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結論から云えば、策は大当たりだった。
バラストを積んだ三本目の走行で、俺は一〇秒五七三をマーク。これがこの日のベストタイムとなった。全国大会でさえ入賞を狙えるタイムである。終速は時速216キロ、以前の不調っぷりが嘘のように好調だ。
「リュウちゃんお疲れさま。それから、おめでとう」
「お疲れさまもおめでとうも、まだ早いさ。これからが本番だ」
「もうっ、そういう連れないこと云わないで。だって、全国大会に行けるんだよ」
俺は喜びに浸るよりも、来るべきフィナーレへの想いを噛みしめていた。
今回、俺たちのMR2はクラスをCからBに上げてから、はじめての入賞を果たした。
順位は三位。六位以内の入賞は間違いなしと思っていたが、まさか表彰台に上がれるとは思ってもみなかった。
カナの云うように、これで全国大会行きの切符を手に入れたことになる。
「だけど、カナは喜びすぎだぜ。全国大会に出場すること自体は、ハナから予定に組み込んでたぐらい難しいことじゃなかったんだよ」
「そうなの? でも、全国大会なんでしょ」
もっともな疑問を口にするカナに、俺は会場を見渡してみるよう促した。
ちょうど、このあとに行われるクラス混合のエキシビショントーナメントの抽選会が行われていて、駐車場は車だけを残して人影はまばらだ。俺たちのチームメンバーも、俺とカナ以外はみんな抽選会にいっている。
「あの、わたしには、みんな凄い車に見えるんだけど?」
「そりゃあ凄いさ、雑誌に何度も載ったことがある車だっているし、俺だって最初は圧倒された。だけどな、よくよく見ると台数自体はそんなに多くないだろ」
今回の総出場台数は三クラス合計で五一台。山さんが云うには全盛期の半分以下の台数なのだそうだ。
俺たちが現在参戦しているBクラスのエントリーは一八台。全盛期から規定が変わっていないおかげで、一五位以内にさえ入れば全国大会出場はほぼ確定してしまう。
「走り屋ブームも終わって久しいし仕方ないよ。この大会だって、周回レースとかドリフトとか他のジャンルから半分お遊びで出張してきた車も多い。ドラッグレース一本に絞って、本気で勝ちに来ている車は予選レベルじゃ一握りだ」
「そっかぁ、こんなに凄いレースなのに、寂しいね」
「ただ、その一握りがとびっきりに熱いのも事実だ。全国規模の大会とはいえ、所詮はアマチュアレースだ。勝ったところで社会的には大した賞賛を受けられるわけじゃない。ましてや、今はドラッグレースに限らずモータースポーツは下火だ。だけど、それでもすべてをつぎ込む連中はいる。見返りなんかないとわかっててもなお、金、手間、時間、あるいはそれ以上の何かさえ、1/4マイルを走りきる燃料にしちまう馬鹿がな。俺もな、知りたいんだ。すべてを捧げて行き着く先がどこなのかを」
――たとえ命と引き替えにしてでも。
俺はそう続けようとして、言葉を飲み込んだ。カナの瞳に潤んでいるように見えたからだ。
俺は呼吸を落ち着けて、「かっこつけちまったな」と、はにかんで肩をすくめた。
「それがリュウちゃんの走る理由なんだね。かっこいいなあ、かなわないなぁ……」
カナはうなだれたように地面を見つめ、独り言のようにこぼす。
「わたしから云えるのはね、一つだけかな。無理だけは……しないで」
まるで、祈るような口調だった。俺は短く「ああ」とだけ言葉を返す。つい胸の内をさらけ出してしまったのは、相手がカナだからなのかもしれない。
コントロールタワーの前では、まだ抽選会が続いているようだった。固まった人混みに変化はない。
と、誰かが一足先に戻って来たのか、こちらに近づいてくる人影があった。
「やあ、こんばんわ」
光量控えめな水銀灯が照らす薄暗がりから現れたのは、ぱっと見た感じ三十代前半ぐらいの見知らぬ男性だった。その人は、俺たちと目が合うなり気さくに手を上げた。
「あ、こんばんわです」
カナが先んじて会釈をする。俺もそれに倣った。
「さっき、キミたちのMR2が走ってるとこ見たよ。実に良い走りだったね。このマシン、なんでもキミたちだけで作ったんだって?」
「はい、頼れる人から色々とアドバイスはもらってますが、基本的には俺たちだけで作ってます。だけど、よくそこまで知ってますね」
