秋の積読解消中、お暇な人向けの雑談☆
カクヨムコン要綱が発表されましたね。
昨年は短編部門の上限が三作でした。
十作書いてすべてが上位になっても、通過する作品数には一人当たりの上限数がありますので、日頃から何を書いてもぽーんぽーんと常にランキング上位の方々も、そこだけは忘れずに。
AI投入、全然いいみたいですね。
ということは残りの枠はさらに狭くなりますね。
外来種に駆逐される和製たんぽぽの気分であります。
わたしの場合、星の数は「下から数えて〇番目」であっても、通りすがりの人から頂けるレビューの加算で、過去突破してるんですよね多分。
まことにありがとうございます。
カクヨムコンといえば前回、ストーカーに手玉に取られて、マグマのような憎悪に満ちた伝言板を書いたメンズ。あれで関係のない人たちが深く深く傷ついて、申しわけなかったです。
あの暴虐文章はわたしに向けられたものなのですが、メンズも通報を怖れてさすがにわたし宛にはしなかったので、結果、発表されたあれを読んだ方々がもらい弾で、深く傷つきました。
世の中の事件を見てのとおり、粘着ストーカー(女性)は本人の病気なので、もうどうしようもないというか。
去年の夏、過去に経験のないほどの腱鞘炎になりまして、そのことを近況ノートに書いたんです。
「風邪をひきました」「骨折しました」
と皆さんがノートに書くのと同じノリです。それを、
腱鞘炎になったからって、作品の価値が上がるとでも思ってるんじゃな~い?
こんな噂にして流されたら、わたしの側には打つ手がありませんから。
ただメリットもあります。
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わたしの周りの人たちは、極悪人であるわたしから引き離す必要からも、あのグループから厚遇される。
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これがあるのです。
高度で高貴な上のグループに招待される。
長編は、星25前後あたりから、ぽつぽつ拾ってもらえるみたい?
その「ぽつぽつ」に入るかどうかの保証もない?
みんなが一斉にエントリする膨大な作品の中、そして大方の人も並行して自作を書いている中で、長編を読んでもらうって、ハードルがばか高いですよね汗
今回からブラックボックス的な選考が入るみたいですが、そこは全然わたしたちには分からないので、対策のしようもないし。
『コメントレビュー有』が強いのは、変らないとは思うのですが。
是枝監督が実写映画化したことで「ルックバック」が再燃しているようです。
あれ、藤野がツヨツヨキャラにみえてますが、藤野よりも京本のほうが強いんですよ。
(以下ネタバレあり。未視聴の方はアマプラで無料で観れます。1時間くらい)
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「ちゃんとした絵を描くのって素人には難しいですよ」「学校にも来れない軟弱者にマンガが描けますかね?」←小四
そんなことを言う藤野ですが、京本の「芸術性」に衝撃を受けて、それからはひたすら絵の修練を積む負けず嫌いを発動するも、京本のセンスには追い付かず(小六)、そしてクラスメイトからの言葉、
来年は中学生だよ
そろそろ漫画かくの止めたほうがいいよ
オタクだと思われてキモがられるよ
などの言葉により、あっさり「やーめた」して漫画から離れてしまうのでありました。
一方の京本は、「学校」「集団生活」「他人からの承認欲求」という世の中の大多数が属する場所から、早々にドロップアウトすることを選んだ負け組です。
しかしその後の藤野と京本の言い争いをみても、京本はどもりながらも、一歩も引かないのです。
絵が描きたい。
もっと巧くなりたい。
その情熱において京本は誰にも劣らず、「やーめた」の藤野ごとき敵ではなく、さらにその藤野に一度は消えた漫画への情熱を再びゴオオオッと点火させるのも、やはり京本なのです。
「藤野先生は漫画の天才です!」
持ち上げられるとすぐに木に登る藤野。単純です。
藤野は藤野で、おのれの才能への自負がある。
積極的な性格で運動神経も人より良かった藤野は、生育過程のうちに、「自分は優れている」「わたしには才能がある」という自信をしっかり育てており、そのロケットエンジンの勢いで漫画家デビューまで突き抜けた感がある。
