第3話③「衝突と決別」

「ふぅー。御馳走様でした」

 熱湯で溶かしたスープまで、利理はカップ麺を最後まで食べ干す。たった一杯であったが、腹は満たした様子で、彼女は満足そうに笑みを浮かべた。

 彼女が食べている間無言だったハジメは、彼女が食べている間外していた視線を戻して振り向く。その視線を受けながら、彼女は言う。


「カップ麺なんて久しぶりに食べた。久々に食べると美味しいものね」

「それで、これからどうする気だ?」


 ご満悦な様子の利理に対して、ハジメは訊ねる。そこには、僅かながら警戒の色があった。


「俺をこのまま放っておく気はないんだろう? 【魔法学団】まで連行する気か?」

「そうね。それもいいけど、でもその前にお願いを聞いてくれない?」

「手負いの俺に何をさせる気だ?」

「そう警戒しないでよ。簡単なことよ、携帯電話を貸してほしいの」


 そう言うと、利理はハジメの横に置いてあった携帯電話を指差す。それは、ハジメが気を失っている隙に、彼女が彼のレザーコートから取り出しておいたものだ。


「寝ている間に勝手に使ってもよかったんだけど、なんか良心の呵責があってね。せめて許可を得てから使おうと思って」

「どうして自分のを使わないんだ?」

「えっと……ちょっと理由があってホテルへ置いて来て……。取りに戻ろうにもそうはいかない事情があってね……」


 もごもごと語尾を濁しながら言う利理に、ハジメは当然不審がる。だが、彼女が自分に詳しく追及してこないのと同じように、彼も深く詮索することをしなかった。

 彼は携帯電話を掴むと、それを利理の足元へと滑らす。足元に来たそれを、利理は屈みながら右手で掴み取った。


「使え。それぐらいなら、言うことを聞くだけの恩義がある」

「ありがと。おかげでようやく相方と連絡つけられるわ」


 利理は感謝の言葉を返すと、画面を操作して電話画面を開く。それに番号を入力すると、彼女は果たして電話が繋がるかどうかと唾を飲んだ。

 やがて、彼女の危惧を他所に、携帯電話は相手の携帯を呼び出すコール音を鳴らし始めた。まだ携帯が繋がることに、利理は安堵しながら電話を耳元へ寄せる。長い沈黙の後、やがて相手は携帯に出た。

 通話が繋がるなり、利理は口を開く。


「あ、美冬? 私よ、利理よ」

『………………』

「どうしたの、聞いている? もしかして、声が聞こえていないの?」

『聞こえていますよ、巽利理さん』


 利理の呼びかけに応じたのは、美冬の声ではなかった。それは見知らぬ青年の声で、利理はその瞬間不審を表情に浮かべる。


「え、誰?」

『初めまして。私は、玉鏡道大たまかがみみちひろと申す者です。【魔法学団】所属の魔術師、巽利理さんですね?』

「……誰よ、貴方。美冬の電話にどうして出たの?」


 相手へ問い質しながら、利理は不安を覚える。訊いてはみたものの、何か嫌な予感が全身を駆け巡る感じがした。

 相手の男性・玉鏡はそれに応じる。


『そうですね。分かりやすく状況を説明すると、美冬さんは電話に出られません。何故なら今、彼女の身は我々の掌中にあるからです。ついで私たちは何者かと思われるので教えて差し上げると、貴方と同じキリング・パーティーの参加者です。さて、ここまで言えばおおよその状況は理解できたのではないでしょうか?』

「貴方たち、ひょっとして美冬を……っ!」


 状況を理解して、利理は声を軋ませた。

 彼の説明から、利理の相棒である美冬が今置かれている状況は容易に想像がつく。すなわち、美冬は現在キリング・パーティーの参加者であるという玉鏡に捕まっているようだった。


『ご名答。彼女には今、眠っていただいているので通話に出て貰うことはできません。身動き一つ出来ない状態になっていただいています。さて、ここまでいえばこちらがこれから貴女に要求することはお分かりですね?』

