第3話①「逃走路」
暗闇の空間の中に粉塵が上がる。
倒れたハジメごと、床を炎の剣で粉砕したクローズは、その手応えに違和感を覚えていた。ハジメを葬ったにしては、手応えがなかったのである。手に響いたのは硬質な床を爆砕した感触だけ、そこに人体を押し潰した時独特の触感はなかった。
それを不審に思っていながら、クローズはふと横へ目を向ける。すると炎の剣が突き刺さった位置から数メートル横の位置を、爆砕の衝撃より吹いた風を受けながら、転がるハジメの姿があった。全身に火傷を負った状態、動くのも苦しい状態にもかかわらず、彼は攻撃を避けてそこまで移動してみせたのだ。
回避の動きが原因か、ハジメは苦しげに呻きつつも、クローズを睨み上げる。身体はボロボロであり、動くのだけで精一杯なはずだ。だが、その目はまだ死んでおらず、瞳には冷ややかながら抵抗の意思が包含されていた。
「往生際が悪いな。さっさと楽になればいいものを……」
最後の抵抗にそう言うと、クローズはハジメに近づいていく。彼は再び炎の剣のリーチを伸ばすと、それをハジメに叩きつけるべく持ち上げる。
だが、それを叩きつけようとした瞬間、ハジメの姿が霞んだ。
振り下ろした炎の剣は空を切り、何もない床を叩いて破砕音だけを響かせる。飛び散る火の粉に目を細めながら、クローズは顔を上げた。
目線を上げた彼は周囲を見るが、辺りにはハジメの姿はない。どこへ行ったのか、彼は微かに燃え果てた服の破片のみ残して消失していた。
「……ちっ。空間転移魔術で逃げたか」
クローズはすぐに、ハジメが消えた現象の正体を悟り、舌を打つ。ハジメはこの空間から、外の空間へ転移して逃れたのだろう。去りゆく痕跡を残さずにここからいきなりいなくなるのは、そうとしか考えられなかった。
おそらく、咄嗟に行なった空間転移ではない。事前に、クローズとの戦いで自分が窮地になった時のことを想定して、逃げる地点を最初に設定しておき、いざそうなったらそこへ逃れる算段であったのだと思われる。そうでなければ、クローズによって結界されたこの空間から去ることなど不可能であるからだ。
そこまで見抜いたところで、クローズは考える。ハジメは現在、かなりのダメージを負っている。遠くまで逃げたところで、そう大きくは動けないはずだ。加えて、遠くまで空間を飛んだとはいえ、せいぜいこの街の中に留まっているはずである。ここはすぐに追い立てて、仕留めに行くのが上策だと考えられた。
そのように決断をしようとしたクローズであったが、その時この空間に、急に眩い光が差し込んでくる。目が眩むようなものではないが、その光にクローズは目を細めて振り向く。
光の源は扉、ハジメも入ってくるのに使った入口からだった。
目を向けるクローズの眼に入ってきたのは、その扉を開けた金髪の青年の視線であった。彼は空間を見渡し、その空間の各所に傷があるのを見ると、目を細めながらクローズに目を向けた。
「これはまた、派手に戦っていたようですね、マスター」
「玉鏡か。そうだな、この場所を探り当てた愚かな子ネズミの相手をしていたところだ」
言葉から、青年・玉鏡は自分が戦っているのに気がついて空間に入るのを控えていた可能性もあるということに勘付きつつ、クローズは手にしていた魔法杖を、剣を象った炎ごと消失させる。消失した杖は、ロザリオとなって彼の手首に巻きつく。
得物をしまうと、クローズは自らの着ていた服、破れたインバネスコートを見て顔をしかめる。ハジメに寄って切り裂かれたそれに、彼は苦みやら苛立ちやらを浮かべた。
「生憎、取り逃がしてしまったがな。あと少しといったところなのだが、逃げ足だけは早い」
弟子の前ということで、強がるようにクローズが言うと、それを聞いた玉鏡は淡い苦笑を浮かべた。だが、それに師が気づいて不機嫌になる前に、それを消す。
