第3話⑤「殺し屋の恩返し」
「美冬!」
「――うぅ……。利理?」
利理が名を叫ぶと、その声に応じて囚われの身である少女・美冬は顔を上げる。彼女は、額から流血の痕とみられる赤い痕で顔を染め上げており、どこか茫洋とした瞳で利理を見上げた。その目が利理を確認すると、彼女は表情を苦痛で歪める。
「ごめん、利理……。私、利理を呼び出すための餌になって……」
「謝罪はいらない! 待っていて、今すぐに――」
「それ以上動くな。武器を捨てなさい、巽利理さん」
ついに見つけた相棒へと駆け出そうとした利理だが、その軌道上に玉鏡が身を挟み込む。そして、彼女が疾駆し出すよりも早く口を開く。
「それ以上近付いて武器を振るうなら、今から貴女の相棒を殺しますよ?」
「……なに⁈」
その一言の効果は絶大だ。駆け出そうとしていた利理は動きを止め、玉鏡と美冬の方へ視線を送りながら固まる。
彼女の反応に、玉鏡は勝ち誇ったように嗤う。
「武器を捨てなさい。これは命令です。でないと、貴女の目の前で吉見美冬さんを殺しますよ?」
「っ! 卑怯者!」
玉鏡のあくどいやり口に、利理は思わず彼を罵った。相手の言葉を無視して斬りかかるという選択肢もあったが、しかし両者の距離は十数メートル離れている。この距離では、利理が玉鏡を仕留めるより先に、玉鏡によって美冬に危害を加えられてしまうだろう絶妙の間合いであった。
悔しげに唸る利理を見て、玉鏡は悦に入ったように笑みを深める。
「本当はこのような保険は使わずに貴女を嬲り殺せたらよかったのですが、流石は咎人狩り、思った以上にしぶとい。ここはその実力を認めて、邪道な手を使わせてもらいますよ」
そう言うと、玉鏡は後ろに歩いて美冬の横まで下がり、懐からナイフを取り出す。そしてそれを、拘束されて動けない美冬の頬に当てた。
「さぁ。相棒の命が惜しいのなら、武器を捨てなさい。反抗すれば、その時点でこの娘を……」
ナイフの刃を翻し、それを美冬の喉元へ突きつけながら玉鏡は言う。
その言葉に、利理は悔しげに歯噛みする。この状況では、彼の言うことを聞く以外に道はない。何か違う行動を起こせば、その時点で美冬は殺害されるだろう。
小さく唸ってから、利理は目を細める。
「……一つ訊くわ。私が武器を捨てたら、その時点で美冬は解放してくれるのね?」
「いいえ。貴方を嬲り殺すことが出来たならば、その時点で解放します」
確認に対し、玉鏡は微妙に言葉を訂正する。その公約は、本当に守る気があるのかは不明だ。もしかしたら、利理を殺害した後に美冬も殺害する魂胆なのかもしれない。
だが、それでも利理には彼の言う事に従うしか他にない。相棒を救うためにはそれしか選択肢がないのだ。
仕方なく、利理は手にしていた刀を横に放り投げる。そして、歯噛みしながらも両手を挙げ、無抵抗をアピールした。
その判断に、玉鏡は満足そうに顎を引いた。
「結構です。では、これから処刑を開始させていただきますよ」
彼がそう言うと、その言葉に従い、巨漢たちが歩み寄ってくる。彼らは手にした武器を持ち上げると、それを利理に振るうべく、彼女の間合いに入ってきた。
そんな相手に、利理は目を細める。これから自分を襲うだろう衝撃を予想して、彼女は無駄だとは思いつつも、その衝撃に備えるために身を固くする。
そして次の瞬間、巨漢たちは一斉に利理へ襲い掛かった。周囲から一斉に鉄パイプや金属バットを持った連中が、利理を嬲り殺しにすべく殴り掛かる。
そして、彼らは吹き飛んだ。
利理に殴り掛かった巨漢たちは、突然玉鏡のいる方向へと、身体を両断されながら錐揉み飛ぶ。
その現象・光景に、玉鏡は勿論、利理も瞠目した。凶器を持った者たちが一斉に上体を吹き飛ばされ、飛び散った様に、二人は何事かと驚愕する。