「美冬を、返しなさい」


 重く低い声を歪ませながら、利理は要求する。

 相手はおそらく、ホテルで利理を襲った巨漢たちの一派であろう。ホテルでは利理を取り逃がした彼らだが、およそその代わりに美冬を捕まえたものだと考えられた。


『返してほしいですか? まぁ当然ですね。たった一人の相棒ですものねぇ』

「私が狙いなら私を狙いなさい! 美冬はキリング・パーティーには関係ないじゃない!」

『関係ありますよ。貴方と一緒にいたという時点でね。そんなに返してほしいならば、これから私の言う指示に従ってください』


 そう言うと、玉鏡は一拍間を置き、悠然とした声色で告げる。


『そろそろ日が暮れますね? 日が没した後に、今から指定する場所に一人で来なさい。応援を呼んできた場合は、その時点で美冬さんを殺します』

「場所は?」

『街郊外、南にある工場です。羽鮒はぶな製造所という名で、先日貴方が佐古満という咎人を狩った場所からそう遠くない場所にあります。そこに一人で来ることです。いいですね?』

「そこへ行けば、美冬は解放してくれるのね?」

『さぁ、どうでしょう。貴女の出方次第ですね。そこに来て、私たちの指示に従わないならば、当然解放するわけにいきませんので』

「……っ。分かったわ。従いましょう。けど、一つだけ言わせてもらうわ」

『なんでしょうか?』


 続きを待つ相手に、利理は息を吸い込むと、声にはっきりと意思を込めて言う。


「もし、美冬に指一本でも触れてみなさい。私は貴方を絶対許さない」

『ははっ。いいでしょう。貴方が来るまでは、必要以上には危害を加えないようにしておきますよ』


 笑いながらそう言うと、相手は電話を切った。通話が切れた瞬間、利理は下唇を噛んで肩を震わす。浮かぶのは、自噴と憎悪だ。


「くそっ! 失念した!」


 口汚く吐き捨てると、利理は全身を震わせる。

 ホテルを出る際、利理は美冬の無事を祈りながらホテルを出たのだが、その祈りはむなしく、どうやら美冬はキリング・パーティーに参加する一派によって捕えられてしまったようだ。こんなことになるなら、危険を承知でホテルへ戻るべきだったと、彼女は今更ながら後悔の念に駆りたてられる。


 そんな自責の念を覚えつつも、彼女は外を見る。時刻は四時を過ぎた現在、外はすでに暗がり始めていた。冬のこの時刻は、すでに日が沈む頃合いだ。


「急がないと……。このままじゃ美冬が――」

「美冬というのは、お前の相棒のことか?」


 焦燥する利理に、ハジメは声をかける。その声に、利理はぎょっとした様子で振り向いた。相棒の事が気がかりであった利理は、その余りにすっかり彼の存在を忘れていたのである。

 ハジメと目が合うと、利理はややあって頷く。


「……えぇ。どうやら、キリング・パーティーの参加者に捕まったようなの……」

「クローズという男か?」

「? いいえ。確か違う名を、玉鏡って名乗っていたわ。何か知っているの?」


 不審そうに利理が訊ねると、ハジメは一瞬視線を外してから、再び利理を見上げて顎を引く。


「名前だけはな。おそらく、今この街にいる咎人の一人だ。予想の範疇に過ぎないが、おそらくクローズという咎人と、キリング・パーティーに関連してつるんでいる」


 彼の推理では、クローズと玉鏡はおよそ主従関係、ないしは師弟関係で繋がっている。クローズはハジメと遭遇した時、この街にいたキリング・パーティーの参加者・鎌瀬のことを弟子の一人と言っていた。そのことを鑑みると、クローズと玉鏡は同じキリング・パーティーの参加者として結託している可能性が濃厚であるからだ。

