落としをするわけにはいかない。鑑識にも一応来てもらったが、

「恐ろしく手慣れた人間だと思われます」

 刑事の見解に喜一郎も異論はない。何一つ目ぼしいものは発見されなかった。



 手袋、目出し帽。指紋しもん、頭髪の脱落防止も抜かりはない。

 数本採取された白と金の髪の毛は、鑑定するまでもない。

 徒労な作業は、それでも3時間ほどかかった。


「ふぅ」

 捜査員が帰った後、喜一郎は二本の酒瓶を取り出す。

 一本は空の瓶。もう一本には、まだ封印ふういんがされている。


(とくっとくっとくっ)

 ふうを切り茶碗に注ぐ。昨夜の強盗は酒の栓を開ける容易さで鍵をこじ開けた。


 だれが殺した? 


 依頼主と考えれば、その候補者の素性からして殺すのは理解できる。だが、殺し方が理解出来ない。機関銃で人体をミンチ肉にするなどもはやテロだ。そんな派手な演出を佐藤豊が望むとは思えない。


 ではもう一人の候補者だろうか? 

 あのプロ集団を相手に彼女がリスクを取る必要があるのか。まさか彼らが20年前の実行犯であるはずもない。恨みを晴らすなら直接、佐藤豊を狙えばいい。

 そもそも彼女はどうして掘り返さなかった? 脅しのタネなら自分の手の内にあった方がはるかに良い。街灯のあかりに照らされた、あの時の古い小箱……。




:スカイフィッシュ: まず1個目。なにせ50年も前のことだろ。調べようがない。 『佐藤豊、その権力の構図と生い立ち』(東洋出版)って本が10年前に出ているからそれ読んだほうが早いんじゃないかな。


:ヒグラシ: ふざけてるのか?


:スカイフィッシュ: おまえ最近怖いよw いや真面目な話、秋田県の過疎と言うより山村の飛び地だな。もともと30人に満たない集落だ。佐藤を知る大人は全員死んでいる。佐藤の両親を含めて。ただなぁ自殺者が多い。これは本には書かれていなかった。んで、ここからは本にもあるとおり……佐藤と同世代の7人の子供たちの内、佐藤本人を含めた5人が結構な有名人だ。財界、法曹、一人はマスコミに騒がれたよなぁ新興宗教の教祖、あと女が一人いるが、そいつはニューヨークで大金持ちの未亡人をやってる。ほいで佐藤ちゃん。なんだろ? 村の特産物の木ノ実が頭を良くするとかって、テレビで司会者が言っていたなw 


:ヒグラシ: 7マイナス5 出てきた答えが、 麗華リーホァの養父母。


:スカイフィッシュ: シェィカイ。そこまでしかわからん。じゃぁ2個目の依頼の件。 艶っぽい話はどうも苦手だw 一人は交通事故で夫を亡くした30歳、教育実習生の女子大生、それとOL。三人もって羨ましいな。どうにもこうにもテクニシャンみたいだなwww


:ヒグラシ: 今日は少しテンションが高いな? ちy ちょっと待ってくれ。




「まったぁぁ昼間っから酒なんか飲んでんのかよ。ちょっと俺にも飲ませろよ」

「まて、それは……」

「別にいいだろ? 未成年じゃないんだから。っつか、やってらんねぇぇ」

「酒は飲めないんじゃなかったのか」

「コップ一杯ぐらい平気だよ。はぁ、人を見かけで判断しやがってあのやろう」

 顔をしかめながら飲み干すと、金髪は座布団を畳んで枕にした。


「あの野郎? なんか嫌なことでもあったのか」

「色々あんだよ! いいよなぁ、日がな一日、スパイダー・ソリティア やりやがって」

 もう話したくないのか、金髪は喜一郎に背を向けた。




:ヒグラシ: すまない。話を続けてくれ。


:スカイフィッシュ: ま、夜這いをかましていたんだな。ガラス戸を開けるのもお手のものかw 通りいっぺんの捜査じゃ、只のひきこもりだったが、確かにお前さんが言うように人物像が合致しない。……でもそんなことあり得るのかね? ドラマじゃあるまいし。