そんな彼女の前に、影が一つ滑り込んだ。
「――どこまで愚かなんだ、お前は」
利理の前に忽然と現れたその影は、呆れた様子の声を漏らす。
そして、目を見開いたままの利理に、顔だけ振り向いた。
「相手がお前の要求に応じるはずがないだろう。お前を殺した後、相棒も殺すに決まっている。それぐらい計算しろ」
「貴方は……」
驚愕で、利理は声を震わせる。
現れたのは、紅の長剣を手にした青年・ハジメであった。
今しがた、利理を襲おうとした巨漢たちを斬り裂いたのは当然彼の仕業である。工場の入口から、気配なく中へと侵入していた彼は、利理が襲われそうになった瞬間こちらへ疾駆して、駆け抜けざまに男たちを撫で斬ったのだ。
彼の突然の登場に、利理はただ一心に愕然とする。
「どうして、ここに?」
「……助けられた礼がまだだったからな。恩返しに来た」
驚いたままの彼女に、ハジメは答える。
彼は今ここに辿りついたわけではない。実は先ほどから、工場の入口あたりで控えていたのである。利理が隠れ家を出た後、彼は身支度を済ませると利理の後を追い、その後をつけ、彼女が窮地にならないかを見守っていた。そして、案の定彼女がピンチになったのを見計らい、こうして姿をみせたのだ。
ついてきた理由は、言葉通り彼女へ恩を返すためだった。死にかけた自分を助け介抱してくれた礼に、彼女による相棒の奪還に尽力しようとやってきたのである。
その辺りの事を利理へ伝えると、ハジメは視線を彼女から玉鏡へと移す。そして、長剣を床に垂らしながらゆっくりと歩み寄り、間合いを詰める。
「その女から離れろ。でなければ、斬るぞ」
「……まさか、貴方が現れるとは。ですが、勘違いしないでください」
ハジメの登場に、始めは驚愕していた玉鏡であったが、やがて平静を取り戻した様子で応じる。
彼は、ナイフをこれ見よがしにハジメに見せてから、美冬の首元に添えた。
「貴方は命令する立場ではない。私の言うことを聞く立場だ。貴方も武器を捨てなさい。でなければ、この娘を殺し――」
「殺したければ殺せ。その時点で、お前も詰みだ」
歩みを止めぬまま、ハジメは冷然と言い切った。
その言葉に、利理と玉鏡は瞠目する。歩を進める彼に、玉鏡は慌てて制止をかけようとした。
「待て! それ以上近付けば――」
「殺せない癖に強がるな。その女を殺せば、その時点でお前の交渉材料はなくなる。本当は殺せないのに、殺すだとちらつかせて意味の薄い優位性を示そうとするんじゃない」
そう言うと、ハジメは要求通り歩を止める。ただ、両者の距離は既に十メートル未満まで近づいている。ハジメのスピードなら、一瞬で詰められる距離だ。
「人質はちらつかせてこそ意味があるものだ。本当は殺すことができないんだろう?」
そのようにハジメが玉鏡を凝視しながら問う。それに対し、玉鏡は唾を飲んだ。実の所、図星である。玉鏡には、今の所美冬を殺すことへの躊躇いがある。彼女には、利理を追い込むための価値がある事から、彼女にその存在をちらつかせることで、脅迫しているだけに過ぎないのだ。本気で殺す気は、今のところはない。
自分の言葉に動揺する玉鏡を、ハジメは見逃さなかった。
次の瞬間、彼は足を止めたと思わせておいて、床を蹴って一足で玉鏡の間合いに入る。そして、玉鏡に対して素早く斬撃を叩きつけた。
それを、玉鏡は咄嗟に後ろへ躱す。ギリギリの距離で斬撃を躱した彼は、ひやりとすると同時に、自分の失態に気づき、喉を鳴らした。
玉鏡を退けたハジメは、振り下ろしたその長剣をその場で翻し、美冬を捕える巨漢へと走らせた。斬撃は美冬の頭上を走って巨漢の胸から首の中間を切り裂き、衝撃でその男を後ろへ飛ばす。それと同時に、美冬は巨漢から解放され、その場で膝をつく。
