六章・『オーヴァー・ザ・1/4マイルズ』
6-1
本当に速いマシンにはオーラが宿る。
こんな謳い文句をチューニングカー雑誌のコラムで目にしたことがあった。
云わんとしていることはわかる。だがしかし、無機質な金属部品で構成された工業製品に、オーラなどという非科学的であやふやな何かが宿るなんてのは、正直云って胡散臭かった。
だけど――、
だけど、今なら理解できる。あの謳い文句は、偽りではなかったのだと。
一〇月初旬。俺はドラッグレーシングスクールでの二週間に渡る講習を終え、地元に戻ってくるなり、その足で真っ直ぐガレージへと向かい、ハイクオリティが匂い立つモンスターマシンへと変貌を遂げた愛車と対面していた。
「どうだい隆太、このマシンなら間違いなくお前の要望に応えられるはずだ。わかるだろ、黙っていても伝わってくる凄さが」
山さんの言葉には実感がこもっていた。
「ええ、よくわかりますよ」
感動としか云いようのない気持ちの高ぶりが、俺の言葉を震わせる。晴れ渡った秋空の下、まさにオーラとでも云うべき異様な迫力を滲ませるMR2に、俺の目は釘付けになっていた。
まず外見で印象的なのが、異常なまでに太いリヤのドラッグ用タイヤと、それを収めるために大きく張り出したリヤフェンダー。路面の抵抗を減らすためリヤとは対照的に純正よりも細くしてあるフロントタイヤ。車体後部に位置するエンジンルームに新鮮な空気を確実に導くため屋根に設置された流線形のエアダクト。さらには、
「へへっ、NEWカラーリングも似合ってるだろ。俺がやったんだぜ」
「これ派手過ぎやしないか。もともと純正色じゃない明るめな朱だったのに、それに朱にシルバーのデカールって、なんかウルトラマンみたいだぞ」
「ご明察、だってそのつもりだもの。ウルトラマンとかヒーローって最高にカッコイイじゃん。一応、美術部のところにもデザインの相談にいったんだぜ」
趣味全開のド派手な外装は俺にとっては少し恥ずかしいが、デザインを担当した正樹は大いに満足げだった。
次いで、俺はフードを開けてエンジンルームをのぞき込む。両隣には信と山さんが並び、詳細な説明をはじめる。
「排気量自体は前のエンジンと同じ2200CCだが、使用しているパーツの質が二ランクは上だ。ピストンは高精度なことに定評があるコスワース、コンロッドは強度に優れるキャレロ製だ。その他、細かな部分にも余すところなく強化品を使っている」
「併せて、様々な箇所にオリジナル加工も施していてね。組み上げ精度や各部のバランス取りなんかもとにかく徹底してあるんだ」
この二人が徹底したと口にするのだから、それはよほどのレベルであろうことが容易に察せられた。
「それで、一番のキモはなんですか?」
俺の質問に、二人は待ってましたとばかりに目を輝かせる。
「NOSは引き続き使うとして、タービンは国内最大級のT51R、それもブーストの立ち上がりのいいボールベアリング仕様を装着した。これを強化ブロックを組んだ超高耐久エンジンに組み合わせることで800PS以上は確実に出ている。ブースト圧は常用2・5キロ、純正のおよそ三倍だ。単純計算で5000CC以上のエンジンに匹敵する量の空気を取り込める」
「そして、前回ブローしたミッションは、これもまた強度に優れるドグミッションに変更済みさ。後はドライブシャフトの強化に、足回りのアーム類もほとんど作り直してある。だけどね、一番のキモはもっと別の部分にあるんだ」
信に促され、エンジンルームのさらに後ろ――トランクルームの内部に視線を移動させる。
そこには、四角い菓子箱みたいなチューニング用CPUが三つも並んでいた。俺たちが以前使用していたものとも、雑誌でよく目にする他のタイプのCPUとも少々違ったデザインをしている。
「国内じゃ馴染みがないが、こいつはモーテックと云ってな、レース界では有名なオーストラリア製のチューニングCPUだ。こいつを使うことによって、センサーを通して走行状況を読み取り、走りながら、速度に応じてブースト圧やNOS噴射量の制御や補正を行える」
「つまりはだね、モーテックがサポートしてくれるから、隆太はスタート時からアクセルをベタ踏みしてるだけでロス無くパワーを路面に伝えられるってことさ」
「しかし、コンピューター任せとは……」
得意げに述べる信に対し、俺は不満そうに顔をしかめる。
つい先日までいたドラッグレーシングスクールでは、短期集中カリキュラムではあるが専門的な技術を目一杯叩き込まれてきた。身に付けてきた技術への自負もある。なのに、ここに来てコンピューターに運命を委ねなければならないとは、正直あまりいい気はしない。
「へっ、そうでもしなけりゃ、今の隆太のテクニックじゃこのマシンを乗りこなせるものかよ。ましてや、岡本と渡り合うなんて、本気で一〇年早いぜ」
「僕だって隆太の気持ちはわかるけど、CPUの制御なしだと、このマシンは危険すぎるんだよ。恐ろしくパワーがあっておまけに軽い。作っていて怖くなったぐらいさ」
「そこまで変貌を遂げたってわけか。そいつは楽しみだ」
「おい隆太、絶対に舐めてかかるなよ。はっきり云ってな、コイツは掛け値無しのバケモノだぞ。ラフな操作をすれば簡単に死ねるぜ」
山さんが、ぶっそうな顔で俺を脅かす。
怖い。危険。簡単に死ねる。そうまで云われると、むしろ期待せずにはいられない。CPU任せと知らされ、萎えかけてた気持ちが再び盛り上がってくる。
「だがまぁ、百聞は一見にしかずだ。とりあえず乗ってみな」
山さんがMR2のキーを投げてよこした。俺は受け取ったキーを握りしめ、黙ってうなずいた。
「どれ、ならばバケモノとやらの性能を試してみるか」
俺は、エンジンフード閉めてくれている信に一声かけ、久しぶりとなる運転席のバケットシートへ身を滑らせた。やたら軽いドアはカーボン製へと変わっていた。
「ね、わたしも一緒していい?」
シートに収まり、キーをシリンダーに差し込んだところで、助手席側の窓からカナが顔をのぞかせる。
「試運転だし別にいいが、怖い思いをするかもしれないぜ」
「それなら大丈夫だもん。リュウちゃんを信じてるから」
「だったら乗るといいさ。下手な絶叫マシンよりずっとエキサイティングなはずだ。もしかしたら気絶しちまうかもな」
わざと怖がらせるように云って、このバケモノに乗ってみたいという物好きを助手席に招き入れる。カナがスカートの裾を抑えながらバケットシートに収まったのを見届け、俺は再びキーに手を伸ばした。
「じゃあ、いくぞ」
キーを軽く捻ると、二基がけした燃料ポンプのヒューンという作動音が車内に響く。そのままさらにキーを右へ回し、モンスターの心臓に火を入れた。
――――轟音。
巨大な生物の脈動のような、あるいは獰猛な獣の唸り声のような荒々しくがさついた重低音。
腹の底まで響く金属製の雄叫びは、ガレージ内で反響し合ってトタンの壁を振動させる。
隣をうかがうと、バケモノの唸り声に圧倒されたのか、カナは竦んだように表情を強ばらせていた。
俺は今どんな顔をしているのだろう。ふと気になり、バックミラーを傾けて自分の顔をたしかめてみる。
バケモノの手綱を握った俺は、歓喜と興奮を露わに、とても愉快そうに笑みを浮かべていた。
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