第9話

 春一番が吹いた。駆け込んだ居酒屋に相手は既に待っていた。目の前にはモツ鍋。モツだけのモツ鍋。鍋に野菜がない代わり、浅漬けのキャベツが付く。

 舌までとろけそうな大腸の周りの脂は、朝一で潰した牛から正肉と同様、大切に扱われなければこうはならない。アロマホップはモツに臭みがないからこそ心地よく鼻を抜ける。キャベツで味が変わり、再び、モツに手が伸びる。


「やはり牛は関西が本場ですな」

「お口に合ってよかった。しかしまたえらい遠くからビデオ回したもんですな」

 呉署の刑事はスマホを縦にしたり横にしたりした。捜査協力で橘梨花が通っていた精神科医に聞き込みをかけた年配のほうである。


 喜一郎の自宅は二重に取り囲まれていた。車での監視はやくざでも出来るが、民間の家を借り上げてのそれは素人にはできない。しかし……この映像はその更に外側から撮影されている。誰が撮影したのか? 



――――――――――


「もしもしお父さん? ……そうそう! 言うの忘れてた。靖彦にいちゃんから北京に国際電話が掛かってきて……懐かしかった~何年ぶりかな? 福島に帰省してるからお父さんに会いたいって。もう連絡あった? 新しいアドレスも……」


――――――――――



 絶対に足が付かない携帯に匿名で添付メールが届いた。可能性は限られる。

 我が娘ながら危機管理のなさに呆れるが、それも無理はない。もっとも信頼を寄せる身内みたいな存在で、喜一郎も柔道を教えてやった十代の印象しかない。 


 円の一番外側は、警務。


 逃げるだけなら廃路を使えたが、庭から隣家に行くのを見つかればアウト……だから車での脱出を試みたわけだが、カメラの死角になってなければそれも失敗していた……思えば、危ない橋だったわけである。


「で、この小柄なのが橘梨花と言うわけですか?」

「一緒に暮らしていた男にペテンをかけた。目の色と態度でまず間違いない」

「わけがわかりませんな。逃げた女が男4人引きつれて覆面被って強盗でっか? 狂ってますな……狂ってると言えばですよ、梨花の養父母殺害に関して、我々地元の強行犯が外されてます。考えられますかこんなこと? そやからマスコミでも知っているような情報しか……ほんますんません」

「いえいえそんな、ただの退職者に協力して頂いて」

 喜一郎は白髪頭を下げた。湯気が目に染みる。


「我々刑事局、刑事の殆どがあなたの味方です。出世したい奴は知りませんがね。警務の糞や警備の犬に警察の花形は捕り物だと思い知らせてやりましょう」

 喜一郎は(警察の内部組織が、ガチガチに仲悪くてよかった)と思った。


 ゆで卵のぬか漬けの皿をきっかけに、ふたりは日本酒に移る。


「ほんでカマキリ野郎なんですが、どうも性犯罪の形跡はないんですわ。精神科医の肩書きで個人的趣味の実験してるイカレポンチに違いはないが、治療だと言われれば手出しできません。これ一応資料です。それとこっちが養父母の……ほんまねぐらの確保くらいしか……申し訳ない。……それとこれ」


 喜一郎は「いえいえ」と言おうとして、差し出された封筒にぎょっとした。


「おっと! 突き返されては俺の立つ瀬がない。うちのかしらにも怒鳴られます。世間じゃどう思われているか知りませんが、裏金なんてものはこんな時の為にプールしとるわけですから。呉署の有志一同の心意気です」


 領収書の必要はないが、喜一郎が札束を広げている写真を一枚撮られた。

 週刊誌の幸運を呼ぶブレスレットの広告みたいだなと、喜一郎は思った。


 その夜は、岡山県警の若い巡査部長のアパートがあてがわれた。男臭い部屋だった。喜一郎は(岡山だったら海鮮のほうがよかったのにな)と思いながら眠りについた。











 ……しかし眠れなかった。どうあれ真意を確かめねばなるまい。


「もしもし、お久しぶりです」

 聞き覚えのある懐かしい声は湿り気を帯びていた。


「ああ、ほんとうに久しぶりだ。百合子の結婚式以来か?」

「ゆりちゃんは良いお母さんになりましたね。電話で話せて嬉しかった」

「”プレゼント”をありがとう」

「なんのことですか?」

「随分とまわりくどいことをするもんだな」

「私は敵でも味方でもありません」

「まあそうだろうな」

「なんなら父が愛依ちゃんに渡した”フラッシュメモリー”の内容も転送しましょうか? まったく同じものがここにあります」

 流石さすが。仕事に隙がない。投げ飛ばしたら泣きながら向かってきた少年の顔は、頭から消し飛んだ。

 

