第19話





「芳男は?」

「なぁんか、って久々におもろい、blackブラックジョーク飛ばしてどっかでかけたけん、焼き鳥でも肴に酒でも飲んどるんじゃろ?」

「そっか」

 喜一郎はカープ女子が入れてくれた旨くもないお茶を啜り、天井を見上げた。


「折角、浅草にいるんじゃけん、うちらも煮込みぃランドでも行こうやぁ」

「その格好でか?」

 喜一郎はカープ女子の脇腹までスリットが入ったチャイナドレスを流し見て、

「寿命が3年伸びるじゃろ?」

 の問いかけに言い返せもせずに推理を始めた。


 とりあえず神谷バーからスタートして、腹の具合で泥鰌どじょうくじらかオデンか粉物か牛鍋ぎゅうなべか弁天山で鮨か決めればいいだろう。団子は食いにいかない、孫子の兵法。アリゾナキッチンにも行ってみたいが……まだ犯人は特定できない。


「しっかし、2連敗するとはねぇ。ショックなんじゃろうけど……」

「別に男同士がじゃれただけだ。それに昨夜のあいつはなかなか迫力があった」

「わっちは勝てない相手には勝てるように工作する。孫子の兵法じゃけんね。」

「それを言うなら戦わずして勝つ、だろ? それより写真ばっかり撮るな」

 カープ女子は赤バットを改造した自撮り棒で撮影に余念がない。


「しょうがないじゃん。仕事じゃけんね。ちぃか、有り金ぜんぶ使い果たして、わっちの金で絶賛飲み食い中なんを忘れちゃいけん。男はこれだから駄目じゃ」

 喜一郎にはなにも言い返す言葉がなかった。




 Bには手を付けていない。Aは、ぱぁと使ったほうが良いと判断した。


            ” ふたつの有志 ”


 ――――ただ、一方は金額が大き過ぎた。




 現役時代、喜一郎も裏金は作ったがそれは精々、協力者を逃がすための旅費の、それも小遣い程度……それが精一杯だった。


 地方の所轄しょかつにすぎない呉署の裏金としては不自然な、そして、


『うちのかしらにも怒鳴られます』


 その頭とやらが、スカイフィッシュからの内密の依頼を引き受けたのであれば、それは警務マター。要するに、呉署の刑事部トップは、警務の横滑り。

 刑事あがりなら兎も角、人事畑の人間がそんなことを許すはずがない。嘘。

 そこには気づけど、あの時点ではそこまで手が回る状態ではなかった。



 ” 呉 ” に何かある。 



 テレビでは相も変わらずミカリンの不倫のニュースが流れている。そのあと、ほんのちょっと政局の動きが報じられた。

 喜一郎は直接、会ったことのあるこの男を凄いなぁと思う。事情を知っている自分さえ心を打たれる、その誠実、真心、情熱、表情筋のバリエーション制御。


 京都という場所は、特別な人間には特別な意味を持つ。

 解散のない安定した地位で、この男が、京都への鞍替えは恐らく京エレ会長、御手洗への牽制。そしてそれとは関係なく、歴史的な経緯としてなのだろう。


 日本の公安警備部門、その出発点。それは佐藤豊と言う、百年に一度の傑物と呼ばれた男が死んだことなど、そんなことはおかまいなしに、それは、たぶん、おそらく、もしかして、

 ……つまり、靖彦の戦いがこれから先、長く長く長く続くことを意味する。



 靖彦のボスが誰であるか、スカイフィッシュでさえ知らされていない。現在の官房の主流派は警備局畑、恐らく警察庁での順位は4位以下。そのボスとの関係も今回のことで冷え、それを警視庁に出来たパイプでかろうじて相殺した。


 判らないのは、どうやって京エレの御手洗を手中に収めることができたのか。


 喜一郎は靖彦に泳ぎ切っては欲しかったが(縦横無尽に泳ぎすぎじゃね?)と思わないでもない。警察庁のトップ50を飛び越えて今、何位だ? 自分の父親すら覗き見を許されなかった世界、それは……どれほどに過酷なのか。