そんな彼女を見て、ハジメは美冬と玉鏡の間に身を乗り出し、彼女の奪還をしようとする玉鏡の動きを制する。背で美冬を守ったハジメに、玉鏡は地団太を踏む。
それを見ながら、ハジメは背後に声をかける。
「ほら。早く相方の許へ戻れ。今がチャンスだ」
「っ! ありがとう!」
感謝の声をつくと、美冬は立ち上がり、利理に向かって駆け始める。少しふらつきながらも走る彼女に、玉鏡は舌を打つ。
「逃がすものか!」
そう言うと、彼は腕を振るう。それに呼応し、ハジメによって飛び散っていた巨漢の泥人形たちは、美冬を捕えようと続々と襲い掛かる。
だが、それをまたもハジメが遮った。彼は彼女の周囲から押し寄せる泥人形に対して素早く駆け寄ると、そこで相手を足止めするように剣を振るう。結果、巨漢たちは美冬へ到達するよりも早く、彼の斬撃によって沈んでいく。
一方で、武器を手放していた利理も、それを拾い上げて、背後から迫る巨漢たちと斬り結ぶ。凶器を手に迫った相手は、利理によって続々と斬って捨てられ、後ろへと押し返されていった。
その間に、美冬は利理のすぐ後ろまで到達していた。
「美冬、大丈夫⁈」
美冬に背を向けたまま、利理は彼女に訊ねる。その声に、美冬は額を押えながら頷いた。
「う、うん。なんとか……」
「脱出するわよ。急いで武器を出して!」
「分かったわ!」
利理の指示に、美冬は頷いて応じる。彼女は利理に言われた通り、霊具召喚術でその手に拳銃を召喚させた。
二人が共闘体制を取ったのを見て、ハジメは視線を彼女たちから外し、玉鏡を見る。彼女たちが泥人形の巨漢たちを突破する間は、自分がその術者である玉鏡を止めるつもりであった。
二人の少女を逃しかけて玉鏡は焦燥――しているのかと思いきや、彼は意外と落ち着いている様子だ。険しい顔であるが、彼はハジメと真正面から対峙し、その先にいる利理と美冬を眺めていた。
その様子を見て、ハジメはふと違和感を覚える。
何か今の一連の状況変化で、おかしなことがあったような気がした。それに、ハジメはすぐに思い至る。
ハジメに寄って解放された美冬だが、彼女は何故か両手を素手で拘束された状態であった。普通ならば拘束具か何か、最低でも縄で縛られていそうなところだが、そのような様子はなかった。
また、彼女は今普通に武器を召喚した。今まで捕まっていた筈で、普通であれば武器は当然没収されていそうなところなのに、何故装備ができたのだろうか。
そして、何故頭部を負傷しているにかかわらず、機敏に利理の許まで行けたのか――そこまで考えたところで、ハジメはある可能性に気づいて、振り返る。彼が目を向けた先では、利理が美冬に背を預け、そんな彼女の背に美冬が近づこうとしていた。
「利理! 避けろ!」
ハジメの叫びが、利理へと届いた直後だった。
利理はその声に振り返り、その瞬間銃声が屋内に響き渡る。
音の出元は、利理の背後からであった。
その銃声によって、一人の人物が膝からその場に崩れ落ちる。
利理だ。
膝を折って跪いた彼女は、茫然と自分の腹に手を当てる。そこからは、どくどくと、大量の血が溢れ出していた。
利理はそのことに茫然としつつ喀血し、そしてゆっくり背後を見やる。
そこでは、今しがた利理を背後から撃ち貫いた美冬が、銃口を利理の額に照準するところだった。その光景に、利理は瞠目する。
「み、美冬?」
「バイバイ、リリー」
そう言って笑いながら、美冬は利理の頭に照準した霊銃の引き金を引くのだった。
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