第1話②「襲撃」
腕を組み、その組んだ腕を指で叩く。黒のストッキングを履いた両足を組みながら、利理はその瞳や双眸に剣呑な色を浮かび上がらせていた。
「遅い……」
怨嗟にも似た低い不満の声が、喉の奥から絞り出される。
場所は都市にあるホテルの一室。二つのベッドが置かれた部屋の中で、利理はそのうちの一つに腰をかけながら指を叩いていた。
時計を見る。時刻はすでに夜の九時を回っており、外はすっかり夜の帳に覆われている。暗闇は街の街灯に照らされて比較的保たれているが、それでも昼と比べては段違いに薄暗かった。
昼過ぎにホテルへ帰ってきた利理は、外へ出ていく美冬を見送ってそのままホテルで一人時間を潰していた。すでに夕食も風呂も一人で済ませた彼女は、今は美冬の帰りを待っていた。
――待っているのだが、いつまで経っても美冬が帰ってこない。
「八時には帰るように言いつけたのに、あの子は……」
額に手をやって、利理は溜息をつく。刻限を守らない相棒に対する嘆息を口に出すが、その様は完全に子供の門限破りを憤り嘆くおかんのようだった。
相棒に対して呆れの感情を露わにする利理であるが、同時に彼女は少しばかり不安を覚えている。これまでも、美冬が約束の時間を過ぎても帰ってこないということあった。だが、それはせいぜい三十分程度のことであり、一時間以上も連絡なしに帰ってこないのは珍しい。
そのことに、利理は徐々に不安を高める。
もしかしたら、美冬が何か事件にまきこまれたのではないか。或いは地元の妙な人間に絡まれて騒動になっているのではないかと、生真面目な彼女は心配する。
そう考えて不安な気持ちになっていると、その時彼女の携帯電話が鳴った。すぐ横に置いておいたそれからの音に、利理は素早く反応して手に取る。そして液晶画面を見て、ほっとする。電話を掛けてきた相手は、どうやら美冬のようだった。
このまま音通不信でいなくなるようなことはなくなったと思い、利理は安心しつつも憤りを胸に満たしながら携帯に出る。
そして、少しばかり恨むような声を絞り出した。
「もしもし、美冬? 今どこを歩いて――」
『リリー、助けて!』
叱責の言葉を考えていた利理の耳に、返ってきたのは美冬の切羽詰まった様子の声であった。相方のその声、何か焦っているように聞こえるそれに、利理は眉を顰める。
「どうしたの? 何かあったの?」
『今、隠れているの。よく知らない人たちに追われていて……』
「追われている?」
美冬の言葉を反復し、利理は不審がる。意味が分からなかったが、何やら窮地に追いやられている感じが、相手の声からは伝わってきた。
『うん。どうみても堅気じゃない人たちに。いきなり背後から襲われて……』
「今、どこにいるの?」
『えっと……街の郊外の辺り。本当はリリーのホテルへ向かいたかったんだけど、必死に逃げていたらどんどん離れてしまったっぽいの』
「どんな奴に追われているの?」
ベッドから立ち上がり、利理はコートを羽織ると部屋の鍵を取って室外へと向かう。すぐに部屋を出た彼女は、相手の言葉に耳を傾ける。
『なんか黒いコートを羽織った集団よ。危うく捕まりかけて、今逃げている最中』
「護身術は通じなかったの?」
『試す暇なんてなかったのよ! あやうく服を剥がれかけて、それで――』
「分かったわ。落ち着いて」
やや慌てて語る相手を宥めながら、利理は部屋の鍵をかける。部屋の鍵をかけた彼女は、そのままエレベーターに向かった。
「今いる場所の、何か手がかりはない? 交差点かどこかに、地名の看板が見えたりとか」
『えっと、ちょっと待って……』
利理の言葉に、美冬はようやくそこで自分の居場所が利理には分からないことを悟った様子で周りを見回し始めたようだ。彼女が何らかの現在地の手掛かりを探している間に、利理はというとエレベーターに入って下の階に向かっていた。
しばらくして、美冬は嬉声を上げる。
『あった!