 そんなハジメの発言に、利理は目を細める。ハジメの話を聞いて少し冷静さを取り戻したのか、彼女は落ち着いた様子で彼を見た。


「聞いていなかったけど、もしかして貴方をここまで傷つけた相手って……」

「あぁ。クローズとか言う奴だ。炎との同化魔術を使う男で、正攻法で行ったらまず勝てない」


 語りながら、ハジメは目に剣呑な光を宿しながら頷いた。声にしながら、その存在に触れて心中が昂ぶったのか、彼の全身の傷が疼く。

 鋭い眼光の彼を見て、利理は軽く息を呑んでから、それを尻目に訊ねる。


「じゃあ、美冬を助けに行ったら、もしかしたらその二人と対峙しなければならないってこと?」

「可能性はあるな。玉鏡一人が、お前の相棒を拘束しているとは考えづらい」


 利理の相棒ということで、美冬も当然魔術師だ。通常、魔術師を一人拘束するのに、一人でいては限界がある。おそらくは、二人以上で拘束しているという線の方が強いと思われた。

 相手は強者二人――しかし利理は怯まない。


「それでも、行かなくちゃいけない。私が行かなければ、美冬が殺される」


 そう言うと、利理は立ち上がる。その目には強い意思が宿っていた。


「あの子を助けるためにも、私は――」

「はっきり言って、上策とはいえないな」


 固く熱い決意を述べようとした利理の声を、ハジメの冷ややかな声が遮った。その声に、利理が振り返る中で、ハジメは続ける。


「人質を取られた状態で、人質を取った相手の前へのこのこ現れるだなんて、自殺行為以外の何物でもない。向こうに優位な状況なのは間違いない中、考えなしに向かうのは愚策だ」

「……それは――」

「お前、ホテルから逃げてきたみたいなことを言っていたな。どうして逃げてきた? ホテルで何があったんだ?」

 そう訊いて。ハジメは利理に目を向ける。その視線に対して利理は沈黙する。それを見て、ハジメは続けて行った。


「仮に、お前が何者かに襲われて逃げ出したのだとしたら、敵は少なくともお前より格上だ。そんな相手に、アドバンテージを取られた状態で向かっては死ににいくようなものだろ」

「でも、私が助けに行かなければ、美冬は殺されるかもしれないのよ!」


 あくまで沈着なハジメの指摘に、利理は感情的な様子で声を荒げた。


「相棒を見殺しにすることなんて、私には出来ない。必ず助けなきゃならないのよ」

「……お前の相棒とやらの責任もあると思うがな」


 視線を外して目を伏せながら、ハジメがぼそりと言ったのを利理は聞き逃さなかった。その目に剣呑な物を浮かべ、利理はハジメを見る。


「今、なんて言った?」

「捕まったお前の相棒にも問題があったと言った。相棒の敵に、みすみす捕まる様な真似は失態以外の何物でもない。相棒のくせに、その相棒の足を引っ張る行為だ」


 淡々とした様子で、ハジメは言葉を紡ぐ。その言葉の内容に利理が目を見開く中で、ハジメはそれに構わず言葉を紡いでいく。


「捕まったのはそいつの自己責任だ。相方に致命的な迷惑をかけるような行為をした相棒を、わざわざ助けに行くなど、友情の皮を被った集団自殺みたいなもんだ」

「……どうして」


 冷徹と言えるハジメの言い分に、利理は声を震わせた。拳を握った彼女は、ハジメを据えた目で睨みつける。その表情は、感情を噛み殺すように険しい。


「どうして、そんなこと言うの? 貴方は、そんなことを本気で思って言っているの?」

「お前を怒らせる気があるわけでも、貶しているわけでもない。ただの事実を言っているだけだ」

「よく、分かった。もうそれ以上言わないで」


 掠れた声で、利理はハジメに言葉を制止するように求める。


「それ以上言うんだったら、私は貴方を殴らなきゃいけなくなる」

「殴りたければ殴ればいいさ。それでお前の気が晴れるのならな」


 ハジメは利理の言葉を歯牙にもかけず、あくまで冷静に言葉を紡いでいった。

 そして、はっきりと断言する。


「俺だったら、そんな相棒は見捨てる」


 言い切った瞬間、利理はハジメに駆け寄っていた。近づいた彼女は、勢いよく彼の上にまたがるように乗る。その衝撃で、ハジメは持ち上げていた上体を床に叩きつけられるが、背を打ったハジメはしかし表情を変えなかった。


