第5話①「挑発と嘲弄」

 闇に支配された辺りの空間に、乾いた拍手の音が響き渡る。

 手を叩くインバネスコートの外国人・クローズに、利理は顔だけ振り向いて注目する。


「見事な腕前だ。吉見は決して脆弱な魔術師ではない。それを打ち破るということは、君もそれなりの実力者ということなのだろう」

「貴方が、クローズ……」


 賞賛の声に、しかし利理は喜びではなく警戒を露わにした。相手の正体は、彼が名乗ったことから知ったが、その名は彼女も聞き知っている。それは、自分より戦闘が強いだろうハジメと戦い、彼を重傷に追い込んだ人物であり、そして今彼女の前で息絶えた美冬の本来の上役に当たる人物の名だ。

 利理はその場から立ち上がりながら、クローズに対して刀を構える。剣先をクローズに向けながら、彼女は警戒と緊張で目つきを鋭くしていた。


「美冬を操って、私を殺そうと画策したのは貴方ね?」

「ほう。吉見からそのように聞いたのか?」


 拍手を止めて、クローズは胡乱気に眉を持ち上げる。利理が自分の正体を知っていることが、少なからず意外であった様子だ。


「確かに私は、鎌瀬や玉鏡に君を仕留めるように命令を出した。君がキリング・パーティーの参加者であることは、吉見の報告から知っていたのでね。彼らならば君を仕留めるぐらい容易であろうと思っていたのだが……」


 そのように、完全に上から目線でクローズは利理を評した後、目付きの鋭さを増す彼女に薄らと笑みをこぼす。


「どうやら私は君を過小評価していたようだな。同じキリング・パーティーの参加者ということで、君も中々の実力を有しているようだ」

「褒めてくれてありがとう。もっとも、全然嬉しくはないけど」


 相手方からの賞賛に、利理は険しい顔をしながら言い返す。彼女の顔には、闘気はあるが殺意はない。敵対意識があるとしても、それは個人的な感情ではなく、一種の使命感から浮かべられたものであった。


「こうして会ったからには、貴方はただではすまさない。私は貴方を捕縛、ないしはここで討伐しなければならない」

「それは、私が同じキリング・パーティーの参加者だからか?」

「いいえ。貴方が、咎人であるからよ」


 薄ら笑みを浮かべながら訊ねるクローズに、利理は首を振る。そして、その体勢を低くする。疾走の構えだ。


「部下を【魔法学団】に潜ませ、私たちの動きを監視させていたことからも、相当頭のまわる危険な咎人と見受けるわ。このまま放置することはできない。よってここで仕留めさせてもらう」


 そう言うや、利理はすぐさま地面を蹴った。疾走に入り、一直線に向かうはクローズの許だ。彼に対し、利理は言葉通り彼を咎人として狩りに動く。

 そんな彼女の行動に、クローズは呆れた様子で息をつく。


「やれやれ。私は君とやる気はなかったのだが……」


 嘆息すると、クローズは右手を横へと伸ばす。その直後、彼はその手に武器である魔法杖を召喚する。そして、駆けてくる利理にニヤリと口角を持ち上げた。


「そちらがその気である以上は、私も抵抗せねばならないな」


 不承不承といった様子を装いながら言うクローズに、利理は鋭く斬りかかる。彼女が振り抜いた刀は、袈裟切りにクローズの身体に突き刺さった。

 インバネスコートごとクローズを斬った利理だが、その直後彼女は瞠目する。彼女の斬撃は、見事にクローズの身体を斜めに切り裂いた。しかし、彼からは血飛沫一つ出ずに、その手応えも薄いものであったからだ。炎と同化するクローズに、ただの斬撃など意味はないことを、利理はこの時まだ知らなかった。コートを裂かれながらも、クローズは平然としたままだ。

 それを見て、利理はすぐに後退して一旦様子を窺おうとする。だが、それをクローズは許可しない。彼は魔法杖を翻し、その先端から炎の鞭を顕現させる。その鞭は、まるで蛇のように宙を蛇行し、素早く利理の手首に巻きついた。それに利理が気づいた瞬間、クローズは魔法杖を振り上げる。すると、それによって鞭も持ち上がり、それに手首を取られた利理本人も宙に持ち上げられる。凄まじい力だ。宙に浮いた利理は、クローズが魔法杖を振り下ろしたのと同時に地面に向かって叩きつけられた。


「ぐっ……!」


 地面と衝突させられ、利理は苦鳴を漏らす。それは、叩きつけられた衝撃と、掴まれた手首が炎によって焦がされたことによるダメージから漏れたものだ。

 それに対し、クローズは何度も利理を宙に持ち上げ、まるで玩具のように何度も地面に叩きつける。その連続の衝撃に、利理は苦悶を押し殺しながら、耐え忍んで隙を窺う。

 やがて、クローズが殊更大きく杖を持ち上げたところで、宙に浮いた利理は片手に持った刀を振り払う。空中の斬撃は彼女の逆手を掴む炎の鞭に走り、それを宙で切断する。それによって利理は宙に投げ出されながら地面へと軽やかに着地した。