クローズはその直後に目を向けて、目を細める。
「それで玉鏡。私が戦いを終えるのを待ってここに入ってきたのは何ゆえだ?」
「はい。マスターの戦いの邪魔にならないようにするためと、それから報告すべき案件ができたためです」
「なんだ? お前には、巽利理を仕留めるように指示しておいたはずだが」
明朝から、クローズと玉鏡のこの師弟は別行動を取っていた。
クローズはこの空間に留まりアジトを守っていた一方、玉鏡は同じキリング・パーティーの参加者である少女・巽利理の襲撃の機会を窺がっていたのである。つい先ほど、彼女を襲った巨漢の集団は彼のしもべで、彼女を寸前まで追い込んでいた。
訊ねられ、その問いに対して玉鏡は苦い顔色を作り上げる。
「それなのですが……あと一歩と言うところで逃げられました。かなり手傷は負わせたのですが」
「……逃がした、だと?」
玉鏡の報告に、クローズは目を細める。そこには、軽い苛立ちが込められている。怒る、とまではいかないものの、そこには不機嫌な感情が乗っていた。
「えぇ。きちんと内偵とは示し合わせて襲ったのですが。まさかあの高さから、飛行魔術も使えないにもかかわらず飛び降りて逃げるとは考えておらず……」
頭を下げてから、玉鏡はクローズに告げる。その言葉には反省や悔しさがみえるが、しかし焦りや恐れは一切浮かんでいなかった。
その様子を見て、クローズは目を据える。
「それで、彼女の行方は?」
「目下捜索中です。ですが、ご心配なく。彼女を見つけ出す、というより誘い出す手段ならすでに用意してあります」
「誘い出すだと?」
不審そうにクローズが問うと、玉鏡は頷く。
「はい。今回の失敗を挽回する策の準備は既にできております。なので、ご安心を。次こそは、確実に仕留めます」
「……まぁよい。私も標的を一人逃がしたばかりだからな。あまりお前ばかり責められん」
玉鏡の言葉に、クローズは叱責の文言を並べるようなことはせずに許すことを告げる。それは、言葉通り彼だけ責められる身分でないことを分かっているからであろう。ハジメを逃した手前、自分だけ彼を責められない。
「だが、次失敗したならばその時は許さん。今度の攻撃では確実に巽利理を仕留めよ。さもなくば――」
言いながら、クローズは玉鏡に近づいていく。歩み寄ってくる彼に、玉鏡は頭を下げてそれを迎えた。クローズは言う。
「その女ごと、私がお前を殺す。同じキリング・パーティーの参加者として、師弟の契りを破ってでもな」
「……はい。分かっております。そのために、万全の用意をしております」
師の非情な宣告に、内心冷や汗を浮かべながら玉鏡は言う。彼はクローズが、冗談の類でこのようなことを言う人間ではないことを熟知している。この男は、こう言ったからには本当に弟子であろうと手を掛ける。丁寧な物腰もあるが、しかしそれだけの暴虐を平然と行う非情さも兼ね備えている人間なのだ。
そのことをよく理解しているために、玉鏡も今度は標的を逃さないようにするための策を用意してあった。
「では、念のためにその作戦とやらを聞かせて貰おう。どうする気だ?」
「はい。策には、彼女を利用させてもらいます」
頷いて、玉鏡は策の内容をクローズに対して語り始める。失敗は許されない今度の作戦を、しかし彼は、はっきりとした自信をもって語りだすのだった。
*
「本当、どうしよう……」
街の中を歩きながら、利理は嘆息の息を漏らす。人混みを掻き分けながら進む彼女の顔色は憂鬱で、普段の明るさが完全に欠け落ちていた。
現在の彼女は、ホテルでの襲撃から逃げおおせ、街の中心部から外れた場所を進んでいる最中である。どこか当てがあってそこへ向かっているわけではなく、適当にどこへも当てなく歩いているのだ。
