第1話①「巽利理の日常」
「罪状・魔術違反使用の咎人、
廃墟となっているビルの中に声が響く。
都市郊外にあるその廃墟ビルは、普段こそ無人で人の気配どころか虫の気配一つしない静かな場所だ。そんな場所で声を発したのは、一人の少女であった。黒成分多めの茶髪を姫カットに切り揃え、整った鼻梁と唇、頬筋を持つ美しい相貌だ。強い意思に裏打ちされた黒い双眸を有し、その美しい顔立ちを際立たせた彼女は、黒いブレザー型の制服を身に纏っていた。学生服、と言った類のものではない。何か組織、ないし企業のそれを連想させる制服であった。
背後には別の、ピンク髪の少女を控えさせた中で、彼女はビルの一室、その奥を見据える。
そんな彼女の視線の先にいるのは、一人の男性だ。細長のやや不健康そうな顔色に、チェックのシャツとジーンズ姿のその男性は、目の前に現れた美少女たちを見て目を見開く。そこに同時に混在するのは、警戒と緊張だ。
「っ! 【魔法学団】の追っ手か」
「その反応、つまり肯定ね。お察しの通り、私たちは【魔法学団】の咎人狩りの部門の人間よ」
相手の問いに丁寧に答え、少女は横手へ手を伸ばす。伸びた彼女の袖からは、手首に数珠が現れる。それだけみれば、一見古風なアクセサリー趣味を持つ少女という印象を抱くことだろう。
だが次の瞬間、その数珠はやおら輝き、無音で爆ぜて霧散する。そして代わりに、少女の手元には一振りの日本刀が顕現された。それが何か知らぬ者には、摩訶不思議な現象である。
「これより、貴方を拘束します。もし抵抗したならば、その時は――」
警句を、少女が発そうとしたその時であった。男性は舌打ちをつくと、同時に袖口からあるものを取り出し少女たちに放り投げる。それは、一枚の紙切れであった。
一見何なのかと胡乱がるところであるが、それの正体を攻撃用の魔術の紙札・術符と見切った少女たちは、その紙きれの延長線上から左右に分かれる。
直後、避けた二人の軌道上に稲妻が迸った。眩い電光は二人の間を駆け抜け、その先にあった壁を黒く焦がした。
それを目視し、少女は横手へ着地しながら前を向き直る。
「抵抗を確認。これより、捕縛から屠殺へと移行します――
「了解、リリーっ!」
互いを呼び合うと、少女二人は前衛・後衛に分かれる。日本刀を持った美少女が前衛となり、後衛のピンク髪の少女は腰元から拳銃を抜きとりそれを構えた。
戦闘の姿勢をみせた相手男性に対して、前衛の少女は切り込んだ。日本刀を手に、彼女は滑るような流れで相手との間合いを縮めていく。それに対し、男性は袖口から新たに多量の術符を取り出し、その数枚を少女に対して投擲する。ひらりと宙を舞ったそれに、少女は滑るような前進を屈折させ、軌道をその術符の軌道から逸らす。その直後、術符は光を発して閃光となって宙を迸る。煌めいた電光は、少女の側を掠めて宙を焼き、背後の壁にぶつかって衝撃波を発生させる。当たれば痛いでは済まないことを容易に想像できる威力に、少女はひやりと汗を流す。
無論、それが当たればの話であるが。
少女は、男性が放つ術符の軌道を正確に読み取りながら、横へ斜めへと転移しながら徐々に間合いを詰めていく。男性は術符を次々と投擲し、息つく間もなく雷光を放つが、それは少女には当たらない。
幾重もの電光の雨を躱し、少女は男性との距離を消失させる。間合いが詰まった瞬間、少女は目を輝かせ、男性は頬を歪ませる。
直後、鋭い斬撃が男性に襲いかかった。
斜めに切り下ろされる斬撃に、男性は素早い身のこなしで横へと避ける。一瞬、華麗に躱したように見えた男であるが、よく見ると彼のシャツには切れ目が生じていた。間一髪躱したと思えたところで、紙一重の距離で斬撃は掠っていたのである。
