第4話①「動揺」
美冬の定めた銃口から、霊弾が発射される。
青白い閃光の弾丸は、茫然と膝をつく利理にめがけて吸い込まれていく。
弾丸は、彼女の額にそのまま吸い込まれ、その脳髄を穿つべく激突する――かに見えた。
その直前で、利理の横手から駆けつける影があった。ハジメだ。彼は横手から利理へ肉迫して彼女を抱きかかえると、飛び込むような勢いで前方に駆ける。その疾走はあたかも風の如し――青白の弾丸はハジメの髪を掠るものの空を切り、そのまま反対側の工場の壁へと吸い込まれていった。
銃弾が外れ、美冬は瞠目した後、舌を打って銃を横手へ向ける。そして素早く引き金を引く。連続して放たれた弾丸は、利理を抱えて逃げたハジメの背に襲い掛かった。背後から迫るそれを、ハジメは利理を右腕に抱えたまま左手に持った剣で対応する。次々迫る弾丸に素早く剣を捌くと、彼はそれら弾丸をすべて弾いていった。
霊気の弾丸をすべて打ち落としたハジメは、利理を左腕で抱えたまま美冬と向き合い、右手で剣を構える。そんな彼に、美冬は銃を持ちあげ、半眼を細めながら彼を睨みつけた。
「邪魔よ、貴方」
利理を抱えたまま守るハジメに、美冬は苛立たしげな声を発する。
「リリーを離しなさい。これは私とリリーの問題よ。貴方に干渉する権利はないわ」
「それは、お前が決めることではないだろう」
美冬の言葉に、ハジメは目を細めて言い返す。霊弾を弾いた剣を縦に立てながら、彼は美冬の一挙一動足を注視する。
「目の前で、恩人が殺されかけているのを見殺しにするほど、俺は恩知らずな人間じゃない」
「恩人、ねぇ。その様子だと、リリーに何かしてもらったようね」
拳銃の口を定めたまま、美冬はそれを上下に揺らす。肩を揺らすと、彼女は口元に歪な笑みを浮かべる。
「慰めてでももらったの? 見かけによらず激しそうだものね」
「………………」
「まぁいいわ。それより、貴方が来なければ順序良くリリーを殺せていたのに。計画が狂ったわ。詫びとして、貴方も死んで頂戴」
「お断りする。何もかもが、貴様らの思い通りになると思うな」
相手の要求に淡白に応じると、ハジメは周りに目を馳せる。周囲に点在する巨漢たちの真っ只中に、ハジメはいる。彼らがにじり寄ってくるのを確認しながら、また彼らがハジメの刃の圏内に入ってこないかに注意する。
それと同時に、ハジメは視線を利理へと落とす。腰から腹回りに腕を回された状態で、彼女はハジメに抱えあげられている。少しぞんざいな持たれ方だが、それでも今しがた彼女はハジメに命を救われたわけだから文句はいえまい。
いや、文句を言える状態ではなかった。彼女は今、全身を震わせている。口からは一筋の血の痕を垂らし、その目は大きく左右に揺れていた。
今しがた霊弾を腹で撃たれた怪我の影響、というわけではない。無論それも多少はあるだろうが、それ以上に彼女の全身を震わせているのは精神の動揺だ。
その証拠とも言える現象が、彼女の得物の消失であった。彼女の武器である日本刀は、銃撃を受けた際に彼女の手からこぼれ落ちていたが、それが今は消滅している。それは今、彼女の右手首に数珠となって戻っているが、そうなった原因は、彼女の精神が不安定になっているからだ。霊具召喚術で召喚された武器というのは、基本術者の精神状態を反映して現実世界へ具現化される。そのため、その制御が著しく乱れると、具現化を保てずに消失することがあるのだ。
つまり、今の彼女は著しく精神を取り乱して、武器の具現化を保てなくなってしまっていることを意味している。
それは無理もなく当然のことといえた。
何せ彼女は、助けに来たはずの相棒にいきなり背後から撃たれたのだ。それで動揺しない方がおかしいといえる。
そんな彼女を見て、ハジメは息をつく。呆れではなく、納得の感情の吐露だ。
そして、彼女を抱きかかえる腕の力を強める。
「動くなよ。少し、激しくするから」
そう溢すと、ハジメは後ろへ跳んだ。そちらは、巨体たちが群れをなす真っ只中であった。
いきなり飛び込んできたハジメに、巨漢たちは鉄パイプなどの得物を振り上げてそれを待ち受ける。そんな相手へ、ハジメは勢いよく振り返りながら剣を振るった。利理を抱えているにもかかわらず、鋭さを失わない鋭い切り返しからの斬撃は、一気に三体の巨体を切り裂く、腹部や胸を引き裂かれた巨体たちは、裂かれた肉片の狭間から血飛沫を散らして後ろへ体勢を崩す。
