【19:来着】

 その日の午後も半ばを過ぎた頃、執務室に第1分隊長のフェルドマン軍曹が顔を出した。


「露営地にグライスナー少佐殿がお着きです。

 砦に出ていた分隊も戻りました」


「すぐ行く。

 砦から戻った連中からなにかあるか?」


 インク瓶の蓋を閉めながら、レフノールが応じる。


「ございません、隊長殿」


「少尉も来てくれ」


「はい、隊長」


「フェルドマン軍曹、君は先に戻って、少佐殿の荷解きはせずともよい、と伝えておいてくれないか。

 宿に泊まることもできるから、と」


「かしこまりました、戻ります」


 足早に立ち去った軍曹を見送り、レフノールは広げていた書類と仕事道具を片付けて立ち上がる。

 リディアに視線を向けると、彼女も同様に片付けを済ませていた。


 外に出ると、暖かないい天気だった。

 露営地の方が賑やかなのは、射撃の教練をしているからだろう。

 歩き出してほどなく、露営地に着く。

 グライスナー少佐は既に馬から降りて待っていた。護衛の兵のほかに随行しているのは下士官のようだ。


「ご無沙汰しております、少佐殿」


 レフノールが歩み寄って敬礼する。並んで歩いてきたリディアもそれに倣った。


「半月ぶりかな、中尉」


 かすかに顔をほころばせたグライスナー少佐が答礼して応じる。


「貴官が着任してから、細々としたモノの不足や遅配がなくなった。いい仕事ぶりだと評判だ。

 少尉も元気でやっているようで何よりだ」


「はい、隊長にはとても良くしていただいています、少佐」


「副長には大変助けられています、少佐殿」


 グライスナー少佐がレフノールとリディアを見比べてうんうんと頷く。


「優秀な将校を引き抜いていったのだ、そうであってくれなければ困る」


「連れて戻って正解でした。今や我が隊の業務は副長なしに回りません」


 冗談めかして言うグライスナー少佐に、レフノールも軽口で応じた。

 もっとも、リディア抜きで仕事が回らないというのは掛け値なしの事実でもある。


「さて、指揮官会同は明日ですが、今日はよろしければ、我々が宿舎として借り上げている宿でお泊りになられてはいかがかと。

 広々とした個室というわけにはいきませんが、露営よりもお疲れは取れましょう」


「では遠慮なくそうさせて貰おうか」


「部屋は申し訳ありませんが、副長と相部屋でお願いいたします。

 個室をご所望であれば自分が使っている部屋を空けますが――」


 レフノールが言いかけたところで、グライスナー少佐が面倒そうに手を振った。


「要らぬ気を遣わずともよい、中尉」


「申し訳ありません、少佐殿」


 このあたりの気の遣い方は難しい、とレフノールは思う。

 気遣いを当然と捉えてそれがなければ怒りだす上官もいれば、無用の気遣いを面倒と感じる上官もいる。貴族士官には前者が多くはあるが全員がそうというわけでもなく、その度合いも相手によって異なるものなのだ。


「謝るようなことでもないよ、中尉。貴官の気遣いで露営せずに済むのだから」


「恐れ入ります」


 レフノールの見るところ、このグライスナー少佐は随分と仕えやすい上官ではあった。

 理屈に合わない話はなく、好むところを外してもそれだけで怒りだすということもない。


「まあ、今日明日は少尉にこちらの話でも聞かせて貰うさ」


「はい、是非、少佐」


 グライスナー少佐の言葉に、リディアが笑顔で応じた。

 やり取りだけ見れば、やはり歳が少々離れた姉妹のようにも見える。

 もっとも、背丈は年下のリディアの方がだいぶ高いのだが。


「ところで中尉、あれは何だ?

