お暇な方むけ。
サッシ(英)とは、上下に開く窓。
日本の二重サッシとは、窓が内窓と外窓になってるやつ。ガラス窓の性能が向上したからなのか、あまり見かけませんが、地方によっては今でも標準装備なのかな?
すっかり木製の雨戸は消えてしまいましたね。シャッターになった。
電気のない時代は、雨戸を閉めると押入れのように家の中が真っ暗だったでしょうね。
「まんが甲子園2025」でパクリがバレて最優秀賞が取り消された事件が真夏にありましたが、
例文)「心の毛づくろいをした後、透明な猫になって二重サッシの窓を踊りながら潜り抜けるような気持ちで」
この文章が、透明な猫を三毛猫に変えるくらいで、そのまんま、後発の人の文中にあった場合。
偶然。と云い張るには、透明な猫になって二重サッシの窓を踊りながら潜り抜けるような気持ちでなんていう、あえてのイミフな凝った表現が、そっくりそのまま出てくる偶然はさすがに、ないかと。
でも、やられた側が泣き寝入りなんですよね。
「こうしてわたしはカクヨム人気作家になりました」と戦略的そのノウハウを公開していた方が、「人の作品を読んでいいと思った表現はどんどんパクッて作中に使いました」とあっけらかんと告白しておられましたけれども、人気作から学ぶ、沢山の作品を読んで良いところを取り入れる、語彙を増やす、模倣から始めて表現力を磨く、そういうのともまた違うのです。
コピペ元から取ってきては、「貼り付けるようにして使っている」という点でしょうか。
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は?
言葉なんだから誰がどう使っても元からあるものでしょ?
あんたは誰からも影響を受けなかったっていうの?
そんなに天才なの?
ウケるw
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というのがパクる側の開き直りならば、狙い撃ちで抜き取りをやられている側は、ただの侮辱と暴行です。
ところが、こういうことを平気でやる方は、シュガーの国に住んでいて、とってもとっても愛らしく可愛らしい方が多いので、たとえパクラレさんが「あのー」と申し立てたところで、
「こんな難癖がきました……怖いです!」
「でもでも、耐えますっ。みんな! 大好きだよっ」
教室で泣き出せば自分の有利に物事が終わると学習してる必勝方法で、泣いて騒いで、パクラレ側が悪人扱いになって、ラレがさんが創作世界から追い出されてしまうものと、たいてい決まっています。
ご本人の内側から出た言葉でもないので、なんじゃそりゃなことになってても、そこもどうでもいいみたい。
「あなたのことが好き!」
「俺も好きだよっっ」
「誤解はあったけれど理解しあえてうれしかった、またよろしくね!」
「わかったよ!」
抱き合う二人。
「心の毛づくろいをして三毛猫になって二重サッシの窓を踊りながら潜り抜けるような気持ち!」
女性だと、こういう「みんなから愛される天使ちゃんのわたし♡」タイプが多いんですが、男性同士の間で起る、男性のパクラーさんってどんな感じなんでしょう。
大好きだった漫画が、パクられまして。
先行さんのファンだったので応援コメントも寄せて、復活を待ってるんですが、どうやらもうないみたい。
どちらも女性です。原作ありきでした。
裁判になったのですが、生き生きした作風の先行のラレさんがその漫画から撤退、ラレさんを追い出した後で、パク側が平然と続きを連載しています。
パクラレさんは、ころころっとした可愛い絵。
パク側は、ダークでシャープな絵。
その原作には、普通に考えたら後者の絵のほうが合ってるのですが、それが可愛い絵で描くことで新鮮味と意外性が生まれて、とても人気があったのです。
原作ありきなんだから、両者が漫画化を続けてもよかったんですが、たとえ先行さんが我慢して描いても、後追いでずっと後発にパクられ続けるだけですもんね。
精神がやられて描くどころではないでしょう。
下積みを積んできた先行さんの、それは最初の、爆発的アタリ作でした。