そのことに、彼女の口からは再び溜息が漏れる。ホテルから逃げたといったところまではよかった。突然の襲撃によって受けたダメージは既に大方回復しており、身体や足に痛みなどもなくなっている。今度また襲われても、次はきっと後れをとるようなことはないだろう。
ただ、ホテルを逃げた時、その後のことを全く考えていなかったことが問題であった。逃げる事に必死で、特に具体的には逃げる先があるわけではなかったために、ホテルを出た後、彼女はこれからどうするべきか迷い、こうして路頭に迷っている。
今の状況を彼女の所属先である【魔法学団】に連絡を取ることも出来ない。というのも、彼女は荷物一式をホテルに置いて来てしまったからだ。携帯も財布も、その他諸々の荷物もである。そのため、街の近くの支部などに連絡して緊急で応援を頼むことさえ、今の彼女には出来ない状態であった。
こうやって逃げる立場になって、彼女は今更ながら携帯電話の便利さを痛感する。あれは持ってさえいれば、通信料がかかるもののどこにだって連絡することができ、また機種によってはカード代わりに支払いを行なうことも出来る。街に迷えばアプリで地図代わりにすることだって出来る。
そんな万能な文明の利器を置いて来てしまったことに、あの状況では仕方がなかったとはいえ後悔する。どうしてノックに出る前に、ポケットに入れずにベッドの上に置いてしまったのかと、もはや遅すぎる後悔に駆られていた。
その念から頭を掻き毟る彼女だったが、しばらくして後悔しても仕方がないと思い至り、嘆息一つついて切り替える。大事なのは、現状これからどうするかだ。
いっそ、ホテルへ戻るというのも選択肢の一つだろう。敵と遭遇する可能性も否めないものの、狭い室内での戦闘はともかく、広い室外の戦闘であるならば引けを取る気は一切なかった。あの程度の敵の実力なら、そもそも刀を持って戦えば、全力を出せていれば負けていなかったという自信が彼女にはあった。
だが、ホテルへ戻れば別の騒ぎに巻き込まれる可能性もある。何せホテルの扉が壊れ、窓を割ったのだ。下手すれば今頃現場は警察沙汰になっており、そこへ戻った利理は一度捕まる羽目になるかもしれない。またそうでなくても、今度また暴漢との戦いが近くで起これば、周りの人間を巻き込んだ騒ぎになる可能性だって否めなかった。
それらは共に面倒であり、利理は可能な限り回避したい。
そしても一つ、重大な問題があった。
「……ここ、どこよ」
歩きながら、利理は周りを見回してぼそりと呟く。街の外観はどこかで見たことのあるようで、全く見覚えのない場所となっていた。
そう、逃げるのに必死であった彼女は、自分が辿って来た場所を覚え忘れており、道に迷っていたのである。現在彼女は、自分が街のどこにいるかも分からない状態にあり、少しでも見覚えのある場所がないか捜索している最中でもあったのだ。
ここで携帯さえあれば現在地は分かったのであろうが、先述の通り彼女は今携帯を手元に持っていない。そのことを思い出し、彼女はまたも嘆息するのだった。
どうしようもない中で、彼女は仕方なく街をふらつくしかない。
そんな中で、冷えた北風が街を吹きつけてくる。セーターを着ている利理であるが、しかしそれでも耐え忍び難い寒さであった。昨日は季節外れの暑さであったが、うってかわって今日はめっきりと寒い。それを耐えるためのコートも忘れて来てしまったことも思い出し、利理は激しい自己嫌悪に駆られる。
「駄目ね私。どんどん自分を追い込んでいる……」
思わず自嘲的な笑みを浮かべ、彼女は項垂れた。本当にこれからどうすればいいのか、全く分からない。方々の躰になるというのは、まさにこのようなことを言うのだろう。どう動けば事態を打開できるのか、彼女は困り果てていた。
