兵站将校は休みたい!

しろうるり

【1:ある将校の死】


「大尉殿は戦死されました」


 いかつい、というよりもむしろ凶悪な人相の下士官が答えた。

 身に着けた外套を留めているブローチは、軍の階級章を兼ねている。示す階級は曹長だ。


「――なんだって?」


 中尉の階級章を身に付けた若い士官が、思わず、という態で問い返した。


「大尉殿は――小隊長殿は、戦死されました」


 返ってきたのは同じ答えだった。

 長身に厚みのある体躯、野盗の頭目かなにかのような面相、太い声。

 丁寧な態度と言葉遣いがなければ、士官を脅しつけているようにしか見えない図ではあった。


「戦死」


 中尉が鸚鵡返しに繰り返す。

 半ば無意識に、なのだろう、己の額に手をやって二度三度と撫でまわす。


 丸みを帯びた、威厳というよりは愛嬌のある顔立ち。

 癖のある濃褐色の髪に、これも丸っこい黒目がちな目。

 恰幅のよい、と言ってもよい体格は、人によっては肥えている、と評するかもしれない。

 背丈は向き合う軍曹と頭ひとつ分ほども違う。


「はい、中尉殿」


 曹長が頷く。辛抱強く、しかし断固とした態度だった。


「……わかった。では次席士官――副長殿はどちらだ。

 着任の報告を、それからこちらの状況を伺いたいのだが」


 どうにか気を取り直した様子の中尉が、もう一度質問する。


「残念ながら副長殿も」


 曹長は、中尉の目から視線を逸らさなかった。

 その黒い瞳からは何事も窺い知ることはできない。

 まさしく堂々とした態度だった。


 ――俺よりよほど将校らしく見えることだろう。


 そんなことを考えながら、中尉は言葉を続ける。


「戦死か」


「はい、中尉殿。いまここに、他に将校殿はおられません」


「俺だけか」


「はい、中尉殿。そのとおりであります」


「前線には誰かおらんのか。この先の砦に展開している部隊があると聞いたが」


「はい、ノールブルムであります。

 分遣隊三席の少尉殿がおられます」


 さすがにこらえきれなかったのか、中尉の表情が歪んだ。

 しかし将校たる者、下士官や兵の前で無様な姿を晒してはならない。

 兵学院で叩きこまれた規律が、辛うじて中尉の態度を取り繕わせた。

 まして相手はこれから自分が指揮せねばならない曹長だ。

 最低限の威厳は見せておかねばならなかった。


「――よろしい」


 中尉は努力してひとつ息をつき、さてどうしようかと考えながら言葉を繋ぐ。


「いまここを掌握しているのは貴官か。

 俺はアルバロフ中尉。レフノール・アルバロフ。

 兵站総監部から第2軍団分遣隊に派遣された。曹長、貴官は?」


「自分はベイラム・デュナン。

 階級は曹長であります、アルバロフ中尉殿」


「ではデュナン曹長、まず現況を――いや、少し待て」


 後方から送られてきた輜重隊、そして将校の到着を見て取った兵たちが、ふたりの方へ視線を向けている。

 まずは彼らをどうにかしなければならなかった。


「まず無事な兵に集合をかけてくれ。

 一言二言話しておかねばならん。貴官との話はそのあとだ」


 はい中尉殿、と頷いたベイラムが、太い声で集合、整列、と怒鳴った。

 兵たちが駆け寄ってくる。


 レフノールは、不意に喉の渇きを覚えた。

 舌がもつれなければいいが、と思いながら整列した兵たちの方へ向き直り、声を張る。


「任務ご苦労。ただいま着任したアルバロフ中尉だ。

 いろいろとあったようだが、小隊長殿の任務は小官が引き継ぐ。

 貴様らは各自デュナン曹長の指示した作業に戻れ。新たな命令は追って達する。

 解散。デュナン曹長は残るように」


 実質的には何も言っていないのと同じだった。

 たった今来たばかりで、指揮を執っているはずの上官は戦死しており、ここで何があったのかすらまだわかっていない。何か意味のあることを言えという方が無理な話だった。

 しかし、ひとまず自分が――今ここに到着した中尉がこの場を取り仕切ることを、兵たちに伝えておかねばならない。

 兵に命令を下せなければ、将校など何の役にも立たないからだった。

 逆に言えば、とりあえずではあっても、命令を下しておけば兵は動く。そのように訓練されている。兵たちが手を動かしている間に、将校は状況を把握し、整理し、次の手を打たなければならない。