「漢字はどんな文字?」
『美しいの「美」に、故郷の「郷」って書いて
「分かったわ。今からそちらへ行くから、近くに隠れていて」
そう言って、利理は相手が『うん』と応じるのを聞いて電話を切る。ちょうどホテルの一階へ到達した利理は、鍵をカウンターに一時預けると、ホテルの外へと駆け始めた。
ホテルを出たところで、彼女は近くにタクシーがないかを探すが、生憎ホテル周りには一台もそのような車両はない。それを見ると、彼女は待つよりも走る方が早いと判断し、急ぎ携帯で地名を調べて検索をかける。
「――ここから南西に五キロ、か」
位置を確認すると、利理は現在地の地図を表示しながら南西方向へ向かって走り出した。歩道には人がほとんどおらず、車の往来が盛んな歩道の中を、彼女は全速力で駆けて行く。
一見冷静に見えるが、その実、彼女の心は乱れていた。美冬が襲撃を受けたこともそうだが、彼女が逃げ出すほどの集団に襲われているという事に動揺が生まれる。間違いなく、そいつらは只の集団ではないだろう。美冬は小柄で小動物っぽいところもあることから非力に見えるが、それでも一般人以上の護身の術を持っている人間だ。そんな彼女が逃げ出すということは、相手の集団は相当の強者だということだ。
道路を駆けながら、利理はそいつら何者か推測をする。可能性は様々で、いくつかのパターンが彼女の脳裏に思い浮かぶ。
一つ考えられるのが、昼間倒した咎人の仲間であるという線だ。咎人たちが徒党を組んで【魔法学団】の咎人狩りに対抗しようとすることはよくあることで、仲間がやられた仕返しに襲撃を駆けているという可能性が考えられた。
或いは、美冬の何かしらの行動が、街を支配する暴力団などの組織から目をつけられた可能性もある。可能性としては先のものより低くなるが、暴力系団体の中には、時に非公認の魔術師を抱えるなど戦力に秀でた戦闘員を持つ組織も存在する。普通のヤクザ程度なら撃退できる美冬でも、そういう集団に襲われたら逃げざるを得ない状況に陥る公算もあった。
そんなことを考えながら、利理は街の大通りから裏路地へ進む。地図を見ると、そちらが近道のようだった。
そうして彼女が進んだ先に広がったのは、開発地と思しき、一帯が荒地となった空間だった。有刺鉄線で立ち入りが規制された敷地が連なる場所であり、近くに住宅がないことから人通りはなく、街灯の光も届かずに暗闇で覆われていた。
そんな不気味な中を、しかし利理は迷わず進む。幸い夜目が利く利理は、このような場所を通行するのは無問題、そう思ったのである。
だが、直後で彼女は想定していなかった事態に見舞われる。
荒地の間を駆け抜けていた彼女は、その途中で悪寒を感じ取った。そして、自分に向かって低空で突き進む気配に対して咄嗟に駆ける方向を変えようとする。
だが、その回避行動は一瞬遅く、何かが彼女の右脚の向う脛に激突する。鈍い音と重い衝撃が走り、彼女は思いがけず転倒させられた。
「ぐっ……いったぁ――」
苦痛の呻きを上げかけた利理は、しかしそこで悠長に攻撃を受けた箇所を確認するようなことはしない。続けざま何かが飛んでくる気配に気づいた彼女は、路上の上を転がる。すると彼女が倒れていた位置を突っ切り、何かが有刺鉄線に衝突、その鉄の網を切り裂いた。
その切れ味に顔色を変えながら、利理は手で地面を叩いてすぐさまその場に立ち上がる。そして、鉄線を切った者が飛んできた方向へ目を向ける。
彼女の目に入ったのは、両端の見えない鎖と、それを持った人影であった。闇夜の中でぬるりと姿を見せたのは、赤く染まった髪を逆立てた中背の男性だった。黒い革製のジャンパーのようなものを羽織り、鎖を開いた両手で持ちながら、こちらを見ている。
「ひゃはは! 躱すかい、今のを」
肩を揺らし、男は高らかな凶笑を上げる。不吉さを感じるその笑みを携え、彼は手にした鎖の片方の先端部分に付いているものを顔面近くまで持ち上げた。鎖の先端に付属していたのは、一本の鎌である。
その武器に、利理は見識があった。長い鎖に鎌を取り付けたその武器は鎖鎌と呼ばれる武器で、遠近両方に攻撃範囲を持つ、扱いが難しい得物である。ただ、達人ともなれば近づくことすら難しくなる厄介な武器でもあり、近距離戦が得意な人間にとっては不利な武器でもあった。
