第2話

:スカイフィッシュ: 大変なことになった!


:ヒグラシ: ん!?







 ぽかぽか天気の日曜日。引退したから休日も平日もないのだけれども。

 あれから日常の習慣が一つ変わった。どうにも煙草がやめられない。だから、交通手段のない喜一郎は毎日、往復40分ほど歩かなければならなくなった。


「よう! じいさん。毎日ウオーキング、感心かんしん感心かんしん。うんしょっと」

「何をやっているんだ?」

「見りゃわかるだろ? 看板付けてんだよ! 看板」

 金髪は、(不破探偵事務所)と書かれた大きな板を玄関に立て掛けていた。


「探偵始める事にしたんだ。盗聴器仕掛けただろ? 俺、才能あると思うんだ」

「介護の資格は? …………こんな田舎で依頼なんかないだろう」

「ところがどっこい! もう依頼があんだよ。まあ、依頼があったから探偵始めてみようと思ったんだけどさっ。猫探しだよ、猫探し。見つけたら50万だぜ、50万!」


 喜一郎は下を向き、首を振った。ここには見上げる天井がない。早く帰って一人になりたかったが、家に入る喜一郎の後ろに金髪がくっついて来る。


「アドバイザーよろしく。浮気調査ならなんとなく分かるけど、相手は猫だろ」

「猫を捕まえたことはない」

「んなぁ事言うなよぉ。元刑事の経験でさぁ」

 金髪はそう言うと、勝手に茶箪笥を開けてお茶をいれ始めた。

 人付き合いは苦手なのだと思ったが、金髪はすでに喜一郎の娘や孫とも仲がいい。

 もう一つ、(子供の頃、爺さんに仕込まれたから、へへ)金髪が入れるお茶は旨い。

 これもまあ、見た目とは違う。


「で、飼い主がそんな大金を出すわけか?」

「飼い主じゃねぇよ。近所のばあちゃん。俺がこっちに来てすぐ仲良くなったんだ。自分の飼猫じゃねぇけど、可愛くて仕方ないんだと」

「……にしても金額が多すぎる」

「俺を助けるって意味もあんじゃね? 家賃はタダだけど、生活費がなぁ。まぁさ、すげぇ金持ちらしいから、ばあちゃん」

 金髪はメモ帳を取り出し、どうやら本気のようだ。

 

 夢中になれるもの。それはどんな時でも明るいきざし。でもその時の喜一郎には腹に抱えた暗雲があった。


「すまんが、今から人が訪ねてくるんだ」

「ん? 娘さんじゃなしに? 珍しいな。じゃあ俺は家に戻るから……」

「……いや、お前にも居てもらおう。その方がいい」





 程なくして、玄関のチャイムが鳴る。相手が予告した時間どおり。


 衆議院議員、山林健一。 

 男は静かに名刺を置いた。それを見るまでもなく、相手はテレビ等で見知った顔だ。

 議員秘書を経て若干28才で初当選。与党最大派閥を牛耳る佐藤豊の懐刀。


 金髪が、三人分のお茶を注ぐ。


「単刀直入に……。私は李麗華リー・リーホァの行方を探しております」

 隣で金髪がさわさわとゆれた。


「あなたのような方から突然、連絡が入った時に予想はしておりましたが、……一体なんの為に?」

「それは申し上げられません。いや、失礼は承知しています。だがとても重要な……」

「あなたなら警察自体を動かす事も出来る。それに我々が知る限りにおいては、事件にもなっていない。我々が知っている事実なら、既にあなたもご承知のはずだ」

「無論です。実は私はここ数年、橘梨花(日本名)の行方を探しておりました。で、やっとその痕跡が掴めた……彼女が再び失踪した後ですが。彼女に直接会ったのが、あなた方だけになった今……」