※ ※ ※ ※ ※


 兵たちが散ったのを確認し、レフノールは、おい、と小さくベイラムを手招きした。

 近寄ってきたベイラムに、声を落として話しかける。


「兵站の分遣隊長と副長がいちどに戦死というのはただ事じゃないな。いったい何があった?」


 口調は意図的に、くだけたものに変えている。

 形式的な部分は無視して構わないから実際のところを手短に伝えろ、という意図だった。


「獣兵の――狼騎兵の襲撃です。半刻ほど前でした。

 数は10と少々といったところでしたが、何しろ急でして」


 長く軍で暮らしてきた曹長らしく、そのあたりは心得ているようだった。

 ベイラムの口調も、先ほどまでのそれとは明確に異なっている。

 レフノールは頷いて先を促す。


「あちらの、村の北側の牧草地です」


 ベイラムが視線と手振りで村の北側を示す。


「そこにある補給物資の集積所が狙われました。

 もっとも、奴らもどこまで承知して襲ってきたのかははっきりしませんが。

 ともかく、物資の整理に当たっておられた副長殿が最初に投げ斧を受けて倒れられました。

 こちらも応戦はしましたが、奴ら物資に火を掛けまして」


「ああそれは」


 レフノールの口から、ため息が漏れる。

 対応が後手後手に回ったのだろう、ということが理解できてしまったのだった。

 無理のない話ではあった。

 牧草地の傍には林が見えている。騎兵は通常ならば、林から現れることはない。

 速度と衝撃力を活かすための突撃こそ騎兵の本領とするところではあるが、それは障害物の多い林の中からでは不可能であるからだった。

 しかし、狼騎兵――妖魔どもが大型の狼を使役して騎獣とする騎兵は、突撃の衝力こそ軍馬を用いた騎兵のそれに劣るものの、いつでもどこからでも襲撃を仕掛けてくる。


 前線の砦から1日弱の行程にあるこの村に現れたのは威力偵察か後方撹乱か、はたまたただの偶然か。

 いずれにせよ、思わぬ場所から襲撃を受けた部隊の混乱は想像に難くない。


「そこからはあっという間に乱戦になり、騒ぎを聞きつけて参陣され、陣頭指揮を執っておられた隊長殿も。どうにか頭を潰して敵は押し返しましたが、副長殿も分遣隊長殿もそのまま」


 不手際と不運が幾重にも重なった結果の惨状、ということであるらしい。


「ほかに被害は?

 兵も無事というわけにはいかんだろう、それは」


「兵は戦死がひとり、3人が負傷しとります。作業が可能な軽傷者は負傷者に含めておりません」


「むう」


 ベイラムの返答に、レフノールが呻く。

 予測してはいても、戦死戦傷の報告を聞くのは気分のよいものではない。

 それに、押し返したとはいえ、敵も全滅したわけではない。


 しかし、それはそれとして、この曹長は悪くない仕事をしている、とレフノールは考えている。


「――よく被害を抑えてくれたよ。ご苦労だったな」


 先制攻撃を受けて混乱した状態で、将校にまで戦死者が出ていることを考えれば、ベイラムが――この人相の悪い曹長が果たした役割は小さなものではないはずだ。

 察したらしいベイラムが、ありがたくあります、と応じてにやりと笑う。

 謙遜の色はない。実際のところも、レフノールの想像したとおりなのだろう。

 場慣れ具合も態度も、彼が相当の古兵であることを示している。

 生粋の輜重兵というわけではなく、歩兵あたりからの転科組であるのかもしれない。


 ――まあ、どのような経歴にせよ、頼り甲斐のある下士官であることに変わりはない。


 レフノールにとって、今はそれこそが重要な点だった。


※ ※ ※ ※ ※


「物資の方はどうなんだ、その、損害は」


 やや空気が和んだところで、レフノールが話題を切り替える。

 レフノールにしてみれば、ここが本題とも言えた。


「まずくあります。半方焼けてしまいました。

 残った半分も水を被ったり炙られたりしておりますから、更に半分使えれば御の字かと」


「そもそもどれだけ積んであったんだ?

 1日分や2日分ではきかないだろう」


「前線に出張る混成大隊の5日分であります」


「あー……」


 もう一度、レフノールが呻いた。

 焼かれたという話である程度の覚悟はしていたが、予想を上回って深刻な状況だった。


「確かにまずいな。今回俺と一緒に運んできた荷は、だいたいが備蓄用に充てるあれこれだろう?

 次は5日後の便だ。砦にも集積はしているだろうが――」


 このままでは幾日分かの不足が出る。補給がなければ前線の兵は戦えない。

 致命的な破綻をきたす前に一時的な、あるいは部分的な作戦の延期を進言すべきか。

 一瞬だけ迷ったレフノールだが、まだ結論を出すには早いな、と思い直した。


「ひとまず今日届いた荷を――なんといったかな、前線の砦に送る。

 今あちらに出向いている連中はいつ戻る?」


「ノールブルム、であります。戻りは本日夕刻で」


「戻ってくる連中の指揮は誰が?