そんな相手が数歩後退してから背より倒れ込むのを見届け、ハジメは倒れた彼らによって開かれた間隙めがけて走り出す。そちらは、工場の入口へと向かう方角だった。
入口めがけて走り出すハジメであるが、そんな彼に追撃がないわけでない。
彼の背後からは銃声が響き、青白い銃弾が疾走してくる。そのエネルギーの肉迫に、ハジメは振り向きざま剣を振るう。ぞんざいに振るったように見えるそれは、しかし正確に自分へ飛んでくる霊気の弾丸を打ち落とす。その、神業的な剣捌きに、銃撃の射手である美冬は頬を歪め、その後方に控えていた玉鏡は瞠目する。
霊弾を叩き落としたハジメは、工場内へ身体を向けたまま後方へ跳躍、工場の入口から外に向かって飛び出す。彼は利理を抱えたまま、しかしそれを感じさせぬ身軽さで工場を飛び出していった。
「待ちなさい! 逃げるんじゃないわよ!」
工場外へ出たハジメに怒号を放った美冬は、そちらへ駆けながら銃弾を放ってくる。次々と射撃された弾丸は、ハジメたちへと吸い込まれるが、ハジメはそれを時に剣で弾き、時に斜めへ跳ぶことで躱していく。
そして彼は、やがて工場の敷地外から脱出する。閉ざされた門の防柵を飛び越え、彼は道路へ出てその道に沿って駆けていく。
一目散に走る彼の姿は、やがて工場から見て完全に闇に溶けて消えて行った。
*
工場を出て、数分が経った頃だ。
工場沿いの山道を進み、やがてその道から外れて、ハジメたちは森の中へ入っていた。道外れの森の奥、その茂みの中へと身を進めたハジメは、背後から追手が来ていないのを確認する。
その最中、彼は苦しげに肩で息をしていた。ポーカーフェイスの彼にしては珍しく疲労の色が滲み出ているのは、数分間、ヒト一人を抱えて走るという重労働を行なったゆえである。普通の人間ではできない芸当であり、クローズとの戦いの怪我の影響で万全の状態とはいえないハジメにとっても、それはかなり苦しい行為であった。
やがて、彼は追手がまだ近くへ来ていないのを確認すると、左腕で抱えた少女を見下ろす。
「下ろすぞ」
そう告げてから、ハジメは利理を近くの地面へ下ろす。へたり、と下ろされた利理は、手を地面につけて転倒を避けるが、それ以上の反応はなかった。
そんな彼女の、利理の状態をハジメは今一度確認する。彼女は先ほど、美冬から背中を撃たれ、腹部を貫通する怪我を負ったはずだった。が、もう一度服と傷口を確認する限り、血は服に滲んでいるものの流血している様子はない。おそるべきことに、もう既に傷自体は塞がっているようだ。彼女が持つ尋常ならざる治癒再生能力をもってして、傷は回復していたのである。
それを確認すると、ハジメは一息ついてから周りを見る。再度、まだ玉鏡たちが追いついていないのを彼は視界を巡らし、気配を探って確認した。
それから、ハジメは目を戻して再び利理を見る。膝をついて地面に両手をつけてなんとか体勢を保っている彼女に、彼は目を細めた。
「頭の整理は出来たか?」
ハジメが、そう訊ねる。それに対し、利理は茫然としたままだ。
ショックが抜け切れていないのか、唖然と開いた唇と見開かれた双眸は小刻みに揺れている。その動揺は、助けに行ったはずの相棒に撃たれた上に危うく殺されかけたのだから無理もなく、そんな彼女を落ち着かせることは、この場合至難の業と言えた。
精神面に置いて完全に混乱している彼女へ、ハジメは目を横に逸らし、片膝を地面につけてから、彼なりに何か言葉を探す。
「やはり、そう簡単には気持ちの整理はできないか」
そう言ってから、利理の反応はない。ハジメが利理を見ると、彼女は地面へと目を向けたまま、うわの空で固まったままだった。
そんな彼女の耳元で、ハジメはゆっくりと言う。
「いろいろ考えるところはあるだろうが、それはまず置いておいて、今の状況を冷静になって考えろ。向こうは十中八九、こちらを追ってくる。まだここに隠れているのは悟られていないが、ばれるのも時間の問題だろう。いつまで潜んでいるわけにもいかない」
相手に考える時間を与えるように、ハジメは彼なりに気を遣って言葉を選びながら話しかける。落ち着いて紡がれた言葉は、利理の耳朶を通って彼女の頭にもしっかり染みわたって行った。