「ますます話の筋が見えませんね?」

「彼女は数週間前、都内で整形手術を受けています。それは手術に立ち会った看護師に確認が取れました。そして、執刀した医師が何者かによって殺されています」

「え?」

 お茶を入れなおそうとした金髪の動きが止まった。


「これはつい先日わかったことです。その後は、あなたもご存知だと思いますが?」

「……ええ」

 喜一郎は肯定するしかなかった。相手は確固たる前提で喋っている。とぼけても、無駄。

 金髪には黙っていたが、一昨日スカイフィッシュから報告があった。呉市に住む、李麗華の養父母が惨殺されたのだ。現場の聞込みでサングラスをかけた若い女の姿が浮上している。……この事はすでに、事件となっていた。





 収穫なし。

 老人と金髪の青年に見送られ、迎えの車に乗り込んだ山林健一は目を瞑った。

 事前の報告では敏腕の元刑事という触れ込みであったが、何のことはない好々爺に思えた。弁舌鋭く語っている風で中身の無い質問ばかり、こちらからの質問にも同様である。リスクを犯して接触を図る意味はなかった。

 青年の方は元々、女にたぶらかされ利用されたに過ぎない。せめて体の特徴だけでも聞こうと思ったが……。報告通り、ただの盆暗ぼんくら


 自ら衆議院議員の身分でありながら、その本質は傑物、佐藤豊と言う百年に一人の政治家の秘書に過ぎないと認識している。その関係性が崩れたのは、一通の小包。

 公設秘書から処理の判断を求められたその中には、髪の毛の束と(おじちゃんへ)と書かれた手紙。 それだけでこの件はアンタッチャブルとなった。差出人、李麗華リー・リーホァ

 橘梨花と言う名前の方が自分には馴染みがある。秘書について最初に与えられた、仕事。近況報告と迂回送金。その時は、愛人にでも産ませた実子なのだろうと想像していた。


(プルプルップルプルッ)(ピッ)

「もしもし、秘書の田辺でございます。先生からお話があるそ……ガチャ」

 山林健一は身が固くなるのを感じた。


「きさまは誰の許しを得てそこにいる?」





 彼には私がどう写っただろうか? 去りゆく車を目で追い、喜一郎は考えた。 尋問も観察も、される立場になった経験がない。自分の演技は何点だったろう?


 こちらの持ち札は少ない。あるぞあるぞと見せかけるより、こちらは気付かぬ振りを演じた方がいい。情報欲しさに、相手は勝手にカードをみせる。


(橘梨花の行方を探している)これは餌だろう。こちらはその理由を求める。

(関係性を勘ぐられても構わない)との判断は、……だが当事者に中々そんな真似は出来ない。リスクを認識していない、もしくはリスクを敢えて取っているのだ。 

 つまり、……彼も肝心な真相は知らない。そして、知りたがっている。

 勇み足。彼の行動は、自分の親分の意向を受けていない、彼の独断。

 訪問の真の目的は、私に捜査させるよう仕向けること。


 時系列的に事の成り行きを整理してみる。

 彼女が私の家の床下から何かを掘り出した後、都内で整形手術をし、……執刀した医師が殺されたのは今初めて知ったが、何かをしようとする人間にとってそれは当然の行為とも思える。彼女は顔を隠した。

  ……そして、彼女の養父母が惨殺された。


 初期の捜査段階で与党幹事長、佐藤豊の名前が浮上したのは晴天の霹靂。

 李麗華リー・リーホァの養父母が佐藤豊と同郷。しかもおよそ十数軒の小さな集落出身なのは、まあ偶然と言ってもいい。重要なのは毎月ダミー会社を使い、多額の振込があった事実である。

 こちらがその情報を持っている事は、当然向こうも知っている。知っているから、敢えて隠す必要もないとも考えた。     若さか? 反逆か? 