その事実に男性は瞠目、同時にそれが動揺に変わるよりも先に、新たに至近距離から術符を投擲する。間近から放たれたそれは、少女の眼前にひらりと舞った。
直後閃光。
電撃は少女に直撃、したように見えたが、彼女はギリギリの距離で上体を沈めることでそれを躱していた。その反射神経は瞠目すべきもので、現に男性は目を見開く。
そんな相手の反応を他所に、少女は一気に男性との距離を詰める。間合いを縮めた少女に、男性は歯を食いしばり、再び横へと飛ぶ。
その瞬間、少女の斜め斬り上げの斬撃が走り、男性の脇腹を襲う。白銀の軌跡は男性の残影を確実に捉えてその胴を寸断するが、かろうじて実体へは直撃しない。
危うく難を逃れた男性は、今度は両腕から術符を投擲、複数のそれによって少女を撹乱・攻撃を仕掛ける。続けざま発せられる電撃に、少女は大きく横へ飛び退いてそれを回避、微かに遅れた髪の一部を焦がされながらも逃避に成功した。
辛うじて躱した少女であるが、少女の顔にはその感情を一切おくびにも出さない。まるで余裕をもって躱したようにさえみせる風格を感じさせながら、少女は男性との距離を再び詰めていく。
攻めては躱し、攻められたら反撃するという目まぐるしく動く戦況に、男性も少女も集中力を極限まで高めていく。無意識にではあるが、その集中を先に途切らせた方が先に死ぬのを自覚しており、彼らは戦いに、相手に没頭していく。そうすることで鬩ぎ合いは勢いを増し、拮抗を続けていく。
その、天秤の様に釣りあった均衡が破けたのは不意なタイミングであった。
二人が攻防を繰り広げている中、より具体的にいえば少女の斬撃の構えに男性が横に回避しようとする中、それまで動いていなかったもう一人の少女が動いた。
彼女は男性が左右どちらかに回避するのを予測して、その軌道の片割れ、右側へと銃撃を放つ。放たれた弾丸は実弾ではない。それは、その業界では霊弾と呼ばれる、使用者本人の魔力或いは霊力と呼ばれるものを編み出して放たれる青白い弾丸であった。実の弾丸と変わらぬ速度で放たれたその銃弾に、右手へ回避しようとしていた男性は気がつき、咄嗟に左手へ回避方向を変える。
それが、撒き餌であった。
男性の立ち位置は、左右が開けているのに対して後方が壁となっており、前方からは少女に迫られている状態であった。そのため、彼が攻撃を躱せる方向は自ずと左手へ絞られ、男性はその事実に気づかぬまま誘導される。
気づいた時は、既に手遅れであった。そちらへ回避すると読んでいた少女は、前方から切り込みつつも右手へ足を踏み込み、斬撃を斬り上げる。迸った刃は男性を適確に追尾し、その脇下から肩までを貫通した。
ついに捉えた斬撃によって、男性は右肩より先を欠損させる。飛び散った腕は背後の壁に激突する中、男の切り傷からは血潮が噴き出し、アスファルトの床を濡らしていく。一方で肩を切られた当人は、軽くなったそちら側を見て目を見開き、数秒間呆気に取られた様子で固まる。斬撃を当てた少女当人も残心を取ってその場に留まる中で、やがて両者は視線をぶつけあった。
その瞬間、ようやく痛みが襲って来たのか、男性が絶叫する。片腕を失った事による体の拒否反応は大きく、何より鋭く、男性の脊髄に直接灼熱感が押し寄せてきた。電撃が走るような衝撃とその灼熱感に、男性は全身を震わし、口の端からは泡を吐きだす。その様子だけでも、如何に痛みが大きいかは伝わってきた。
欠損の痛覚と衝撃を全身で表現する相手に、少女はしかし容赦なく攻め込んだ。術符を投げる余裕もない相手へするりと肉迫すると、彼女は刀を持ち上げて袈裟切りに相手を切りつける。避ける余裕は相手にはない。斬撃は、両断とまではいかないまでも、鋭く男の左肩から右脇腹の下までを深々と切り裂いた。
