3-2
五月二二日、午前一時――。
集合場所に選んだ国道沿いの道の駅は、そこだけ世界から隔絶されたような深夜の静寂に包まれていた。
「こうしてみると、この町ってほんと田舎だよな。見てみろよ、一応は国道なのに、この時間になると車が全然通らないんだぜ」
言葉と一緒に吐き出された息が、ほんのわずかだけ白く変わる。
俺たちの住む北鷹町は、東北の中でも北のほうに位置していて、桜の散ったこの時期でも朝晩となれば思いのほか外気温が下がる。
「でも、わたしはこの町が好きだなぁ。静かで落ち着いてるし。……ちょっと寒いけどね」
俺と隣り合わせでベンチに座るカナは「えへへ」と白い歯を見せながら、ぶるりと体を震わせた。
「一桁台の外気温度でパーカーだけの服装じゃ寒いのも当然だろうが。ちょっと待ってろ」
俺は持って来ていた予備のウィンドブレーカーをバッグから取り出し、カナの肩にかけてやる。
「えへへ、リュウちゃん、ありがと」
「気にするな。それよりも、来たみたいだ」
道路に向かって顎をしゃくる。暗闇にヘッドライトの灯りが煌めき、ウインカーを点滅させた二台の車が連なって道の駅の駐車場に入って来るのが見えた。
俺が手を挙げると、こちらに気づいたようで、二台はちょうど俺たちの目の前をふさぐように停車した。
「よっ、お待たせだ。お二人さん」
二台の内の一台。中型の積載車のドアが開き、よく似合うツナギ姿の山さんが降りてくる。
「あのさぁ、正樹……。キミはもう少し肩の力を抜いて運転するべきなんじゃないかな」
「し、仕方ねぇだろ。まだ免許を取ってから一週間も経ってねえんだから」
そして、もう一台。ピカピカの初心者マークを貼ったミニバンからは、正樹と信が姿を現した。様子から察するに、正樹の運転に対して信が何やら文句をつけているようだ。
そんな仲の良い二人を無視して、俺は積載車の荷台に積まれたMR2を見上げる。ぼんやりとした外灯の光を反射させた真紅のボディ。面積の狭いリヤウインドウには、“Stay Gold”と書かれた文字抜きのステッカーが貼られていた。
「へへっ、いいだろそれ。俺が晴れ舞台に向けてハンドメイドで作ったんだぜ」
俺の隣に立った正樹が誇らしげな顔をする。
「晴れ舞台か。そうだな……」
感慨を抱かずにはいられなかった。これから迎える今日という日は、このMR2にとって、そして俺たちにとって記念すべき初陣の日だ。
『オールジャパン・ドラッグオープン 東北・関東甲信越予選 第一戦』
目的地の仙台まで三〇〇㎞。いざ、戦いの舞台へ。
*****
地元を発ってから三時間。
俺たちは県境を越え、秋田から山形へと差し掛かっていた。
深夜の国道はすれ違う車の数もまばらで、はじめは肩に力が入りすぎてて危なっかしかった正樹もだんだんと緊張がほぐれてきたらしく、ステアリングを握る姿だけは一応は様になっている。
まぁ、山さんの運転する積載車の後ろに付いて行くだけの簡単なドライブだ。この分なら心配はいらないだろう。
安心した俺は、後部座席のシートを倒して少し横になる。そのまま瞼を閉じて、ここ数日の出来事を思い返してみた。
俺たちは、タービンの取り付け作業を終えた翌日から、連日のように山奥のテストコースを使ってセッティングのためにテスト走行を繰り返していた。
俺がステアリングを握り、助手席にはノートPCを膝の上に乗せた信が座る。
そして、新たに取り付けられた空燃比計の数値を参考にしながら、アクセル全開や半開状態での走行を繰り返し、エンジンへの燃料噴射量を最適に合わせていく。
信が以前語っていたように、既存のデータを参考にしてセッティングを進めたおかげで、ある程度の仕上がりまではすぐ辿り着いた。だが、信はそこで納得することなく、さらなる完璧な仕上がりを求めてテストを繰り返した。本人曰く、次のステップを見越して少しでも経験値を積み上げておきたいのだとか。アイツらしい勉強熱心さだ。
そういえば、最近になって、正樹が俺たちにカメラを向けるようになった。特にポーズを要求したりはせず、気がつくとカメラを回していて、俺たちの何気ない風景を淡々と撮影している。
なんとなくだけど、意図は理解できた。過ぎゆくこの時間を記録に残しておきたいのだろう。
ましてや俺はこんな状態だ。一年という時間の保証はされているとはいえ、いつどうなるかわかったもんじゃない。
……悪いな、気苦労かけちまってよ。
俺は薄目を開けて、運転に集中している正樹の後ろ姿を静かに見つめた。
と、ふいに横から肩を叩かれた。
「ん……どうかしたのか?」
上半身を起こすと、カナは何やらはしゃぐ子供のように瞳を輝かせて、窓の外を指さした。俺は、いまいち意味を理解できないまま、カナの指さすほうへ目線を移動させた。
「ほう、これは……」
思わず感嘆の言葉がこぼれた。見えたのは、稜線の向こう側からゆっくりと立ち上ってくるオレンジ色の朝日だ。爽やかな朝の光が深い緑に覆われた山々を照らしてゆく様は芸術的と云うほかない。
「すごく綺麗だね。今日は天気の心配はしなくてよさそう」
顔を寄せてカナがにっこり微笑みかける。眩しさを伴って、車内にも朝日が入りこんでくる。
*****
出発から四時間。俺たちは山形市内に入る手前で国道を曲がり、仙台との境に差しかかる。
山間部に入り、道路脇の景色は緑が濃さを増す。何気なく車窓から覗き込んだ谷底の深さに軽く驚きを覚えた。
「山奥にあるとは聞いていたがまさかこれほどとは」
きついコーナーばかりが続く山道を、山さんの運転する積載車の先導に従ってひた走る。しばらくして、すぐ先が目的地の仙台ハイランドレースウェイであることを示す案内板が見えた。指示に従って右折。そして深い谷にかかった橋を越え、その先にある長い上り坂を登り終え、俺たちは、いよいよ戦いの舞台へと到着した。
待ち受けていたのは、非日常の光景だった――。
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