男は、その武器の鎌を顔の前まで引き寄せると、その鎌の刃を舌で舐める。その行動は、危険でありなおかつ不気味だった。
「すげぇなぁ、最近の女子学生は。こんなもので襲われても悲鳴一つ上げずに対応できるのかい」
「……なに、貴方。気色悪いわね」
男の言動を気味悪がりながら、背に手を回す。そこで密かに、彼女は手首の数珠を刀に変形、自らの得物を顕現させた。
目の前の男が一般人ではないのは一目瞭然だ。また通り魔の類だと考えるのも適切ではないだろう。通り魔如きが、扱いの難しい鎖鎌をわざわざ武器としてチョイスするはずがない。
それに何より、先の一撃で不意を打ったとはいえ、利理の足を負傷させたのだから並の腕前の者ではないはずだ。一番可能性が高いのは、利理たちの同業者、同じ業界の人間という線だろう。
「どこの人間? 咎人にアンタみたいなセンスの悪い髪の人間がいるとは聞いていないけど」
相手が鎌を投擲してきたからというわけではないが、利理も相手に鎌をかける。挑発気味に放ったその言葉に対し、男は目を細めた。
そして、彼はいきなり無言で手にしていた鎌を利理に向けて投擲してくる。まっすぐに利理の顔面から首を狙ったその刃を、利理は横に一歩移動して余裕で躱す。見えていれば余裕――と思う利理だったが、その時男が嗤ったのを見て背中に悪寒を感じる。直後、彼女の背後へ通り過ぎた鎖がしなり、鎌の飛来する方向が百八十度旋回した。背後から向きを変えて襲い掛かってくる鎌に、利理は振り返りざま更に横へ躱そうとする。だが、その瞬間彼女の負傷した足が激痛を訴え、利理はバランスを崩す。咄嗟の痛みで躱しきれないと見た利理は、刀を立てて顔付近を防備、飛んできた鎌を弾き返した。
鎖鎌は利理の顔まで弾かれて男の許へ戻ってきて、その柄を男は素手で掴み取りながら口笛を鳴らす。掴んだ鎌の柄を離し、鎌を頭上でヒュンヒュンと振り回しながら、男は苦痛で顔を歪めていた利理に歩み寄ってくる。
「へぇ、やるじゃねぇの。俺の鎌をこうも簡単に弾くなんてよう」
男は賞賛の言葉を口にしながら、それとはかけ離れた嫌な笑みでニヤつく。それはまるで、獲物を甚振る時に肉食獣が浮かべるような嗜虐の笑みであった。
その笑みを見て、利理は自分が男に見下されていることを感じ、苦痛の色を消して苛立つように眉根を寄せた。
「この程度、大したことないでしょう。腕に自信があるようだけど、この程度の腕ならまだまだ上がいるわ」
「そうかい。流石は【魔法学団】の魔術師様だぁ」
利理の返答に、男は卑しい笑みで彼女を見る。
その言葉に、利理は確信する。目の前の人間は、間違いなく魔術界隈の人間であるだろう。自分が【魔法学団】の人間であると知りながら襲撃を仕掛けるなど、裏世界の人間以外でなければありえない。
「私を知っているってことは、今私の相方を襲っているのも貴方の仲間ってことね?」
「……へぇ。なかなか察しがいいじゃねぇか」
感心したように言い、男は鎌をおもむろに放ってくる。まっすぐ伸びてくるそれに、今度は避けようとせずに刀で打ち返す。弾かれた鎌は火花を散らしながら、力なく男の方向へ吹き飛ぶ。
だが次の瞬間、鎌が飛んできた軌道を追うように、弾丸が利理の顔面へ走ってきた。その圧力を感じ取った利理は、刀で弾くのではなく咄嗟に上体を反らして躱す。すると彼女の頬を、鋭い風圧が走り去っていった。重い風の流れに、利理はぞっとする。当たっていれば、それは間違いなく利理の顔面を砕いていたことだろう。
鎖鎌には、鎌のついた方とは反対の鎖の先端に分銅がついている。それは時に今のように弾丸となって相手に打撃を与えることが出来るのだ。おそらくは、利理の足を負傷させた打撃の正体は、今の分銅だろう。
分銅を避けた利理は、その後すぐさま横へ転がる。そんな彼女のいた位置を、背後へ通り過ぎた分銅が逆流して襲い掛かるが、彼女はそれを躱して立ち上がった。
「勘も鋭い……なるほど、こいつは確かに厄介な獲物だなぁ!」
