6-4

 そのときがやってきた。

 幻想的な朝靄に包まれた早朝の仙台ハイランド。待ち望んだ最後の舞台。

 オールジャパン・ドラッグオープンの全国大会は、一日目を予選、二日目を決勝に分け二日間に渡って開催される。

 北海道、東北・関東甲信越、中部、関西・四国、九州の五ブロックからはるばる選手が集まり、会場はちょっとしたお祭りさながらに賑わっていた。

 総参加台数は、のべ一五〇台。そのうち決勝トーナメントに進めるのは各クラスともに予選上位の一六台だけだ。

 会場にはレーシングカーさながらの派手なカラーリングをしたマシンも目立つ。どれも地区予選を勝ち抜いてきた精鋭だけあって、車種の新旧問わず風格のある速そうなマシンがほとんどだ。


「すっげえ! あれハコスカだぜ。それにジャパンまでいるのかよ」

「向こうにはR35のGTRもいるね。珍しいのだと、日産・クルーなんかもいる」


 定番スポーツカーから思いがけないマイナー車まで。地区予選のときを遙かに上回る車種のバリエーションに、信も正樹も興奮しっぱなしだ。


「ねえ、リュウちゃん。あの丸いライトの車は?」


 カナの指さした先に目をやると、一風変わった外見の車が一台いた。ぱっと見は正樹が興味を惹かれた日産・S30型フェアレディZに似ているが、おそらく特殊なデザインのエアロパーツを取り付けた日産・180SXだろう。俺はそれをそのままカナに説明してやった。


「見とれてないで、俺たちもマシンを積載車から降ろすぞ」


 山さんの号令を合図に、俺たちも自分たちの作業を開始する。

 正樹が両腕を振って誘導するのに従って、積載車の荷台が傾き、朱と銀のカラーリングを纏った俺たちのモンスターマシンが、ついに決戦の地へ降り立つ。


「あのMR2、見ないうちにずいぶんと見違えたね」


 聞き覚えのある声に振り向くと、そこには岡本さんの姿があった。


「お久しぶりです。外見もですけど、中身はもっと見違えましたよ」

「うん、わかるよ。あれはたしかに速いだろうな」


 納得のいったようにうなずく岡本さんは、以前会ったときとは違って年季の入ったレーシングスーツに身を包んでいた。その立ち姿はとても様になっていて、着慣れているのが一目でわかる。


「よう、また会ったな岡本」


 岡本さんの姿に気づいた山さんが手を挙げる。


「再開できて何よりです。山崎先輩は、やはり山崎先輩でしたね」

「違うな、俺は脇役さ。主役はコイツだ」


 そう云って、山さんは、ポンと俺の肩に手を置いた。この間とは違い、声には少しもよどみがなくて、顔つきも晴れ晴れとしていた。


「岡本、お前がこだわり続けた1/4マイルの彼方、こいつなら見せてやれるかもしれねえ。だから期待してな」

「彼が、ですか」


 俺を見つめる岡本さんの瞳に、闘争心の火が灯る。俺も負けじと相手を直視して、


「むしろ、こっちが期待してるんですけどね。岡本さんが俺に1/4マイルの彼方を見せてくれるのを」


 期待と親近感と闘争心とをない交ぜにして云った。


「なるほど、彼は良い眼をしていますね。これは本当に楽しみだ」


 岡本さんが目を細めて微笑む。どうやら、俺は対戦相手として認められたらしい。


******


 午前九時半を回り、いよいよ予選がはじまる。朝靄も晴れ、中秋の空には晴天が広がっていた。絶好のドラッグレース日和だ。

 レーシングスーツに着替えた俺は、フルフェイスのヘルメットを小脇に抱えて、出走の時間を待ちわびる。


「おっ、はじまったみたいだな」


 正樹が顔を傾けるのと同時に、コースのほうから爆竹のようなけたたましい炸裂音が聞こえた。スタートと同時にターボの圧力を全開にしてくれるミスファイアリンクシステムの作動音だ。続けて聞こえた伸びの良い排気音から察するに、おそらく六気筒エンジンだろう。相当なフルチューンなのが、肌を刺激する空気の振動でわかった。


