第23話



「くぅぅぅぅ旨い」

「ぅまぁぁいっ!」

「ごっつぁんです」



 今世紀最強の調理器具。正方形の悪魔。囲炉裏いろりをかこみ三者三様の声がでた。


 フライケーキを入れるスペースを作るのに、棺桶みたいな冷凍庫からは寒鯖かんさば、雪入りキャベツ、猪肉ししにくが取り出された。

 寒鯖の半身はシメサバ、半身は醤油漬けにしてあぶられた。猪肉は隠語そのまま牡丹に切りそろえられ、味噌だれでグツグツと煮えている。


「冬と春のキャベツを一緒に食うのは初めてですが、こんなに味が違うとは」

 喜一郎は感心しながら、練乳のような密造酒どぶろくあおる。


「雪の中で放置して融ける前に雪ごと袋に仕舞うのがコツですな。春キャベツはれの若いやつですから瑞々しいでしょう?」

 教授は褒められて嬉しそうだ。


 地鶏を二羽ほど潰そうかと言われたが、喜一郎は断った。その他にも野菜やら山菜やらが山のようにある。


「鯖の中骨と頭のカチ割りを入れた汁は塩味であっさりですが、猪鍋の味噌をちょっいと加えて小麦をひねったの放り込むとコクがあって……」

「いえいえ、そのままで結構。どうも歳のせいか、あっさりが……しかし、この酒は旨いですなぁ」

「なっ! びっくりするだろ? 酒の会社はなんでこれ売り出さないのかなぁ?」

 芳男はすでに顔を真っ赤にしながら、それでもグビグビと喉を鳴らした。



 クレソン・ルッコラ・からし菜、etc 普段、青物は食べない喜一郎もトングが止まらない。炙って炙って炙り倒す。嫌いなはずのトマトもなぜだか旨い。


「竹の子がないのが残念でっけど、菜っ葉も炙るだけで結構いけまっしゃろ?」

 塩を振りつつ、頷くしかない。喜一郎は何の為にここに来たのかを忘れてしまっていた。纏わりつくどぶろくの酸味とプチプチとした炭酸の僅かな刺激が舌をリフレッシュさせ、肉も魚も野菜もすぐにまた欲しくなる。

 炙ったら最後、ユーキャントストップ。


「しかしイメージと違ってここは随分、近代的ですな」

「情報無しじゃ人は生きていけん。パソコンと冷凍庫程度は太陽光とバッテリーで賄えます。シャワートイレは必需品ですな。風呂は未だに薪で炊いてますが、お湯がやわらかいからそれはそっちのほうがええ」

 教授は五徳の裾の炭に小枝を投げた。


Wi-Fiワイファイも飛んでるしな」

 芳男が混ぜっ返す。


「共同アンテナ建ってるから、電話でも高速通信でも……だからほれ」

 教授はノートパソコンを喜一郎に向けた。


「彼女頑張ってますなぁ」

「今回は人魚コス……手間が掛かってる。おっぱいも○×も見せんで、そこら辺の企業の役員くらい稼ぎよる。立派なもんや。わしに時々、小遣いまでくれよる」

「そこがよく……写真や動画を公開するだけで生活できる仕組みが……」


「まぁまぁ、いいじゃねぇか。なんにしろ金を稼ぐってのは大変なことよ。それよりじいさん、百合子さんに電話したのか?」

「おまえが言うな、なにもしないで大金稼いだくせに……迷惑掛けたし怒られるだけだからなぁ。なんかあれば向こうから連絡がくるだろ」

「火災保険はまぁ人間の器量ってか才能? 無意識の俺はやるときゃやる男よ」

「確かにおまえはやるやっちゃ。土産にフライケーキを買ってくるそのセンスは評価に値する!」

 教授は五徳の上に乗せた網からそれを摘まんで口に放り込んだ。


「そんなもの旨いですか? 揚げまんじゅう。少なくとも酒の肴には……」

「ははは、物を知りませんなぁ。フライケーキ食わない人間は目ぇ咬んで死ね、言うくらいですわ。戦後すぐやから、我々が生まれる前からあった先達でっせ。揚げたては旨いが冷めても旨い。温め直してなお旨いっ!」

 そう言うと、教授はもう一個、口に放り込んだ。


「おまえは知識はないのに変なことだけは……」

 喜一郎は話し掛けたが、芳男はいつの間にか丸太を枕に寝てしまっている。

 髙地の寒さと囲炉裏の輻射熱がシェイクされ、心地よい粒子が辺りに漂い混じり合っていた。




















 脳の中で、Fは絶賛、禁煙中であった。どうも体質に合わない。

 灰色の脳細胞をバックに、染めてから一週間も経たない金髪がはえる。


 囲炉裏端の座談会には無言で参加していた。眠らないのはAmazonから抱き枕が届かないせいではない。二人の賢者の話は聞き逃せない。ただ……いま寝たのは誰だか判らない。