 打撃歩兵が来ているとは聞いていないが」


 牧草地の方へ視線を向けたグライスナー少佐は、クロスボウの教練に興味を惹かれたようだった。


「うちの連中です。

 クロスボウを手に入れたので、基礎教練を」


「クロスボウか。輜重と見て襲ってみたらクロスボウで反撃されるでは、襲う側はたまらんな」


「そうありたいものです。いや、まあ、襲われないのが一番有難くありますが」


「違いない。

 隊の予算で賄えたのか?」


 とてもそうは思えないが、という口調でグライスナー少佐が尋ねる。


「小官の自弁です――とは言っても、実家の伝手でごく安価に手に入れたものですが」


 ああそちらか、とグライスナー少佐が頷く。

 実際には自弁とは言っても、表に出せない金も多分に含まれている。

 レフノール自身もグライスナー少佐も、そのあたりには触れないことが暗黙の了解ではあった。


「部隊長が部隊の装備を賄うというのはあれだな、古い時代の軍では普通に行われていたと聞くが」


「軍が貴族の兵の寄せ集めだった頃の名残、と聞いております」


 軍団を編制し、臣民を王の名の下に軍に組み込む現在の軍制は、国の歴史から見ればごく最近のものに過ぎない。

 それまでは王に忠誠を誓う貴族たちがそれぞれ兵を集めて領地を守り、また国の軍事に参画していた。そのような時代においては、装備その他はそれぞれの兵団を作り上げる貴族たちが賄うものだったが、同時に武功に応じて私掠の勅許や恩賞が得られるという仕組みもあった。


 つまり自前の兵士でもって作り上げる兵団というのは貴族にとって、領地を守るための、あるいは領地経営上の、ある種の投資でもあった、と史書は教えている。


 時代が下って軍は国と王のものとなったが、指揮官層はそう大きく変わったわけではない。

 建前上、将校は身分にかかわらず能力によって登用されることになってはいるが、その能力を持ちうるのは教育に金と時間を注ぎ込める層――つまり貴族やそれに準じる上流階級の出身者が大半だ。


 そうでない者、例えば兵卒から叩き上げた将校というのもいないではないが、数は圧倒的に少ない。


 更に言えば、人事においても本人や上官の家門だの上級貴族の意向だのが考慮されることは少なくないから、やはり結果として上に行けば行くほど良家の関係者だらけ、という話になってくる。

 そのような事情から、軍の上層を形成する将校たちの間では、いまだ古い時代の伝統が生き残っている部分があった。部隊の装備に部隊長が私費を投じることも許され、あるいはむしろ推奨される、というのもその一例だ。


「ま、物事が変わるにはまず誰かが試さねばならんし、試すために先立つものもなかなか出てはこない。

 私個人としては、輜重がそうやって備えてくれるのは頼もしい限りだとは思うがね」


「先日襲撃されたばかりですから、やはり備えておかねば、と」


「あれからわずかな日数でもう物を揃えて教練とは、やはり貴官は仕事が早いのだな」


「恐縮です、少佐殿」


 偶然と周囲に助けられている部分が大きい、とレフノールは考えているが、軍の側の都合を次の襲撃は待ってくれない。

 前任者のような目に遭いたくなければ、何であれ、できることをやっておく他はないのだった。


 ――まあ、このグライスナー少佐のように、それを見て評価してくれる人もいるというのは悪くない。


 そう考えながら、レフノールは話を畳む。


「よろしければ宿舎にご案内しましょう、少佐殿」


 言いながら、本部要員の兵を手招きした。


「手荷物はこちらの2人がお持ちします。

 その他の荷はのちほど宿へ運びます」


「ありがとう、では頼む」



※ ※ ※ ※ ※



 宿までは小半刻もかからない。

 レフノールが先に立って歩きだして程なく、グライスナー少佐から声がかかった。


「そういえば中尉、貴官は王都からの派遣だったな。

 軍の再編の話について、なにか聞いているか?