「味方ではないんだろ?」

「誤解なさらないでください。私も警察組織の人間です。事件があれば解決されることを望んでいます。ただし優先順位がある。ひとつの事件解決のために警察組織が崩れるようなことがあってはならない。おわかりいただけますよね」

 喜一郎は煙草に火をつけた。


「健康に悪いですよ。……父は佐藤の名前がでた時点で上に報告すべきだった。それを怠ったなら監視対象になるのは致し方ない。ノンキャリといえ副本部長、傷を付けずに引退して貰いたいので ”もうなにもさせません” どうか私に、父親を斬らせるような真似はさせないで頂きたい」


 組織は人事。巨大組織の中で唯一、全体像を鳥瞰ちょうかんできる立場にいる彼らは、刑事特有の瞬発力は持ち合わせていなくとも、実に粘り強く狡猾にことを運ぶ。刃向かっても勝ち目はない。

 


「警察は一枚岩でなければならない。政治家一個人が手を入れて、動かせるようでは困ります」

「山林に情報を流していたのはそっちだろう?」

「必要だったからです。警備局が本来の体制になる為の。ただ、コントロールは出来なくなりました」

「警視庁公安部が後ろ盾に付いたからな」

「歴史的背景もありますが、それが一番困りものです。彼らは唯一この国で特権を与えられています。我々は国民の……」

「靖彦っ」

 話がGHQがどうのこうのになりそうなので、喜一郎は相手を遮った。


「なんでしょう」

「要するに、組織と関係ない俺は自由に動け。そういうことだな?」

「敵でも味方でも……です」

「じゃあデータは送ってくれ。百合子はどうもそっち方面は苦手でな」

 これ以上、話をしたら相手を嫌いになりそうだった。喜一郎は電話を切った。すぐにメールの着信音が鳴る。

 

 検閲けんえつ済みの情報だから、それほど目新しいものはない。佐藤豊や山林健一に対しては皆無。政治には口を出すなとのメッセージ。しかし、確認はできた。

 工場で検出された人間のDNAは3種類。リーホァともう1人、男が行動を共にしている。”なにも埋まっていない” ことを知っていたリーホァが徒党を組んで押し入ったのなら、それはフェイクだ。依頼者に見せつけるための演技。


 リーホァは今、依頼者のふところにいる!


 そこまで考えて、考えても遣り方がないこともわかった。

 ”必要だったからです” 自分に情報を流したのも同じ事情だろう。カメラに死角などありはしない。意図的に泳がした。要は……こんな老いぼれでも使いたい。


 捜査部門を掌握していない。力学的には、警務(人事)が押されているのだ。

 山林健一を利用するつもりが相手が一枚上手だった。この失点は大きい。警務は焦っている。可能性の低い一発逆転を狙って、佐藤と山林を両取りしようと企んでいる。


「危険だ」

 組織内では最強でも、警視庁公安部と警務では裏工作に於いて格が違う。余計なことで警務を焚きつければ取り返しの付かない大過たいかにつながる。


 刑事事件などお構いなしの代理戦争。

 組織立った協力はどこにも求められない。 

 自分は自分の捜査をする以外にない。

 

 

 推理を少し間違えたまま、喜一郎は眠りに付いた。

 不破芳男を守る為、それが必要だったからである。


 


 





「天使だったかな? ふたりとも」

 みどりのなかを駆け抜けてく真っ赤なタント。

 ブレーキがロックしないギリギリのタイミングで傾斜30度の下り坂を絶妙なオープン&クローズで乗り切るカープ女子の横顔はすごく綺麗だった。



「おつりの計算ができないのよ」

 芳男は意識を失いかけていた。



「……あとで凄く反省したんよ。ほんまやで。子供ってそんなことするじゃん」

「どういうこと?」

 ガソリンが切れたらこの山奥で夜を迎えることになる。その焦りで、芳男にはさっきから話がぜんぜん入ってこない。


「しゃぁけぇ、おっちゃんもおばちゃんも釣り銭の計算ができんの。雑貨だけやのうて駄菓子やなんかも置いとったから悪ガキのカモだったの。からかうじゃないそういうの。でもね一度、梨花が泣きながら向かってきてね……ちびっこいのに……それからは反省してやらんくなったんよ。ほんまよ。正直、梨花の思い出ってその一個しかないの。私は同世代の子としか遊ばんかったし」