その斬撃の衝撃に、男性は膝から崩れ落ちた。口腔から血を吐きだしつつ、男は膝を折って床に跪くと、切り口と口内から血をぶくぶく溢しながら、やがて前のめりに倒れる。倒れてくる相手を、少女はさっと避けて躱し、男は顔から床に強かに打ち据えられた。
ビクンビクンと、相手は大きく痙攣していたが、やがてピクリとも動かなくなる。
腕を切られ、そして袈裟斬りで身体を貫通されたことによる失血死であった。自らが生み出した血だまりに横たわる形で、その男性は物言わぬ屍となって絶命する。
その様を眺め、少女は刀を横手で縦に振るう。その一振りによって、刀についていた血糊が大幅に振るい落とされ、まだ染まっていなかった床を紅に濡らした。
そして、やがて大きく息をつく。全身の力が脱力しない程度に、彼女は呼吸を吐くことで肩回りの緊張を解いた。男を仕留めたことで、その重圧から解かれたように、彼女は呼吸を整える。
そんな彼女の耳に拍手の音が届く。
目を向けると、背後でピンク髪の少女が手を打ち鳴らしてにっこりと笑っていた。
「さっすがリリー。今日も鮮やかに決めたね!」
快活に自分の手際を褒めてくる相手に、少女は微苦笑を浮かべる。
「茶化さないで。それより、処理班を呼んで。後始末、してもらわないと」
「はーい。分かってまーす」
少女の指示に、ピンク髪の少女は了承の声を返してから、制服のポケットより携帯電話を取り出す。そしておもむろに、ビルの窓際に歩き出して、携帯でどこかへ連絡を取り始めた。
それを見届け、少女は息をつく。
咎人、と呼ばれている男性を仕留めるのは自分たちの仕事であるが、後の処理や始末をするのは自分たちの管轄ではない。それは、少女たちが処理班と呼んだ者たちの役割だった。
死体の回収や後始末をつけることが使命の彼らを呼びつつ、少女は今一度男性が死んでいるのを確認した。失血多量で死んだその死骸は、徐々に人としての温もりを失いつつある。
それを見てから、彼女はピンク髪の少女には気づかれないように、下唇を噛む。目の奥には悔いのようなものが浮かび上がり、気づくと手が微かに震えていた。その指をそっと、自分のもう片方の手で包んで抑える。
何度やっても、この仕事に彼女は慣れた気がしない。罪人であるとはいえ、人を狩りたてて殺すという作業を行なうことに、彼女は抵抗を感じていた。戦いの中ではそれを見せない彼女であるが、心の底ではこの仕事への恐れを抱えこんでいる、
人を殺すのは、決して肯定していいものじゃない。それでも誰かがやらなければならない仕事だから、彼女はそれを請け負っているだけなのである。
それを快楽や悦びで受け入れるような屈折した人格ならばどれだけ楽だっただろうか、と彼女は思う。そして同時に、このような後悔を抱けるうちは、自分がまだまともな人間の感性を残せていることを実感する。この感覚がなくなってしまえば、自分は酷い方向に変わってしまった時だろうと、そうとも考えていた。
そんな雑念を思い浮かべながら、彼女は刀を宙に掲げ、それを散じさせる。刀は、顕現した時同様に消滅したわけではない。それは魔術によって形を変えているだけだ。その証拠に、彼女の右手の手首には一巻きの数珠が出現していた。
これは、霊具技術といわれる武器の変換魔術で――と、これを語るのは余談になるのでまた別の機会にしよう。
とにかく武器をしまうと、少女は天井を見上げて息をつく。そうすることで、強張った自分の神経と緊張を少しでも和らげようとしたのである。
その時、彼女はその身体に鋭利な視線を覚えた。
ふと、慌てて彼女は辺りを見回す。不審な視線は何処から来たものか探るが、生憎視線が突きつけられた位置は特定できない。周りには、廃墟ビルの何もない空間が広がるのみだ。
(なんだったの、今の?)