「彼女、人を殺したんだろうか?」

 隣で金髪がつぶやく。

 喜一郎はその背中をそっと押し回し、玄関へ誘った。我が家で少し休んで、庭から帰ればいい。彼女が育ての親を殺した事実も自分の口から言うべきだったと後悔しながら、我々の手には負えない遠い出来事を考えてみても仕方がないとも思う。


 二人して、またお茶を飲んだ。


「じいさん、頼みがあるんだ」

「なんだ?」

「かつお節をくれないか?」

 受け取ると、金髪は庭を抜け自宅に帰って行った。

 

……最近の若者の情緒感情は理解しがたい。喜一郎はパソコンを立ち上げる。




:スカイフィッシュ: きな臭くなってきたな。


:ヒグラシ: ダミー会社からの送金は間違いないのか?


:スカイフィッシュ: ダミーだからダミー会社だ。何件か先に佐藤の息のかかった建設会社があるだけで、このままじゃ週刊誌のネタとしても根拠が薄い。こんな内容で事情を訊こうとすれば弁護士が大名行列作って文句言って来るさ。しかし、現役の議員を寄越すとはね? サスペンスドラマみたいに20年前の殺人事件の犯人が佐藤豊だった! ジャァージャーンってことかね? その頃、すでに幹事長代理。分刻みのスケジュールで動いていたわけだが奴は。


:ヒグラシ: 接点がある。それだけは言える。


:スカイフィッシュ: 何が埋められていたのか、それが問題だな。両方の殺人事件は管轄外だが、中国娘の行方に関しては広域捜査にかかっている。もちろん、我が署にもある程度の情報は入るはずだ。金のシャチホコでも埋まっていたのなら、二人で山分けしよう。


:ヒグラシ: もう手には負えないさ。お前も無理はしないでくれ。相手が相手だ。




 喜一郎は静かに天井を見上げた。手には負えないと言いながら推理は始まっている。

 掘り出された物……20年、土に埋没していて価値を失わない物。

 汚職の証拠? 時効が成立している。そもそもその手の噂には事欠かない男だ。


 山積みになった資料。中国人貿易商一家殺害事件。喜一郎は、もういちど目を通す。

 

 貿易商。聞こえが良いが扱っていた物は粗悪品ばかり、暮らし向きもさほど裕福ではなく、だが隠れて怪しげな商売をやっていた形跡も当時の捜査で出てきてはいない。だから当然、中央権力へのパイプなど……。

 殺された理由が、そもそもわからない。

 なのに、残された子供の生活を支えた?

 

 結論。 時効が成立しているとは言え、殺人そのものに関与している。それ以外にない。

  警察官の習性をたぎらせ、こんな田舎町から権力を撃とうとは思わない。若造の策略に乗るのも気分が悪い。

 だが、このまま忘れることも出来ないだろうと、喜一郎は思った。





――――――――――――――――――――――――


 報告。

空白期間につきましては、家出少女の典型的な道を辿ったようで、複数の男性を渡り歩いた事がわかりました。どれもチンピラ紛いの男達です。この情報は上には上げておりません。継続して捜査いたします。

“ヒグラシ” に関しては全く動きがありません。ただ、我々の業界ではある意味、有名人である彼がこのまま何もしないとは思えません。このまま継続監視いたします。


――――――――――――――――――――――――







「じいさんなんだぁ? 昼間っから酒なんか飲んで」

「お前こそ何だ? その顔」

 金髪の顔には無数の引っかき傷がある。


「じいさんのアドバイス通り、猫の集会に行ったんだよ」

 そう言うと、金髪はちゃぶ台の上に地図を放り投げた。

 ここ数日、躍起になって猫たちと格闘しているが成果はあがっていない様子、そろそろ電池が切れ掛かっている。例の話は二人の間でなんとなくタブーになっており、最近の話題は猫探しのアドバイスがほとんどだ。


「いいよなぁ、隠居の身は。こちとら真面目に働いてるってのによ。しっかし、マジ猫つえぇ」


 猫の集会。まずは名刺交換から始まる、特有の儀式。

 テリトリーのメンバー確認。死亡者や新規参入者を含め、その力関係をもって巡回ルートと餌場を公平に振り分ける。出会いの場でもある。

 そんな場所に無粋に侵入すれば攻撃を受けても仕方がない。

 