 冥界の番犬ケルベロスが如く、自分の中のミステリーは自分がただ優位なだけではなかったようだ。自分は誤解していた。すべてを見通せているのは自分だけだと思っていた。一つの胴体に三つの頭を持つ化け物はFirewallファイアウォールをお互いが持っている。



 あのカードは、このカードに強く、そのカードには弱い。

 海を渡れるが、山は越えられない。山は越えられても、平地では無力。




 Amazonからの抱き枕はまだ届かぬのに、Fは堪えようの無き睡魔に襲われる。

 入れ替わっても替わらなくても体質は同じ。


 自分には見えない相手。逆に言えばそいつにも見えない相手がいる? 見えている相手がそいつを見ていて、判断し残すべき記憶を……それは…………そうなのか? …………教授の家に行きたい俺がいて…………もうこの件から降りたい俺がいる…………じいさんを好きな………………福島にリーホァを?………………




 小さな火花が一瞬、輝きを増し、力尽きて消えてく。


 密造酒どぶろくは、オルペウスの竪琴。胴体に直接、響く。


 眠りよりもっと深い混沌へとFはいざなわれたのであった。

 







 













「恐らく、やったのはリーホァでしょうな」




「はぁなにがですか?」喜一郎はうつらうつらとしていた。それが弾かれた。


「なにって、今しがたのお話。お約束より大幅増額で頂きましたからな。わしも推理のお手伝いさせて貰おう、思いまして」

 そう言うと教授は、有志と書かれた封筒をヒラヒラと泳がせた。


「なんの話でしたっけ?」

「なにって機関銃の……それより夜はまだこれから! どぶろくも良いですが、もうちょっと過剰に発酵させて絹布けんぷと備長炭で漉したのを湧き水で割って二週間ほど寝かせたこれ! これを火のそばで人肌にあたためると……」

「いやいや、酒はもう結構。法律違反なのにそんなあから様な……それより」 

 喜一郎は慌てて続きをうながした。


「いや、岡目八目おかめはちもく。当事者よりも関係のない人間のほうが分かることもあるってなもんですゎ。一度浮上して取り消されたものは眼中から消える。ミステリーの基本中の基本。不用意な思い込み。モンスター云々は、学問上は不確定因子。わしも警視庁公安部がどのような組織かはよくわからないが、だからってそこにすべての謎があると思い込むのは想像力の欠如っ! の逆の暴走っ! 強くても弱くてもゴルフボールはカップの中には……」

 酔いが回って、教授は嬉々として止まらない。


「ちょっと待ってください。囲碁のことわざかなにかですな。それはいいとしてもっと分かるように……」

「ですから、携帯電話がペキっと折られていたわけですわ……どこで? 強盗達は慌てて二手に分かれ、逃げた。箱の中身を確かめる余裕はなかったはずです。つまり、GPS機能はその時点では生きていた。そりゃあ集合場所をあらかじめ決めていたとも考えられるが、追いかけられ逃げていたんだ。どこに行くかは、不確定要素」

 人肌に温まったのだろう。教授は渋い色の手びねりお猪口を笑顔で差し出す。



 人恋しくて寂しくて、こんなに満ち足りた生活を送る……人間とは強欲なもので、これほどの哲士てっしでさえも孤独を感じていたようだ。

 朝早く起き、連絡どおり冷凍庫のスペースを空け、鯖を溶かし、キャベツを溶かし、猪肉を溶かし、塩を振り、酢に漬け込み、野菜を摘んだ。

 それがわかるから、喜一郎も今度は断ることが出来なかった。人肌の密造酒は残生ざんせいの味がする。


「芳男がGPS携帯を持っていることを知っていてそれを箱の中に入れる可能性を考えうる人間。そもそも当日、あなたの家に強盗が押し入ることを知っていた人間。考えれば考えるほど、答えはリーホァしかない」

「いや彼女は…………それに機関銃を入手することはいくらなんだって……」

「さっき言うてはりましたがな京都エレメント……? その会長とやらが福岡のイケイケを動かしとったんでしょう? それに刑事に金をやって幼少の頃からリーホァと両親を監視させていたのなら繋がりがないほうが不自然だ。岡目八目。どんなもんです?」

 教授はまるで、褒めて貰いたくてうずうずしている子供のような目で喜一郎を覗き込んだ。



 喜一郎の肌は粟立つ。



「しかし……なんの為にリーホァはそんなことを?」

「………………それはわかりまへんな。女が考えることはよくわからん」

「そんな無責任な、専門家でしょう?」

「学術ちゅーもんは高度になればなるほど細分化されますからなぁ。わしはあくまでチンパンジーの脳の専門家ですから……」


(……チ、チンパンジー!?)『ここに来た甲斐があった』(あったのか?)


