第4話

 引き返せない、もう後戻りはできない、なぜだか快感が走る。


 涙と鼻水混じりで懇願する佐藤の第一秘書、その叫び声を指一本で始末して、俺は猛烈に反省した。もうすこし、……やさしく電話を切るべきだった。

 俺が仕事を教えてやった……手取り足取り。不始末も揉み消した。

 彼の学歴は最高。血筋も文句なし。彼ならば、良い案山子かかしになっただろう。

 ……あぁ勿体ない。 

 恩に着せたまま関係を残しておけば良かったと……利用価値はまだまだあったのに、彼の実家の資産がどれほどかを忘れていた。 

 高揚感で判断力が鈍っている。反省はするがそれは仕方の無いことなのだ。



 獣に戦いを挑んだ。




 俺は、佐藤豊に反旗を翻した。この意味を何人の人間が理解しうるだろう。

 無理だ、あいつの仕事を間近でみた人間でなければ。

 これで積年の恨みを晴らせる。恨みなんかあったか? 高卒で工場に就職するはずだった俺を大学に通わせ、議員にまでしてくれた恩人に。

 悲鳴が聞こえている。

 それを肴に酒をあおる。あおればあおるほど、冷静になる。


 佐藤豊がこの先10年もつのなら俺は完璧なロボットで良かった。後継者争いに勝つ自信はあった。その信念も矜持も。病状を知るまでは……。

 

 病状をリークしたのは俺だが、……駒の配置は面白いほど動く。

 戦況はやや不利。いやこっちの大敗濃厚。以前の俺ならば、絶対にこっち側にはつかない。だが兵隊の数は抜きにして、お互いのカードは五分五分。当然だ、ここ20年の汚れ仕事は、俺が全部引き受けている。相手カードと俺のカードは表裏一体。ひっくり返せば、どちらも破滅。ただ唯一、リーホァのジョーカーを除いて。

 本能寺で終わらせる訳にはいかない、関ヶ原にしなければ。



 もっと用意周到に固めるつもりだったが、国内でマシンガンをぶっ放されてはどうしようもない。世間は大騒ぎだ。誰がやった? 感謝すべきか?


 悲鳴が鬱陶しい。爺と餓鬼を監視するのに余り人員を割かなかったのはこちらのミスだが……そいつらはミンチ肉になった。唯一、捕獲できたのはひとり。

 美人なので顔は傷つけないよう指示してある。


「どうだ? ジャパニーズスタイルの拷問は?」





 ※




(ピンポ~~ン)

「はーい。どちら様ですか?」


「ごめんねー不破君。うんしょ重いわ」

「にぃに、こんちゃ」

 玄関を開けると喜一郎の娘の百合子と孫の愛依まいが立っていた。


「お父さんにお使い頼まれたんだけど、留守なのよ。いると思ったから合い鍵も忘れちゃって、生ものもあるから預かって貰えない」

「いない? そんなはずないですよ。朝一タバコ買いに行って戻ってき……」

「だって玄関にほら!」


|しばらく留守にする|


 と、書かれた紙切れを百合子がピラピラと振る。


「まったくなに考えてるのかしら。この大きいバックは生ものじゃないの。こっちの小さい箱だけ冷蔵庫に入れといて貰える?」

「はあ、いいですけど。しかし居ないはずは……」


「じゃあ、お願いね~」

 言葉を残してパタンとドアが閉まる。

 金髪の下の、表情が変わった。


  

 はぁ!? どうやってこの包囲網を抜けた?


 嘘だろ? カーテンの隙間から外を見る。死角ギリギリに黒い外車が見える。それ以外にもまだウジャウジャいるはずだ。朝の日課の散歩から戻ってきて、俺を含めたこの衆人環視のなかどうやって…………?




 ※



「なぁなぁおじいちゃんほんまにゲーム買ってくれるんかな?」

「約束したんでしょ? 大丈夫じゃないの~」

「リスクが大っきいのよねぇ」

「ちょっとぉどこでそんな言葉覚えたのぉ?」

 笑いながら百合子はハンドルを切る。殆ど隔絶状態のこの地区から外に出るにはバイパスを通る以外に方法がない。緩やかな大きなカーブはのびやかに上昇もしている。なぜこんな場所に家を買ったのか。歩いて20分もかかる駅は無人駅、まるで陸の孤島。

 バイパスに入ると今度はハンドルをさわる必要もない。まっすぐの二車線。車がすれ違うこともほとんどなかった。

 青空にバイパスの線をシュッと引いた上に、古いビートルが疾走する。


「さてと……」バイパスとバイパスのつなぎ目に広い空き地があり、のぼりがいくつもはためいている。今日はバザーの日だ。簡易テントもいくつかある。

 左に指示器を出して穏やかに滑り込む。(パタン)助手席のドアが勢いよく開いて閉じた。トコトコトコトコトコトコスットコトコトコトコトコッ。


「あらあら」

「ちょっとやだぁ~」

「あははは、我慢できなかったんだね」

「あらまぁ」


 バザーの一画、周囲は驚いてざわざわと周りを囲んだ。皆の視線が集まる。

 その真ん中、愛依まいがぺろんとお尻をだしておしっこをしている。


「ちょっと! 愛依まい! 何やってんの!」

 顔を真っ赤にして百合子が駆け寄ったが、まだ終わってないのでどうすることも出来ずに、オロオロするより他にない。微笑ましい椿事ちんじに集まった人たちに笑顔があふれる。