 その、ノールブルムに出ているという少尉か?」


「少尉殿はあちらに駐在する形であります。

 ですから、行き来する隊列の指揮は下士官が。今回は第1分隊長のフェルドマンが指揮を執っております。軍曹ですな」


「なるほどね。どんな奴なんだ?」


「まだ年季はあれですが、なかなかの男です」


 ――そりゃあ貴様と比べたら大概の連中は年季が足りないことになるだろうよ。


 レフノールが心の中で呟く。無論、口には出さない。

 しかしこの古兵がなかなかと言うのであれば、少なくとも足を引っ張るような奴ではない、ということだろう。そう考えて、レフノールは少々気を落ち着かせることができた。


 レフノール自身は、輜重隊の指揮と補給計画の立て直しだけで手一杯になるだろう。

 手一杯、というのもだいぶ控えめに見積もった話で、手に余る、というのが口には出せないが正直なところだ。


 さて、とひとつ息をついて、レフノールは空を見上げた。

 傾き始めた秋の太陽が、地上の混乱など知らぬげに柔らかな日差しを投げている。


 ――仕事がこんな状況でさえなければいい日なんだがな。


 あらぬ方向へ飛んだ思考を、努力して現実の側へと引き戻す。

 こういうのは良くないな、とレフノールは考える。目の前の現実から逃げ出したくなっている。


「日没まで2刻半、というところか。

 損害の詳細――というよりも、何がどれだけ残っているかを知りたい。それから、ノールブルムに送れるものを選り分ける。

 併せて俺と一緒に来た分の荷下ろし。しめてどれだけかかる?」


「損害の詳細をまとめるまでに四半刻、荷分けは人足を使って並行でやっていますから、整理と再梱包まで含めてもう半刻といったところでしょう。

 荷下ろしも人足をかからせれば、これもやはり半刻程度かと」


「よく兵と人足をまとめてくれた。今後もその調子で頼む」


「はっ」


「怪我人は軽傷者も含めて力仕事からは外せ。目途が立ったら手の空いた者から休ませろ。作業が終わったら2名ずつ交代で見張りを立てて休息。課業は……どうしても必要なものを除いて免除、というところでどうだ」


「いろいろとあって兵も人足も疲れています。少しなりと休めるならば喜ぶでしょう」


 ベイラムが頷いて応じた。


「命令は貴様から総員へ達しておけ。

 あとはそうだな――隊長殿はどこで執務しておられた?

 あとで案内してくれ。これまでこなされていた職務の内容など把握しておきたい。

 俺の私物は馬車に載せてあるから、そこへ運び込んでくれ」


「かしこまりました、中尉殿」


「それから、隊から貴様のほかに2人ほど、いつでも手を確保できるようにしておいてくれ。今これといった用事はないが、なにか細々したことが出てくるたびに作業を中断させるわけにもいかん」


「はっ」


「具体的な差配は任せる」


「ありがたくあります、中尉殿」


「貴様からは何かあるか」


「1点だけ、中尉殿」


「ん」


「襲撃してきた獣兵ども、頭は潰しましたがあらかたは取り逃がしております。

 近くに根城があるのであれば、よほど危険に思われますが」


 ある意味で当然の懸念ではあった。

 それは次の襲撃への備えをどうするか、という話でもある。


「その点については俺も少々気になっている」


 頷いて、レフノールが応じた。

 だが、実際問題として、士気や練度を掌握しきれていない部隊を、慣れない土地での追跡や捜索に使えるものではなかった。

 戦争をやるのであれば、兵力で押し切れる目途を立ててからになるだろう、とレフノールは考えている。

 だがそれはそれとして、打てる手があるなら打っておくべきだし、打つならば早い方がいい。

 その点で、ベイラムの指摘は的を射ていた。


「だが、頭を潰したのなら、少なくともすぐに態勢を立て直して再度襲撃、ということにはなるまい。

 次があるにしても今日明日ではないと踏んでいる。その先は――まあ、ひとつ手を打っておこう」


 会話に一区切りをつけて、下がっていいぞ、と声をかけた。

 ぴしりとした動作で、ベイラムが指先を揃えた右手を左胸に当てて敬礼する。

 レフノールは幾分曖昧な動作で答礼し、歩み去る曹長の背中を見送った。

 1人になると、これでよかったのか、という不安が頭をもたげてくる。

 レフノールは努力してそれをねじ伏せた。

 自分よりも有能な誰かならもっと何か気の利いたことをやれたのかもしれないが、今その誰かはここにいない。

 自分しかいないのなら、自分にできるようにやるしかない。

 ひとまず最低限の状況は把握した。命令も下した。

 だが、なすべきことはまだ山のように残されている。

 頭の中でそれらを並べ上げ、レフノールは、どれから手を付けたものか、と考えはじめた。

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