「敵の手に落ちるということは、下手をすれば味方を危険に晒すことになるかもしれない失態だ。そんな行為をした奴は、もはや仲間ではない。切り捨てたところで責められるような謂われもない。むしろ見捨ててやった方が、捕まった人間の心を――」

「それ以上言わないで!」


 機械のように言葉を紡ぎ続けるハジメに、利理はそう言ってその首に手を掛ける。締めてはいない。軽く添えただけだ。

 しかし、少しでも力めば彼の気道を塞いでしまうのではと思うほど、彼女は激情を露わにハジメを見下ろして、潤んだ瞳で叫ぶ。


「貴方は、相棒を、仲間は何だと思っているの? 苦境に立った仲間を助けようとするのは当然でしょう?」

「………………」

「答えてよ!」

「何も言うなだの、何か言えだの、注文が矛盾しているぞ」


 首を絞められかけているのにもかかわらず、ハジメは落ち着いていた。彼は利理と真っ向から視線を合わせたまま、言い返す。


「俺は何も、その相棒を助けに行くなとは言っていない。ただ、助けに行ったとしてもお前に得なことはあまりに少ない。相棒の命が助けられるかもしれないが、お前自身が危害を被る可能性も高い。だから諭しているだけだ」

「余計なお世話よ。私は美冬を助けに行く。危険だろうがなんだろうが、貴方のその冷たい論理に従う気は一切ないわ」


 前屈みになって、利理はハジメを至近距離で睨みつける。睥睨してくる彼女に、しかしハジメは怯まない。

 そんな彼の表情を少しでも揺らがせようと、利理は言葉を吐く。


「貴方にとっては、仲間はその程度の認識なのね。仲間は、片方が苦境に立った時はもう片方が全力で助けるものなのよ。相棒が敵に捕まったというなら、それを助けに行くのは当然よ。貴方みたいに見捨てろだなんて考え、どうかしている」

「そうか。そんな馴れ合い、この世界では通用しないものだとばかり思っていたが――」


 目を逸らすことなく、ハジメは言葉を紡ぎ続ける。


「いるんだな。そんな甘い考えを本気で貫こうとする愚かな人間も」


 直後、バチンという大きな音が室内を響く。それは当然、利理がハジメの頬を叩いた音だった。

 腕を振り抜いて肩で息をする利理に、対してハジメは微動だにすることもなく、利理を見上げていた。

 そんな彼に、肩を揺らしながら利理は怒りを噛み殺しつつ言い返す。


「……好きな風に言いなさい。私は、自分を愚かだなんて思わない。愚かなのは、貴方の方よ。そう簡単に仲間を見捨てることを是とするような、そんな薄情で冷徹な人間、きっと誰からも信用してもらえない」

「信用、か。確かに俺は、組織からはおろか、同じ戦闘員から信用されていると思ったことはないな」


 顎を引いて、ハジメは利理の言葉を省みる。その顔はやはり平然としており、悲しみや苦さは微塵も浮かんでいない。


「まぁ、別に信用されたいと思ったこともないが。俺は一人でも大丈夫だし、誰かから好かれたいという思いもない。殺しの道具に、そんな感慨は不要なものだろうしな」

「――ッ。貴方はどうして……」


 どこか浮世離れした、機械的なまでのハジメの言葉に、利理は声を詰まらせる。彼女の胸中からは激情がこみ上げるが、それが具体的な言葉になっては出てこない。何とも言えずに、ただ哀しみと怒りだけが浮かんできた。