 それから二時間後、若い肉体は睡眠薬の場違いな呪縛を解き放つ。


「ううぅぅん。あれ? なんだ? 俺、寝ちまったか」

「ああ、少しの間な」

「コップ酒一杯でも効くもんだな。あぁぁ頭がぼうっとする」

「すまんが、お茶を入れてくれないか」

「人使い荒いな。まあ煎れてやるか、俺も喉が乾いたから」

 ブツブツ言いながらも、金髪は慣れた手つきでお茶をいれる。




 喜一郎はそれに、手を伸ばす。

 それは、不味かった。

 …………それを、待っていた。








「お前はいつからそこにいる?」








「ん? ……ついにボケたか? ずぅっと一緒にいるじゃねーか、俺たち」



「お前が飲んだ酒なぁ、新潟から取り寄せた酒だ。貴重品だから二本揃えるのに少し時間がかかった」



「あ? あぁ。瓶を割って封を無傷で取り出して睡眠薬を……不可能なのか?」



「いやそんなことは警察で実験済みだ。昔ながらの古いタイプだからな。二本用意すれば、密閉状態を作れる。二本取り寄せたのは旨かったからだ」



「なに言ってんだかさっぱりわかんねぇよ」



「問題は……味だ」



「あじ?」



「飲んで確認したかった。旨かったよ。あの時と同じ様に……」





 午後6時くらいだろうか? 赤い夕日の角度がそれくらいだ。あの日と、同じ。

 コンクリートで埋め尽くされた川から、この家に時折り強い風が流れてくる。 金髪がさわさわと揺れるその下の顔は(イノセント)どちらともわからない。

 (【innocentイノセント】 無実の。潔白な。 純潔な。また、無邪気な)





「するってぇっとなにかい、ご隠居」

 唐突にふざけた口調で話すくちびるに邪悪さが見えた。



「ああ。お前がさっき飲んだのは警察が検出したのと同じ、ハルシオン系の睡眠導入剤が入ったものだ。味をみる前にお前が飲んでしまったがな。ただ、舐めただけで十分だったよ。不味くて飲めたものじゃない。少量入れただけで、あの時の純粋な味じゃなかった」



「つまり?」



「あの日、俺が飲んだ酒に睡眠導入剤は入っていない。何者かが後で入れた」



「ご名答!」(パチ パチッ パチ パチ)

 まばらな観衆の拍手は演者を失望させる。喜一郎は金髪の次の言葉を待った。


「過程の計算式も加えるなら、俺がやったのは縁側のガラス戸を気付かれずに開けただけ。あんたが覚めればそれなりの対応を取るつもりだった。でも、あんたはすやすや眠っていた。だから、飲み残しの酒に薬を入れた」


「ピタゴラスの定理か。目を覚ませば、別の斜辺に行動を移す」


「合いの手が上手いな……って、意味わかんねぇよ。どちらにしろ、あんたが麗華リーホァを疑っているのには気が付いたから」


「ほう?」


「あんたが買ってきたショートケーキな、不味いので近所でも有名だ。おまけに、一方通行の一車線沿いにある。車で来るあんたの娘が、わざわざバイパスを降りて逆走する程の店じゃないのさ」