 タントは暮れゆく夕日と同じ早さでゆるやかな上昇をつづけ、幕が下りるのを引き延ばしている。


「おっちゃんとおばちゃんの思い出は一杯あるんやけどな。そんなことがあった後もずっと親切で、いっつもニコニコしてた。近所の人にも好かれとったし」


 スンスンスン……プスンタントトト。


「ふーガソリン切れた」

「え? やばいよ。こんなところで野宿って……」

「あんたにはそのほうが良くない? 指名手配されてるのに余裕あるわぁ~」


(…………………………………………………………完全に忘れていた)


「これでも助かったほうよ。最初にポリ(警察)に追われて迷い込んだときは、ふもとでガス欠したんやけんね……ほれ、あそこ」

 差した指のすぐ先、山の中腹に土地が開け、木造の家がぽつんとあった。



「おお! カープ女子、久しぶりやな」

「教授~ガス欠やねん。ある?」

「あるで、リッター千円やけどな」


「まあ入れ入れ」と招き入れられると同時に、背中のほうが暗くなる。

 囲炉裏いろりの火にあたってはじめて、体が冷えていたことに気がついた。

 何もないと言いながらだされた野菜だけの夕食は、とても美味しい。




「そうさなぁ~。正確なことはわからんってのが正直なところやの」

 夕食後、教授はそう切り出した。


「でも、うちの死んだばあちゃんが間違いないって言ってた。ばあちゃんは山菜採りで出くわしたこともあるって……」

「うんうん、その年代の年寄りのほうが詳しいかもしれん。元々、それが世間に広く知られたのは一冊の小説からだ。そのイメージが先行して禄に研究もされず一人歩きしてしまった。山々を移動する非定住者と言う定義は曖昧で、その中には山賊だったり、飢饉ききんで逃げ出した集団も含まれとる。山窩さんかって文字がそもそも官憲、今で言う警察だな、が、犯罪者予備軍としてのレッテル貼りに都合良く作った当て字じゃからな」

 教授はぽっちりした小粒の目をしばたいて、囲炉裏の火に小枝をほうる。


 

「有名な民俗学者の柳田國男知ってるか? ……しらんか。まあその先生なんかは古代、山間部に追いやられた ”異民族” なんちゅう説を唱えとるくらいや。まあ、日本史に残るミステリーのひとつやな」



 芳男にはよくわからなかった。話の意味も、なぜ自分がそんなことを知りたかったのかも。騙された苦い思いが再びこみ上げ、今更ながら指名手配されていることが現実味を帯び、重くのし掛かる。




 炎は共鳴を呼ぶ。芳男の気持ちは伝わり、その夜はそれでお開きとなった。





「元気だしんしゃい」

 並んだ布団に横になり、カープ女子がささやく。


「ふたりとも天使みたいな人だったんよ。でも子供心になぁんか、感じるもんがあったんよね。私が引っかかとって、私が知りたかっただけ……ごめんね。梨花には関係ないことかもしらん」


「いや……俺も知りたかったんだと思う」


「それよりどうする?」

「え?」

「幾らなんでも人の家ではでけん。常識あるけんね。するんやったら車いこ」







 シートで眠ってしまったので、凍えぬように足下にも毛布を掛ける。そのままバックの中の冷たい手触りを確認して、Fは静かに車を降りた。

 月は空気を澄ませ、足をとられる心配はなかった。ゆっくりと家まで登ると、教授はまだ起きて囲炉裏の火で本を読んでいる。


「この湧き水ってなんで」

 Fは庭の隅の石盥いしだらいを指さした。

「なんだ、まだ寝てなかったのか? 山の上で沸き上がるのが不思議か? 単純だ、ここより高い山がある。ここから見えない場所にな。地面の下、地盤の構造の問題や。電気が通ってなくとも生きていけるが、水がなけりゃぁ人は生きていけん。ここに家がある理由だわな」


「もう少し話が聞きたいんだ。でも、その前に……」

「ほう~」教授の小さな目が大きく開いた。


「新潟から取り寄せた酒だ。味は保証するよ」

 


 








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