外の気温と室内の冷房の温度差で地味に体調不調だったのですがマシになったので、鋭意、新作を書いてます。
(新作)
「どうせならば俺の手を」
ゆっくり更新、連載ものです。
溺愛過剰ですコンテスト用の恋愛小説。
いつものああいうやつです。
ストーリーに恋愛が絡むのではなく、恋愛をメインにした恋愛小説を書くのが苦手。
この時点でわたしは恋愛小説を書くのに向いている人ではないです。
恋愛ものの書き手さんは恋愛のあれこれを書きたいから書いているのです。
「どうよ」とある種のときめきの暴走力をもって攻めの姿勢で書いている。
だからこそ、たとえワンパターンの王道路線であっても、読者の心をぎゅっと掴む熱いものが書けるのです。
ただ、何でも書けるほうがいいのと、上限6万字という文字数が下限10万字に比べたら取り組みやすくてちょうどいいので書くのです。
それで、書き上げたとしますよね。
バナナの糖度が20です。
その前後の数値に、甘々・ラブラブ・きゅん死が並んでるとします。
わたしの書く恋愛小説の糖度といったら、0.05あたりです。
※もう恋愛小説じゃない
ヤメロ。恋愛小説を書くの。
下手したら「あーそういう感じの女性受けするやつを書けばいいのねハイハイ」と男性の書き手さんが片手間に書いてみた女性向けの恋愛小説の方が、糖度18くらいは軽く出せそうですよ。
……あれ、この溺愛過剰ですコンテストって、男性作家も多数参加されてるのですね。
あのバナーを見る限りでは完全なる女性の書く女性向けとばかり思い込んでました。
問題はですね、この0.05の糖度でもわたしの眼には恋愛小説に見えているということです。
毎回これでも、恋愛小説企画には、渾身の恋愛小説を書いて出しているつもりなんです。
多くの人が求めている恋愛ものと、わたしの考える恋愛ものとの間に、落ちたら死ぬクレバス級の溝があるだけで。
こういう時こそ、『こうすれば読者がもっと喜んでくれる』アドバイザーの出番なのかもしれない。
ここにこそ必要。
もっとも、Aさん・Bさん・Cさん他、意見を仰いだら仰いだ人の数だけ、
『こうすれば読者がもっと喜んでくれる』
アドバイスしてくるその内容は、ばらっばらでしょうけれど。
作品へのアドバイスなんて、よほどの敏腕プロデューサーでない限りは、単にその人の好みはこれだって云ってるだけですからね。
「二次創作するならわたしはこうしますが」という個人的な意見。
または、「流行だけが正解」と見えている人。
主語は「読者が」ではなく、本当は、「こうすればわたしがもっと喜びます」なのです。
それが分かって云ってるんだったらその人の意見にはいいものがあるかも知れませんが、分かってない人なら、「こうしろ!」と押し付けてくるわりに、考えられた内容ではないでしょうね。
何気なく使いがちなので別に言葉狩りをするつもりはないんですけど、「何も考えることなく偉そうに見えることをただ口にしてるだけ」のアドバイスは、「アドバイスする俺ってバカな作者よりも頭よさそうで偉いだろ」という意識の方に針が触れているので、ゴリ押しは強いわりに、肝心のアドバイスの内容がまったくないです。
「読者の共感を呼ぶ工夫」
これなんかも、他人の作品を裁いたり、指示したがる人が使いがちです。※言葉狩りをするつもりはないので使用している人がいてもこの話には該当しないので注意です。
どんな気持ちで他人の作品に「もっとこうしなさいよ!」と口出しをするのか。
「深いところまで考えた上で云っている」
のか、
「口にすると偉そうに見えるのでとくになんの考えもなく云っている」
のか。
そこは見極めが必要です。
「読者が喜ぶものを」「読者の共感」
同じ表現を使っていても、本当に作品を向上させてくれる人の口調や態度は、「作者をバカにして偉そうにしたい」「他人の努力を邪魔したい」意識が微塵もないので、同じ目線でよりよい方向を探ってくれます。
どうせならば親身に考えてくれる人の意見をききたいですね。
それを踏まえた上で、『こうすればもっと読者が喜んでくれる』アドバイス。
今回のコンテストなら、エンタメ系の恋愛小説の達人のもとに作品を持ち込んで、あの~これ一体どうすれば~って訊いてみたいです。
「ここらで一回目の抱擁シーン入れないと遅い!」
とか云われるんでしょうね。
「ヒロインはちゃんと愛されているんだ感を出して読者の共感を呼んで!」とか。
でもそんな指示を受けて書くようなものではないですからね恋愛小説。
あらゆる小説の中でも、もっとも書き手さん自身がワクワクして、うきうきして、ノリノリで書くものですからね。
恋愛要素がただあればいいっていうものではなく、魅力的な恋愛小説をお書きになれる方の作品にはストーリー性もちゃんとあります。
ちゃんとストーリーがあって、そこに恋愛フレーバーをどばどばつけることで恋愛小説は出来上がってる。
天性の才能がいりますよね、恋愛小説。
わたしの恋愛小説にも恋愛は出てくるんですが(あまりにも最低限の要素)、違う、何かが決定的に違う。
多分わたしがあまり恋愛要素を出していない恋愛ものの方が、全開型よりも、好きだからなのでしょう。
勉強のために片っ端から恋愛漫画を読んでおりましたが、恋愛漫画①②③を比べても、全部面白いのに、いちゃいちゃ度が上がるにつれてわたしのお気に入り度は下がってました。
多分ここが、人と逆なのです。
たとえに出すこの①②③はどれも気に入って、最新巻まで続きを読んでいたものになります。
①テンプレのシンデレラ物語。あちこちおかしいけど、安心してテンプレに乗って読める。少女漫画の王道。絵がきれい。
②高校生が書いたような絵だが、ちょっとした表情やセリフに尾をひくものがあって、熱心な固定ファンが長年ついている。
③スパダリかつバカップルもの。濃厚で甘々なサービス展開が毎回ある。絵がきれい。ランキング上位。「読んでいると幸せになる」という感想多数。
この中で一番気に入ったのは②でした。
糖度的には甘い場面があってもなぜか甘くないので糖度8くらい。
甘いというよりは「素敵~」ってなる。
恋愛小説を読みたい女性が一番読みたいと願うのは、③の路線でしょう。
③スパダリもの。
いちゃラブ。食傷気味になりそうなのに、そこを主人公の男女が天然ボケであるというコメディで乗り切っているので、軽やか。「読んでいると幸せになる」という多幸感を毎回、微塵も飽きさせることなく女性読者にお届けしているって、すごいことです。
激甘。糖度25。
①は、なんだろ、懐かしい感じ?