「リリー。処理班呼んどいたわよ~。三十分以内にはここへ……リリー?」
周りを見回して警戒をする少女に、声をかけた相棒の少女は不審がる。その声に気づき、少女は振り返った。
「あ、うん。どうしたの?」
「リリーこそ。なんか今、すごく険しい顔していたわよ?」
「なんでもない。気にしないで」
相棒を心配させたことを、少女は笑顔を浮かべて誤魔化す。その反応に、相手の少女は不審がるが、特に追及するようなこともせずに話を切り上げる。
そんな中、彼女らのいる隣のビルから、去りゆく影があることに、彼女たちが気づくことはなかった。
*
自称して魔術師を名乗っている人間ではない。彼女は国際資格を受けた正当な魔術の使い手・担い手で、世間からもある程度の地位や権利を認められた魔術師である。
【魔法学団】というのは、世界中の魔術の類や魔術師たちを管理・監視する大組織の名だ。この世界には様々な魔術、それを駆使する魔術集団な魔術結社が存在しているのだが、それを統括し、存在を認可して指導や教育を行なう組織が【魔法学団】と言う組織である。ざっくりといえば、世界各国に対し様々な注文や指示をつける国際連合のような、それの魔術界バージョンのようなものであった。
そんな組織の成り立ち、設立の経緯は、半世紀ほど前まで遡る。
その当時まで、魔術は世間一般においてはオカルティズムとして、世間の常識に反するものとして見られ、忌避されると共に一部人々から迫害される傾向が強かったものだった。
そのような環境の中で、世界の有名な魔術師たちが共に手を取り合ってチームを組んで、その環境を変えようとしたのである。そうして設立したのがこの組織だ。その際に、魔術界を取り巻く環境を変えるべく組織内で誓い立てされたのが、一般社会に対して魔術の研究や開発を進めることで貢献し、魔術を人類の福利厚生に役立たせることを目的としようという考えであった。そうすることで魔術の有用性をこの科学文明の中に迎合し、魔術というものの社会的な地位の復活を図ろうというのだ。
元々、魔術は世界の歴史上中世までは生活に密接にかかわった一種の技術であったのだが、近世における魔女狩りによる魔術へのマイナスイメージや錬金術の研究を端に発する化学の発達によって、その地位を大きく衰退させたことによって――と、これについて語りだすと魔術学の講義となってしまうため割愛するが、要約すると、魔術は古くから人の生活に役立つ一つの技能であったが、化学の隆盛と共にその地位を失い、つい最近までは霊的・呪術的ものとして忌避されているのが一般であった。
そのイメージを払拭し、再び魔術を人々の生活の側にあるものとして地位回復を目指したのが【魔術学団】という組織なのである。設立当初は世界各国から
利理は、そのような世間的も徐々に認知されてきた魔術組織の一員であり、その中で咎人狩りと呼ばれる部門に籍を置く人間である。
その役目として、彼女は現在日本のとある都市を訪れていた。
彼女の物語、狂気と悦楽で歪みきった忌まわしき宴とのかかわりは、ここから始まる。
*
「ん~。やっぱり仕事後の一杯は格別ね~」
運ばれてきたアイスティーをストロー越しに飲むと、ピンク髪の少女は両腕を伸ばして背伸びする。利理の相棒で、その名を
場所は、先ほど利理たちが一仕事をこなした都市の一角、カフェのテラス席である。【魔法学団】の一員として課せられた仕事を終え、利理たちは現在休息を取っている真っ最中であった。
「今日も無事生き残れたし、いやぁよかったよかった」
「美冬。そういうことをあまり公共の場で堂々と口にしないの」
能天気ともいえる美冬の態度に、利理は注意を口にする。相方がアイスティーなのに対し、利理が飲むのはアイスコーヒーだ。時期は初冬、季節外れの飲み物に感じられるかもしれないが、本日はそんな時季としては思えぬほどに温かい気候で、これまで激しく動いていた二人は共に冷たいその飲み物で喉を潤していた。