「それはほら、隣にいる彼女とキミが表彰台に上がってる記事を読んだから」
「なるほど、あれか……」
いつかの出来事を思い出しながら隣をチラリと眺めると、カナが赤面して顔を逸らした。
「少しだけ、エンジンルームの中を見させてもらっていいかな?」
「ええ、どうぞ。フードは開いてますのでご自由に」
まだ名前も聞いてもいないその人は、MR2の後ろに回り込むと、開けっ放しになってるエンジンルームを興味深そうに覗き込んだ。俺は隣に立って、その様子をうかがう。
皺のないシャツにチノパンという小綺麗な服装から察するに、どうやら今日のレースに出ている選手ではないようだ。
しかし、時折マシンの詳細な仕様についてたずねる様は、あきらかにこちら側の人間の雰囲気を醸し出していた。
「タービンはTO4Rか。ということは、当然エンジンのほうも手を入れてるよね。CPUは何を使ってるの?」
「制御はパワーFCでやってます。俺たちみたいな初心者には、これが一番扱いやすいですし、エンジンは2・2リッター化してあったのを中古で買って……、埼玉のアンフィニっていうチューニングショップで組まれたエンジンらしいんですけど知ってます?」
「知ってる。MR2でのドラッグはあんまりイメージがないけど、2Jとか3Sとか、トヨタ系エンジンにはめっぽう強いところだよ」
「みたいですね。で、そのエンジンをヘッドだけ俺たちでオーバーホールして、あとそのときにカムを264度に変えました」
「その辺も含めて、セッティングも自分たちで?」
「はい、バルタイ調整も。ただ、なかなか上手くいかなくて苦戦しっぱなしでしたけど。最初は、ひどくピーキーな仕様でしたね」
「なるほど、それを補うためにもNOSを使ったというわけだ」
「やっぱりわかりますか?」
「わかるさ、スタート時の動きを見れば。なに、気にすることはないよ。正攻法じゃなくたって、タイムこそが答えだ。これだけのマシンを作り上げたんだもの、キミたちは大したもんだよ」
「ありがとうございます。大したもん、ですか……」
優れたチューンドカーを作り上げたという自信はある。だが、まだ何かをやり遂げた達成感にはほど遠かった。
「乗っている人間の感触としては、もっとタイムを伸ばせると思うんです。最終的には全国大会での入賞を狙ってますから」
「となると、一〇秒台前半はコンスタントに出せないとね。はたして順調にいくかな」
名も知らぬその人は、どこか挑戦的に、それでいて愉快そうにニヤリと笑った。
「やってみせますよ。まだまだこれぐらいじゃ満足できませんから」
俺の胸の奥で、闘争心の炎が燻りはじめる。専門用語の応酬についてこれないカナを置いてけぼりにして、俺たちの会話はより深みへと入りこんでゆく。
「パワー的には今の仕様をもっと煮詰めていくとして、よりトラクションを稼ぐためにDOT規格のバイアスタイヤの仕様も考えてます」
「しかし、タイヤ剛性の低いバイアスはコントロール性、特に直進安定性を著しく損なう。まだビギナーのキミに扱いきれるのかい」
「そこはわかってますけど、リスクを冒してでも試してみる価値はあると思うんですよ。覚悟だけなら他の人には負けません」
「なるほど、心意気は買うが、レースに精神論を持ち出すのは禁物だよ。意地になったせいで、取り返しのつかない自体になった人間を大勢知っているからね」
会話を続けながら、周囲に人の気配が増えてきたことに気づく。どうやらトーナメントの組み合わせが決まったらしい。抽選会に行っていた面々が戻って来るのが見えた。
「あれが他の仲間たちですね」
親指で指し示す。俺とカナに混じって、見知らぬ男性が立っていることに気づいた正樹と信が好奇の視線を向ける。
「なぁリュウ、この人は?」
俺は正樹の問いに答えようとして、まだ名前を聞いていなかったことをはたと思い出した。
「あの、そういえば名前は……」
訊ねようと振り向くと、その人は、懐かしむような眼差しで山さんのことをじっと見据えていた。
「やっぱり、読みは当たったか」
「まさか……、岡本か!?」
山さんが驚きに目を見開く。岡本と呼ばれたその人は、山さんと知り合いのようだ。
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