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御礼と、個から生み出されるもの

カクヨムコンお疲れさまでした。
投票については10日まで出来ますね。
今年はスタート・ダッシュ週をずらして、平日更新でゆっくりと参加しておりました。
滝のように流れてくる更新のお知らせと、ざーざーと日々新作が押し寄せる中、読んでくれた方々ありがとうございました。

一作だけ出そうと考えていましたが、「旧作が弱い説」の駄目押しで、旧作を一つ。
あとは公式さんから出ていたお題で三つほど。

エントリ作品は、
「野のあかり」
「六組の廊下」
=公式お題=
「美しい赤」
「星の骨」
「神国へのお誘い」
※「神国へのお誘い」については、エッセイは今回不参加なのでエントリしてません。


昨年度の賞状が昨日届きました。
今頃……(笑)

「なんかさー、去年の賞状余ってるんだけどー」
「あっれ~」
「まだ届いてない人いますかね? 誰っスかねぇ」

そんなやりとりでもあったんじゃないかと邪推しながらも、ありがたく頂戴いたしました。
メインの賞に輝いた人たちは授賞式があって、数ヶ月前にその場で立派な額縁入りのものをもらったそうなので、普通ならその前後に送らないかな~?

いえいえ。
ありがたく頂戴しましたとも。
卒業証書みたいな黒筒に入ってるんだよ~。
それもこれも読んで応援して下さった皆さまのお蔭です。
ありがとうございました。


カクヨムコンの旧作の弱さ。
これって、星の上乗せが期待できないというのもあるのですが、
ただでさえ更新のお知らせがどしどし届くところに、『更新』のお知らせがいっても、タイトルが『旧タイトル』のままだと、単に旧作を少し修正したのかな~って感じにしか見えないからでもありますよね。
近況ノートで告知することで、はじめて人が来てくれました。

旧作を出してもちゃんと新しく星を積み上げて読者選考を突破できる人は、新規交流入れ食い状態の方だけですね。

魔法のiらんどが25年目にして閉鎖し、カクヨムと統合するとのことで、カクヨムコンテストに魔法のiらんど勢が参戦してきた今回。
25周年で閉鎖ってなかなか現実的。
携帯・スマートフォンの普及と共に魔法のiらんどに手を伸ばした人たちも、すでにけっこうな年齢になっていることでしょう。

25年の間に次第に古株の常連ばかりが占めてくる。
そんな雰囲気になってきたら、一新したくなるでしょうね。

たとえばカクヨムのトップページの累計ランキング異世界ファンタジーの第1位は、わたしが登録した三年前から「じゃがバター」さんです。ずっと変わりません。
不動の1位です。
これは素晴らしいことです。

でも、Aさん、Bさん…と、トップの固定化が五年、十年と続いたとしたらどうでしょう。
その間に読み手も歳をとっています。

かといって安定上位にいる人気作家さんは、それはそのままでよいのです。
魔法のiらんどから各サイトに引っ越し中の方々についても、大勢のファンが「どこまでもついていきます!」と追いかけてくれているように、その方々は云ってみたら、古希をこえても長年のファンと共に第一線で書いている漫画家さんみたいなものです。

それはいい。

それとは別に。
五年、十年の間には、若手が次々と下から上がってきます。その人たちの『最新』と、かつての『最新』はすでに異なっています。

いやいやちゃんと若者に合わせて『最先端』を身に着けていますよ、若者に張り合って最新の流行を追っていますと幾らいっても、それは知識であって、同時代感覚で柔らかな心に吸収して本気で愉しんでいるかといえば違うでしょう。

そして若い人たちは、前の世代の人たちが作った仕事を受け継ぐのではなく、自分たちでも新しい何かを興したくなるのです。
どこかのタイミングで、思いきって大鉈をふるいたくなるのではないでしょうか。

半世紀後にはカクヨムは無くなってると常々云っておりますが、それは時代の流れなのです。
『カクヨム』の名はもしかしたら形を変えて残るかもしれません。
でも、中心になって立ち上げた方々が定年退職を迎えて社を去ったら、次世代の新しい人たちは新しいものを立ち上げる。
カクヨムだって当初はそうだったようにです。

やがては、電子書籍形式であったり、AIによってフルカラーの挿絵が入り、AIによって自動的にコミック化、こんなことも可能なサイトが出てくるかもしれません。
単語を幾つか放り込めば勝手に小説を書いてくれる。
ゲームのOP・EDデモのようなものを、音楽付きでアニメ化までしてくれる。
そんなサイトが出来たら、そちらに若い人たちは吸い上げられていきます。


