カクヨムのアイコンがお祭り仕様で可愛くなってますね。好き。
手芸に没頭するついでに、手持ちのアクセサリーの中で飽きちゃったものをばらして、一から組み直したりしております。
こういう作業好きなので際限なく作り続けてしまいます。
作り直すついでに新しいのも作ろうと、パーツも久しぶりに足しましたが、パーツを選ぶの、楽しすぎます。
一つ一つは安いからどんどん増やしてしまって、会計の際に金額を見てびっくり。
あれ~そんなに買ってましたか~。
それだけでは何なので、そんなのがあると小耳に挟んでおりましたネトコンに、完結済の長編「魔女とりんごの花」を出してみました。
結果が画像です(笑)
いわゆる「永遠のゼロはここにあったか」状態。
読まれない。
そんな悲鳴には毎回のように胸が潰れそうになるんですが、それは、わたしもそうだからです。
ご覧のように、そうだからです。
この画像を見て、平生から「誰にも読んでもらえない」とお嘆きの方も元気を出して下さい。
下には下が、底辺には底辺がいるのです。
今日もPVゼロだったか……。
と、はからずも初心に戻れましたわよ。
ネトコンも勝負の土台に乗れるのはポイント五桁以上らしいので、ただの賑やかしなんですが、賑やかしにすらなれないこの渋さを見てくれ!
でも、エブリスタやPixiv、たま~に、ひゅるひゅると伸びることもあるんです(当社比)
それで「あ、けっこう伸びたな」と思って、系統が同じ別の作品を投稿すると、今度は全然ダメだったりするの。
色々な作品をあちこちには投げ入れては、取り下げて、試してみているのですが、どこに違いがあるんだろう。
投稿のタイミングなの? 何なの?
ほんっとによく分からない。
ある方が、カクヨムは『ホーム』だと仰っておられました。
いいですね。
ホームがある方。
わたしはカクヨム使いやすくて好きなんですけど(匹敵するのがエブリスタ。複雑なのはピクシブ)、わたしのカクヨムのフォロー数って少ないじゃないですか。
数字的には60以上ありますけれど、実はこれ、内訳としてはほとんど登録直後によく分からないまま、来る人来る人、全てフォロー返しした数なんです。
増やしたくても増やせない。
交流先を増やすと、その全てにわたしのストーカー(女性)が押しかけて行っちゃうからです。
裏から人間関係を壊して、根こそぎ、人間関係を取り上げるのです。
人が楽しそうに、生き生きしていると、「無理してる」とニヤニヤ嗤いながら必ずくさして下げてきます。
作品についても、やはり、必ずケチをつけて「出来てない」と云い広めながら下げてきます。
他人の人間関係を壊して、人の価値を下げると、強い勝利感を味わうのだそうです。
そういう障害をお持ちの方なので。
「人格障碍者にタゲられた!」
https://kakuyomu.jp/works/16817330650989133721でも書きましたが、この通りです。
指示命令を、裏から耳打ちしてくる人なんて、変でしょ。
そこでまず、「何か変だな」と思っていただきたいんですけど、「正義は我にあり!」とばかりに勢いよく喋る口達者な人のことを、人間は無条件で信じるように出来ているみたいです。
誰もが思考と感情をあっさりコントロールされます。
カクヨムでも、九割くらいの人は、あっさりストーカー側に取り込まれてしまいました。
100人と知り合っても、90人は向こうに盗られるのです。
「洗脳なんかされてません」
とおっしゃると思うのですが、ストーカーに盲従し、脳と行動をコントロールされている人たち、こちらから見るとかなり不気味です。
何故なら。
その人たちが信じきっているのは他人を支配したいストーカーの放つ言葉であって、わたしではないからです。
その状態で、わたしと会話しているからです。
つまり洗脳された方々は、他者がある意図をもって吹き込んでいる情報をベースにして、わたしと接しているということです。
変でしょ。
そんな人間関係。
登録直後にお友達になったヤナイハルさん、すばらしい長編「賢者の黒歴史」をお書きだったそのヤナイハルさんから始まって、いったい何人の人が、「ちょっとすみません」とばかりにストーカーに奪われていったことでしょう。
そして、
「この私が、上で、正義で、監視者で、指導者である」
「~でなくてはならない」
とやいやいとストーカーから日々、思考と行動を制限されているうちに、それまで別段つつがなく平和に、楽しく暮らしていた多くの人が、それまでのようにのびのびと創作活動をすることが出来なくなって、カクヨムを去っていきました。
そのことすらも、全てわたしが原因で彼らが辞めていったと、云い触らされていることを知りました。
カクヨムの大きな魅力は、書き手同士の交流が活発である点です。
