第18話
青い夜に、赤い月が笑ってる。今、流れている血は何色だ?
静かに振動の音を確かめる。
人を騙す商売は儲かるのだろう、清潔なアスファルトと高い壁からこぼれる庭の木々は安らぎの中に、それとはなしの威圧を隠し持っている。300万ではちょこっと、ほんとうにちょこっとしかこの場所は買えないのだろう。
(そもそも売っても貰えないか)
電車で帰るつもりだったが人混みに紛れる気にはなれなかった。閑静な住宅街を飛び出し広い道にでるとほっとする。だが二車線で道は空いているのに性能のいい国産車があおってきている。もしエスカレートするようなら車を止めて一発だけ蹴りを入れるつもりだ。
百合子さんには申し訳ないが、煙草に火をつけた。少し咳き込む。自分の父親もさんざんこの宝石の中で吸っているのだ、許してはくれるだろう。それでもできるだけ、窓から煙を流すように注意深く吐き出すのだった。
山林健一の ”隠し玉” と一緒に自分の胸にしまっておこうか? 録音にはお茶を啜る音しか入っていなかったと……現実問題として下らない、事件とはなにも関係のない、そもそもこれは事件なのか、こんなことを続ける意味はあるのだろうか。
車窓を流れる
世の中には色々なことがあるではないか。戦争中なら数人の死など日常だろ? ニュースの中のそれはそれ他人事だ。晩飯を一緒に食った警察の人間は喜一郎を褒め称えていた。ひとりの人間の死の真実を突き止めたその手腕を。だったら、数万人津波に飲み込まれたあのとき、そのひとりひとりに同じような検証はされたのか? おまえらはおまえたちが作り上げた美しい物語に酔っているだけじゃないのか?
空いてはいたが帰りの道程は余りにも遠かった。運転は芳男に代わっていた。
東京・浅草は、古い平屋の一軒家。彼女は奥で眠っているのだろう。その庭に喜一郎がひとり、待っていた。
「…………………………………………芳男か?」
喜一郎は首を傾げる。
「ああああああああぁぁぁあああああああああ」
芳男は喜一郎に殴りかかった。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、
殴りかかった。
喜一郎の
芳男は喜一郎に聞いて欲しかった。この人に憎しみなどあろうはずが無い。
理由なき衝動! ふわりと足が浮き喜一郎の脇腹を刈ろうとしたその瞬間、
芳男は天を見上げていた。 ”恐らく、あのときと同じ” 星が輝いていた。
喜一郎も見上げた。やはり星は輝いていた。
ふたりはいつまでもそうしていた。邪魔する奴は誰もいない。
※
京エレ記念病院。只の病院ではない。日本を代表する企業群、京都エレメントの企業団地、その敷地内にある要塞。猛者が集まる機動隊の中でも選りすぐりの
特別な人間しか知らされぬその一室で、佐藤豊は静かにその生涯を閉じた。
喜一郎が予言した、新興宗教の教祖、伊佐見功に宣言したタイムリミット。
それよりも圧倒的に早く、そして静かに。
※
ニュースにはなったが、それはミカリンの不倫騒動ほどの影響もなかった。
ふっ。
株式で言えば織り込み済みの材料。それによる変動は特になし。ふっ。
裏側はそれより先に動いていた。昨日までの絶対的強者が弱者にかわる爽快。
ドラスティックな脈動。政治、経済、官僚達のあたふたは見ていて飽きない。
ヤクザはそれ以前に機能停止。領域線などなくただ混ざった醜い色になった。
※
レーザー盗聴器。理論上は1キロ先からの盗聴も可能。驚くべきことに、硫化カドミウム(CdS)、光導電セル、レーザーポインタ 、ケーブル 、これら秋葉原でザル売りされている材料で2000円もあれば作ることができる。そんなものに数千万円、警察庁の裏金が使われたのだから性能は折り紙付き。窓ガラスがある部屋ならばその僅かな振動を捕らえ、沈黙さえ明瞭に聞き取れる。
今どきの警察はそもそも気配など感じさせない。
だから、まあ一応は国際電話の盗聴もしていたがその必要性もなかった。謎の多い集団ではあるが、姉弟の概念はあったのだろう。恐怖心から佐藤豊の死を待たずして新興宗教の教祖、伊佐見功の精神は崩れ、アメリカに住む片山真千子に連絡を取ったのであった。
だから……内容はほぼすでに知っているものであった。
だから、日本を代表する企業群、京都エレメント会長、御手洗和夫が土下座し涙しながらに告白するのを冷静に見ていることができた。だから?
