【34:戦闘】
「
幾度目になるか、ベイラムの号令が響き、クロスボウの弦音がそれに応じる。
列をなして迫る敵の先頭近くで、何体かの妖魔が倒れ、後続に飲み込まれて見えなくなった。
「次射構えぇ!」
ベイラムの号令に重ねるように、レフノール自身も指示を飛ばす。
「工兵は防柵へ! 槍構え!
前に出すぎるな、柵に取り着いた奴から突け!」
言いながら、レフノールは自分の腰から剣を引き抜いている。
振り回すつもりはなく、指揮官が兵とともに戦う姿勢を見せる、という以上の何かではない。
「狙え! 目標、第3波!」
空堀からばらばらと妖魔どもが飛び出してくるが、ベイラムの号令はあくまでもその後ろの第3波を狙うよう命じている。レフノールの指示のとおりだった。
空堀から飛び出してきたコボルドが、駆けだすとほぼ同時にのめるように倒れて凄まじい悲鳴を上げた。偽装され、底に棘つきの杭を植えられた落とし穴に嵌まり込んだのだった。
同時に幾体かが同じような動きで同じような悲鳴を上げ、怯んだ他の幾体かは立ち止まった挙句に後ろから押されて穴に落ちた。
「
最前線の混乱に構わず、クロスボウの射撃は続き、弦音が響くたびに幾体かが倒れる。
被害は積み重ねられてはいるものの、それは全体としては大きな割合にはなっていない。つまるところ、敵の数が多すぎるのだった。
そのようにして後続は次々と空堀に到達していたが、先頭は落とし穴が先にあることを知って及び腰になっている。その混乱を見て取ったヴェロニカたちが、櫓の上からの射撃を、空堀から出たばかりの集団に浴びせ始めた。
混乱が拡大し、悲鳴と怒号が交錯する。
「いいぞ、続けて
連中に落ち着く暇を与えるな!」
部下たちが直接の攻撃に晒されなかったことに安堵しながら、レフノールが声を張る。
背筋を伸ばしたベイラムが呼応するように大音声を上げて射手を叱咤し、射撃は続いた。
「敵第3波、下がり始めた! 敵後退!」
やがて、櫓の上からそのような報告があった。
たしかに、混乱に耐えかねたのか、妖魔どもは潮が引くように後退を始めていた。
その過程でも少なからぬ被害を出して、どうにかこちらの射程外へと下がる。
緒戦は、どうやら拠点を守るレフノールたちの勝利と言ってよさそうだった。
※ ※ ※ ※ ※
一度の攻撃は退けたものの、無論、レフノールにそれで安心することは許されていない。
こちらの戦力を計られ、罠の存在を知られ、次はその戦力も防備も、そして妖魔ども自身の混乱も勘定に入れた上で、敵はもう一度攻めてくるに違いなかった。
――だが今は。
半ば麻痺したようになっている頭で、レフノールは考える。
勝ったこと、勝てたことを意識づけ、眼前の脅威に対処できる、と信じさせなければならない。
「よおし諸君、よくやってくれた!」
殊更に明るい声で、レフノールは射手たちを労う。
「奴ら尻尾を巻いて逃げ帰ったぞ!