「ごめんなさい。ごめんなさい。すみません。すみません」

 辺り構わず頭を下げる母親に文句を言う無粋な人は誰も居ない。

「大丈夫! 大丈夫! 砂でもかけとくから心配いらないよ」

 前のテントのおじさんがにこやかに言う。暖かい雰囲気の中、それでも百合子は顔を赤らめ頭を下げながら愛依まいの手を引っ張って車まで戻った。


「おじいちゃんゲーム買ってくれるよね?」

 愛依は一向その事だけが気になって、別段、恥ずかしくもないようだ。

「そりゃそうよ、当たり前じゃない。私も時計買って貰うわ」

 顔が赤くなったのは演技じゃない。いざやってみると恥ずかしさがこみ上げてくる。一応念のため、助手席裏のスペースを開けてみる。朝、出がけに、父から頼まれた大きなバックが収まっていた場所だ。

 当然、そこは空っぽになっていた。







 喜一郎は暗渠あんきょ(地面の下に作った水路)の中を歩いていた。尾行していたであろう人間も含め、周囲の誰もが目を奪われた瞬間、車から側溝に滑りこみ、そして今、ここに居る。

「ゲーム買ってやらなきゃな」

 これしか方法はなかった。朝の散歩も尾行が付いていた。監視だけが目的だろうが、こちらがイレギュラーな行動をとればすぐ拉致に近いことをされただろう。相手側にはそういった気迫があった。

「さて……」

 自由になったはいいが、人に紛れる都市部まではたっぷり5時間はかかる。

 うんざりだ。それと……。

 電源の入れ方がわからない。娘に頼んだはいいが、期せずしてのスマートフォンデビューだからしょうがない。さっきからうんともすんとも言わない。

 ため息をついて、喜一郎は額に付けた懐中電灯ごと天井を見上げた。蜘蛛の巣が一杯だった。







 青い夜は確かにある。今夜みたいなのがそうだ。

 差し込む月光が、金髪を灰色に染める。


 黒塗りの外車はトラックに変わった。裏手には白い国産車。斜め向かいの家の窓はずっと雨戸が閉まっている。たぶん、あれもそうだ。


「じじい…………一体どうやってここから抜け出した?」

「年寄りだが、やるもんだろ」



 !?






          !?




「はぁぁああああああああああ。じじいてめえぇ」

 振り向くが誰もそこに居ない。


「慌てるな。どっちの方向から声が聞こえてるかわからんだろ? むかしあつった事件で覚えた手品みたいなもんだ。人間の聴覚ってのは面白いもんで……」

「やっぱり家の中に隠れてやがったか」

「いや、一旦は脱出した。どこでもドアでな。俺の家は家捜やさがしされて大変だっただろ。後で片付けるのかと思うと、憂鬱だよ。ちょぃ用事があったんでな、戻ってきただけだ」

「ふざけるなよ、じじい。俺をペテンにかけられるとでも……」

 二階の部屋に荷物は殆どない。月に照らされて視界は通っている。上下左右、視線を走らせるがなにもない。


「だから慌てるなって。見つけたところでガラス一枚、一発で叩き割れない腕力で俺をどうするつもりだ? それとも表の敵に旗でも振って合図するか?」


 少し心臓の鼓動が収まってきた。声のトーンを落とし、

「いったいなにを企んでる? なにをするつもりだ?」

「それが俺にもさっぱりわからん。はは、困ったもんだ」

「相手を誰だと思ってる。あほが……娘や孫の命だって危険に晒されるんだぞ」

「心配してくれてすまんな。娘達は今頃、飛行機の中だ。旦那の仕事の関係先に、名目は出張で。娘の旦那はどうにもいけ好かない奴なんだがな、車の趣味だけはいい。おかげで助かった」

「てめぇんちの婿むこしゅうと問題なんかしるか!」

「声が大きい。まぁおまえが独り言を言うくらいだから、この家は盗聴されてはいないんだろうが……それよりなぁややこしいんだ」

「なにがだ?」


「いつものおまえが、不破ふわ芳男よしお エー いまのおまえが、不破エフ芳男でいいかな?」

「てめぇ! 完全におちょくってやがるな!」

「アナーキーなAの方が良かったか? それはそうとそろそろ本題に入るか」

(階下だ。それはもうわかった。しかし言う通り俺ではこいつを倒せない。)


「今朝、娘が持ってきたバックの中に色々入ってる。スマートフォンもあるから、連絡はいつでもとれる。名義も紐付きじゃない安全なものだ。使ったことあるだろ?」

「当たり前だろうが」

「だったら、…………まあいい。とりあえず共闘戦線と行こうじゃないか」

(六十を超えた老人に呑まれている。俺が? 嘘だろ?)


「なんでおまえなんかと組む必要がある?」

「そっちが言ったんじゃないか。 ”こいつを守ってくれよ” ってな。どうやらおまえはこの場所に留まる必要があるようだが、家のまわりのチンピラ達はおまえも鬱陶しいだろ?」

「チンピラ? 警察関係者じゃないのか?」

「凶暴な人種だが、その道のプロじゃない。タバコと引き替えに差し出されるのは千円札だと信じて疑わない、単純なやつらだ」

「手紙ってわけか」

「おまえの頭が良いのは認める。だが実戦で切り抜けられる状況じゃないよな。敵の敵は味方。柔軟に考えても損はない」


 ふぅ~~~~。大きく息を吐いた。


「いいだろう。とりあえずはな。だが意外だな、俺と手を組もうなんて……」

「猫を埋葬してやったんだろ? やさしいじゃないか」


「何言ってんだ、あん? それよりあんたどうやってここまで来た?」

「おい、じじい。どうやって帰るつもりだ? おい、聞いてるのか?」


 既に気配は消えていた。





 やはり、今夜は青い夜だった。



 








 


 


 



 





 




 




 

 







 




 




 




 

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