その頃、カクヨムの跡地では、『ややこしい最先端』に無理やり乗り換えるのはもうダルいと、オールドユーザーがまだ古臭くぽつぽつと一文字ずつ綴って楽しんでいるのかもしれません。

それも過渡期の終わる数年後には、いよいよ閉鎖となり、わたしたちが一字一句にぴりぴりして書いてきたものは読む者もいないまま、わたしたちの命と共に、半世紀後には電子の海からも放り出されてこの地上からきれいに消え失せていることでしょう。

「花が咲いた」

こう書くだけであっても。
火事の中で燃えていく家族写真。こんな手垢のついた演出であっても。
それがそうならば、確かにそうだという意識をもって書く。一行一行に貼りつく。
どこかで見たようなものをそのままふわっと書かない。

これを心がけて辛苦しておりますが、AIの登場によって、ここはこのパターンで、ここは感情に訴えるこんな単語や表現を使ってと、一発変換になる時代はもうすぐそこです。

その昔、ワープロやパソコンが出てきた頃、作家たちからは、
「小説とは原稿用紙に鉛筆や万年筆で、あちこちに線を引き、思索しながら練って書くものである」
「これがパソコンなんかで書いた、つまらない文章」
とかなり突き上げられたものでした。

とはいっても、あっちを削り・あっちを足して、思索しながら練って書くについては、PCを使っていても原稿用紙でやるのと多分そこまで脳のはたらきには大差ないんじゃないかなと考えております。
紙の上でやるのか、画面上でやるのかの違い。
違いといえば、ぐねぐねと文章を製錬していったその痕が、文学館などに行けばその初稿で見ることが出来る。そのくらいです。


しかし今後は、AIという、『他人のわざ』が、ストーリー展開のアイデアを提案してくれるだけではなく、文章自体も生成してくれるようになっている。
わたしたちは、自分の心と頭脳から絞り出した生々しいもので、人間らしい『不整合性』を含んだ小説を書く、最後の世代なのかもしれません。


家じまいをされたことのある方ならご存じだと思いますが、ほとんどはゴミとして処分されます。
想い出のあるものを1つ2つ手許に残したとしても、その想い出を大切にする人がいなくなれば、それもやはりゴミと化します。

カクヨムに来てから、ご高齢やご病気で、おそらくは他界されて、或る日ぷつりと更新が止まってしまった方を数名見送ってきました。
今はまだその方たちが遺したものをカクヨムで読むことが出来ます。
そのカクヨムもいつかは形態を変えて消えていきます。
いつかのその日は、わたしたちが迎える最後の日。

カクヨムコンテストは今回で10回目。
魔法のiらんどを参考にするとカクヨムコンもあと十回程度は続くのかもしれません。
閉鎖は寂しいことですが、受け皿のあった魔法のiらんどは幸運でした。


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おまけ
◆「西の風が吹く」
https://kakuyomu.jp/works/16817139559136528639

登録した初期に書いた作品。
天川さんが「何か読ませて」と募集しているのに図々しくこの作品を提出したところ、天川さんのレビューをきっかけにして三名の方に読んでもらえました。
ようやく星50になりました。
典型的な星一桁で、自主企画に出しても出しても、スルースルーの大嵐だった作品です。
著者のお気に入りの作品。星50は嬉しかったです。

7件のコメント

  • 携帯が普及し始めて既に25年も経過しているということに、まず慄いてしまいました💦
    そっかぁ……私も旧人類と言って差し支えない世代になったのだなぁ、と少しさみしく。
    そして、AIが小説を書くことの無情さを噛み締めていたのですが……

    『わたしたちは、自分の心と頭脳から絞り出した生々しいもので、人間らしい『不整合性』を含んだ小説を書く、最後の世代なのかもしれません。』

    この言葉で、俄然やる気が湧いてきてしまいましたw
    最後と言われると、どこまでも未練たらしく往生際悪く、しぶとく生き残ってやろうじゃないかという気になってきます。
    物書きとは、反骨の生き様でもあるのではないかと、最近思ったりもしているものでして。

    電子の海に流して送るのも、終わり方の一つではあると思いますけど、最後の希望として自作を紙の本の形にしておこうかな、などと考えたりもしています。最近は、一冊から紙の本にしてくれるサービスもあるみたいですね。

    家じまいでゴミに出されるだけかもしれませんんが……それでもデーターの藻屑にするよりは、いくらか小説らしい仕舞い方なのかもしれないと、そんな事を思ったりしています。

    こんな事を言うのはなんですが……💦
    朝吹さんも長生きしてくださいw
    あたしもがんばりますので。
    少しでも長く共に創作をする、「孤独な仲間が大勢いる」(←これ、最近のお気に入りの言葉ですw)という幸せを味わって死にたいですのでw✨️
  • 天川さん