「学団の仕事のことは公共の場では喋ってはならないって、規則にも書かれているでしょ?」
「もう、リリーはお堅いなぁ。大丈夫だって、仕事の内容は口にしていないんだから」
指を立てて注意する利理に、美冬はにっこりと笑って言う。その言葉に、「それはそうだけど」と、利理は不満げに呟く。
基本的に、【魔法学団】での活動内容は公衆の面前で詳細に語ってはならないというのが決まりだ。それは、魔術が本来神秘的なものである事からくる、魔術業界全体が秘密主義体質であることが一因としてあるが、理由は他にもある。
魔術の多くは、世間の一般常識・慣習からは外れたものが多く、それを素直に語れば魔術界の常識と一般の常識の隔絶さ加減に、魔術にマイナスイメージをもたれやすくするというのが一点。また、【魔法学団】は魔術師の管理や監視を行なっているということは前述したが、これに関しては残酷とも取れるような血みどろの争いが絶えないからだ。
その一つが、【魔法学団】による咎人狩りという行為である。これは、【魔法学団】が魔術の使用に際していくつも設けている禁則事項ごとに対して、これを破った者への制裁行為を行なうことを広義的に言う。この、規則を破った者のことを「咎人」というのだが、その者に対して【魔法学団】の一員が各地の法律にかかわらず超法的に罰する・処分を下すのである。憚ることなく言ってしまえば、学団による強制勾留や殺害を行なうことを意味している。
これは、古いしきたりに則ったもので、古くから魔術師の処罰をするのは魔術師の手によって委ねられていることからくるものだ。例外的に社会へ大きく損害を与えた者は、法によって裁かれる対象となるが、それ以外の多くは魔術師によって裁定される。映画や創作で、不死殺しには不死の存在が駆り出されるように、魔術師の処罰は魔術師によるという考え方である。
そのため、咎人狩り自体が違法な行為とみなされている訳ではない。国際連合や大国の軍がテロリストを殺すように、【魔法学団】の魔術師が違法な咎人を殺すことには正当性がある。
しかし、そうは言っても所詮は人殺しだ。
【魔法学団】の中でも殊に咎人狩りは一般世間には印象の良くない仕事の部門であり、彼らの事を批難している個人や社会集団は多くいる。社会貢献をしている面を【魔法学団】の正の面と捉えるならば、咎人狩りなどは負の一面だと騒ぎ立てる連中は少なくないのである。
利理は、そんな咎人狩りの部門に所属している魔術師だ。そのため、殊に守秘義務には敏感であって、おいそれと仕事の内容を衆目の面前で公言することは避けたいタイプであった。
ただ、そんな彼女とは対照的に、相棒の美冬はその辺りの感覚が欠如している。あまり重大視していないのか、彼女の口は軽かった。それが、多少利理の悩みの種になってもいる。
「まったく。仕事が終わった後だというのに、リリーは堅苦しいなぁ。そんなに仕事後も緊張していたら、将来禿げるわよ~」
「う、うるさいわね。私はちょっと口の軽い貴女を注意しただけよ」
「生真面目だにゃあ。大丈夫、私たちが何か失言しても、処理班がまとめて事後処理してくれるって~」
ケラケラと笑いながら、美冬はアイスティーを口に含む。このような態度一つとっても、利理は美冬の口が軽いと感じる。
ちなみに先ほどから会話に出ている処理班というのは、文字通り利理たちの後始末を処理するバックアップの人員のことだ。先ほど利理たちが処断した咎人のように、彼女たちが仕留めた咎人の死体の回収や現場の掃除などは、その処理班という者たちに任されている。利理たちを実働班とするならば、彼らは先述通りサポートを行なう要員なのである。