それが、仕切り屋の顔をしたストーカーに横入りされて、口巧く片っ端から遮断されてしまっている状態であるならば、これではとても安心できるホームであるとは云えません。
雑音の方が大きく、創作を出来る環境ではありません。
時々、ストーカーに完全に洗脳された人が、猛烈な憎悪にかられて、人にはとても云えないはずであろう暴力的な暴言を突然吐きまくってくることがあります。主に男性です。
定期的に出現するそういう人々を見ていると、「洗脳ってこんなに簡単なんだな」と毎回おどろきます。
劣等感や、競争心。
支配欲と激しい憎しみを、「心配してる」と表向きの看板はきれいなまま、するする~っと他人の脳に移植する。
これに疑問を抱くことは、多くの人間には不可能なのかもしれません。
人からすぐコピーするので、整合性という単語を覚えたら、「整合性、整合性、何しろ整合性。う~む整合性、整合性が何よりも大事なんだぞ整合性」とやたらと嬉しそうにず~~っと繰り返すという奇妙な特性もあります。
『他人に寄生し、他人を踏み台にして人間関係を対立させたりクラッシュさせて、自分が注目を集めるためのステージを作っている』
これがその症例の説明としては分かりやすいかもしれません。代理ミュンヒハウゼン症候群に似ています。
これは立派な病理であって、外から治すことは出来ません。
徘徊行動と、ディスり、圧力、他人への支配と操作が止まらないのです。
本人に伝えたところで怒り狂い、待ってました!とばかりに、誤解を受けたヒロインになりきるか、全世界に「あの妄想女には気をつけて!」と被害者モードで悪評を流してしまうだけなのです。
おそらく接触があった方は、耳打ちされたあるフィルターを通してしか、わたしを見ていないと思います。
「こうしろ」と誘導されたとおりに動いていると思います。
それが洗脳です。
『ここだけの話』に誘われた最初の時に違和感を持つ。
何か吹き込まれても、鵜呑みにせず、本人に確認する。
その人物が信用できる人物かどうかを自分の眼でしっかり見極める。
対策はこれしかありません。
で、無理やりここから話をAIにつなげるんですけれど、「AIを使って執筆しています」という方、出来れば、そのことを分かるように明記しておいて欲しいなぁと。
サイトの仕様からして今後は、でかでかと、【AIの使用あり】とプロフィールに表示が出るようにしてもいいんじゃないかと。
「この設定がいいですね」
「このキャラの、このセリフが良かったです」
「ここの展開が意外でした」
文章が上手ですね。
語彙が豊富ですね。
こういった全ての褒め要素に、「AIが考えました」という回答がくるのならば。
その作品は、あなたの作品ではなくてAIの作品です。
「そんなことないです、原稿のチェック程度にしか使用していません」と云われても、それを証明できる方法もありません。
AIを通してアレンジしていった作品は、それはそれは文章も構成も、実にスマートな作品になっていることでしょう。
それ、あなたの作品なんでしょうか。
どこからどこまでが?
わたしはAIを利用していると明言している人たちにも、感想を寄せたことが何度かあります。
その際も、頭をよぎるのは、「良い部分は、この人が書いたものなのだろうか。それともAIが作成した部分なんだろうか」です。
AIが執筆を代行している今の時代において、感想はどこを評価し、どこを褒めたらいいのでしょう。
そして受け取り手は、(そこはAIが作った部分なんだけどなw)と思いながら、自分の能力の結果としてそれらの感想や評価をほくほくと受け取るのでしょうか。
『AIを使っています』
分かるところにこの表示があるならば、こちらもそれを前提としてコメントするのですが、分からない場合は、AIの手腕を褒めたたえるべきものを、創作者ではない赤の他人に捧げていることになります。
ばらばらなビーズを突っ込んで「ストーリーを考えて」と云えば、AIは見事に創り出してくれます。
作者がやることはそこに多少の好みをトッピングすることだけです。
それはどこからどこまでが、あなたの作品なのでしょうか。AIを使って楽々と執筆することが当たり前となってしまった今、脳や心を酷使せずに、誰かのコピーから生まれてきた楽々作品の、どこを褒めたらいいのでしょう。
AIが作った作品なんだな。
そう思いながら読む作品は、それまでのように、作者の意図を掘り下げることすら、バカらしいと想えてきます。
読者からすれば、どこからどこまでが作者が心と脳を使って綴った言葉なのか、判別がつかないのですから。
AIさんを調べものに使ってる人がいるけど間違いが混じってるから気をつけて下さい。
「ルイ十五世の息子ルイ十六世」と出たのを見たことがあります汗(正解は孫)
また、
川端康成は戦時中に死んだとAIが解答するのを見たこともあります。
私もまだ、新人でありたい。
川端康成の晩年の言葉です。