連撃を躱した利理に、分銅を手元に引き寄せた男は歯を剥き出しにして嗤う。右手方向で鎌を、左手方向で分銅をそれぞれ振り回しながら、男は利理を凝視する。その顔からは、危険な臭いがプンプン漂っていた。
「だがこういう獲物ほど、いざ捕まえて肉を裂いた時に聞ける悲鳴は格別ってもんだ! さぁ、とっとと始めようぜ!」
「……もうさっきから、好きなだけ攻撃しているくせに何を――」
相手の狂気が籠った笑い声に、利理はこめかみから冷や汗を流す。足を負傷している利理からすれば、男の攻撃は脅威だ。今の彼女には、銃弾のように飛んでくる鎌と分銅を躱すことでも精一杯で、男を撃退や倒し切ることは困難だ。せめて足の怪我が回復すればと言った所だが、ひびが入ったその患部が回復するには戦いながらでは時間が掛かる。それまで男の攻撃を凌げるか、彼女には分からなかった。
そんな利理の状態を知ってか知らずか、男はなおも攻撃を仕掛けてくる。
飛来してくるのは鎌だ。今度は真っ直ぐ利理に向けてではなく、斜め横手に放り投げられたそれは、緩い弧を描きながら利理の許にひた走ってくる。横薙ぎに迫ってくるそれを、利理は刀で受け止めかけて、後退する。刀で受け止めようとした瞬間、男が逆手の分銅をこちらに投擲して来ようとするのが見えたからだ。後退した瞬間、鎌は彼女の羽織るコートの腕部を切り裂く。左腕を掠めた鎌の刃は、そこから僅かに血飛沫を弾きだした。鎌が通り過ぎた直後、男はそれに入れ替わるようにして分銅を利理に向けて放射してくる。放たれた分銅の弾丸は、利理の腹部めがけてひた走った。それを、利理は刀で打ち返し、火花を散らしながら弾き返す。分銅の重い打撃に手が痺れるのを感じながら、それでも利理は分銅の打撃を避ける。
鎌と分銅の攻撃を両方受け切った利理は、そこで負傷した足に鞭を打って前進する。
このままの間合いでは一方的に攻撃を受けるだけ――彼女の選択肢は後退して距離を開けて逃げ出すか、前進して相手を打ち倒すかの二択だった。
彼女はその選択肢の中で、果敢にも相手を倒す道を選択する。足を半ば引き摺りながらも滑るように前へ進み出た彼女は、刀を八双に構えたまま突進した。
その選択に、男はニヤァと笑みを深める。獲物が自ら突き進んできたのをみた男は、焦ることなくむしろ歓迎する様に彼女を迎え打つ。彼女の足を初撃で傷つけた事を知っている彼は、彼女の決断を愚行と思いつつ、愉しげに攻撃を繰り出した。
先に空を切った鎌を、男は鎖をしならせて反転させると、上に向かって持ち上げる。ふわりと宙高く浮かび上がった鎌は、そのまま利理の頭上まで持ちあがると一気に振り下ろされる。落雷のように、天高くから地上へと振り落とされる斬撃に、利理は刀を持ち上げて受ける構えを見せた。直後鎌は刀に衝突、火花を散らす。その衝撃が肩まで響く中で、利理は刀を斜めに傾けて鎌の勢いを流し、鎌を自分の横手はいなしきる。斜め下へと走った鎌は地面に激突し、利理の足元で火花を上げる。
鎌の斬撃を受け流した利理は、それを見ると更に前進して男へと迫ろうとした。
だがその足元を、分銅が襲う。鎌に意識をやっていた利理の思考の裏をつくように、男は分銅を利理の足へと叩きつけてくる。それに気づいた利理は、持ち前の反射神経で躱そうと試みる。
いつもなら躱せるタイミング――しかし、今はその回避の際に足から激痛が走った。分銅を躱そうとした利理であるが、脛の痛みで思うように跳べず、分銅を膝に受ける。バキッと重く鈍い音が響き、利理はその激痛から膝を折ってその場に転倒してしまう。
「ぐぅっ!」
苦悶の声と共に、利理はその場に跪く。体勢を崩し、苦痛で喘ぐ彼女は、男の鎖鎌の有効射程範囲にいた。
男は、そんな彼女に高笑いを上げながら、鎖の先端に付いた鎌を振り回し始める。出鱈目にぞんざいに振り回される鎖鎌は、まるで鞭のように縦横無尽に振り払われ、利理に襲い掛かる。倒れ込んでいた利理は、急ぎ立ち上がろうと片膝立ちになったところで、その斬撃の雨に晒された。左右から、斜めに走ってくる鎖鎌の飛来に、彼女は刀を持ち上げて対処しようとする。鎌は、最初の数撃は利理の刀によって弾かれその身を捉えられない。だが、振り回される度に遠心力を増した鎌の斬撃は、やがて利理の刀の防御を破ってその身を引き裂き始める。鎌は彼女の四肢の一部に突き刺さっては引き裂き、彼女のコートやストッキング越しに利理の身体を切り裂く。薄ら血飛沫を舞わせながら、利理は必死に敵の猛攻を耐え忍ぶ。