だから、呉署のベテラン刑事に金を渡して工作したことも些細なことで、(そいつには辞職して貰うが)これからのことのほうが重要だから、だから、だから、だから……
百年にひとりの傑物、佐藤豊の本当の死因は自分の胸に仕舞うことにした。
近頃では珍しい……レンガの壁に蔦をはわせる演出過剰な昔ながらの喫茶店。
そのドアを(カランコロン)
「直接お目にかかるのは初めてですね、先生。ご足労願いまして恐縮です」
「いまさら俺になんの用があるのか、興味があったんでね」
その国会議員は虚勢を張りながらも周囲を気にしながら小声で答えた。
「衆議院議員である先生にアポイントもなし……」
「前置きはいい」
「…………次の選挙。選挙区を変更する、そう言ったご提案です」
「はぁ? 俺の今の立場を判って言ってるのか?」
「先生は潔白。それは我々が証明して見せます。マスコミ工作などは専門ですのでお任せください。全て妖怪・佐藤豊に背負っていただきましょう。墓の中から文句も言ってこない。但し、選挙区は京都、それと参議院議員に鞍替えして頂くのが条件です」
静かに置かれた珈琲を探るようにスプーンで掻き回し、飲むわけでもなく靖彦はそれを眺めている。
「京都? ふっ、御手洗か…………親殺しの秘密でも握って脅したか?」
「やはり知っていましたか。抜け目がないなぁ、先生は……それ以外にも色々と知ってそうだ。我々と警視庁公安部を両天秤に掛けてらっしゃった先生なら……これから先、その優れた政治手腕を遺憾なく発揮して頂くため、御手洗和夫氏は金銭面での支援を惜しまないそうです。それと我々、警察庁の管理部門と警視庁の
靖彦はウサギの鼻先にニンジンをちらつかせた。食いつくしかない。例えそれが、”完全なる案山子” になれとの脅しだとしても、一度権力を握った男にそれを手放す勇気はない。沈黙を守り、警察官僚出身者ではない自由な立場で粉骨砕身働くしか生きる道はないと……
「警察庁出身のあんたが警視庁を取り込んだ? 一体どんな手品を使った」
(カチリっ)山林はタバコに火をつけた。
「健康に悪いですよ……これからはそういった面にも留意していただかないと」
山林は火をつけたばかりのタバコを備え付けの灰皿でもみ消した。その所作を奉答だと解釈して、靖彦は軽く会釈をしただけで席を立ったのだった。
(カランコロン)
屈辱の果て、衆議院議員、山林健一は思考する。
警視庁の細流とは祭り上げられただけの木偶の坊、現、警視総監の一派であることに違いないだろうが、どうやって取り込んだ? それよりなにより京エレの御手洗が証拠もない60年近く前の犯罪をネタに屈するものか? わからない。敵に回してはいけない相手ではあるが甘っちょろい部分もある。こちらのブラフに引っかかった。確証は握っていなかったが、やはり……
佐藤豊と対決するべく調べ上げた末の、残りかすみたいな閃き。
それがなんだと言うのか? 佐藤の親世代がほとんどなんの教育も受けていない集団であったことは確かであろうがそんなことは戦前では珍しいことでもない。
何らかの権力者の思惑により公的資金が注入され、何らかの原因でその権力者のスキームが崩れそして、集団は見捨てられた。
(カチリっ)山林はタバコに火をつけた。
佐藤豊、御手洗和夫は別格だとしても子供達はみな優秀だった。その後の人生の結果だけ見てもそれは明らかで、親世代との境涯の差は歴然としている。
つまり……足手纏い。
「俺でもそうするなぁ」
山林の独り言にウエイトレスは一瞬だけ怪訝な顔をしてまた直ぐに紙ナプキンを三角に折る作業に没頭している。
人生で選択を迫られた時、シンプルに最適な道を選ぶ。当たり前のこと。想像すれば、我が身に置き換えれば誰にでも簡単に辿り着ける単純明快なメソッド。
そんなことに佐藤豊は怯え、御手洗は
戦後70年、大昔の話、証拠などあるはずがない。週刊誌が飛ばしたとしたら世間の笑いものになる、オカルト、都市伝説、センスのない冗談!
核兵器密約など持ち出さなくとも……そんなネタで俺は勝っていたのか?
「おやごろしかぁ」
今度は聞こえぬよう小声で漏らした。ウエイトレスは仕事に集中している。
山林は自分の両親のことを思い出していた。金に転んだ、両親のことを。
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