第24話




「争いを好まぬ、心優しい集団だった……と思う。私は生まれたときから箱の中だったからよくは……自分の出自は気になるから調べたが、昔のことなのでよくは……うん。うん。自分の父親が……母親が、誰なのかを正確に知っていたのは稀なんだ。そう言った意味では、片山真千子と伊佐見功なんかは幸せなほうだ」


靖彦は録画映像を一旦、止めた。グラスの中の氷が溶けてしまっている。

キッチンにいる妻に届く声で「氷」と告げると、再び、画面を見据えた。


「功が病気がちで母親もそうで、箱の中に入れられるまえに真千子が面倒をみていたらしい。微笑ましかったよ。箱の中の箱の中で、お互いを支え合っていた。功がいかがわしい宗教立ち上げてマスコミで跳ねたのは笑っちまったが……泣き虫だったあいつが人を食い物にするとはねぇ、成長したもんだなぁと思ったよ」




「あなた、あんまりお酒飲みすぎると明日大変よ?」

「ああ、もう少ししたら寝るよ」

 氷を持ってきたくれた妻に笑顔を作り、靖彦はこの奇妙な雑務を続ける。




「あんたらの推測通り、望月守は俺の弟だ。親は誰だかわからなくても、そういったものは感じるもんだ。不憫でなぁ。殴られ過ぎてネジが緩んじまった。なんとか生きていけるように……平穏に暮らせるていけるようにだけはなぁ、せめて……」

 画面の御手洗は赤いギヤマンの水差しでコップに水を注ぐ。箱の中で生まれ、今また箱の中にいる彼は、ほぞの緒を切った頃の穏やかなパーソナリティーを取り戻しつつあるようだった。




「リーホァを引き取るとき、それまで避けていたDNA検査をやったんだ。姉弟で結ばれていたなんてな。皮肉なもんだ。あいつらは気づかなかった。絶望した。悲しかった」

 御手洗の血色はいい。栄養状態は悪くないようで、目はうつろではあったが、体調面での問題はなさそうである。


「罪もないのに最後は育てた子に殺されるなんて、だからなにも残らないよう、リーホァを粉微塵にしようとした。私を味方だとでも思ったのか? 狂ってる。あの子は狂ってるよ。教えられたGPS携帯をたどらせ、私が遣らせた」

 靖彦はうんざりするのだった。機関銃の惨殺の話など、もはやどうでもいい。

 どうも肝心の話題になると話を逸らす。精神面でのケアを強化するよう、進言する必要性を感じた。御手洗のめんには微笑みさえ浮かんでいる。



「あぁ、……その話だったな。悪魔の話。そもそも放っておけばよかったんだ。それを佐藤が仏心だしてリーホァの面倒なんか……あいつは昔からそうだった。中途半端に同情しては、最後は私に押しつける。仕事だってそうだ。愚直に粘り強く対峙しなければならない事は……飽き性なんだな……堪え性がない……今回だって衝動的に行動しておきながら、最終的には私に守って欲しいと……あぁ」

 直進するはずの光が重力でひん曲がるように、御手洗はその話題になると自ら時空を歪め、躊躇する。恐怖の烈風が彼の中で吹き荒れている。



「ああ……その話だったな。そのまえに水をもう一杯飲んでもいいかな? ……ありがとう。そう言って貰えると嬉しい。君の役職はなんだ? 私が引き上げてあげようか。君は見込みがある。私の資産がどれほどあるのか知ってるかね? あぁその話だったね。うんうん。気違いじみた実験だったが、繰り返す内に成果は上がっていたようだ。偶然だとしても…………そこに独りの天才が生まれた」





















 じっとりと汗をかいた肌に高台の冷たい風が心地いい。数週間前、自ら蒔いた種も健やかに芽吹き、順調に育っている。それが勇気を与え、芳男はもう3時間以上、くわを振るい、畑を耕しているのだった。

 塊になった肥料を割ると真まで熟成されていて良い匂いがする。教授は紙さえも流さない。シャワートイレで清潔に用足ようたしされたら、糞尿は微生物たちに分解され、大鋸屑おがくずに撒かれ、枯れ草や落ち葉の下で高温になりながら、その時を待ったのだ……何ヶ月も何年も。


 ここに来てもう2週間が経った。喜一郎が生き返るためにはそれにふさわしい死体が必要で、その十分条件が復活を遅らせている。でも居られるならいつまでもここに居て、それはそれで構わなかった。



 小宇宙。迷惑を掛けず掛けられず、その循環は機能的だった。一人の男の知恵と工夫が詰まった教授の lonely way はまるで高級腕時計の精密な内部構造のようで……なぜ自分がこの場所に強く惹かれたのか、芳男は理解するのだった。