晴れて十代で漫画家となった藤野ですが、京本に代わるしっくりくるアシスタントはまだ見つからない模様。
ペンネームが「藤野キョウ」のままであることからも、藤野はまだ京本と走っている感覚なのです。
京本はもう自分の領域、「何の役にも立たず」「誰の為にもならない」美大に立ち去ったというのに。
プロの漫画家としてとても正しい姿勢をもち、人に認められてなんぼー!人気が出て売れてなんぼー!の藤野は、「京本は芸術家なのだ」ということを、ついに理解しませんでした。
その頃、山形の美大で、京本は大きな扉の絵を描いています。
「部屋から出ない」
を選択した京本は、その扉の向こうを見ているのか、それとも自分の部屋からはもう出て来たことを、閉じた扉の絵によって表現していたのでしょうか。
連載を抱えて売れっ子漫画家となった藤野。
そんな藤野に、「お前、なんか役に立ってましたっけ?」を突きつけられる日が来ます。
ああ売れてるね(棚にある巻数の重複が重版のかかったしるし)、アニメ化もするね、順風満帆のプロ生活だね。でも、
『友だち一人も救えなかった軟弱者に漫画が描けますかねぇ?』
出てこないで。
藤野は今さらのように願います。
部屋から出てこないで、京本。
そんな藤野を救うのも、やはり京本なのです。
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よく分かりませんが、
「プロット通りにセリフの一つ動きの一つ、予定外のものはなく、最初の構想で決めたとおりに脱線なく書くこと。これぞ真の創作、最上級のオリジナル高級作家」
と思っておられる方々は、そのよく分からない(二度目)お高い意識のままに、生きて死んでください。
構想と設定資料集と出来上がった小説を突き合わせて、
「うん、よし、まったくズレてない。整合性が何よりも大事だからな。変更まったくなし」
それをもって真の創作、偉大なオリジナル小説だという。
なんか知りませんが(三回目)、彼らはそれにて、『責任』をお果たしになっているんですって。
「自作において作者が知らないことがあってはならない、もちろん、全てのキャラの髪の毛の本数まで設定で決めている。これぞオリジナルキャラ。責任を果たしている!」
あっぱれです。
書く資格がないと言われた雑草のわたしはそういう「~ねばならない」「小説を書いてもいいかどうかは誰かの許可制」、スノビッシュ、権威あるアカデミーに疑問を抱くのが小説を書く人の基本メンタルだと思ってますけれど。
責任って、ところで何の責任?
或る一つのきまった型で小説は書くべきで、それをやっているから責任を果たした?
高等一流作家さまたちが何を云っているのかまるで分からない、わたしがおかしいのかしら。
どうせそんな人たちもストーカーに焚きつけられて狙い撃ちにするのはうちのような弱小ばかりで、まさに今こそ矛先にするべきであろう旬の話題のAI多用の皆さんに対しては、何か云ったらバキバキに、もうバッキバキに反撃してくると分かっているから、一言も「オリジナル性が―」などと、言わないんでしょうしね~。
それこそプロ作家になったら一作書くのに「構想十年」「登場人物のセリフをまず最初にすべて決定する」「設定資料集を作り、一人一人の家系図まで作り込み、オリジナルの肥料配合表を~」なんてやってるうちに、収入に困りませんかね。
ちょうど今、AIで漫画を描いていたらアンチが山ほど沸いたのでムカつくから晒すぜを書いてる方がいらっしゃいますが、小説→漫画→最後に市民権を得るのはイラストかな?
わたしはAIイラストはAIイラストでしかなくて、「アイデア」はわたしのものであっても、うんざりするほどの沢山の修正を繰り返して出来上がったAIイラストを、
「AIに描いてもらったわたしの作品」と言うことはギリギリできても、「わたしが描いた」と言うことは出来ないと考えていますが、その感覚を突破してしまったのが、AI小説ですよね。
(おまけのAI画)
拙作「赤い魔法杖」より、逆さ箒の魔女さん。
なんど頼んでも、箒を正位置にするので、最終的に、柄の両側に尾を描いてもらい、その後に後ろ側だけ消すという方法で完成しました。