「緊張しなくても大丈夫だよ。隆太は、シグナルランプの点滅とクラッチ操作にだけ気を使ってくれればいい。この800PSオーバーのマシンは必ず僕たちの期待に応えてくれるさ」


 信は、パワーグラフが表示されたノートパソコンを触りながら、落着いた口調で云ってのける。

 性能を完璧に引き出すため、コンピューター制御の塊と化した俺たちのMR2。俺はドライバーでありながら、見方によってはオペレーターでもある。


「どうしてだろうな、最初はコンピューター任せってのに抵抗があったのに、一度乗ったらそんなのどうでもよくなっちまった。むしろ気分が良いぐらいだ」

「悪いことじゃないからさ。それってきっと、MR2と一心同体になってるってことなんだろうから」

「なるほど、一体感ってやつか」


 その表現に納得しながら、俺はMR2の車体に手のひらを置いた。


「頼むぜ、相棒」


 気取りすぎだとわかっていても、この一年、俺の夢を背負い走ってくれた愛車を、そう呼ばずにはいられなかった。鉄とアルミと少々のプラスチックで構成された機械だというのを理解していても、生き物のような親しみを抱かずにはいられなかった。


「そろそろ時間だぜ。準備はいいか」


 山さんが野太い声で云ったのとほぼ同時に、スピーカーから俺のエントリーナンバーが呼び出される。


「よっしゃ、俺たちのマシンの速さを見せつけてこいよ、リュウ!」

「リュウちゃん、頑張って。けど、危なくなったらブレーキを踏んでね」


 俺は仲間たちからの声援を受け止めながら、すっかり軽くなったドアを開き、窮屈なバケットシートに腰を下ろす。

 手慣れた動作でキーを右に回し、エンジンを始動。腹に響く荒々しい轟音が辺り一帯の空気を揺るがし、周囲の注目を集めるのが肌でわかった。

 各種メーター類に目を走らせ、状態をチェック。すでに暖機は済ませていただけあって、水温も油温も油圧も、すべて安定していて何も問題はない。

 ブーストもアイドリングも相変わらず安定。排気温度も燃圧も異常は無し。


「コンディション・オールグリーンってか」


 気分はさながら、カタパルトの上で出撃に備える戦闘機パイロットだ。

 軽くアクセルをいれてエンジンを吹かしてみる。乾いた排気音とパラパラというバックファイヤーの破裂音がマフラーから発せられる。

 俺はギヤを一速に入れ、重いクラッチを丁寧に繋いで駐車場からレースパドックへと向かった。

 居並ぶチューニングカーの横を通り抜け、出走待ちの列に並ぶ。

 出走の順番を待つ間、俺は無心だった。

 信が云っていたように、このマシンは必ず俺の求めに応えてくれる。信じている。だから、今さら心に揺らぎはない。

 先に並んでいた車がコースに入って行くのを幾度か見送って、やがて俺の順番が回ってくる。

 終わりの始まり。

 オールジャパン・ドラッグオープン全国大会。予選一本目。

 VHTが撒かれてベタベタになったコース内にMR2を進め、毎度のようにタイヤを温めるためのバーンナウトを開始する。

 これまでの三度に及ぶ地区予選。それからドラッグレーシングスクールでの講習で何度も繰り返したスタート前の儀式行為。

 轟く排気音。

 背中のすぐ後ろで唸りをあげるエンジン。

 焼けたゴムの匂いとともに、周囲に立ちこめる白煙。

 空転させるほどに上昇するタイヤの表面温度に合わせて、俺のテンションも加速度的に高まっていく。


 掛け値無しの800PS。


 ここにきてようやく、その強大なパワーを余さず開放することができるのだ。

 ほどなくして、MR2はスタート位置に着き、用意が整ったことを知らせるプレステージランプが点灯する。そして瞬きを二つしたあと、いよいよレースがスタートした。

 アクセルを床まで踏み抜く。俺はゴールラインを目指し、すべての拘束から解き放たれたモンスターマシンの加速に身を任せた。

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