 ただそれも、発条ゼンマイを巻く必要はあった。教授の教え子は、必要な物資の他に、獲れたばかりの血抜き鰹をかかげ、滅多にない珍客に笑顔を作ってくれた。

 冷凍でない魚介が楽しめるのはこの時だけで、菜っ葉も忘れて刺身とタタキを肴に一晩中、みんなで猥談わいだんに花を咲かせたのだった。



 ……もしも自分ならば、発条を巻く作業すらいらない。自動巻で完結できる。

 正確な時を刻むため、重力の影響さえ無効化させる Tourbillonトゥールビヨンを備えた完璧に閉ざされた鮮烈な世界を作ることが出来る。


 種を蒔き、たらふく食って、少しだけ残し、種を回収する。まるで永久機関。

 外れのない馬券。





「教授をって、ここを奪うか?」



 白い歯がこぼれた。美しき自由。


 腕がもう上がらない。柔らかいな黒土くろつちに大の字に寝転ぶ。


 青草と肥料の匂い。石盥いしだらいの水音だけが、キラキラと流れていた。






















「電池が切れましたな」

「そのようですな」


 遠くの畑で芳男が倒れ込むのを眺め、二人はうなずき合った。


 地鶏の心臓ハツの刺身は他にはない甘みを舌に伝え密造酒を加速させる。湧き水に晒されたそれに臭みはなく、正肉しょうにくを若者がむさぼり食った後の内臓を、老人達がその旨さを伝えず、こっそりちんまりつつくのだった。




「……すみません。こんなに長居するつもりはなかったのですが」

 喜一郎は思い出したかのように教授に切り出した。


「いえいえ。畑仕事も辛くなってきましたからなぁ。あいつが働いてくれるお陰で随分と楽ができました。若いってのはいいですなぁ。ちょっと休めばまた起き上がるでしょう。なんか絡繰からくり人形みたいでいいですなぁ」

 教授は、遠く芳男を見つめて言う。



「都合良く死体は見つからんのでしょう? 一ヶ月でも、二ヶ月でも構わんが、あの子を宥めるのが大変です。凶暴ですからな。あの子は恋をしてますけん」

 教授は話を続け、喜一郎は頭を掻いた。都合良い死体。そこにも人生がある。


 それが判っているから、喜一郎は自分の思いつきの策に今更ながら苦いモノを感じていた。警察の誤認がアナウンスされ、人違いであったと訂正され喜一郎が生き返るには様々な手順を踏まなければならない。年齢。事件性のない自然死。

 そして身寄りの無い……




「凶暴ですなぁ。直ぐにでも車を飛ばしてやってくるかと思いましたが……元気そうですか?」

「花はミツバチが飛んでくるのを待ってればいいと説いておきました。呉を案内させなかったのはあなたの気遣いですかな? 調べましたか? あの子にとって、呉には辛い思い出がありますから……」

「いえ、なにも……連れて行かなかったのは、危険があると思ったからです」

「ふっ、その割には前代未聞の大事件を……警視総監? 話を聞いて、ひっくり返って耳を疑いました。まるで映画のようですな」

「いや……あれは安全が担保された半分お芝居みたいなもので、現役の警察官を使うわけにもいかず……失敗すればすべて私がひっかぶるつもりで……とほほ、あなたにはなんでも話しとるんですなぁ、彼女」

 尋問も観察も、される立場になった経験がない。喜一郎は答えに窮する。


「本来のあなたならそんなことはしなかったでしょうな。本当にこの事件を解決するだけの、それはその為だけの行動でしょうか? そこには疑問がある。人の行動には隠された矛盾がある。それと……やはりあなたはしたたかだ」

「はい?」

 喜一郎はまっすぐに教授を見た。


「あいつがどのような行動をとるかは、計算尽くのはず。ここに連れてきた本当の目的は………………だが、これだけは言っておきたい」


「はい」

 

「人格を一つに統合することは、統合される側の人格の死を意味する…………。おわかりですか? そんなことをする資格が誰にあるのでしょう」


「……」


 喜一郎は俯くしかなかった。思慮深さに、すべてを見透かされている。

 だとしても、喜一郎の脳裏にはある映像が流れるのだった。あの夜。それは、悲しみに満ちた拳。無我夢中で挑みかかってきた、芳男の姿であった。












「…………ほれっ! 起き上がりましたぞ」



「ほんとに絡繰からくり人形みたいですなぁ」





 ふたりの老人は、遠くにある若さを羨ましく……ただ眺めるのだった。








 

 