「ほらほらどうしたぁ! そこで受けてばっかりかぁ!」
「――ッ!」
脛と膝のダメージからすぐには立ち上がれない利理に、男の攻撃は止まらない。次々と押し寄せてくる鎌の斬撃に、利理はその場から動くことも出来ずにただ頭部や胸などの急所に当たらない様に防御するしか術がなかった。
そんな中で、男は鎌の斬撃の中に分銅による攻撃も混ぜ始める。片膝で動くこともままならぬ状況の利理に、一直線に分銅の弾丸が迫った。それに対して、利理は刀で弾こうとするが、上手く正面から弾くことが出来ずにその弾丸を後ろへ弾いてしまい、自身の肩へと衝突させる。多少勢いを殺したとはいえ、それでも重い鋼鉄の分銅の激突に、彼女は苦痛の呻きを漏らした。
反射的に肩を押えかける中で、そんな彼女へ引き続き鎖鎌は迫る。頭上から振ってくる刃に、利理はなんとか刀で刃を押し返すが、宙に弾かれた鎖鎌は男のテクニックによってまたも鞭のようにしなり、彼女へ正面から飛来した。それを利理はなんとか返そうとするが、その瞬間、膝や脛や肩、そして切り裂かれた四肢の痛みがいっぺんに押し寄せ、苦痛で奥歯を噛みしめながら刀を振るう。それによって鎌はまたも弾かれ、しかしその都度鎌はしなって利理に襲い掛かる。
何度も何度も、弾かれてはしなり、時には利理の四肢を切り裂きながら縦横無尽にひた走る鎌に、利理は徐々に追い詰められていく。
そしてある時、彼女の全身の激痛がピークに達し、刀を持つ握力が緩む。
その瞬間に、運悪く飛来した鎖鎌の一撃を弾いた際に、彼女の手から日本刀が弾かれてしまう。
刀を後ろへ取りこぼした利理は、しまったと思い両手を前に組んで後ろへ跳ぼうとする。その隙を、相手は見逃さない。鎌は彼女の両腕のガードに突き刺さり、一気に横へ裂かれる。盾とした両腕は直後血飛沫をあげ、彼女は軽い悲鳴をあげながら後ろへ転倒した。
倒れた彼女を見て、男は会心の笑みを浮かべ、鎌を空高く持ち上げて一気に振り下ろす。そうやって、鎌で彼女の身体を貫き、大きなダメージを与えようとしたのである。
転倒した利理に、それを防ぐ術はない。彼女に出来たのは、傷ついた両腕をもう一度ガードに使い、急所に鎌が突き刺さるのを避けるぐらいであった。
鎖鎌は、非情にも利理の肉体を突き刺そうとする。
その時だった。
利理に向かって振り下ろされるはずだった鎌が、彼女に突き刺さる直前に、突然金属音を響かせて横手へ弾き飛ばされたのである。
その現象に、攻撃を仕掛けた男と、攻撃を受けかけた利理は共に目を見開く。
それは怪奇現象でもなんでもない。振り下ろされた鎌に対して、突如横から飛んできた斬撃が、その軌道を変えさせたのである。
そしてそれを為した人物の影は、男と利理の間に割って入っていた。暗闇の中から現れたその影は、二人の横手からいきなり飛び出し、そして二人の眼前、両者の中間で立ち止まっていた。
「誰だ!」
いきなり割って入ってきた人影に、男が怒号を放つ。彼と利理の間に出現した影は、その声に振り向く。
現れたのは、闇夜に溶け入るような黒髪を持つ青年であった。紺色のレザーコートにジーンズといった暗色系の服で身を装い、それらより更に濃い輝きを有す瞳を持っている。年齢的には利理と同年代ではないかという若い顔立ちで、その手には男の鎖鎌を弾いたと思われる紅の刃を持つ長剣を携えていた。
彼の姿に、利理は眉根を寄せる。助けられる格好になった彼女であるが、少なくとも彼は、利理にとっても初対面の人物であったからだ。自分が彼に助けられた事実に鋭く気が付きつつ、利理はしかしその正体を訝しがる。
謎の
「なんだ、テメェ。何モンだ!」
「……殺し屋だ」
首を後ろに傾けて半身で男を見た青年は、ぼそりと言葉を返す。
注意していなければ聞き逃してしまうようなその声に、男は不審げに目を細め、倒れたままの利理は目を瞬かせた。
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