「おじいちゃん、はよぅぅう、うちらも飲みにいこうやぁ!」

「まずはそのチャイナドレスを脱ごうか?」

「交渉の余地ある? お金は誰が出すのでしょう~~~~~か? おじいちゃんがコスプレって合わすほうが早いじゃん?」

 巧みな尋問は繰り返される。そして犯人は、天然ウナギの白焼きに決まった。






 平和な下町の午後。浅草に住んで82年。米沢雅子は、中国人マジシャン風の老人とチャイナドレス美女が通り過ぎるのを、ただ呆然と眺めるのであった。



















「おいっ! 3分前の俺は何をしていた?」

 立ち飲み屋で隣にいる紳士に声をかけた。紳士の瞳に怯えが見て取れる。


「冗談だよ冗談! えーい、このおっさんの分もこれでっ!」

 ぴっかぴかの一万円札をカウンターに叩き付け、Fはぷいっと店を出た。

 まだ日の高い時分の下町の喧噪は心地よい。それはホロ酔いのうちに溺れているからこそで……それはもうひとりも同じだろ? 少しは気分をあげてくれ。


(おやごろし)陰惨な響きに自分もたじろいだ。そんなことを目の当たりにして平常心でいられる人間はクソッタレだ。だから、じいさんに殴りかかったのも、脳内ひきこもりもそれは共鳴できる。だが今は問題が発生している。グリーンと水色の領域線に、茶色が音も立てず忍び寄ってくる。



「あああああぁぁぁあっ」

 髪を掻きかきむしる。ふたつの煩いが同時に目の前にある。集中しようにも、思考からは不安が、不安からは思考が、生まれては螺旋状に絡まる。

 明確なストーリー破綻。



 そもそもモンスターの存在がこの事件を複雑にした。じいさんの推断どうり、整形外科医殺害でのリーホァの存在発覚は早すぎる。一度だけ会ったことある、あの人物が……紫苑しおん、つまりは山林側の警視庁公安部の人間でありながらそれを隠し誘導し、そして……指名手配をでっちあげた。

 じいさんは粘って情報を抜こうとしたらしいが、肝心なことは判らず仕舞い。

 残念ながらこの先、そいつがなにか喋ることはないのだろう。

 もう喋れないのか?



 あぁ、個人的にはそんな推論の前に、もっと厄介な事態に今はなっている。



 文才はない。してやアクションシーンを言葉で表現するなんて芸当は、自分には難しい。ともかくそれは、12時の約束だった……





 生意気に宮本武蔵でも気取ったか? 勝負開始は結局の所、午後1時となった。

 その考え方には賛同できない。陽動作戦よりも地形を下見するほうが、先だ。案の定、じいさんは下見済みだった。春の若草はかんばしくせ返るほどでその臭気に思わず顔をそむけて見上げれば、会津栄螺堂さざえどう

 隣にはただ、純粋に男同士の決闘に胸を躍らせている、素敵な彼女。まずは彼女に手を出すなと制するところから勝負は始まる。

(フェミニストっぽくて、そこは評価してもいい。そのあとはお粗末だが……)


 掴まれば勝ち目はない。どうしても距離を取らざるを得ないから、じいさんに易々やすやすと砂利が敷かれた駐車場に誘導された。これでは1発目の蹴りは撃てても、2発目に移行するのが一瞬だが遅れてしまう。(いわんこっちゃない)


 だがここで予想外の展開になる。それはまるで氷上のフィギュア・スケート。

 踊るがごとき戦いぶりで……(なんじゃそりゃ)


 アクセル! そして続けざま、3回転トリプルルッツからの2回転ダブルトウループ。


(中華飯店の 円卓ターンテーブル かっての……)


 時計回りと反時計回りを自在に操り、見かけは曲芸だがその真意は恐ろしい。



 じいさんの唯一の弱点 ”首” を執拗に狙う、愛のない攻撃。



 ハイキックの連続は予想外だったのだろう。じいさんはミドルを警戒しながら、蹴りを受け止める鉄のような肘先を上げるしかなかった。そこでミドル……と、見せかけて……


 あほらしい。(あぁ、あほらしい)




 この足のずば抜けた筋力は、真面目な性格が来る日も来る日もサッカーの基礎練習を繰り返すことで生まれた。努力も才能だね。試合では殆ど役に立つことはなかったが……要は、それをどう扱うか。


 ミドルと見せかけた蹴りは天空に舞い上がり……かかと落とし!