そんな彼らへ、面倒事を押し付けようとする美冬を、利理は真面目に注意した。
「そうなんでもかんでも、処理班任せにはできないでしょう。彼らだって大変なんだから」
「ん? 別に本気で言ったわけじゃなくて冗談だったんだけど……」
不思議そうに、首を傾げる美冬。それを見て、利理は何とも言えぬ顔で固まる。
やがてそのリアクションを見て、美冬は噴きだすように笑いだした。
「はははっ。リリーってば何でもかんでも真に受け過ぎ! そんなに真面目だとからかい甲斐があるわねー。最高の玩具よね、貴女って」
「私で遊ぶな」
「ごめんごめん。でもこう、いじくり回したくなるのは事実だし」
「否定しなさいよ」
憮然とした顔で、利理は美冬を睨む。すっかりへそを曲げたのか、彼女はじっとりとした目で美冬を睨みつけた。その、情の深い視線に、美冬は両手を合わせて頭を下げる。
そんな相棒に、利理は不機嫌なまましばらく押し黙った。そうやって、相棒に自分が憤っていることをアピールして事の重大さを認識させるようだ。
しばらくそれが続く――と思ったところで、しかし不意に利理は表情を和らげた。
「いいわ。貴女に私同様の態度を求めても意味ないことは分かりきっているし。特別に大目にみてあげる」
「わーお。リリーってば優しい。私、そういうリリーの甘い所大好き!」
「………………」
何か、腑に落ちない感じを覚えつつも、利理はそれを無視する。ここで追求してもはぐらかされるだけだろうと、彼女の経験がそう告げていた。
それに実際、利理は美冬のその存在だけで救われているのは事実だ。
咎人狩りという殺伐とした部門で働く自分にとって、軽口で冗談を多く交わしてくれる相方の存在は、彼女の強張った心や苦しい心境を何度も癒してくれてきた。仕事においても仕事外においても、彼女の存在に利理は助けられているのである。
だから、甘いかもしれないが、細かく叱りつけたり怒鳴りつけたりすることはしない。
はぁ、と小さく息をつくと、利理はあるかなしかの笑みを浮かべながら、美冬から顔を逸らす。
「そういえば、この後のことだけど……」
「ん? なぁに?」
「いや、仕事は順調に終わったけど、学団支局からは今日中はこの街で待機するように言われているのよね。つまり、明日の朝までは自由時間なわけよ」
【魔法学団】の支局からはそのように通達されていることを、利理は美冬に伝える。支局の指示では、しばらくの間利理たちは街を出ないかぎりはフリー、自由の身であった。
その知らせを聞いて、美冬は途端に目を輝かせる。相棒のその反応を予想していた利理は、特に驚くこともせず微苦笑を浮かべた。
「私はホテルに戻るけど、美冬は当然――」
「じゃあ、私がこの街を巡り歩いても問題ないわよね!」
身を乗り出して、美冬は訊ねてくる。勢いあるその反応に美冬は驚いたりせず、くすりと笑みを溢す。
「そう言うと思ったわ。一応支局に聞いたら、処理班から仕事の終了は確認したから、自由に行動していいって返って来たわ。好きに街を巡ってらっしゃい」
「やったぁ!」
利理が許可の声を出すと、美冬は両手を挙げて喜ぶ。
美冬という少女は趣味として、見知らぬ街を探検して食べ歩くということを好んでいる。未知の場所を回るのが好き、要は旅行趣味があり、仕事がない日は大抵自宅に留まることなく、何処かへ出掛けているほどだった。
「あ、でもこの制服のまま巡っちゃ駄目よ。一度ホテルへ戻って着替えをすること。それが条件よ?」
「それぐらい分かっているわよ。前に一度だけ、制服で街巡りしたら怒られたことを掘り返さないでよ~」