    誰でも当然のように持っている感じになったのが、携帯が三十年前くらい、スマートフォンが十年前くらいでしょうか?
    そう考えると、携帯からスマートフォンは二十年くらいで移行してるんですね。

    最後の旧人類(笑) いいですね、これでいきましょう✨
    まあ同じようにそうやって、七十代~くらいの『原稿用紙に万年筆派』の作家さんもそれを貫き通してまだ頑張っていらっしゃるのでしょう。
    かたくなに変えないというよりは、これは単なる『慣れ』の問題なんですよね。
    原稿用紙の上であちこち書き込んであれこれやってるのがその人のスタイルとして長年定着していたら、なかなか変えられない。単にそれだけ。
    作家の名入りの特注の原稿用紙とか、やっぱり道具としてはいいな~って憧れます。


    小説を書くにあたり、AIを積極的に利用しますという人だって、面白い小説とは何か、人の心を打つものは何かを分かっていないと、単に受けのいい定番のパターンを量産するだけなんじゃないかな。
    たとえばAIのイラストもあちこちで見かけますが、どれも綺麗だけれど、でも何も残らないよね……な路線です。
    あれと同じ。

    それよりは、たとえ下手であっても・瑕疵があっても、何やらよく分からない独自の魅力があって引っかかる。これが人間のやることです。

    『孤独な仲間が大勢いる』
    そうですよね。そういうことです。
    仲間なんだけどみんな孤独っていう(笑)
    孤独なんだけど同じような仲間が大勢いるっていう。

    あんなにも大勢の利用者がいたのに閉鎖となった魔法のiらんどのように、いつかはガラッと何かが変わってしまうのでしょう。
    であればこそ、書きたいものは書き切っておきたいですよね。
  • 九月ソナタさん

    こんにちは。
    カクヨムコンお疲れさまでした。
    沢山書いていらしたのに、星が少ないと書かれていたことに対して、わたしが「沢山の作品がありすぎて票が分散しているのでは」と余計なことを申し上げたせいで、出したいものが出せなかったのではないかと、後悔しきりでした。

    わたしの作品は、異世界ファンタジー他、売れ筋路線の他の人から見たら「なんだこれ?」なのですよ(笑)
    実際、基礎の基礎が出来ていない、最先端ではないと、酷評を受けたこともあります。
    確かに、四桁選手の作品をみれば、「嬉しかった・腹が立った・哀しかった・楽しかった」という表現で処理されております。
    それがそのジャンルにとっての「誰が読んでも同じ感想を持つもの=読者の共感をよぶ」ということなのでしょう。
    それが主流のカクヨムでは、「それを書かないようにして伝える」そんな小説の基本中の基本の方が、完全にアウトになるのです。

    九月ソナタさんは「天性の小説家」だとわたしは思っています。
    豊かな感性、のびやかな筆致、次々と生み出される生き生きとした人物と起伏のあるストーリー展開。どれをとっても素晴らしいです。

    十代の少女のための小説サイト。ちょうどよいのではないでしょうか?
    感性の鋭い十代にこそ、量産のまがいものは通用しません。

    >ここでは受け入れられているのかな
    これ大事。
    とっても大事。
    カクヨムでは実力者ほど、下位に沈んで動きません。
    先日発表があった中華・和風恋愛コンテストでも、賞に輝いたのは星一桁の方々です。
    わたしはこれは当然のことだと考えています。
    大勢の読者がついている一部を除き、とにかく交流力さえあればどんな作品であっても読者選考を抜けられるというカクヨムコンが特殊なのです。

    でもそれであっても、九月ソナタさんの小説が中篇コンテストで一次に残らなかったというのはわたしにはまるで解せません。
    下読みさんの感覚とズレていたとしても、面白い作品・優れた作品は正しく評価されるべきです。
    「売れるか売れないか」の商業ラインの観点からの選別であったとしても、九月ソナタさんの作品は、「売れる」側にわたしには見えています。
    本当に不可解です。

    カクヨムも三年目になりました。
    多くの方が他のサイトと併用していく時期です。
    カクヨムでは底打ちなのに、他のサイトではたちまちPVが積み上がる。良い評価がつく。順位が上位になりファンがつく。
    であるならば、カクヨムにしがみつく理由もありません。

    きっと九月ソナタさんは、「大勢の人が押し上げてくれる・自分の作品を好きで応援してくれる・順位が上位である」この状態のほうがいっそうノリよく、筆も流れるように飛ばせる方なのではないでしょうか。
    だったらそちらで活躍されるのが筋です。