「下手な策略はするもんじゃないな。じゃあ床下に掘られた穴は?」


「ああ、二日後かな? 後から掘った。流石に眠っているあんたの横で作業は出来ない。床板の工作は床下からの偽装さ」


「まんまとハメられたわけか」


「穴が掘られていた。なにか埋まっていたと考えるのが普通だな。あんたの失点じゃない。疑われたあの子を逃がすには、失踪する理由が欲しかった。それはこちらの都合さ」


えらくあっさりしてるな。白状させるのに、もう少し時間が掛かると思ったが」


「あんっ? ああ、もうばれちまったからな。箱を埋めるのを、誰かに見られていたらしい」


「ずっと見張られていた。ただ、ターゲットは俺だ。見張らせていたのは……」


「ここに来た国会議員。さっきそれをネタに脅されたよ。折角、掘った穴を無駄にすることはないと欲張ったのが運の尽き。古道具屋でわざわざそれっぽい箱、買ってきたのに」


「じゃあ機関銃で強盗をミンチにしたのは?」


「ん? GPS携帯を一個、放りこんでおいたからな。……やったのはリーホァだよ」



 目眩がした。年が離れた友人の、無表情な顔。喜一郎は作戦を変えた。 



不破芳男ふわよしお21歳。住所、和歌山県橋本市○×……」

 喜一郎は資料に挟んでおいたファイルを読み上げた。


「なんだ? いきなり」


「両親とも仕事が忙しく、幼い頃からおじいさんっ子でひどく内気な……」


「だからなんだよ」


「まぁ、お前の人生だからお前が聞いても今さらだなぁ。……えーと、一度だけ脚光を浴びる。高校二年のサッカー県予選。弱小チームが幸運にも決勝に残る。田舎だからそれほどチーム数があるわけでもない。ここまではクジ運か。だが、決勝の相手は全日本ユースもいる優勝候補。そこで後半ケガで外れたレギュラーの代わりに出場し、ハットトリックを決める……」

 そこまで言って喜一郎はファイルを閉じた。


「弱小校が全国大会に行くことになって学校は大騒ぎ。お前は一時ひととき、ヒーローになる。でも期待されスタメンで起用された全国大会は散々な一回戦負け……で、周囲の視線に耐えかね高校を中退。あれか? 最近の奴は “その程度のこと” で学校を辞めるのか?」


「あんたには失望したよ。人を傷つける為だけの言葉だな。人を怒らせて言質を取る。現役時代のやり方もそうだったのかい?」


 言葉とは裏腹に初めて金髪の顔に感情らしきものが浮かぶ。単純な策戦ほど成功する。

 それは(怒り)の感情。だがそれは単純な(怒り)なのか(義憤)なのか?

 筋書きは事前に推理した内容と大差ない。喜一郎は今回の駆け引きの本当の目的に入る。


「お前は警察の本当の恐ろしさを知らない。確かに単純な聞込みでは表面しか浮かんでこない。だがな、相手を潰すつもりで本気で食らいついたとき……」


「ああ、そう言えばあんたには協力者がいるそうだな。何だ? 俺の彼女でも見つけたか? 彼女つっても何人もいるから……俺が居なくなって寂しくて動揺する奴もいたかぁ」


「夜這いするのに、鍵を使わず扉を開ける腕を上げたのか?」


「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。俺は強姦魔じゃないぜ。常に相手の同意を……」


「お前は最初の質問に答えていない」


「ん? あぁ。あんたの質問には確信があるな。惚けても無駄?」


「俺は人を洞察し続けてきた。不破芳男の表向きの人生と、ここで俺と過ごしたお前に一切の矛盾はない。だが整合性のないことが三つある。一瞬で瓶と封印の構造を見抜いた目。完璧に仕掛けられた二つ目の盗聴器。そして…………ハット・トリック」


「俺にも質問させて貰っていいか? 話してる間、ずっと気になってたんだ。なぜ今?」


「お茶が不味かった」


「へ?」


「飲み物の味が旨いか不味いかなんてものは、要するに……誰と一緒に飲むか、だろ?」



 少しだけ沈黙があった。



「きゃはははははははは」

 金髪の笑い声が沈みかけた夕日を揺らす。


「あんた、美味しんぼの山岡士郎かよ。久々にウケたぜ! あぁ腹が痛ぇ」

 ガーデニング用の脚立に軽く尻を乗せ改めてこちらに向き直り、

「あんたは俺が今まで見てきた大人とはモノがちがうな。ちょっとだけ弁解させてくれ。確かに俺さぁ夜這いはしたが、それは昼間会ってその気がありそうな女だけだ。無理強いしたことは一度もない。その辺スマートなんだよ。なにせこいつは気弱で禁欲生活のDT(童貞)だから、こっちは身がもたねえぇ。初めての喪失はボーイスカウトの夏合宿だったかな。14歳。俺も若かったよなぁ、遠い目ぇ~~なんつって」金髪は、なにもない景色を眺めるフリをする。


