幕間・『山崎』

 隆太を仙台のドライビングスクールまで送り届けた俺は、ここ数日そうであるように本日もまたこの油臭いガレージへと足を運び、頼りになる助手たちと共に、すっかり物置となっているミーティングルーム脇の一角を漁っていた。


「凄い……。ここ、宝の山じゃないですか!?」

「おい、信、いちいちガラクタに目を奪われてないで手も動かせよな」


 物置の奥から何か出てくるたびに手を止めてしまう信に、正樹のやつが呆れ顔で愚痴をこぼす。普段は立場が逆なだけに、珍しい光景だった。


「宝の山とガラクタ、か」


 同じ車好きの二人でも、それぞれ見方が分かれるのだから面白い。足下には、埃を被った古い電子パーツやタービンがいくつも転がっていた。


「信には悪いがな、正樹が云うようにコイツらはもうガラクタ同然さ。今となっては金を出して買うやつなんかいやしない。スクラップ同様のジャンクパーツだ」


 世に登場してから三〇年以上もたつ無駄にでかいだけの古臭いタービンに、とっくに時代遅れな機械式の燃料増幅装置。コレクションとしてならまだ価値はあるかもしれないが、実用品としてはいまさらとても使えたもんじゃない。


「おっ、山さんお目当てのものはコレっすかね?」


 正樹に呼ばれて、どれどれと後ろから覗き込んでみる。どうやらビンゴだ。ようやく目的のものを掘り当てた。


「よし、それじゃあ二人とも手を貸せ。コイツを引っ張り出すぞ」


 若者二人の手を借りて、一辺が一メートル以上あるでかい木箱を引っ張り出す。底に車輪が付いているとはいえ、錆びついて回転が渋くなっているのかえらい重労働だった。


「ひっでえ重さっすね」

「中身が中身だから覚悟してましたけど、これほどとは……」

「おーイテテ……二人ともご苦労」


 思いがけない重労働に、俺たちはそろって息を切らせていた。俺は鈍い痛みを発する腰をさすりながら、二人にバールを託して木箱を開くのを見守らせてもらう。

 こういうときに加奈子ちゃんがいれば、気を利かせて湿布の一つでも持ってきてくれるのだろうが、今日は早くに帰してしまっていた。さすがに、夜更けまで続く作業に付き合わせては、保護者代わりとしての面目が立たない。


「くそう、俺も若くねえなぁ」


 ぼやきながら上半身を捻ってストレッチをしていると、バールを持った二人が木箱の上蓋を開いたことを知らせてくれた。


「では、数年ぶりの対面といこうか」


 俺はもう一度だけ大きく体を捻って、二人の後ろから木箱の中身を覗き込んだ。中心をベニヤで区切られた箱の内部に収まっていたのは、厳重に梱包用のビニールで包まれた真新しいエンジンとミッションだ。


「なんか、見た目は普通っすね。これが本当に秘密兵器なんすか?」


 正樹が訝しむのも無理はない。外見上はありふれた3S―GTEエンジンとMR2用のマニュアルミッションだ。カラフルでもなんでもなく鉄の地肌そのものといった地味な装いをしている。


「はいよ、これがコイツらの仕様書だ」


 俺は木箱の隅から数枚の書類を取り出し、二人に手渡してやる。そこに記されている仕様の凄さがわかるだろうか。


「えーと、なになに……。コスワース製ピストンにキャレロ製コンロッド……このオリジナル補強済みブロックってのはすごいんすか?」

「聞いて驚け、メイドインUSAだ。国内の市場には存在しない特別な品でな。もともと耐久性高めな3Sエンジンのブロックを型から作り直した上に鉄分子の結合を促進させたりなんなりしてさらに強化してある。それに加えて剛性を増すためにウォータージャケットにはセメントを流し込んである」

