第22話

 空が白み、黒から碧へ蒼へ青へと移ろう水面みなもは、誓って美しい。

 夜景も素晴らしかった。地形とは、なるほどそこに住む人の心をも染める。

 無数の島に囲まれた内海と港と家並みにすぐ迫る山々。嘗ての隆盛はなくとも呉はやはり、魅力的な街だった。


 車にもたれ、くすねた煙草を吹かせば乾いた咳が出る。やはり体質に合わない。

 風は遠くのほうに吹くだけで、煙は居たいだけそこに居る。鬱陶しくなって、中途半端な長さのまま、缶コーヒーの開け口にそれをそのまま滑り込ませた。

 喫煙タイムはもう終わり。

 最後の一本くらいは残しておくのが礼儀だろうからもはや、やることがない。




 昨日あれから、じいさんは倒れ込むようにビートルに乗り込み、阿波踊りの格好のまま、鼻鼾いびきをかいて寝てしまった。

 タフガイがどうした? ハテナマーク三本、盛大にうかべて待つしかなかった。

 ……なので、たっぷりと時間はあった。


 究極のミステリーとは何か? それは己のうちにある。

 未だに一人称で書き出すか、三人称かで迷っている売れない作家のようで、

 ……売れないだけに、たっぷりと時間だけがあった。


 考えて、考えて、考え抜いて……やはり俺の人生に機関銃との接点はない。

 それだけの結論を出すために、黄昏から星空、朝焼けの赤と春暁の白。

 受験生なら落第だろう。思わず忍び笑いだが、生憎と頭は冴えている。



 押し入った強盗にとって、見つかることは想定外だったのだろうが、ヤクザに扮し、山林の懐に入ることはあらかじめ決まっていた。俺のGPS携帯は直後に折られ、警察のカメラは彼らを見失っている。

 モンスターはその所属先である警視庁公安部さえ裏切っていた。だから単独で動かざるを得なかった。答えは子供でもわかる単純なことではないか。 


 佐藤豊でも御手洗でもなく、自分の中のもうひとりでも勿論なく、集合場所を知っていたモン……正確には、その本当の依頼者がやらせたと考えるのが、

……妥当だろう。





 硝子越しに車内を見る。洗濯ばさみとガムテープで圧勝できる状態で、まだ、眠っている。まるで赤ん坊のように。




 この赤ん坊は特別なことはなにもしない。人の心に寄り添い、その目で確かめようとするだけの、策謀家の仮面を被ったリアリスト。今回も俺の不用意な電話から教授へとつながり、その人物に会おうとする、単純で熱い人間。だから人を惹きつける。自分には逆立ちしても手に入らない、持って生まれた……

 ただ、この人でさえ、特別な人間ではない。



 その洞察も洞察が過ぎ、考えも考えが過ぎ、複雑にしてるだけじゃないのか?

 なによりリーホァが佐藤豊を殺そうとしたにせよ、守ろうとしたにせよ、その矢は辿り着くべき標的を失っている。真実など無意味。

 だから俺は、隠し玉を、隠したままにする。






 二人で暮らした一月余り、一緒に食事をする機会は殆どなかった。

(トーストの焦げたのが好き) 昼食は決まって喫茶店に行き、夜は俺が弁当のついでに買ったサンドイッチを一囓り、いつものジュースを飲むだけだった。


 

 リーホァには、味覚がない。そのことを知れば納得がいった。山林によれば、それは養子になった当初からで、それがどんな悪夢なのか想像のしようもない。

 ……彼女がもし罰を受けねばならぬなら……それは既に、先払いされている。




 春とは言え、朝方はまだ寒い。ピンぼけしていた街並みが次第にはっきりするのを確認し、車内に戻り横になる。じいさんはまだスヤスヤと眠っている。



 冴え渡っていた脳が、眠りに落ちる寸前は混乱をきたす。









『彼女は自分の体を玩具にした人間以外を殺害していません』

 血の複雑さなど本人の責任ではない。

 だから俺は、隠し玉を、隠したままにする。


 


 


 

















 

「大量の薬物が投与された。知っているだけで何人も高熱をだして死んでいる。私の上の世代はもっと……だった……らしい。奴らは人間の死を糧に実験の精度をあげていたんだ。こんなことが許されるか? 使い物にならない奴は消えた。どこに行ったかは知らない」



 ギヤマンの赤い水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲みくだす。



「そのあとは ”知育ちいく” と奴らが呼んだ徹底的な教化だ。マンツーマンで恐らくは当時の最高レベルの知識人から休むことなく付きっ切りで指導された。あらゆることを……運動なんかさせやしない、フォアグラ作るのにエサをガチョウに詰め込むみたいにひたすら知識を詰め込まれた。そして、知識を応用できない馬鹿は殴られた。何度も何度も何度もだ。殴られすぎておかしくなった奴もいる……」