その言葉が効いたのか、利理は小さく俯く。そして、微かな嗚咽を流し始めた。
「どう、して……」
美冬に撃たれてから、彼女は初めて言葉を発する。その声は、かなり動揺し、また憔悴しきっているのが分かるほどに震えている。
「どうして、美冬は私を……。相棒なのに、どうして――」
「……分かっているのは、彼女が玉鏡とグルだったということだ。いつ手を組んだか分からないが、敵であることは確かだな」
深く困惑している様子の利理へ、ハジメはここで敢えて事実を彼女へ突きつける。残酷な現実を突きつけたのは彼女を責め苦しめるためではない。まだ敵から逃げきっていない状況の中で、いち早く彼女を冷静な思考に戻さなければならないからだ。
「理由は分からない。けれども向こうは。お前を殺す気のようだ」
「どうしてよ……」
ハジメの声が聞こえているのかいないのか、利理は全身を震わせる。動揺から憔悴する彼女は、口をわなわなと揺らしながら声を発した。
「どうして? 私と美冬は相棒なのよ? なのにどうして彼女が私を殺そうとするの? おかしいわよ……こんなの……」
涙目になりながら、利理は声を震わせる。そこから伝わるショックの深さは測り知れないものがある。
元々、利理はハジメの制止を振り切って、美冬を助けるために玉鏡の誘いに乗って戦いを挑んだのだ。その戦いの前提条件として助けるべき相手の美冬が、まさか自分を裏切って牙を剥くなど、一体どうして想像が出来るというのだ。
決して、長きに渡る間ずっと組んでいたわけではない。せいぜい数年だ。しかし自分と辛苦を共にした相棒であるのが美冬だ。そんな相手に撃たれておきながら、動揺するな、立ち直れという方が、利理にとってすれば無理な話であった。
そんな彼女の心境を流石に理解したのだろう。冷徹なハジメも、今回ばかりはその冷たい舌鋒を控えている。下手な発言をしては、彼女をより深く追い詰めるだけだからだ。
そんなハジメの前で、利理は強張った笑みを浮かべながら、涙を溢す。
「私、何か悪い事でもしたのかな……。美冬を裏切る様な、そんな取り返しもつかないことを」
「悔しいか。それとも悲しいのか?」
ハジメは、出来るだけ刺激を与えないように訊ねる、今は少しでも早く、彼女の精神状態を安定させなければならない。そうすることで早く敵に備える必要があるからだ。
ハジメの問いに、利理は顔を上げる。その目からは、涙が滴った。
「両方よ……。私、美冬の事、とても大事に思っていたのよ」
「あぁ。それは、これまでのお前の行動を見れば想像がつく」
利理の言葉にハジメは頷く。彼女を落ち着かせるためには、彼女の感情の吐露を聞きうけなければならないことを彼は感じ取っていた。出来る限り根気強く、彼はその声を聞く。
「相棒として、親友だって思っていた。守りたい人の一人だった。大切な仲間だった。でも、あの子は私を撃った……」
そう言うと、利理は顔を伏せ、涙を続けざまに落とす。
「どうして、どうしてよ……。私、一体あの子に何をしてしまったというの? あんなに優しくて明るい友達を、こんな凶行に及ばせるような何を、私はしてしまったのよ……」
震えた声で利理は言う。どうやら彼女は、裏切りの原因は自分の内にあると考えているようだ。美冬を庇うようなその発言の内容は、如何に彼女が、未だに美冬に対して好意的な印象を持っているかを表わす証左ともいえた。
「なんで、こんなことに……。美冬は、どうしてしまったというのよ……」
「……分かっているのは、彼女がお前を確実に殺そうと画策しているということだな。お前を撃った時のあの目は、本物だ。完全な殺意を持って、お前を撃ったんだ」
再び、ハジメは辛い事とは思いつつも、利理に対して現実を、事実を突きつける。
「原因を探るのは確かに大事だ。だが、今一番にお前がすべきことは、彼女と対峙して答えを聞くことだ。場合によっては戦いになるかもしれないが、それを承知で立たなければならない」
励ましとも、諭しとも取れる言葉であった。ハジメのその言葉に、利理は顔を上げる。涙で頬を濡らしたかのまま彼女は首を振った。
「そんなの、無理よ。あの子と戦うだなんて、私には考えられない……」
「戦う覚悟を持つのは難しいか。しかし、それを持たない限り、彼女から答えを聞くことはできない。半端な気持ちで彼女と対峙すれば、次こそは命を落とすかもしれない」