「えらく真面目にやっているんだな」

 地図には、各猫の縄張り、巡回ルートらしきものが綺麗に色分けされている。


「一応プロだからな」

 不貞腐れて頭を掻いていたが、腰を上げお茶を煎れようとする。


「いるか?」

「ああ、酒はもういい。俺の分も煎れてくれ」

 我が家のお茶だから遠慮はいらないが……喜一郎は黙って、地図を眺めた。

 

 グリーンの色鉛筆の領域線に茶色や水色の線が侵食している。

 喜一郎は少し陰鬱な気持ちになった。







 その夜、喜一郎はなかなか寝付けない。昼酒を飲み、少し寝てしまったこともあるが、深夜二時にもかまわず、痛いくらい思考が頭をかき回す。

 だから二階の寝室に居ながら、階下のわずかな物音に気がついた。


 なんだろう? 階段を降りるのも静かに、外灯さしこむ居間を見回そうと網膜の光量が変わる瞬間……羽交い締めされ、喉もとにナイフを突き立てられた。

 ナイフは冷たい。抵抗してはいけない相手だと直感した。


「老人の眠りが浅いのも考えものだな。寝てれば助かったのに」

 自分の前後にひとりずつ、今喋った男は3メートル先に立っている。


「どうするのよ? 殺すの?」

 声で女だとわかるが、顔は目出し帽で見えない。総勢4人だが、別の気配も感じた。


「金なんかないぞ。年寄りの一人暮らしだ」

「別に殺せとは言われてないが、気絶させるよりは確実だろう。失敗が少ない」

 立ち振る舞いから強盗ではないのは判って問いかけたが、リーダー格らしき男は、喜一郎を無視して先程の女の質問に答えた。


 サクッ……サクッ。

 自分からは死角になった台所から、なるほど寝ていれば気付かないほどの音がする。





 自分はなんと愚かなのだろう、……喜一郎はくちびるを噛んだ。

 一度掘り返されたからと言って、どうしてもう何もないと考えた?





「ありました。ありましたよ」

 もうひとり男がいた。すずり入れ風の古ぼけた四角い箱が街灯のあかりに照らされる。「声が大きい!」正面の男はたしなめ、それでも満足そうに頷く。


 どうする? 目的の物が手に入ったなら、次の仕事は目撃者の始末だけだろう。

 背後の男は体躯は良いが重心が浮いている。投げ飛ばせないことはない。ナイフを持った男にぶつければフリーにはなれる。……が、その先がない。

 喜一郎はシミュレーション映像を脳に走らせるが、そこに答えはなかった。


 刹那、


「うおぉぉぉおおおおおおおおおお」


 庭の方から雄叫びが上がり、(ギャン)と猛烈な音が鳴った。

 モザイクにひび割れたガラス越し、バットを持った金髪の顔が透ける。



 喜一郎はナイフを避けて左に体を振り、それに驚いた背後の男が力を入れる瞬間、今度は右に力を入れ、テコの原理で投げ飛ばした。

 恐らく投げた男は、正面の男にぶつかっただろう……だが確かめる暇はない。

(ガシャーーーーーン)喜一郎はそのままガラスに飛び込み、庭に転がり出た。


「大丈夫かじいさん!?」

 暫くは天地が逆転、金髪の声がどちらから聞こえるのかさえわからない。霧のように土やら硝子の粉が舞い上がる中、自分を守るように立っている金髪の背後から居間を見据えれば……もう静かになっていた。逃げられた。逃げられた。逃げられた!


「ふぅ」

 気配がもう無いことに安堵して金髪が息を吐く。

「ふぅぅぅ」

 それよりも、もっと長い息を吐いた。心臓が痛いくらいだ。

 刑事の習性が先んじたが、喜一郎にやっと(助かった)と言う感情がわく。もしも助けが入らなければ自分は殺されていただろう。




 その場にヘタリ込んだ喜一郎は、金髪に礼を言わねばならなかった。




「盗聴器は一個じゃなかったんだな?」

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