「へえ~、それはたしかに凄そうっすね」


 このエンジンの凄さを完全には理解していない様子の正樹に対し、信は驚愕の表情でミッションの仕様書に目を通していた。


「山崎さん、これワンオフのドグミッションって本当ですか!?」

「おうよ。ちなみにそっちもメイドインUSAな。強度を保たせるために、あえて四速にしてギヤの歯を厚くしてある。ギヤ比は完全に1/4マイルに合わせてあるから心配しなくていい」

「信じられません……。ワンオフのドグミッションに3S用の強化ブロックだなんて」

「驚いているところ悪いが、国内レベルのチューニングからしたら常識外れでも、ドラッグレースの本場アメリカだと、クラスによってはこのぐらいのチューニングも珍しくはない。とはいえ、ここまでのスペックを要求した俺はバカだけどな」


 俺は、フフンと得意気に鼻を鳴らし、狂っていたとしか云いようがなかったかつ

ての自分に想いを馳せる。

 あのころは考えもしなかったろう。このスペシャルエンジンとミッションを使う機会が訪れるよりも、自分の情熱が枯れる果てるほうが先だったなんて。


 ……悪いことをしちまったな。


 詫びの言葉を口の中で述べ、うっすらと埃を被ったエンジンとミッションにそっと指先を這わせた。

 約束してやるよ。今度こそ、おまえらに最高の仕事をさせてやる。はるばる海を渡ってきたのに、倉庫の隅で眠らせておくような失礼はもうしないからな。


「よろしく頼むぜ……、アイツを1/4マイルの彼方に連れていってやってくれ」


 ドライビングの腕はまだ未熟だが、ハートだけはとびきりに熱い若造がお前らの新しい主だ。

 そいつに、俺の辿り着けなかった場所、俺が辿り着く資格を無くしてしまった場所を見せてやってほしい。それが巡り巡って俺のためになるはずだから。

 隆太が車に魅了されるきっかけを作ったのが俺だからこそ、情熱に満ち満ちていたあのころの自分を取り戻したい。

 俺のMR2を追ってガレージに駆け込んできた、遠い日の少年の期待に、俺は応えてやらなければならないのだ。


*****


 正樹と信を家に帰したあとは、一人ガレージに残って書き物をするのが、ここ数日の俺の日課だ。

 ガレージを取り囲む田んぼから響いてくるカエルの鳴き声と秋の虫たちの合唱をBGM代わりに、ときおり独り言を呟きながら、頭に浮かんだ断片的なアイディアを真新しいノートに書き出していく。

 主な内容は、これからのチューニングプランについてだ。何年も前に手間をかけて組み上げたスペシャルエンジンとはいえ、仕様の再確認の意味も含めて、もう一度エンジンを開けてバラす必要があるだろう。


「俺自身のブランクを取り戻す必要もあるしねぇ」


 最低限、燃焼室形状はもう一度見直したい。カムシャフトは現状の272度のままでいいとして、バルブスプリングはどうしたものか。

 エンジンばかりに気を取られててもいけない。捕機類、タービンを大型化するに当たってのパーツチョイス、どうせならスロットルとサージタンクもデカイのに変えておくべきだな。

 軽量化も徹底したい。外せるものはすべて外し、ボディにも小加工を……。

 こうやってチューニングのことばかりに頭の容量の大半を割くのはいったい何年ぶりだろう。ふと気がつくと、知らずのうちに胸の鼓動は高鳴っていた。

 もしかしたら、はじめてエンジンを組んだときもこんな気持ちだったのかもしれない。

 もうおぼろげな古い記憶を辿りながら、思考をそのまま出力するように数字や図をノートに書き込んでいく。


「あの、すみません」


 ふと耳に届いた聞き覚えのない声に、俺は動かしていた手を止め、椅子から立ち上がった。声のしたほうを振り向くと、ネクタイを巻いた仕事帰りっぽいワイシャツ姿の中年男性がシャッターの前で背筋を伸ばしていた。