 ややあって、彼女はハジメの喉から手を離す。そして身を起こし、彼から立ち上がった。


「もういい。貴方とは、どうやら私は理解し合えるような物じゃないことがよく分かった。せっかく、いろいろと知って、話し合える相手だと思ったのに……」

「俺にいろいろ明かしたのはそのためか。結局はそういう下心があったということだな」


 首を擦りながら、ハジメはもはや異常とも思えるほど、今なお平然とした声で言う。その言葉に、利理は怒りの眼で彼を見下ろす。


「下心って……どうして貴方はすぐにそう……っ!」


 罵詈雑言を口に出しかけて、利理はその言葉を噛み殺した。

 これ以上は駄目だ。これ以上言葉を交わせば、きっと彼女は後悔するだろう。

 せっかく瀕死の彼を助けていろいろ聞けたというのに、彼を助けたこと自体も後悔してしまいそうだった。

 利理は、ハジメから離れる。


「もういいわ。これ以上、貴方に何か期待するのはやめるわ。はっきり言って、失望した」

「失望、か。勝手に期待しておいて勝手に失望するなど忙しいな」


 自分から立って離れた相手に、ハジメは身を起こしながらそう呟く。それは意図した皮肉ではなく、正直な感想だ。他意はない。

 しかし今の彼女の立場からすれば、それは皮肉や嫌味以外の何物でもなかった。


「……こんなことなら、助けるんじゃなかった」

「そうか。一応、俺はお前に感謝しているんだがな」


 ぼやいて背を向ける利理にハジメはそう声をかける。彼女をフォローするわけではないが、彼は言った。


「あのまま行き倒れてたら、最悪死んでいたかもしれない。それが分からぬほど俺は馬鹿じゃない」

「……いいえ。貴方は大馬鹿よ」


 振り返って、利理はハジメを見下ろす。その目は、温かかった彼女のものにしてはひどく冷たい。先ほどまで浮かべていた明るい笑顔とは、それはあまりに正反対の鋭利なものであった。


「助けて貰ったと思うなら、言葉を選びなさい。でないと、貴方は遠くないうちに後悔することになるわ」

「言葉を選んで相手を止められなかったら何の意味もない。それなら、素直に言葉を利いた方がまだましだ」

「どこがよ。最悪な気分にさせられたわ」


 ハジメの言い分に最早怒鳴る気にもなれず、利理は踵を返した。そして、そのまま部屋の扉へ向かって歩き出す。

 だが、その足が数歩先で止まる。


「……貴方の言葉じゃないけれど」

「なんだ?」


 足を止めてからの呟きにハジメが振り向くと、利理は続けた。


「次会った時は覚悟しておきなさい。今回は見逃してあげるけど、私と貴方は味方でもない。次会うときは敵かもしれない。これ以上貴方と慣れあうつもりは毛頭ない」


 意図して、利理は冷たく言い放つ。そこに拒絶、決別の態度が如実に表れていた。


「怪我さえ治ったら、容赦しないわ。相棒と一緒に、貴方を【魔法学団】の牢にぶちこんでやる」

「そうか。やれるものならやってみろ、とだけ言い返しておく」


 利理に脅迫に、ハジメは依然平然と言葉を返す。その言葉に、利理は鼻を鳴らして扉へ向かう。

 そして、彼女は激しい音を立てて扉を閉め、部屋を出ていく。どこへ向かったかは想像に容易である。間違いなく、玉鏡の要求に応じて郊外の工場へ向かうつもりなのだろう。


 彼女が出て行ったのを見送ると、ハジメは立ち上がる。彼は数時間前まで歩くのもやっとな惨状であったが、既に体調は両足で立てるほどまで回復していた。この辺りで、ハジメは利理が優れた治癒魔術の使い手であることを実感する。


「さて――」


 傷の痛みを確認すると、ハジメはトラベルケースに向かう。そこには、焼き爛れた物とは別の彼の替えの服がある。いつもの物のスペアで、戦闘等で使えなくなった場合に持ち歩いているものであった。

 それに、ハジメは袖を通す。包帯で覆われた素肌の上に、彼は服を纏い出した。彼は一分以内にすべての服を装着すると、拳を開閉させ、また両足の状態を確認する。

 そしてその傷の疼き具合、身体の調子などから「行ける」と判断した。


 彼は、利理がそうしたように扉の入口へと向かう。そして利理とは対照的に物静かに、扉を開閉して外へ出ていくのであった。

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