「火垂るの墓」が海外で一斉配信されてからこちら、海の向こうの方々に「二度と観たくない」とトラウマを植え付けまくっておりますが、あの映画、終戦からたった43年目に創られた映画なんですね。
戦後たった43年。
東日本大震災からもう10年以上過ぎたことを考えると、この43年という時間の流れは、とても短くみえます。
余裕かましてお菓子たべながら観始めたのが、「節子にパンをあげてくれ」と絶叫したり、泣きながらどっか行っちゃったりして、海外のリアクターさんは或る意味期待どおりのオーバーリアクションを見せてくれておりますが、細部まで丁寧に作ってあるから、いまみてもあの作品、古臭くないですね。
カクヨムコンの詳細が発表されましたね~。
・初回は全滅(仕組みを全然わかっていなかった。☆10くらいの旧作をぼんやりと変な時期に登録して、高速で消えた)
・二回目(ド底辺でも戦える方法が出回っていたので、駄目もとでその通りに新作を出してみたら何点か通過した)
そんな一回目と二回目でした。
とにかく老舗さんや、相互で☆をやり取りできる人が最強です。
普段から☆50以上ある人は全作品が自動的に通過しますから、大船に乗った気で、作品の精度を上げることだけに出力していたらいいです。
わたしを含めたその他の7割の底辺層は、ひたすら椅子取りゲームの椅子が空くのを待つしかありません。
この階層は、それでなくても普段から可視化されるランキングと星の数にこれでもかというほど意欲を踏みつぶされて、人によってはうつ病になって病院送りになってます。
とくに人気ジャンルね!
(ここに出したわたしの作品の順位は第一位の上から数えて、四桁目)
良作を書いたらあるいは。
とか意味ないです。
外部で大きな賞をとっている方でも、カクヨムでは底辺層からびくともせず、まったく相手にされていません。
交流力が大きくものをいう、この仕組みに、のるか・そるかです。
でも昨年は20くらいの星でも通過出来た人がちらほらといます。
生き馬の眼を抜く人気ジャンルでも、星100くらいで通過した方もいたそうです。
だから可能性はゼロではありません。
どうせ通過しないのだからと、手を抜く人もいないでしょう。
頑張って良作を書く。
自分の書けるものを精一杯書く。
ここは上位層でも底辺層でも変わらないのです。
で、票集めの部分に、営業力とか本人のカリスマ性とか、作品の評価に【作者自身の派手さ】【人畜無害の一般市民としての好感度】が強く関わってくるのがカクヨムらしいとこなんですけど、これ、こと作家に関しては割合逆なんですけどね(笑)
小説を書く人なら、(リア充カリスマ・愛されキャラの人畜無害層)2:8(変人・内向的な地味層)くらいですよ。
でもその8割に、2割の人たちと同じことを求められてるの(笑)
将棋もそうだけど、現代では作家さんに求められる条件がものすごく、ものすっごく、高い。
作品ではない部分が、バカみたいに高い。
営業力の高い優等生でないと駄目。すべてにおいて高得点でないと駄目。オール5に近くないと駄目。
このオール5というのは、いかに「対外的に受けのいいイイ子ちゃんでいるか」です。
書くことだけが5で、他の科目がオール1に近いのが昔の作家なら、今は、先生ウケのいい「人気者のイイ子」でないと駄目。
あっちこっちに線をひいて修正して、とてもこれが提出原稿とは想えないようなぐちゃっとなっているものを、「はい」と渡していたのが昔なら、今では初稿がそのままほぼパーフェクトでないと駄目。
これの大きな理由としては、手書きではなくなったから。
昔は手書きの段階で書くのも書き直すのもしんどくて、バッサーと脱落していたのが、今では文明の利器のお蔭でその多くが何とかなっちゃう。
昔の原稿なんかひどいよ?
あちこちひらがなで書いてあって、「ひらがなの部分は漢字に直しておいてね」って担当さんに漢字を書くの任せてたりするの。
向田邦子なんだけど。
じゃあ向田邦子って作家として最低ランクですか?
