【33:開戦】
ほとんど間を置かず、いくつもの悲鳴が上がった。妖魔どもの群れの中からだった。
ばたばたと倒れる妖魔の姿に、槍を持って待ち構える工兵たちから歓声が上がる。
「いいぞ、第2射構えぇ!」
ベイラムの号令が響く。
射終えたクロスボウを射手たちが装填手に手渡し、引き換えに弦が張られたクロスボウを受け取って構える。
「狙え!」
号令に従って狙いを定めたならば、もう敵を待つ必要はない。第1派の妖魔どもは、既に射程の中に入り込んでいる。
「
ふたたびクロスボウの弦音と悲鳴。
更に何体かが倒れて動かなくなる。その数は第1射よりも多い。的が近くなり、当たりやすくなっているのだった。
「第3射構え!」
第2射と同じ動きが繰り返されるうちに、妖魔どもは空堀へと飛び込んでいた。
防柵からは堀の縁に遮られ、射掛けることができない。
だが、飛び込むと同時にまたいくつかの悲鳴が聞こえた。
空堀の底には逆棘のついた杭が打ち込まれている。それを踏み抜いたに違いなかった。
「空堀から上がってきたやつを
ベイラムの号令がまた響き渡る。
号令に応じたにわか作りの射手たちが、クロスボウの先を空堀の手前に据える。
だが、それだけだった。妖魔どもは上がってこない。
――それならばそれで。
敵が寄せてこないことで幾分余裕を取り戻したレフノールの口許に笑みが浮かぶ。
もう有効な手を打っている、という自信が見せた余裕だった。
櫓の上から、2つの弦音が響き、空堀の中から悲鳴が上がる。
好きに射ってよい、と命じてあったヴェロニカたちが射撃をしたに違いなかった。
数は少なくとも、打ち下ろすのであれば射線は通る。
――そのままそこにいてくれるなら、こちらは好きに削らせてもらおう。
空堀の中で、おそらく進むも退くもままならなくなったであろう妖魔どもを想像して、レフノールはもう一度口許に笑みを浮かべた。
だが、その笑みも一瞬で消える。
「敵第2波、同じくコボルドの軽歩兵! ざっと数えてさっきの3倍!」
ヴェロニカの報告に、思わず舌打ちしそうになったレフノールは、危ういところでそれを止めた。
初手でこちらの対応を見定め、本格的な攻撃を始めようとしているに違いなかった。
「第2波への対応を優先しろ」
ベイラムと視線を交わし、レフノールが短く命令する。
2度も射撃を浴びて数を減らし、空堀で更に負傷し、そして上からも射撃された第1波のコボルドどもに、第2波とタイミングを合わせて仕掛けてくるだけの士気など残っていない、と判断している。
「はっ! 射手狙え! 目標、第2波先頭集団!」
ベイラムも同意見のようだった。頷くと、低く太い声で射手に命令を下す。
そしてまた100歩の線を妖魔どもが越えて、
「
大音声の号令とともに、クロスボウの弦音が連鎖する。
第1波よりも妖魔どもの密集度が高い分、命中率もまた高い。
だが、悲鳴はもう聞こえない。
目の前で血が流れ、興奮した妖魔どもの喚声が、悲鳴を圧し潰して響き渡っている。
倒れた妖魔どもは文字通り一顧だにされず、そのまま後続に踏み潰されていた。
――これだから妖魔どもは!
レフノールは改めて、うんざりとした気分でそれを眺めている。
数で押し切れる相手であれば、そして自分たちが攻勢をかける側であれば、妖魔どもはいくらでも勇敢に、あるいは無謀に戦うことができる。
そこには躊躇も逡巡もなく、傷付いた同族を助けようという意識もない。ただひたすら目の前の敵を殺して食らうことが、戦場の空気に中てられた妖魔どもの望みになるのだった。
更に1射分の号令と弦音が飛び、また幾体もの妖魔が倒れる。しかし、敵の絶対数は第1波の3倍。
空堀にたどり着く妖魔の数も、先ほどの第1波より遥かに多かった。
櫓からの射撃は続き、そのたびに空堀の中から悲鳴が上がりはするものの、所詮上からの矢は1度に2本という数でしかない。
「第3波――コボルドとゴブリンの混成、歩兵! 数は第2波の2倍弱!」
頭上、櫓の上からまたヴェロニカの報告が降る。
――手堅く揉み潰しに、ということか。
おそらく妖魔どもは、こちらがどこでどのような対応をするかを見極めた。
一度に射られる矢の数、一度に倒される数も概ね把握した。その上でのあの数。
こちらの対応能力を飽和させ、突破を狙っている、とレフノールは判断している。
単純ではあるが、数の差をもっとも効果的にこちらへ押し付ける戦術でもある。
クソが、と口の中だけで呟いて、レフノールが実際に口から出したのは別の台詞だった。
「後続をやれ。空堀からコボルドどもが出てきても、射手には後ろを狙わせろ」
正直なところ、レフノールは恐ろしくて仕方がなかった。許されるならば今からでも逃げ出したかったし、自分がこんなところで野戦指揮官の真似事をするなど絶対に何かが間違っている、とも思っている。
だが、兵学院で叩き込まれた将校としての誇りと責任感――任務への責任感と部下たちへの責任感が、レフノールを踏みとどまらせていた。
「承りました隊長殿!」
ほとんど嬉々として己の命令を受け取る凶相の先任下士官など、レフノールにしてみれば別の世界の住人としか思えない。なぜこんな戦場でぎらぎらと目を輝かせながら、部下を叱咤して戦うことができるのか、理解することなど不可能だ、と思ってすらいる。
「射手構え! 目標、第3波!」
だがそれはそれとして、ベイラムの振る舞いは、戦場で隣にいてほしい下士官の理想像そのものと言えた。忠実で不敵で、そして頼もしく眼前の困難に立ち向かってくれる。
それは、硬い表情でクロスボウを構えなおすリディアも同様だった。初陣で、つまりは初めての実戦で、己を殺すために向かってくる敵と対峙しながら、緊張してはいても恐怖を表に出すことなく戦っている。
「狙えー!」
――だからまあ、仕方ない。
ひっそりとした諦念とともに、レフノールは舞台に立ち続ける覚悟を決めた。
下士官が下士官としての役目を果たし、新任の少尉が新任の少尉として戦っている。
だから自分は、敵を退けるまで、あるいは自分がくたばるまでの間、かくあるべしと求められる野戦指揮官を演じて、部下たちに見せてやらなければいけない。
レフノールにとってはそれこそが、今ここにいる最上位の将校――指揮官としての役回りなのだった。
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