懲りずにまた来たならば、また
どっと兵たちが沸く。
勝つことで士気を保ち、次の困難にも打ち勝てると信じさせる。単純な話ではあるが、単純なだけに条件が整いさえすれば成功しやすい類のやり口でもあった。
「さあ、次が来るまでに水の一杯も含んでおけ。
連中も必死だ、やり合っている最中には水も飲む間がないぞ」
言いながら、レフノールは射手のひとりひとりの様子を確かめる。
ある者とは拳を打ち合わせ、ある者には肩をどやしつけ、また別の相手には背中を叩いて戦いぶりを称える。レフノールにしてみれば、この射手たちこそが戦況を決定づける鍵なのだ。
だからいくらでも褒めて構わないし、労ってよい。そうすることで少しでも気分よく次の攻勢に備えられるようにするのが自分のような将校の役目だと、レフノールは考えているのだった。
最後にレフノールが前に立った相手が、リディアだった。
どこか虚脱したような態度で目を閉じ、静かに息をついている。
「少尉」
レフノールが低い声で呼びかけると、リディアがうっすらと目を開いてレフノールの方を見た。
視線が合い、半瞬遅れて敬礼しようとする手を、レフノールが掴む。
「そのままでいい。よくやった、少尉」
「はい、隊長、あの」
「よくやった」
押し被せるように、自分のそれよりも少し高い位置にある藍色の目を見つめて、レフノールは同じ言葉を繰り返した。
「――はい」
答えたリディアが、掴まれたリディア自身の手を見つめる。
リディアの手の震えが収まったことを確かめて、レフノールは手を離した。
「飲んでおけ、少尉」
腰から外した水筒の蓋を開けてリディアに手渡す。
受け取ったリディアは一口含み、ゆっくりと時間をかけて飲み下した。
少し考えてから、頭上で水筒を逆さにする。
ばしゃ、と水音がして、リディアの顔に水がかかった。
そのまま二度三度と首を振る。銀色の髪の先から、細かい水飛沫が飛んだ。
リディアから差し出された水筒を、レフノールは何も言わずに受け取った。
大きく息をついたリディアが、両手で自分の頬を叩く。
ぱん、という大きな音に、幾人かの兵が振り返ったほどだった。
そのまま数呼吸の間、手で顔を覆っていたリディアが、もう一度大きく息をついて顔を上げる。
「目は覚めたか、少尉?」
レフノールの問いかけに、いくらか力の戻った藍色の目で見返して、リディアははっきりと答えた。
「はい、隊長!」
※ ※ ※ ※ ※
本当ならばもう少し言葉をかけてやりたかったが、と思いながら、レフノールは己の持ち場へと戻った。
何しろ初陣で、はじめて経験することばかりな上に目の前で繰り広げられるのは命のやり取り――というよりは今のところ一方的な殺戮だ。だが、少々の想像力さえあれば、今目の前で殺されてゆく妖魔の姿が、しばらく経てば自分の姿になるのかもしれない、という程度の推測はできる。
それを恐ろしいと思い、たとえ妖魔のそれであっても命を奪うことに本能的な嫌悪感を覚えることは、人としてはごく当たり前の感性ではある。だが軍にいればいつかは必ず、味方のために敵を殺す、ということを実行しなければならなくなるし、将校は部下に対してそれを強制せねばならない立場でもある。
レフノールの見るところ、リディアは、行動を律することはできていて、だが、心の方がまだ扱うものの重さに馴染みきっていない。命のやり取りそのものに慣れないまでも、その結果をどうにか受け入れられるようになってくれなければ、とレフノールは考えている。
自分が為したことの大きさに衝撃を受けている間にも、戦闘は止まらないし、待ってもくれない。そんな状況で新品少尉の見せる隙が見逃されると期待するほど、レフノールは楽天家ではなかった。とにもかくにも初陣の、そして己の手で他者の命を奪ったという事実の衝撃から立ち直らせて、リディア自身の全力を発揮できる状態まで持っていくことが、先任士官である己の責任だ、とレフノールは思っている。
「少尉殿は?」
門の手前の広場で周囲に睨みを利かせているベイラムのところへ戻ると、低い声でベイラムが尋ねた。
「ひとまずは問題ない。
貴官もできるだけ気にかけてやってくれ」
レフノールの返答に、は、とベイラムが頷く。
先任下士官もどうやら同じことを考えていたようだった。
「こんなところで死なせていいような将校じゃないんだ」
レフノールがぼそりと付け加えた言葉に、ベイラムが小さく笑う気配がした。
俺は真剣なんだぞ、という意を込めて下から睨み上げると、凶相ににやりと笑みを浮かべたベイラムが敬礼した。
レフノールは苦笑しながら、ばんとベイラムの腰のあたりを叩く。
「曹長、笑っとる場合じゃない。
次が来るぞ、兵をまとめんか」
その台詞そのものにも笑みが含まれているのだから、説得力がないこと甚だしくはあった。
他愛のない会話を遮るように、どおん、と戦鼓が轟く。
「第4波来るよ、中尉さん! 第3波と同規模!」
櫓からの報告に、レフノールとベイラムはわずかに残っていた笑みを吹き消す。
「防戦用意!」
「射手構え!」
わずかな間を置いて、ふたりの号令が響く。
束の間の休息は終わり、戦場の喧騒がふたたびあたりを包み込んだ。
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