 ひとつだけ言えるのは、柔軟性は格段にアップしているという現実。




 そこに邪魔が入らなければ、もしかすれば勝っていたかもしれない。助太刀にと割り込んだ彼女の赤バットがすねごっつんする前に砂利に足を取られ、

 スッテンコロリン、コロコロリン。

 踵の下には彼女の頭。そのまま振り下ろされいたら、彼女は真っ赤なトマトのハヤシライスになっていただろう。


 寸前で攻撃は止まった。(フェミなのでそこだけは評価しておく、パートⅡ)


 じいさんがそんな悠長な隙を見逃すはずがない。気付けば……

 ”天を見上げていた” お日様も笑ってる。ルルルルルル今日もいい天気。



 ……とまあ、これが全てを見ていた彼女から聞いた話。自分にも負けた意識と自覚はある。だが……その経緯は思い出せない。おっとそうそうそこで、


 Shakespeareシェークスピア 張りの名台詞が飛び出すこととなる……



「リーホァはまだ5歳の子供でその中にあるのはたったひとつ、佐藤への。少女は佐藤に見つけて欲しかった。少女は佐藤を守るために行動している」

 ってな…………つまり、





 フランス革命は善か? 悪か?


 相撲取りはなんの目的で戦っている?





 柔軟性がアップした?


 教授の家を涙流すほどに気に入った?


 金が出来たら真っ先に火災保険にサインした?














 二重人格ではありえない……………………もうひとりいる。













 Fは深く暗き、底なし沼に招待された気分だった。

 今まで生きてきた人生において……機関銃との接点はありやなしや、と。













 


Lutzルッツ からの doubleダブル・トウループっっ!」

 静乃はあくびをしながらその攻撃を躱している。


 愛依まいは子供だけに体は軟らかく格好は様になっているが恐ろしくそのスピードは遅かった。だが、静乃からのひっかき攻撃はなし。ふたりは仲良し。


「愛依ちゃん、こんにちは」

「誰? おっちゃん? とうっ! サルコウあんどクアドラプルコンビネーション とうっ!」

「こらっ! 愛依いい加減に……あれぇぇ? 靖彦にいちゃんじゃない」

「ゆりちゃんお久しぶり」

 靖彦は愛依の攻撃をさらりと避けて百合子に微笑みかけた。


「なんでまた福島に?」

「父の再就職が決まってね。それには僕も関わっていたから」

「そうなんだってね。飛田ひだのおじさま引退だってこの前まで言ってたのに急だったわね。法務省関係でしょ? 復興事業。流石、警察庁のエリートを息子に持つと違うわねぇ。お父さんなんて遊び回ってるって言うのに……とほほ」

 百合子は愛依の頭をグリグリしながら答えた。


「それより大変だったね。隣は全焼? そっちも庭が焼けたそうじゃないか」


「そうなのよ。類焼は免れたけど、煙と煤が家の中に入って掃除が大変。それを私ひとりに任せてって……それどころじゃないの! もうぉぉそりゃ火事も大変だけど、なによ! 死んだのよ! 死んだの? もう親戚からの電話鳴り止まないから電話取れないのよ。取れないなら携帯する意味ないわよね? もうね、大変なの、大変というか意味がわからないのよ。新聞に載るわ、週刊誌に載るわ、もう私 ”ぶりぶり” に怒ってるのよ ”ぶりぶり” に。当然でしょ? 記者が自宅に張り付いてるから、まだアパート住まいよ? そりゃ、飛田のおじさまに説明はされたわよ。でもあんな説明で納得できるわけないじゃない。ねぇねぇねぇねぇ、ほとんど全部、秘密事項ってそんな説明ある? 私だって刑事の娘よ、言えないことがあることくらい心得てるわよ。はぁはぁ。なんの話だっけ? そうそう! 車まで持って行っちゃって……ここに来るだけでも一苦労なのよっっ!」



 静乃の口元に純真無垢なるあくびが漏れた。



「……迷惑かけたようだね、すまない。父の頼みごとで僕も事情はよく知らないんだ。引退したって筋金入りの刑事だから快く引き受けてくれたって、父が感謝してた。すぐに世間の誤解を解いて、前の通りに生活できるから……もうすぐ」

 機関銃の早口はまず弾丸の供給源を断たねばならぬと、靖彦は承知している。


「靖彦にいちゃんがそう言うならまぁ……」

 百合子は我に返り赤面した。考えてみれば目の前の人物は初恋の相手である。


「あ、そうそう。おじさんから連絡があったら伝えて欲しいことがあるんだ」

「ん? 携帯の電話番号、教えてなかったっけ? じゃあ今すぐ……」

「いや、却って邪魔になるから。あっちが落ち着いて、向こうから連絡があったときのほうが都合がいいと思うんだ」

「警察の仕事の話? それならしょうがないけど」


 靖彦はかつて好きだった女性にそれ以上、近づくのも躊躇われ、でも一応は周囲も気にしてその折衷せっちゅうの距離で職務を一時、放棄する。


「ちょっとしたことなんだ。 (Lutzルッツ) は (doubleダブル)(トウループっっ!) それだけ。それだけでいい。それだけで意味は通じるから」

 百合子の手から逃れた愛依は、再び、静乃を追っかけ回している。折衷の距離が幸いし、愛衣の雄たけびで周囲からはかき消されたが、百合子の耳には明瞭に靖彦の言葉は届いたようだ。