 何と言ったかな、あの――」


「再編というと、独立混成大隊構想ですか」


 グライスナー少佐が話題として持ち出したのは、軍の編成の単位を変えよう、という構想の話だった。

 他所からの支援を受けず、独立して兵站からなにからを動かせるのはおおよそ4千人規模の軍団から、というのが現状の軍の編制の建て付けになっている。

 無論、4千では大きすぎて取り回しが難しいケースもままあるわけで、そういう場合には軍団から必要な部隊を集めて事態に合った大きさの兵力を作ることになる。


 たとえば、今回の妖魔討伐作戦のように。


 能動的な――妖魔の根城を捜して叩く、という場合は、それでもさほど差し支えはない。

 手間もかかるし抽出する部隊がいつも同じとは限らないから連携が怪しくはなるが、ともあれ必要な大きさの部隊を必要なタイミングで投入することはできる。


 問題は、軍団は必要ないが陸軍が動かなければならない、という事態が向こうからやってきた場合だ。

 無駄を承知で大規模な集団を動かすか、指揮系統にリスクを抱えたまま小分けの部隊を急遽編成するか、あるいは適切な部隊を編成しつつその間の被害を甘受するか。


 いずれも簡単に受け入れられる話ではなかった。


 であれば、そのような事態を回避するために、より小回りの利く大隊規模で、かつ独立して動ける部隊をあらかじめ作っておいては、という話だ。


「ああ、それだ。

 将校連中が気にしているが、辺境の砦ではなかなか情報が入ってこない。

 まさか噂話のために軍団本部と伝令のやり取りというわけにもいかんしな」


「小官の知る限りでは、ほぼ当初の想定通りの内容で実施されるかと。

 ひとまず陸軍の常備軍団から各1個大隊相当を抽出して編制、と聞いています」


「時期は?」


「年明けから編制を開始し、編制完了と隊旗の授与は来年の春、という話です」


「中央での評判はどうなのだ?

 うちの軍団――第2軍団では好評と悪評が相半ば、といったところだが」


「あまり快く思わない者もいるようですが、摂政殿下が推し進めておられますので……」


「表には出てこない、か」


「はい。まあ、中央は中央で、こういった場面で一枚岩とはなかなか。

 既存の軍団の戦力低下を問題視する者もいれば迅速な対応が可能な新編大隊に期待する者もおります。

 あとは殿下の影響力の増大を危惧する者、逆に人事権を梃子に中央の影響力を増そうとする者。

 そのあたりは、なんと申しますか、本筋とは離れたところで綱引きをしているようなものです」


「中央も軍団も似たようなものか。

 こちらはこちらで、役職が増えると喜ぶ者もいれば、役職を餌に態よく辺境へ追い払われると言う者もいる」


 どこも同じか、とグライスナー少佐が苦笑する。


「で、貴官はどうなのだ。貴官自身は」


「小官ですか。個人的に?」


「個人的、かつ率直に」


「総論賛成、というところですね。

 抑えるべき場所に対して軍団の数が不足することはありますが、現状、兵力そのものは足りています。

 財布の関係で軍団の数を増やすことが難しい、となれば、あとは小回りの利く駒を増やしておく手でしょう」


「それで総論賛成、か。各論では?」


「何とも言えません。強いて言えば、独立部隊の司令の人選は慎重に行うべき、というくらいで」


「指揮官による、ということかな」


「まさに。

 独立して動ける兵力を『果断にして強固な意志』などで率いられてはたまりませんから」


 グライスナー少佐が愉快そうに笑う。遠慮のない声だった。


「あの、隊長も少佐も少々――」


 気が気でない、という様子でリディアが口を挟む。


「声が大きい、か?」


 まだ笑みがのこったままの声でグライスナー少佐が尋ねる。

 リディアがこくこくと頷いた。


「あまり大きな声で仰るようなことではありません、少佐」


「誰が聞いているというわけでないし、誰のことを言っているというわけでもないが」


 どうする、という表情でレフノールの方へ視線を向ける。


「信頼している部下の諫言です。

 もう宿も近いことですし、どこで誰に聞かれるかわかりません。

 この話はここまでとしましょう、少佐殿」


「そうだな、誤解を招くようなことはせぬがよいか」


 応じたグライスナー少佐があっさりと話を畳んだ。

 リディアがほっと息をつく。安堵した気配が伝わってきた。

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