「……いつから?」


「おっと! それじゃあまるで俺がこいつに取り憑いてるみたいじゃねぇかよ。俺のほうが本体かもしれないんだぜ、はは。俺達は二人でひとり。互いにいがみ合っているわけじゃない。まあ、こいつは俺の存在には気づいていないけどさ」




 本題の答えは=(義憤)予想はしていたはずの喜一郎も次の言葉は見つからなかった。




「こいつには少し悪いと思っているんだ。試合に出た直後、脳震盪おこしやがってさ。で、良かれと思ってゴール決めたけど、高校辞めちまってさ。……ところで話は変わるけど、俺たちを罪に問えるかい?」


「何人も人が死んでいる。お前、分ってるのか? 一体なんの目的で……」


「問えるわけねぇわな。学問上も法律上も、二重人格なんてものは存在しない。しかし、国会議員のおっさんに見つかったのはしくじった。あんたさぁ、こいつを守ってくれよ。やっと立ち直りかけてるんだからさ。何年も引き篭もって、なに思ったか金髪に髪染めて、ふふふふふっ。あんたとこいつは友達。なあ、そうだろ?」


「あのはどうなる。彼女は幼い頃に両親を殺された。そんな彼女にこれ以上なにをさせようと言うんだ? 整形までして逃げ回っているんだぞ」


「誤解があるようだがな、俺はリーホァに指示なんかしちゃいない。あの子が整形した理由、あんたにわかるかい?」


「…………」


「ショートカットが似合わないからだとさ! きゃは。どうだ、俺の彼女は狂ってるだろ?」




 喜一郎は自分が老いたことを認めざるを得なかった。心身共に悲鳴を上げている。脳味噌がぐるぐる回り焼き切れる映像が浮かんだ。佐藤との関係など聞きたいことは山ほどあるのにそれを引き出す気力がない。目の前の若い男に飲まれている。それを認めるしかなかった。




「念を押しておく。折角、立ち直りかけた少年の心を壊すような真似はやめてくれよな。それについてはあんたも同意見だろ? 今の話も俺の事も黙っておいてくれ。……強盗がもう少し深く掘っていれば、猫の死体が出てきたこともな!」




 最後の言葉をきっかけに幕は降りた。残り火に唾を吐くように夕日はその生涯を閉じる。 PCの間接的でよわい光。庭を抜け帰りゆく金髪の背中の分だけ、少し空間が歪んだ。









 喜一郎は這いずるように部屋の奥に戻り、パソコンのキーを叩く。


:ヒグラシ: 今、終わった。


:スカイフィッシュ: 気が気じゃなかったよ。

:スカイフィッシュ: お前の事だから心配はいらないと思ったが。

:スカイフィッシュ: つまりなんだ? やはり二重人格だったのか?

:スカイフィッシュ: けっかを早く言ってくれ。

:スカイフィッシュ: ろくにこっちも寝ていないんだ! 分からなきゃぁ捜査の方針も立てられない。おい! 聞いているのか? 






 矢継ぎ早に文字が打ち込まれる。喜一郎は最後の力を振り絞り、

 (さっきまでの駆け引き)

 その初期段階で引っかかった疑念をリフレインする。




「ああ、そう言えばあんたには協力者がいるそうだな」

「ああ、そう言えばあんたには協力者がいるそうだな」

「ああ、そう言えばあんたには協力者がいるそうだな」

「ああ、そう言えばあんたには協力者がいるそうだな」

「ああ、そう言えばあんたには協力者がいるそうだな」







:ヒグラシ: ひとつだけ聞きたい。




:スカイフィッシュ: なんだ?




:ヒグラシ: お前はもう、あちら側の人間なのか?








 30秒だけ待った。次の文字は打ち込まれない。




 部屋の唯一の灯りは消え。本当の暗闇が訪れた。






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