気を落として沈む彼女であったが、そんな時ふと、彼女の直感は奇妙な気配を感じ取る。それは、歩いていた通りの合間に伸びる裏路地から漂ってきた。薄らと、あまり常人には覚えのない感覚だ。それに対して、利理は不審がる。それは慣れ親しんだ、魔術界に住む人間が放つ特有の空気であったからである。
やがて、何もすることがなかった利理は、警戒しつつも興味本位でそちらへ足を踏み出していった。裏路地を進み、気配の正体を探りに出る。自分にとって敵かもしれないと思わないのかと考えるところだろうが、不思議と利理には、そうではないという確信めいたものがあった。
やがて、彼は進んだ裏路地の先で人影を発見する。
その人物は、壁に背を預けた状態で何とか立っている様子であった。その姿は、あまりにひどい。彼は着ている物が襤褸同然に破れはて、その開いた穴の下からはひどい火傷の痕が垣間見える。それは全身に及んでおり、見るからに不審で痛々しく、思わず言葉を飲んでしまうような悲惨な状態であった。
こちらには気づかず、彼は肩で息をし、目の光をぶらせて今にも倒れそうな顔つきである。
そんな相手の姿に、利理は驚く。
「⁈ 貴方は……」
声を漏らした利理に気が付いたのだろう。その人物は素早く振り向くと、冷たく鋭利な視線で利理を刺し貫いた。敵意の視線だ。その眼光の鋭さに、利理は軽く気圧される。だがすぐに、圧されている場合ではないと思い至り、彼は駆け寄っていた。
「どうしたのよ⁈ 酷い有様だけど――」
「何で……貴様が、ここにいる?」
近付いて来て目前で足を止めた相手を、傷だらけの人物・ハジメは鋭い眼で睨みつける。腕の傷を押えながら、警戒を露わにして訊ねる彼に、利理は困惑する。
「えっと……ここにいるのは単なる偶然だけど。ってそんなことより、その傷どうしたの?」
全身に火傷を負い、服をボロボロにした初めに、利理は近づく。
「近寄るな!」
すぐ近くまで歩み寄った利理を拒絶するように、ハジメはその雰囲気からは想像もできない怒号を放った。その声に、思わず利射は肩を震わせて足を止める。
そんな相手に、ハジメは背を壁につけたまま後ずさった。その目には、利理に対する強い警戒の色が含まれている。
「消えろ。俺と貴様は、仲間じゃない。それ以上俺に――」
近付くな、と言いかけて、ハジメはその時膝をついた。意識の限界がきたように、彼の瞳は大きく揺れる。
その尋常ではない様子を見て、利理は彼からの制止の声を振り切り、慌てて駆け寄った。
「ちょっと! やっぱり重傷じゃない! 何があったっていうの?」
「……それを語る義務や義理は、ない……」
手を差し伸べようとした利理の手を、ハジメは力なく振り払う。
そして、何とか膝を立てて立ち上がると、利理に対して背を向けて歩き出そうとする。
が、それも数歩進んだ所で力尽き、再び膝をつく。
「……ぐっ」
「無理しちゃ駄目よ。そんな傷じゃまともに動くことだって――」
「うるさい。お前に気遣われる謂われは……」
急いで体を支えようとする利理に、依然としてハジメは拒もうとするが、その時ついに限界が来た。
彼はその意識を眩ませると、顔からうつ伏せに倒れ込む。ばたっと危険な倒れ方をした彼に、利理は慌てて身を寄せる。
「ちょっと! ねぇちょっと!」
ハジメの朦朧とする意識の中で、利理の慌てふためいた声だけがハジメの脳裏に響く。
そして次の瞬間、ハジメの記憶が途絶える。彼は暗い闇の中にその意識を沈め、ゆっくりと視界と聴覚の感触を失くすのであった。
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