幕間・『正樹』
「ねぇ、お兄ちゃんってば、さっきから何笑ってるの、キモチワルイんだけど……」
晩メシを食っている最中、妹から面と向かってこんなことを云われた。
なんでも、今日家に帰ってきてからの俺は、常にニヤニヤしっぱなしらしい。
だがまぁ、そいつは仕方ない。今日はどうにも楽しいことが多すぎんだもの。
まだ目に焼き付いている。耳に残っている。
やたら元気の良い排気音と共にテストコースの直線を駆け抜けていく俺たちのMR2の勇姿。ありゃあマジに最高だった。
一発目の走行のときなんか、思わず見とれちまって、ストップウォッチを止め忘れるなんてポカをやらかしちまったが、それも仕方ないよなぁ。
でも、次からはきちんと計測したからミスは帳消しだ。最終的なベストタイムは一四秒六ってとこか。
手計測だからちょっとアバウトだけど、ノーマルのMR2にしちゃなかなかのタイムだ。たしか、雑誌に載ってた最終型MR2のノーマルでのタイムが一三秒八とかだもんな。
でも、タイムなんてあくまで目安だって思ったね。
リュウの運転でMR2の助手席に乗っけてもらったけど、いやぁ、速い速い。
二〇〇馬力ちょっとで、数字としては大したことないからってバカにしちゃだめだな。
百聞は一見にしかずならぬ、百聞は一乗りにしかずってやつ。
家に帰ってきてからも興奮冷めやらぬ俺は、そのことを妹にも熱く語ってやったんだが、
「だからさあ、実際乗るとこざかしい理屈なんかふっ飛んじゃうんだってば」
「もう、わかってばぁ、ご飯食べながら喋らないでよ」
いくら語ったって、ちっともわかってもらえなかった。
これだから女はダメなんだ。男の夢やロマンってやつを少しも理解しちゃくれねえ。
あ、でも、カナちゃんは女の子だけど理解があるけどな。
まぁ、あの子の場合は車に興味があるというよりもリュウに興味があるんだろうけどね。
*****
俺は晩メシを食い終わって、自分の部屋のベッドに寝っ転がると、一冊の本を開いた。丸っこくデフォルメされた車の絵が表紙に描かれた薄い本。自動車学校の教科書。
ちょうど一週間ぐらい前から、リュウに続く形で俺も自動車学校に通っていた。
たぶん今からだと、免許が取れるのは五月の中盤を過ぎたころだろう。
免許取ったら俺も運転してえなぁ、MR2。
レース本番のドライバーはリュウでいいけど、テストドライバーぐらいなら俺がやったっていいと思うんだよね。
助手席でさえああもエキサイティングなんだから、自分で運転したら、すげえ面白いに決まっている。ったくぅ、ワクワクするったらないぜ。
それにしても、こんな楽しいことを俺に教えてくれたリュウには感謝しなくっちゃな。
あれは俺がまだ小学生だったころか……。
「なあ正樹、ドラッグレースって知ってるか?」
いきなり、したり顔のリュウにそんなことを訊かれて、街外れのトタン小屋に連れて行かれたのがすべてのはじまりだった。
あのとき、山さんが乗せてくれたMR2の衝撃は今でも忘れられねえ。小便ちびりそうになるぐらい強烈な速さだった。
はたして、俺たちの作るMR2は、あのころの山さんのMR2に追いつけるかな。
ボディは同じでも、エンジンを仕上げるのは素人さんたちだもんな。
「……いやいや、弱気になっちゃいけねえ。きっと追いつくんだ。信じねえと」
そういえば、今日はリュウのやつ、やけに嬉しそうにしてたっけ。
「……本当に死んじまうのかな……」
ポツリと呟いて、慌てて頭を振る。
正直云って、俺にはまだ信じられねえ。
だって、アイツ見た感じ普通にしてるじゃん。
それが、それがさ……、来年の今ごろには、ひょっとしたらもうこの世にいないかもしれないなんて、信じられるわけねえよ。
でも、認めたくないけどきっと本当なんだろう。リュウのやつ、すげえマジな顔してるときがあるし。
――ステイゴールド。俺たちのチーム名。リュウが云い出した輝けるナントカ。
MR2のステアリングを握ってたときの大マジなアイツは、たしかに輝いて見えた。
そりゃあそうか、すべてを賭けるって云ってたもんな。
……そうだ、いいこと思いついた。
記録に残そう。アイツにとっての、俺たちにとっての輝ける日々ってやつを。
「えっと、たしかここに…………おっ、あったあった」
俺は押し入れから、今年の正月に買ったデジカメを引っ張り出した。
これなら動画も撮れるからバッチリだ。よっしゃ、俺たちが栄光を手にするまでの道程を余すところなく映像に収めてやる。
俺たちの青春、輝かしい日々は永遠に記録として残るんだ。
そんなことを考えていたら、いやに目がしょぼしょぼして、鼻もムズムズすることに気がついた
あれ、おっかしいなあ。なんで俺、泣きそうになってるんだろ。あんなに楽しいことがあった日の夜なのに。おかしいよな、まったく……。
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