 急に言葉が止まった。疲れと恐怖と後悔のそのいずれか、もしくはその全てが喉を絞るように声を堰き止める。虚勢から目の前のスーツの男を睨みつけるしかなくなった。



 スーツの男は無表情で、モニターのスイッチを入れる。



「どうも御手洗さん。録画映像なのでご挨拶をしてもリアルタイムではないので恐縮です。あなたは現在、警視庁の完璧なるプログラムの中に居ます。明治から受け継がれる日本の ”良心” その中にいます。警察庁の人間である私は居場所さえ知り得ません。拷問されても喋りようがない。警察庁警備局、警視庁公安部、そのいずれとも系統の違う、安全の中にあなたはは居ます。まずその事をご確認ください。それはあなたが望んだことですね?」



 御手洗和夫は画面から目を逸らし、スーツの男をちらり、赤い水差しに視線を落ち着けた。



「あなたは既に告白をした。だから、佐藤豊が殺された事実を私はもみ消した。でもそれだけでは不十分です。正確に順を追って一つも漏らさず、でなければ、我々は戦えない。恐らくはリーホァの養父母のどちらかは、あなたと血縁関係にありますね? 親を知らなくとも、そういったものは分かるものです。あなたは優しい人ですね。だから呉署の刑事に金をやり、それとなく見守らせていたのですね。そういった言いたくない事実も包み隠さず、残さず吐き出してください」



 赤い水差しを見つめるのが辛くなり、まっすぐに画面を見るしかなくなった。



「取調室のカツ丼が自腹なのはご存じでしょう? あなたはあなたの金で今まで通りなんでも出来る。なんの制約もない。あなたが切に望んだ、あなたの財産の保全と息子さん、お孫さんへの継承も問題なく行われる。政治的なことは佐藤豊の仕事を知り尽くした右腕、山林健一が執り行います。あなたは指示を出すだけで良い。あなたは守られています」



 告白は録画され、砂浜を歩く足跡を消すように、画面の中の男に届けられる。


 日本を代表する企業群、京都エレメント会長、御手洗和夫。


 彼の生命と財産は完璧に守られるのだった。閉ざされた硝子の箱のなかで。




























「あれぇ~昨日たくさん買ってくれたお兄ちゃんっ!」

「どもども。また俺に売ってくれよ。揚げたてじゃなく、粗熱あらねつとれたやつな」

「ほえぇ~今日も買ってくれるの?…………それに?」

「釣り道具屋で買ってきたんだ。これに目一杯詰めてくれ」

「へえぇ~クーラーボックスで買いにくるちゅぅ、よっぽど好きなんじゃねぇ。ほいほぃ、まかせときぃ」


 時間はかからなかった。

 練習量はプロボクサーと変わりない。

 ジャブを打つように、おばちゃんは次々と油の中からそれを引き上げていく。


 市民から ”れんがどおり” と呼ばれ親しまれる商店街のその一角に、先程から降りだした小雨が吹き込み、レンガは色を変え、また色を戻す。

 

 やがて片手でひさしを作り、小走りにビートルに戻るのだった。



「なに買ってきたんだ?」

「なにって、フライケーキだよ」

「はぁ? 揚げまんじゅうだったらこんなに一杯あるじゃないか」

「そっちは教授への土産にすりゃいい。あんたいつ生き返るか判らないからな。こっちはドライアイスを入れて保存用だ……それと、揚げまんじゅうじゃなくてフライケーキな」

「どっちにしろ揚げまんじゅうだろう」

「食えばわかるよ。それより予備のガソリン積んだのか?」

「ああ、仕舞ってある。気化して爆発せんだろうな?」

「専用容器だから大丈夫。この車は燃費が悪いからガス欠だけは要注意だ」


 雨が強く風も吹いてきた。そこだけ日本製のワイパーは、軽快に働いている。


 中程までは一般道。そこから先は獣道けものみち。タイヤはスペシャル。運転手は君だ。


 


 

 BGMは百合子お気に入りの女性ボーカル。

 名前は飯沼? 東野? 西野かな? 

 

 毒にも薬にもならぬ軽快なリズムで、

 けむりゆく雨中うちゅうにビートルは羽ばたく。




 転落確率25%。


 途中で目覚めた芳男を説得するのに30分。


 そして喜一郎は、林道への認識を470度、転回させるのであった。









  

 

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