 俺は、どちら様か訊ねようとして、その顔にどことなく見覚えがあることに気づいた。


「隆太の親父さん、ですよね。どうも、自分は山崎と云います」

「私をご存じでしたか。うちの息子が随分とお世話になっているようで」


 隆太の親父さんは、俺なんかに向かって丁寧にお辞儀をした。


「よ、よしてください! こちらこそアイツのおかげで救われているんです」


 親御さんに頭を下げられるようなことは何もしていないとばかりに、俺は慌ててコメツキムシみたくペコペコお辞儀を返す。


「救われている、ですか?」

「はい、お宅の息子さんのおかげで、俺は昔の自分を少しだけ取り戻せそうなんです。」

「ああ、そういえば、あなたも正式にチームメンバーになったんだと息子から少し前に聞かされました。あの子はとても嬉しそうにしていましたよ」


 隆太の親父さんは人の良さそうな微笑みを浮かべ、ガレージの真ん中に置いてあるMR2へと目を向ける。


「これが、息子が運転するレーシングカーですか」

「ええ、もっとよくご覧になってみますか」


 俺はMR2のエンジンフードを開き、エンジンルームを覗いてみるよう促した。


「これはすごいですね。エンジンルームが後ろにあるとは」

「おかげで発進時のトラクション性能が非常に優れているんです。ほら、車が発進するときは、どうしても加重が後ろに移動しますから」


 親父さんは、アルミ製のパイピングホースがひしめき合うエンジンルームを興味深そうに覗き込む。ピカピカに磨かれた銀色のパイピングホースが、蛍光灯の白い明かりの下で艶を放っていた。


「……若さって素晴らしいですよね。飛び抜けて整備性の悪いこの車を、まったくの素人たちが情熱だけでここまで仕上げちゃうんですから」


 俺は、アイツらが自分たちだけで精魂込めて仕上げたエンジンとタービンを指さし、いくつか簡単な説明をした。


「昔の俺でも、このレベルに至るには二年以上はかかりました。たしかに、今は色んな情報や部品が簡単に手に入りますけど、だからってこの仕様を実際に作り上げるのは並大抵じゃありません。おまけにアイツらはただ作っただけではなく、実際にレースで結果も出しています。これはもう素晴らしいというしかないでしょう」

「私は車のことは詳しくありませんが、あなたがそう云うのなら、彼らは本当に凄いことをやってのけたのですね」

「ええ、アイツらの情熱は正真正銘の一級品です」


 断言できる。アイツらは本当に良くやった、と。だから、次は俺の番だ。


「そんな風に褒めてくださってありがとうございます。親バカかもしれませんが、私は良い息子をもったようです。おまけに素晴らしい仲間にまで恵まれて」


 親父さんは、MR2の各部を見渡しながらポツリとこぼした。後ろに立っている俺には表情はうかがえないが、言葉には隠しようのない寂しさや辛さが混じっていた。

 未だ人の親ではない俺にはとても想像がつかない。まだ学校すら出ていない息子の余命が長くないと知らされたうえ、見守ってやることしかできない親の気持ちなんて。


「きっと、あの子には、自分の目指すべき場所がもうちゃんと見えているんでしょうね」

「いいえ、まだはっきりと見えてはいないでしょう。だから、俺はアイツの見たがっている風景を見せてやりたいんです」


 それは、きっと俺自身のためでもある。そして、俺との勝負にこだわり続けた岡本への義理を果たすためでも。

 俺は眼差しに決意を込めて、今はまだ動けないかつての愛車をじっと見下ろした。


「山崎さん」

「はい」


 運転席を覗いていた親父さんが、顔を上げて振り向く。そして革靴の爪先を揃え、


「うちの隆太の想いを遂げさせてやってください」


 このガレージに足を踏み入れたときと同じように、再び丁寧にお辞儀をした。

 俺は深くうなずき、了承の言葉を短く口にする。消えてしまったはずの情熱の火が、また心の奥に再び灯りはじめるのを感じながら。

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