辞書も引かないような作家など書く資格がありませんよねぇ? と槍玉にあげて叩きのめすべき憎悪対象ですか?
向田邦子は一流の文筆家です。
マニュアルしか見えない人にとっては向田邦子はマニュアル通りに書いてないという理由で最低ランクの唾棄すべき無才で、本質が見える人にとっては辞書なんてどうでもいいことで、向田邦子は作家として超一流なんです。
将棋だって、昔は飲み歩いて、「明日の朝、俺試合なんだー」ってそのまま会場に二日酔いで現れてたりしたのが、今ではAIを使って前日の夜までずっと将棋の研究しないと、とても太刀打ち出来なくなっている。
本人に求められるレベルがどんどんどんどん上になっている。
対外的にクリーンでいい子ちゃんな人物であることをアピールしつつカリスマ性も強く持ち、またはカリスマさんに媚びて媚びてひっついて、自分で顧客を開拓して営業が出来て、マニュアルに沿っていい子ちゃんの好感度高い小説を書く。
まるで共産主義がポスターにするようなよく出来た人物「しか」評価されない。
そんな小説世界になるのは断固反対ですが。
もともと物書きになる人なんて「それしか」出来ないような人だらけだったのが、今はそれだけ出来れば他の仕事でもバリバリ出来るよね、そんなマルチ型の人の方が歓迎される。
担当さんがやっていたようなことも全て書き手が背負う。
作家に多くを求め過ぎた結果、人畜無害であることを強制され、作家自身が誤字脱字をチェックして(※やりましょう)、へとへとになるまでそれを繰り返して、何度も何度も誰からも突っ込まれないように原稿の細部を修正して、味の失せたスルメみたいなものを、「よしよし、俺たちが決めた絶対的なマニュアルに沿って書いているな」と受け取る側の人がニヤリと評価するのなら。
それは小説の死。
物語の命の死です。
わたしは書きたい気持ち先行でノリノリで書いている作品が好きなんですけど、高校生のコンテストね。
文章が老成してる人、いるじゃない。
いきなり横道にそれるけど、ああいう文体、選考する側が「おじいちゃんみたいな文章を書く人がいる」って云ったのよ以前に。
選考する人www
まさかネット小説しか読んでないような人材が、まさかの選考にあたってる?www
と一時騒然となってましたが。
まあとにかく、おじいちゃんみたいな文章を書く人。つまり巧い人。
・早熟なのか。
・上っ面の真似事だけが巧い人なのか。
まだ高校生だから上っ面の真似事をやっている時期でもあるから、それでもいいんだけど、それでも小説を書ける人ならば、核になるギラっとしたものがあるはずです、そこに。
拙くてもギラっとしたもの。
拙くても人の心に届くもの。
その反対に、老人みたいなことを今から小器用に書けるだけの人は、書きたいものを書きながら上達していくという大切なプロセスすっ飛ばしたまま、整った文を書くだけの人になる。
でももしかしたら本当に早熟で、才能ある人なのかもしれない。
ここは長い目でみないといけないんだけど、今はそんなことも許されない。
作家を育てる余裕がない。
手っ取り早く、最初から完成体、人畜無害の優等生、営業力があってカリスマ性があって、自分で自分の人気を盛り立てることが出来て。
「わたしこんなにもイイ子ですよ!」
計算高く好感度を売り込んで、世の為人の為に自分を犠牲にしています! と模範生、全ての要素がウケのいい、人民の代表のような可愛いオール5ちゃんであることが求められている。
人格品性パーフェクトな作家や棋士は昔でもちゃんといましたけれども、破天荒な作家や棋士もいっぱいいて、だから書くものも面白かったんですよね。
全ての要素がオール5で、万人受けする人畜無害のイイ子ちゃんで先生からも愛される優等生キャラ……。
そんなものは作家じゃねえwww
とわたしなどは考えてますけれど。
そんな人間がwwwいったい何を書くというのwww
書く必要性なんか持ってないだろうwww
あ、承認要求や名誉欲を満たす?
ああそっちね。
……。