        Happy birthday to you  


  Happy birthday to you


   Happy Birthday  dear  喜一郎~♪


  Happy Birthday   to  you   




「かんぱ~~~~い!」

 その夜、宴会が開かれた。喜一郎の復活が決まったからである。




「フェニックス・喜一郎。おめでとう。そして馬鹿野郎」

「馬鹿野郎は余計だ。……教授、長々とご迷惑をおかけしまして」

「いやいやなんのなんの。久しぶりに楽しかったですわ」

「助かったぁ。正直、菜っ葉も畑仕事も飽きてたからなぁ」

 芳男は鶏モモにかぶり付き、赤ら顔で上機嫌だ。


「おまえ、一生ここに居たいと言ってたじゃないか」

「んなぁわけないだろ? 早く福島に帰って、家おっ立てて、庭作って、桜の木植えて、畑作るんだぁぁ」

「どこにそんなスペースある?」

「工夫よ工夫。この世はアイデア。まず一階部分は、駐車場と畑を作ってだな。2階部分が探偵事務所で三階が住居だな。中空2階建て。桜木はじいさんの家の境に植えるとして……文句ないだろ? 綺麗だし。車はなぁ、百合子さんと被るのは嫌だからビートルのタイプ違いで、色は……色は何色がいいかなぁぁぁ」

「悪いが、隣の保証に一千万いるよな? 差し引いてそんな空中庭園作れるわけなかろう。それと俺の庭は? それと彼女は?」

「……あっ、忘れてた。まあそれは相談するよ。取り敢えず福島の営業所で保険の手続きやらこなさなきゃなんないし。じいさんの庭は法律上の責任ないから、そこはシビアなようだが諦めてくれ。そもそも、花だけ育てるのは勿体ねぇよ。あそこも全部、畑にしよう。ノウハウはバッチリ教授に教わっただろ? 食費も浮く。できれば4階でニワトリ飼えれば、最高ぉぉぉ」

 酔っ払った芳男の妄想は止まらない。喜一郎は風車に突っ込むドンキホーテに掛ける言葉が見つからないので、黙って砂ずりの刺身に箸を伸ばす。


「都会じゃニワトリは無理だな。菜っ葉のクズも餌にして無駄はないんだが……所に合った工夫をすればいい。ここだって近場に川があればニワトリ飼わずに魚釣って暮らしていたかもしれん。臨機応変、自由自在に順応するのが一番えぇ」

 教授が、芳男の妄想を引き受けた。


「確かに……ここの食いもんは最高だけど、やっぱりハンバーグも食いたいし、ラーメンも食いたいからなぁ。ずっと住み続けるのは無理だ」

「まったく話が噛み合っとらんな。まあ好きにしろ。俺もなにもなければこんな暮らしはしとらん。生きるために工夫をする。それが形になるだけだ。人間は、生きているだけで幸せなんじゃけ、小さな楽しみ見つけてな、それだけでいい」

 教授は小枝を放り、残り火の寿命を少しだけ長らえさせる。




「……楽しみかぁ。…………彼女にはなにか楽しみがあったのだろうか?」

 芳男はぽつりと零す。


「なんだ? 急にしんみりして。情緒不安定な

「だって彼女は味を感じることもできなかったんだろ? 気づかなかった。食が細いとは思ってたけど……」

「まあ、録音テープの内容ではそうだ。確かに心に酷いショックを受けた影響でそうなったのかもしれん。ただそれだから不幸だったと思うのは、憐憫を伴ったこっちの先入観かもしれん。本人にしかわからん。考えても仕方がないことだ。忘れろっ!」



 喜一郎は囲炉裏のほてりと酔いの中、二人の話を聞くとはなしに聞いていた。


「まぁなぁ、リーホァが佐藤豊を殺そうとしたにせよ、守ろうとしたにせよ……死んじまったからな。彼女のことは警察に任せるしかない。なぁ、じいさん?」

 

 芳男の問いかけに、喜一郎は答えなかった。






(先入観)(人は流されやすい)(違う角度で物事を見る)(思い込み)



(人は流されやすい)(思い込み)(違う角度で物事を見る)(先入観)



(思い込み)(思い込み)(先入観)(先入観)



(違う角度で物事を見る)(違う角度で物事を見る)(人は流されやすい)












 

 

  

 リーホァが佐藤豊を殺そうとしたにせよ、守ろうとしたにせよ



 佐藤豊を殺そうとしたにせよ、守ろうとしたにせよ 



 殺そうとしたにせよ、守ろうとしたにせよ



 守ろうとしたにせよ










 



 守ろうとした? 





   ………… なにから? 







        いや …………………… 誰から? 



 

 















 



  


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る