恋愛ものの超王道路線。それがしみじみと懐かしかったです。15歳くらいの女の子がどきどきしながら読むのにぴったり。糖度13。
比べてみた結果、想像の余地がある作品のほうがわたしは好きで、だけど多くの人は想像する余地なんかないほど、裏も表も全て余さず描き込まれている作品のほうが恋愛ものは読んでいて楽しいようですね。
いいですよね、恋愛小説の書き手さん。
恋愛小説の書き手だと、最初から最後まで、創作人生ずっと日の当たる中央街道を歩めます。
こちらが沿道で草むしりしている間に、何十周もメインロードを駆け抜けてますみたいな。
それはそれで内部に入ると激しいランキング競争があったりするのでしょうが、恋愛小説を書ける体質というだけでも手持ちのカードが強いです。
そして、普段BL描いてる漫画家さんが男女の恋愛ものを描くと、男性の身体を描くのが巧いので女性との比較が映えて絵面的にすごくいいことになるらしいんですけど、そこに注目して読んでみたら、何点か、確かに~って思いました。
男性が力強く、色っぽいです。
さらにBL出身の漫画家さんは、サブキャラで出てくる男性の描画にも気合が入ってる。
メインとサブが並んだ時のコマが無駄に華やいでいて、このコマ絶対あやしいわ……ってちょっと可笑しかったです。
そう、華やいでいる。
恋愛小説の書き手さんは、ストーリーもしっかり創りながら、読者がどきどきする華やぎをばんばん随所にぶち込んで書くのですよね。
「読者がどきどきするイベントで引っ張らないとダメ!」
そんなサービス精神があると③が描ける。
そんなイベント要素皆無のまま、新作の連載は恋愛小説です。
誰がなんといおうと本人は恋愛小説を書いているつもりなのです。
連載もの、今回の目標は悲願の150PVにしておきますー。
連載回数が13~15回になりそうなので、最終回までにはぎりぎりいけそう?
先日、お菓子屋さんの店先でやっていた七夕の短冊にも書いておきましたからね。
『次回の連載作品のトータルPVが150に届きますように』と。
短冊を書いたら無料でくれるクッキー目当てだったなんて云いませんよ、ええ云いません。
毎度のごとく、ほそぼそとド底辺の日蔭で連載して完結させておきますので、糖度の低い恋愛小説けっこう好きなのーという奇特な方は、連載を追いかけても完結後でも。
----------------------------
九月ソナタさんがいいことを書いていらしたのでご紹介。
「会話の書き方」
https://kakuyomu.jp/works/16818093080528079136/episodes/16818093080976654704ネット小説ってなんか変な独自ルールが、さも「これが巧い文章です」とまかり通ってるところがあって、同じ語句を近くで何度も使わないとか(語彙力不足ということではなく)、「言った」と書かないとか、これがルールであるように扱われがちですが、
まっっったく!
そんなことないですからね!
名文、文豪の小説にも、上記の「下手な証拠」と云われてるようなことがバンバン出てきますからね。
ネット小説オンリーで生きて行くならそれでもいいのですが、一般書籍寄りを狙うなら、おかしなネットルールは早いこと忘れたほうがいいです。
小説を書くにおいて、大切なことはそこじゃないです。
もう一回くらい言っておきますが小説にとって大切なことは、webで蔓延しているおかしな巧拙基準じゃない、まったくそこじゃないです。
わたしはセルフ修行として一時期一切使わないようにして、使わなくても自在に書けるようになってから、それから今はまた「言った」を使っています。
だって市販の本には山ほど「言った」「言った」「言った」って連続で出てくるもの。
直近に同じ単語もどしどし出てるもの。
あれをいちいち類語に置き換えて、かえって文章が変になるなんて本末転倒。
こんなのは、下手に見える使い方をしていたらよくないよね、くらいのものです。
だけど変な眼を作ってしまうと、「言った言った言った」ばかり書いてるからこの作品は読む価値のない駄作、そんな間違えた判断で小説のいい悪いを決めてしまうのです。
「言った」を絶対に使わない。これは作者の趣味というか、こだわりの範疇であって、ルールじゃないです。
使わない人は文章が巧いのは確かですが(そう見える)、文豪でもじゃんじゃん使ってますからねー。
こういう「さも」なことで、文章世界が不自由になるようなら、それは間違い。