自分たちが着ている服のことを指しながら利理が注意すると、美冬はそれが不満だった様子で頬を膨らませる。彼女たちが着ている黒い制服は、一目で自分たちが【魔法学団】の関係者だと明かすものだ。以前、美冬はこの制服で公然と食べ歩きをしてしまったために、一般から支局に苦情が来て怒られたということもあった。
その時の二の舞を防ぐべく、それ以後はちゃんと私服に着替えをしてから街巡りをするようにしている。
「そうとわかれば、こうしてはいられないわ。早く飲み物飲んで、ホテルへ帰りましょう」
「はいはい。分かりましたよー」
やや焦らしてくる相手に、利理は苦笑しながら残っていたアイスコーヒーを一気に飲む。喉が急激に冷える感触が伝う中、彼女は氷だけになったカップを机に置いた。
早飲みした彼に、美冬は首を傾げる。
「リリーはどうするの? ホテルでのんびりするの?」
「ん。そうね。お兄さんと電話で話そうと思っているわ。ここ一週間、連絡取れていなかったし」
「ふーん。相変わらずのブラコンぶりねぇ~」
「うるさいわよ。茶化さないで」
ややむっとする利理に、美冬は「冗談だってば」と両手を挙げて彼女を宥める。
「じゃあ、私が出かけている間にリリーは電話と、あと何をする気?」
「そうね……。しばらくのんびりしておこうかなぁ。ここ最近、ゆっくり休むことも出来なかったから」
美冬に言いながら、ここ数週間の自分の活動を思い出して利理は苦笑する。思えばここひと月ほど、幾人かの咎人を追い、仕留めることに必死で休みらしい休みは取っていなかった。一人の咎人を追うにも必要な時間はかなりかかり、それが複数ともなれば一ヶ月の予定など軽く吹き飛ぶ。幸い疲れを感じにくい身体なので体調は気にしてはいないが、精神的にはそろそろ休息が必要だった。
利理の返答を聞いて、美冬は頷く。
「分かった。じゃあ、私は出掛けるついでに何かリリーの欲しいものを買ってきてあげるわ。何が欲しい?」
「そうね……まとまった休日、とか?」
「切実!」
一ヶ月まともな休暇がなかったことに結びつけた利理の言葉を美冬は笑いながら茶化し、それを聞いた利理も微笑する。
「冗談よ。美味しい物だったら何でもいいわ」
「分かった。じゃあ、出ましょう」
特に注文をつけない利理に頷き、美冬はカフェを出ることを提案する。利理はそれを了承し、席を立つ。
事前に会計は済ませるタイプのカフェなので、二人はグラスだけを返却口に運びながら言葉を交わす。
「そうそう。遊びに出かけるのはいいけど、あまり夜遊びはしないように。きちんと八時ぐらいには帰ってくること。いいわね?」
「はいはい、分かっていますよーだ。なんかリリー、時々お母さんくさいよね?」
「私は美冬の保護者だからね」
「そうそう、私は手にかかるお子様で……ってなんでやねん!」
利理の言葉に乗り突っ込みを入れる美冬に、利理はくすりと笑いながら応じる。
グラスの返却を済ませると、そこで二人は一旦ホテルへ向かうべく、共にカフェを後にして進みだした。
「………………」
そんな二人の背中を、無言で眺める青年の姿があった。
黒い髪に同色の瞳を持つ美青年で、切れ長のその双眸は、よくいえば涼しげ悪く言えば冷たい眼光を湛えている。知的そうであるが何処か危険な感じも覚えさせる彼に気配はない。人混みが行き交う中で、その青年は人々に見向きもされない。しかしひとたび気づきさえすれば決して目を逸らすことが出来ない、そんな異質の存在感を放っていた。
路上にいた青年は、そこで背を掛けていた建物から背中を離す。
そして、決して気づかれぬように気配を絶った状態で、するりと流れるような動きで、ゆっくりと少女たちの後をつけていく。彼も姿は、少女たちがそうであるように、やがて人混みの中に溶けるように消えていくのだった。
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