    コメントは消さないで下さいね~。
    九月ソナタさん何処いっちゃったの? と迷子になる方々がこちらを見れば事情が分かるように。
    わたしもちょっとうろうろしてみようと思っています。
    ではまた。

    ※カクヨムのいいところは、書きやすいのと、交流しやすいということですね(笑)
    九月ソナタさんとこうしてお話できたのも、カクヨムだったからこそです。
  • 朝吹さま

    こちらの記事を拝読した折、カクヨムもいずれは閉鎖されるのだろうと未来のことを考えました。時間の経過に伴い、書けるものや描けないものが増えていくのだろうな……とも。ここ最近、朝吹さんのエッセイ『世界に見捨てられた人々に捧ぐ』などを拝読しては密かに励みにしておりました。私に限らず活力をいただいている方も多いのではないでしょうか。あらためてお礼を申し上げます。今後も世界の片隅で細々と書き続けていけたらなと思います。近況ノートもご覧くださりありがとうございました。
  • 蘆 蕭雪さん

    あ! いいところへ。
    蘆さん、AIについての大変に鋭い論評を書いておられましたよね。ちょっと立て込んでいたのでサッと流し読みした後、後からじっくり読もうと思ったら一瞬のうちに記事を取り下げられていたのですが、AIの導入は書き手全員にパワードスーツを配るようなものと喩えておられたのが印象的でした。

    それで、AIについてちょっとこちらのノートでも触れているという次第です。

    カクヨムに限らず、ほとんどのものは消えてしまいます。これだけは残るだろうと思われていたものも消えてきました。
    もし文字の墓場のようにしてカクヨムがこのままの形で放置されて残ったとしても、いったい未来の誰が、これだけの膨大な作品を読むでしょうか。わたしの作品を読んでくれる人が一人でもいるでしょうか。
    限りなくその可能性はゼロでしょう。

    カクヨムだけでなく、他の媒体を使ったとしても同様です。

    デビューしたある作家が「生涯で書ける作品の数は限られている」と云っていましたが、すべては有限なのです。
    胸に穴の開くような話ですが、であるからこそ、書ける場のあるうちは書きたいとも思います。
    そんな感じです。


  • 朝吹様

    ご多忙の折、ご返信くださりありがとうございます。
    まさかあのエッセイを読まれていたとは……論評などとは言い難い素人のクダ巻きをご覧いただき恐縮です。私の中で、AIは外付けの能力補助装置の印象がありますが、その装置は他者の成果物を原動力とするので、ある意味では「経験値の再分配」なのかもしれません。もっとも、正確な理解がある人間ではないので、恥ずかしくて早々に消してしまって……。サイトに直書きしたため、下書きなども何も残ってなかったです(笑)

    確かにあらゆるサイトは永続しないでしょうね。SNSであれどんな媒体であれ、未来の誰の目にも触れないのであれば、「せめて今」とはやるような気持ちもあります。書けるものを書けるうちに、そういう場所があることを有難いと思いたいです。貴重な御忠告をいただき背筋が伸びました。
    自分の折り合いのつく範囲で続けていきたいと思います。
  • 蘆 蕭雪さん

    すごい速さであの記事消えましたよね……(笑)
    あれ?
    読んだと想ったけど、まぼろし?
    って自分を疑うくらいの一瞬でした。

    AIの導入によって「試行錯誤する」部分がごそっとスキップ出来ちゃうので、あとは「アレンジ力」の有無で作品の出来栄えが変わるということになりそうですね。
    つまり私たちがバカみたいにやっている「試行錯誤」から得るものを、均等に書き手に分配して、さあこれで何を組み立てますか? という世界。

    どんな道具を使っても「巧い・下手」は生まれますし、「巧い・下手」の中からも、「この人のものは他とは違う」が出てくるものとは思っていますが、さあどうなることやら。
    いってみたら、イラストの世界が、最初からみんなプロ✨みたいなところからスタートするということですから、すごい世の中ですね。

    どんなサイトもサービスもいつかは消えます。
    ブログのサービスなども既に消えたものがあります。跡地として残ったとしても、半世紀後、誰がいったいこのネットの海に漂う大量の作品に残らず眼を通すでしょうか。

    それは図書館や古本屋に行くと、もっと実感として身にしみます。
    三十年に一度も開かれないような本の数々。
    出版物ですらその調子です。
    かつてはどの家庭にもあったであろう日本文学全集なども、今ではまったく読まれない作品の方が多いくらいです。

    そんな先のことを見据えながらも、どうにかしてこの気持ちに折り合いをつけて、一つでもいい作品を、そして虚しいこの言葉の行く末を、自分だけは見届けないといけませんね。
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