 混乱している。それは酒のせいだけではない。喜一郎はさらなる酔いを求め、人肌のそれを口にふくむ。発泡感がなくなった代わりに強くなった酸味はヘビのように舌先に噛み付き、旨味と甘みが血が吹くようにそこから湧きだした。


「まぁ思い込みと言えば、わしもミスリードに一役買った所があります。専門家でもないのに……」

「はぁ……(チンパンジー……)」

山窩さんかと言うものの認識です。割と興味があったのが却ってよくなかった。市井しせいの虚実入り交じった不確かな雑学程度の知識……」

「すんません。修飾語が多すぎて……もう一寸、分かるように」

 喜一郎は天井を見上げ、頭振る。


「ですからあれから自分なりに勉強しまして……山窩とは、一人の作家の創作。有体ありていに言えば小説ですな。そこに学術的な根拠は殆どないとの自分なりの結論でして……」

「…………」

「そう考えた方がロマンがある。創作としては優れていたのでしょう。人はそう言ったものに流されやすい。ただ、先入観は目を曇らせる。そりゃ山で暮らす人もいた。教育を受けずに育ちその集団でしか使われない文字を使う人もいた。言葉もそう。ただ、鹿児島に住む親戚なんかいまでもなにを言っているのかわかりません。そいつの息子の通訳が必要ですわ。そんなものなんですよ」

 喜一郎は黙っていた。なにかに辿り着こうとしていた。それは語られている話とはなんの関係もない……脳の不可思議な現象。


「つい近々まで、ここいらには旅人を年頃の娘のいる家に泊める風習があった。夜這いもあった。水の争いで孤立してた村なんか幾らもあった。そりゃ現代では許容できん話です。しかし言うてもほんの何十年か前、それほど遠くない現実ですから、許容はせんでもその当時の人の営みまで否定することは、我々にはできんことだと……」



 夜は更けていく。言いたいことが思い浮かばない。



 仕方はなしに、喜一郎はフライケーキを一つ、ただ口に放り込むのだった。





 














 カリッと、歯が入り込む。唯一無二、思い出の食感。


 甘みを思うことはできずともそれで十分だった。自然と顔がほころぶ。



 リーホァはバスに揺られのんびりゆるゆる移動を続けていた。目的地は時間。

 あのバスで呉から尾道方面へ、乗り継ぎ乗り継ぎ尾道から日本海へ。そのまま海岸線を北上してもよいけれど、クロスして太平洋に向かっても差し支えないはない。乗り継ぎ乗り継ぎ、辿り着けばいい。


 泊まる場所がなければ男を探せばいい。その上にまたがればいい。



「プッ!」底抜けた下品さに思わず吹き出してしまう。北に向かうなら無意味にセーターでも編みながら無口な女を演じた方がいい。



 主要な駅には実験的であれ、顔認証システムが導入されている。馬鹿な男や注意力のない女は騙せてもコンピューターには通用しない。バスの移動が安全だとあの男は言った。その言葉通りに行動している。もう生きているのか死んでいるのか分からないけれど、あの男には感謝している。


 日本海は所在無く、フライケーキを囓ればそこにはあるはずのない、瀬戸内のキラキラとした海がまたあらわれる。

 呉の子供達は皆これが大好きだった。火傷しそうな熱々をほおばり、みんなで笑いあった。みんなの笑顔があった。あの頃は確かな幸せがあった。それが偽物でも本物でも、確かにそこにあった。


 飲みくだすとそこに再び馴染みのない海が現れる。マッチ売りの少女のように繰り返せば、関東に着く頃にはかなり太っていることだろう。太るのが嫌で仕方なし、リーホァはスマートフォンをもてあそぶ。



立木たちぎ……はな? …………立木華たちぎはなちゃんっ!」

 画面の中の人魚姫は、幸せなときあの笑顔の中の一人だった。

 地元の子供会のリーダー、女子キックベースボールのキャプテン。

 運動神経抜群。頭脳明晰。憧れのマドンナ。


「でもほとんど喋ったこともないんだよなぁ」

 それがなぜあの二重人格のサイコパスと逃避行することになったのか。

 零れそうなおっぱいで婦警さんの格好やチャイナドレスを着ているのか……

 


「謎だ。なぞなぞだぞ、はなちゃん」

 差し上げた画面を仰ぎ見て、リーホァは首を傾げるのだった。

 

 
















 

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