弱気で沈む利理に、ハジメはそんな彼女を奮い立たせるような言葉をする。彼にしては、珍しい言葉だった。それは、彼自身心中で、このような発言をする自分は珍しいと思うほどだ。
「揺れる気持ちのまま、お前を戦場に立たすわけにはいかない。そんなことをすれば、死ににいくようなものだ」
「……分かっている。けど、私はまだあの子と、正面から向き合える気がしない」
ハジメの懸命の説得があってか、利理はだいぶ落ち着いてきたようだった。今度は泣きごとではなく、はっきりとした自分の意思を口にする。
「一体、どんな顔をして、どんな気持ちであの子と向き合えばいいかが分からない。私を殺そうとしたその真意を知りたい。だけど……戦う覚悟だなんて、持てないわよ……」
両手を地面から離し、それを服で拭ってから、彼女は顔を拭き始める。
「場合によっては殺し合いになるかもしれないって思うと、怖いの。自分の大好きな人を、この手でかけてしまうかもしれないってことが……」
「恐怖を持つのは分かる。いや、正確には、俺の感覚ではそのような気持ちは完全には理解できないが――」
利理の心境を悟りながら、ハジメは自分が同じ立場であった時の場合を考える。果たして自分ならば、それまで信頼してきた相手を、裏切ったと理由で斬れてしまうだろうか、と。少し考えたところで答えははっきり出る。自分ならきっと斬れてしまうだろう。自分はそういう人間だ。
しかし、利理の様な人間にはそれは難しいはずだ。彼女のように情の厚い人間には、それは難しいというより困難だ。
だが、
「その恐怖と向き合わなければ、お前はこの先生き残ることも出来ないだろう。辛い選択ではあるだろうが、逃げては駄目なんだ。真実を知りたいのならば、それ相応の覚悟がいる」
事の真相を知るというのは、時に残酷なものだ。物によっては、思わず目を逸らしたくなるような、目を覆いたくなるような事実が明らかになる場合もあるだろう。
だが、利理自身が美冬はどうして自分を裏切ったのかという真実を知るには、その恐怖を制して向き合わなければならないのだ。
「彼女が、お前の相棒がどうしてお前を裏切ったか、その答えをお前は知りたいんだろ?」
「……うん。だけど、今はまだ美冬と向き合って、それを訊ねることなんてできない」
「覚悟を済ますのには時間が必要だ。別に焦らすつもりはない。だが、いつまでも先延ばしに出来るわけでもない。特に今のような状況では」
そう言って、ハジメは後ろを見る。そして、目を細めた。その目は、今まで利理に見せていた瞳の色とは違い、険しい。
「――来たな。二人とも、少しずつこちらに近づいてきている」
ハジメが言うと、その言葉に利理は肩を震わせて顔を上げる。そこには、まだ困惑が消えていない。そんな彼女へ、ハジメは横目を向ける。
「どうする? このまま逃げ続けるか。それとも、会って真実を聞きに行くか?」
「私は……」
ハジメに問われ、利理は顔を伏せる。
顔を伏せた彼女は、そこで悔しげに下唇を噛んだ。
「ごめん。まだ覚悟が出来ない……。考えるだけで辛くって、胸が苦しくなる」
「……そうか、分かった。なら、ここで待っていろ」
膝立ちから立ち上がると、ハジメは気配が近づいてくる方向を見据える。
「俺が奴らの相手をしてくる。その間に、このまま隠れるか或いはここから逃げ出すかを考えておけ。無理に戦線へ立ち寄ることを要求したりしない」
そう言ってから、ハジメはそちらへと歩き始める。彼は森の傾斜を下って、山道に近づく方向へ進んでいった。
そんな中で、彼はふと足を止めて振り向く。利理がその視線に気づいて振り向くと、彼は言う。
「今回、お前を助けたのは俺を助けてくれた恩返しだ。別段、感謝するようなことはしなくていい。俺に恩義など考えず、お前は自分の信じる道を進めばいい」
ハジメはそれだけ言うと、相手の反応を気にせずに再び歩き出した。
その後ろ姿を見て、利理は顔を上げて何かを言いかける。しかし、それは具体的に言葉になることはなく、噤まれた。
彼女が見送る中で、ハジメは一人敵へと向かっていくのだった。
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