「わかった、了解」

「……でも言わなくても、おじさんはきっと辿り着くだろうけど」


「辿り着く? よく分からないけど、さっきの言葉だけ伝えればいいのよね?」

「うん。辿り着いてもどうしようもないんだけど……ふっ。じゃあ頑張って!」

 靖彦はそれだけ言うと右手を上げて微笑み、ウィンクする。そしてお尻に一発だけキックをもらい、隣家の惨状をさらりと眺めて、振り返らずに歩きだす。

 静乃だけが、その行方をあくびしながら最後まで見送るのだった。















           ふ



                      ふっ




        ふっ

                         ふっ

          ページを捲れば、真実にはきっと辿り着く。 ふっ


    ふっ

                          ふっ

     ふぅ              ふっ ふっ



           ふっ

                  ふぅ

                        ふっ


          ふぅ


      ふぅ


                ふっ

       で、それを知った処で、一体なにがある? ふっ

  ふっ 

                    ふっ


                               ふっ


         ふっ


                         ふっ















 天然ウナギの白焼き、その一口目は、夢のように旨かった。


「はぁぁあ」半分以上残っているそれを、喜一郎は恨めしそうに眺める。


 脂が強すぎるのだ。旨味が濃すぎる。自分は年を取ったのだった。



 コトっ、コトっ。

 年配の仲居が小皿を置いてウィンクしてくる。ありがたい。

 大根のサッパリ漬けと、同じく大根の葉の薄塩揉み、だった。

 これで酒だけはゆっくりと飲める。カープ女子もいける口だが喜一郎ほどには強くない。既にうつらうつらとしていて、望むらくはそのままにしておきたい。

 なにせ、スポンサーなのだから。


 

 今夜は酔っている。



 村は見捨てられ、大人は絶望し自殺したと聞かされて、ふっと、果たしてそうなのだろうかと、胸裏が騒いだ。もしそうであるならば、大人たちは元の生活に戻ろうとしたのではないか、と……そうだとして、悲劇の種は子供たちにあったのだろうか? 教育を受け、恐らくは日本語しか喋れずに、少なくとも里の生活だけしか知らなかった子供たちは、ではどうすればよかったのだろう。


(親殺し)その陰惨な凶事とは別に、子供たちがその後の人生においてどのようにそれを抱え込み苦しみ生き抜いてきたのか? それを想像しうる人間が普通でいられるはずがない。自分が平常なのは……ただ年老いたから……いや、


 

 自分にはまだ若きたぎりがあると思っていた。だから、暴走した。

 刑事部のエースの声音こわねに、刑事部全体の憤懣を嗅ぎ取り、単純に自分が肯定されている訳でもないと悟ったが故の、虫の知らせのような計略。自らの死は引き金になったに過ぎず、体よく偽られた、まやかしの旗幟きし


 的は外れずそれは組織の急所に刺さり、少なからず自分は浮かれたのだった。

 

 あの吐きそうな2時間、実は楽しかった。相手は恐らく、警視庁最強。

 負けるものかと血が疼き、何か引き出そうとした、そのとき、靖彦は?



 気を逸らした刹那の緩みを、突けなければ、愛依は? どうなっていただろう。



 火事でもし人が死んでいたら? 代議士の秘書は? 強盗たちは? リーホァの養父母は? 自分の作為がなければ? …………どうなっていただろう。



 現役時代、常にあった逡巡がめぐりめぐってまたここにあり、そんなことは、何度も何度も何度も何度も、答えを出してきたことではないか……






 喜一郎はチャイナドレスのあどけない寝顔を覗き込む。


 真実を知り、何かを動かして、辿り着いたその先、一体なにがある?






 下町の店は早仕舞い。喜一郎はそっとカープ女子の肩を揺する。

 スポンサーは彼女なのだから、起こすよりほかにしかたがなかった。




 






 



 





 




                                    

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