 自由の身を取り戻した彼女は、クローズを見てから地面を蹴った。彼女が取った進路は、前進ではなく後退だ。クローズの戦いを味わった利理は、一旦距離をおいて対策を練ろうと考えたのである。

 もっとも、その考えはクローズには筒抜けだった。彼は、利理が間合いを離すや即座にそれを防ぐように前進してくる。利理に考える暇を与えないつもりか、彼は一気に間合いを詰めた。そして、その接近に利理が目を見開く中で、彼は利理の足を素早く払う。低空で繰り出された蹴りに、利理は反応が遅れその両足を掬われる。そのまま利理が転倒する中、クローズは魔法杖の鞭を変形させ一振りの剣の形を取らせた。そしてそれを、利理に対して突き落とす。うつ伏せに転倒していた利理に、剣はその背中から彼女を貫いた。腹部を貫通した炎の刃は、そのまま彼女の腹部を貫いた上で彼女を地面に縫い付ける。


「――っう!」


 背中から腹を貫通された利理は、直後喉を苦しげに鳴らした。炎の剣は、貫いた彼女の体内の内臓を突き破り、それを炙ったからだ。刃の貫通と炎による焼却に、利理は吐血しながら苦悶の声を漏らす。

 そんな彼女から、クローズは炎の剣を抜き取る。抜かれた剣には彼女の血がこびりついていたが、炎の温度によってそれはすぐさま蒸発して消えさせた。

 一方で、炎の剣に貫かれた利理は、苦しげに咳き込みながら血を吐く。剣で体内を貫通されたことと共に、内臓を焼かれたショックで彼女は激痛を覚えさせられる。


 容易には動けない、そんなダメージを負わされて苦悶する利理であるが、そんな彼女に、クローズは足裏を叩きこむ。うつ伏せで顔を地面に向ける彼女の後頭部を踏み、クローズは利理の顔を地面に押しつけた。それによって利理は更に苦痛の声を漏らす中、クローズは鼻を鳴らす。


「ふん。吉見を斃したといっても所詮この程度か。このレベルの実力で私を捕えようなどとは、思い上がりも甚だしいな」


 頭を踏みつけながら、クローズは利理が動けないことをいいことに、踏みしめる力を強めて顔を地面にめり込ませる。横顔で地面に押しつけられた利理の可憐な相貌は、それによって泥で汚された。

 屈辱的な扱いを受ける利理は、しかし反抗できずに肩で息をする。体内を貫かれて内臓を焼かれたダメージは大きく、彼女は現状では全く反撃できない状況であった。血が喉から逆流して吐き出される中、彼女は必死に苦痛を耐え忍ぶ。

 そんな彼女に、クローズは目を細めて問いかける。


「さて。命が惜しくば命乞いでもしたらどうだ? 私は慈悲深い。今なら許してやってもいいぞ?」

「……っ! 誰が……」


 クローズの問いに、利理は苦しげに喉を掠れさせながらも、その甘言に反抗的な態度を見せる。

 彼と利理の力量の差は、今の僅かな攻防だけでもはっきりするほどの雲泥の差があった。しかし、だからと言って利理の心が折れることはなかった。必死に苦痛に耐えながら、彼女は傷の回復を待つことで反撃の機会を窺がう。

 その時間稼ぎとして、彼女は反抗の言葉を紡ごうとして、失敗する。口内に押し寄せた血塊を吐き出しながら苦しむ彼女に、それを見下ろすクローズはほくそ笑む。


 その様を暗い愉悦で見下ろしたクローズは、何か言いかけて、視線を彼女から横に向けた。ちょうど彼の耳に、こちらに向かって何者かが駆けてくる音が聞こえたからだ。落ち葉を踏み砕いて迫ってくる気配に、クローズは注視する。