珍しく時事ネタ。
女性が参政権を獲得し、男女雇用機会均等法なんかが出て、ここまできたのですね。
またまたちゃぶ台返しの波乱が起きていますが、どうなるのでしょう。
べつにわたしは自分が女に生まれたことに何の不満もないので、
男ガ―
女ガ―
という人の気持ちは分かりませんが、男女差別が強い地域に生まれたり、性別できょうだいと差をつけられたり、社会で露骨な差別を受けていたら、それも分かりません。
同じ仕事を長年やっているのに、男女のサラリーにすごい差があって、性別で賃金差をつけないように制定されてから、過去にさかのぼって男性と同じ給料の支払いを会社に求めた裁判で女性社員側が負けた、なんていうのもありましたよね。
この裁判の時も、同僚の男性社員たちは「もらうべきだよ」と彼女たちの裁判を応援してくれていました。
男性より能力があっても、アルバイト程度のお給料しかもらえない。
この風潮が変わるには、「はい今日から男女平等です」と云われたから変わるというものではなく、長い長い年月をかけなければならなかったんですが、わたしが尊敬している作家さん(故人)、考え方も小説にたいする構え方も、わたしにとってはしっくりくる、云ってることが芯から納得できる方なんですが、その方ですら、
「女性が社会ではたらくのは無理である」
って云ってましたからね(笑)
これは女性軽視、女性蔑視の観点ではなく、ジェントルマンな親切心から出た言葉なんですが、とにかくそう書いてましたから。
昭和的な男性の優しさというのは家長のノリなので、家庭も社会も、包みこむような視点になるんですよね。
社会の厳しい向かい風に立ち向かうのは男でよろしい、っていう。
もう少し書いてあって、「女性が社会で生きるにはその女性性を犠牲にしなければならない」「男は男のままで働ける」というような論調でした。
彼の視野が狭くて女を下に見ていたわけではなく、当時はまだ完全に男社会だったからこその発言です。
そんな社会を段階的に変えていって、ついには初の女性総理を望む声が、多くの男性の中からおこり、当たり前のように多くの男性から応援されている。
もちろん、某党のアンチとか、その人個人が嫌いというアンチはいても、総裁選の時も追いかけていましたが、「女のくせに」「女だからけしからん」は、ほぼほぼ無かったような。
これで不発でも、阻害されたその理由は、「女だから」ではないでしょう。
ハンデというほどのハンデでもありませんが、有事が起った時に男性なら、とび起きて、ちょっと整えて飛び出していけても、女性だと、日本政府を代表する公人として公の場に出るにあたり、化粧する時間が男性よりは多めに加わるくらい?
といっても個人差が大きいので、メイクなんか5分もあれば終わる人もいるし、舞台俳優のごとくに時間をかける人もいるのでしょうが。
(あ、特定政党の応援者ではありません。政治は是々非々です。いいと思ったところに毎回投票先は変えております)
新作)
「2005年のあなたへ」
https://kakuyomu.jp/works/822139836846622523懐かしいブログについて触れたので、「人格障碍者にタゲられた!」にページを追加しておきました。
https://kakuyomu.jp/works/16817330650989133721/episodes/822139837178419946ホラーホラー。
DV夫から逃げない共依存妻がよくいう、「時々ものすごく優しい」というハネムーン期は、夫の脳内が、「家族のことを愛する世界一すばらしい夫=俺」になってるんでしょうね。
法律や規則も、見えるところでは厳格なくらい守りますが、それは「法律は偉くて正しい=偉くて正しい=俺」だからです。
見えないところでは「守ってるやつがバカ」と平然と破ります。
自分は法定速度60キロのところを100キロだしてるのに、30キロを31キロ出した人間については、正義正論を使って叩きのめせる時がきたとばかりに躍り上がって責め立てるという感じです。そして「速度違反したことなど一度もない」と堂々というのです。