 やがて暗闇の先から、人影が一つ浮かび上がる。

 その人影から放たれる黒い眼光が、クローズの目と出会い、人影の足を止める。目が合った瞬間、その影は緊張した様子で表情を厳しいものに変えた。


「貴様……」

「ほう。ここでお前が現れるか」


 苦みを含んだ相手の声に、クローズは目を細めながら答える。

 闇から浮かび上がった影の正体は、ハジメである。およそ半日ぶりの再会を果たした二人は、ハジメが警戒と緊張を浮かべるのに対し、クローズは疑問を浮かべる。


「君にはかなりの深手を負わせたと思っていたのだが。その様子では、既に大方の傷は治ってしまっているようだな。なかなかの治癒力だ」

「……彼女から離れろ」


 クローズの独白めいた言葉に、ハジメは険しい声を放ちながら剣の切っ先を持ち上げる。

 その命令に、クローズは鼻で笑った。


「離れろ、か。そう言われて、私がすぐに従うと思っているのか?」

「……いや。訊いただけだ」


 相手方の揶揄に対し、ハジメは剣を構えたまま前進を開始する。あまり交渉に期待していなかったのか、彼には躊躇いがみられない。


「結局は、力づくでいかなければお前はどかないらしいな」

「その通りだ。ところで、一つ訊ねるが……」


 ハジメの言葉に頷いてから、クローズは再び目を細めて問いかける。


「玉鏡はどうした? おそらくは、お前と交戦していたはずだが」

「殺した」


 手短に応じ、ハジメは重心を下へ移動させる。足裏に体重をかけることで、クローズが隙を見せた時に疾駆できるような体勢を整える。


「そうか。彼はなかなかに優秀な部下であったのだがな。そうか、死んだか」


 ハジメから返ってきた言葉に、クローズはやや感慨を込めて呟く。そこには、軽い思い入れはあったものの、その事実に対する悲しみや怒りなどは見られない。

 非常に淡白なその反応に、ハジメは目を細める。


「その様子だと、貴様は部下の命をさほど大事にはしていなかったようだな」

「まぁな。彼らはいてくれれば何かと便利であったが、いなくて困るというほどの存在でもなかった。別段彼らが死んだところで、私に損害はない」


 質問を肯定し、クローズはあっさりとそう断言する。仲間に対しての情が薄い、冷血な一面を覗かせる相手を見て、ハジメは眉根を寄せた。


「しかし、玉鏡を仕留めるとは意外であった。彼もなかなか有能な男だったが、それを倒すとなると、君もそれなりの実力を有しているのだということだな」

「……そうは言いつつ、俺には微塵も負ける気なんてしてないんだろう?」

「あぁ。微塵も思っていない」


 皮肉めいた言葉に、クローズは再び首肯する。


「そもそも、先に戦った時でさえ、君は私に手も足も出なかったではないか。その癖にいきがったところで、私の脅威になるとは到底思えん。せいぜい、傷一つつけるのが精一杯だろう」

「………………」

「沈黙。それはつまり君自身もそのことを認めているということだな」


 口を噤むハジメに、クローズは嗤いを浮かべる。そこには、自分の実力に対する絶対の自信を感じ取ることが出来た。

 実際、それは過信ではなく実力に裏打ちされた余裕だった。ハジメとの先の戦いで、クローズはハジメをなすがままに破ったこともその証拠だ。もしハジメが利理と再会して彼女の治療を受けていなくば、死んでしまっていたかもしれない重傷を負わされたこともそれを証明している。


 おまけに言えば、ハジメは現在状態が思わしくない。クローズが無傷なのに対して、ハジメは玉鏡との戦いで負ったダメージがまだ残った状態だ。不利であるのは目に見えている。

 しかし、だからと言ってハジメは退くわけにはいかなかった。彼には、クローズの足下で捕えられている利理を見捨てるつもりはない。


「逃げ……て」


 クローズと対峙するハジメの耳朶に苦しげな声が届く。声を放ったのは、クローズに顔を踏まれた状態にある利理だ。


「私のことはいいから、早く、逃げて……」

「――だ、そうだぞ?」


 懸命に声を放った利理に、クローズがハジメを見て訊ねる。クローズとの間合いを測って足を止めていたハジメは、利理を見て目を細める。

 そんな彼の表情を見て、クローズは厭らしくにやけながら首を傾げる。


「どうした? 早く逃げなくていいのか?」

「……生憎、今はまだ逃げる気はない」


 からかうようなクローズの問いかけに、ハジメは固い声で言い返す。


「逃げるかどうかは、もう一度戦ってから決める。そう簡単に、背を向けてたまるか」

「なるほど。この娘を一人にして逃げることはしたくないのか」


 ハジメの返答に、クローズは顎を擦りながら目を細める。ハジメの心理を見破った彼は、それからハジメに対して手招きをする。


「いいだろう、掛かってくるがいい。でなければ――」


 そう言うと、クローズは利理の顔を踏んでいた足を持ち上げる。そのまま利理を解放する気かとハジメが見る中で、クローズは残虐な行動に出た。彼は利理に負わせた傷の方へ足を下ろし、その傷を思いきり踏みぬいたのである。


「――っうう! ああああああっ!」


 貫かれた傷を抉られ、利理は思わず甲高い悲鳴を上げた。

 その非情な行為に、クローズは嗤い、ハジメは眉根を寄せる。


「このように、彼女を甚振ることを続けさせてもらう。お前が死ぬまで、な」

「……外道が」


 クローズの挑発に、ハジメは呟くように吐き捨てる。そして、疾走に入った。残像を生むほどのスピードで加速したハジメは、一気に間合いを詰め、利理を嬲るクローズの眼前まで迫った。

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