【20:談話のとき】
そのまま一行は宿に入り、レフノールとリディアがグライスナー少佐を部屋に案内した。
同室になるリディアに後を任せ、レフノール自身は執務室――という名の個室へ戻る。
片づけていた書類と仕事道具を広げなおしていると、扉がノックされた。
「どうぞ」
「邪魔するよ」
「――少佐殿。どうなさいましたか?」
慌ててレフノールが腰を浮かせる。
「そのままで構わないよ、中尉。敬礼もいい。
どうというほどの用でもないが、すこし世間話をと思ってね」
「は」
「いいかな?」
入ってもいいか、とグライスナー少佐が目顔で問う。
「は、勿論です――だいぶ散らかっておりますが」
「なに、片付いたものだ」
まあこちらへ、と椅子を勧めたところへ、もう一度ノックの音が響く。
扉は開いたままだ。
「少尉」
「お茶をお持ちしました、少佐、隊長」
「リディア、君も入れ」
湯気の立つ3人分のマグをトレイに載せたリディアが、失礼します、と応じた。
マグがテーブルに置かれるのを待って、グライスナー少佐が口火を切る。
「私たち先遣隊が掴んだ情報やこれまでの経過は、明日の指揮官会同で報告する。
だがその前に、貴官の耳には入れておこうと思ってな」
「お心遣いありがたくあります、少佐殿」
「と言って、大した話があるわけではないがね」
ふ、と笑ったグライスナー少佐が、地図を取り出してテーブルに広げる。
いささか小さくて済まないが、と断って話し始めた。
「先日も伝えたとおり、やはりアルムダール川のこちら側には大規模な根城はない。
貴官が報告してくれた例の小集団も、貴官の見立てどおりのものだった――移動途上の小集団以上のものではなかった、ということだな。
念のため移動してきたと思われる経路を少々逆にたどってはみたが、砦の近辺に根城はなかった。西か北西か、それなりに離れた場所から移動してきたものと考えている」
白く細い指が話に合わせて地図の上の何点かを指し示す。
アーデライドたちが突き止めた妖魔どもの宿営地のあたりには、小さく×印が書き込まれていた。
「ただし、川の向こうにはおそらく妖魔の根城がある」
「偵察されたのですか?」
「ああ。――とは言っても、少数で渡河して河岸とその近辺を調べただけだが」
「痕跡が?」
レフノールの問いに、グライスナー少佐が頷く。
「足跡があった。焚火の跡も。あまり新しいものではなかったが、おそらく定期的に川へ来ているのだろう。
私は、川から半日行程内外の位置には大規模な集落があると踏んでいる」
定期的に川岸へ出てはいるが、すぐ近くにいるというわけではない――足跡が古い、というのはそういうことだ。
であれば、たしかに川から少々離れた場所と考えるのが妥当だろう。
「常識的には、アルムダール川でなくとも水を制約なく利用できるような場所でしょう」
「そうなるだろうな。北岸――あちら側の岸にも支流はいくつかあった」
根城があるとすればその支流の先のどこか、ということになるだろうか。
「とはいえ、川の向こうの詳しい地誌があるわけでもなし、当たりがついたというだけでなかなか兵は動かせん。
相手の規模も居所もわからんでは、中隊を動かしてどうこうというわけにはな」
「実際のところ我々の任務は、ノールブルムを含めたラーゼン近辺の安全確保です。
川を越えて侵攻してくることが確実であればともかく、現状そのような兆候もないわけでしょう」
「ああ。
そう遠くない将来――2年先か3年先か、そのあたりで頻繁に川を越えて来るか、あるいは妖魔どもの一部が川のこちらに根城を作ることにはなるだろうが」
おそらくはその時点でもう少々大規模な討伐作戦が立案され、対処することになるのだろう。
この近辺の妖魔討伐は2年に1度という程度の頻度だから、次の巡目で、ということになる。
「その時点で撃退のための作戦を、ということになりますか」
「先手を打って叩きに行けるのならばそれが良いのだろうが……」
小さく笑ったグライスナー少佐が首を横に振る。
「事前の入念な偵察は必須だろうし、よほど綿密に計画せねば兵站がもたない。そうだろう?」
「仰るとおりかと」
レフノールは頷いて、地図に記された砦のあたりを指で叩く。
「そもそも、アンバレスから馬車や荷駄で直接補給を行うのはこのあたりが限界です」
「1週間を超えて荷を運べない、というのは聞いたことがあるが」
「はい。馬車を動かす馬匹も荷駄も、それを御する人間も、糧秣を必要としますので」
「距離が延びればそれだけ、補給をするために費やされる糧秣も多くなる、ということか」
「まさに。それに――」
「それに?」
「輜重が食う糧秣そのものにも重さと大きさがあります」
つまりそれは、荷を運ぶための糧秣そのものが荷になる、ということだ。
納得した表情のグライスナー少佐が、肩をすくめて首を振った。
「たまらんな、それは。
よほどの量をノールブルムなりラーゼンなりに貯め込まねばならんか」
「まあ、綿密に計画というのはそういうことでもあります。
今はそのあたりを多少なりとましにしようとしておりますが、なかなかすぐに万全とは」
その後も雑談という名の情報交換は続いた。
グライスナー少佐からは砦周辺の状況、部隊の状況、確保してある物資の量。レフノールからはラーゼンとその周囲の村の状況、アンバレスの近況。
諸々を話し終え、すっかり冷めた茶を飲んでグライスナー少佐が席を立つ。
「なかなかに有意義な時間だった、中尉」
「こちらこそ、いろいろとお聞かせいただきありがとうございました、少佐殿」
レフノールも立ち上がって応じた。
「もう少し話したいところではあるが、あまり貴官の仕事の邪魔をするわけにもいかん。
私はこれで失礼するよ」
レフノールとリディアとで二人、礼をしてグライスナー少佐を見送る。
扉が閉じたところで、どちらからともなくひとつ息をついた。顔を見合わせて少し笑う。
「どう、なるのでしょうね?」
「さあなあ……俺にも、たぶん少佐殿にもよくわかっちゃいないが」
グライスナー少佐も、そして兵站中隊付きのライナスも、分遣隊の指揮官をろくでもない将校で予測しがたいと評している。
だから、出てくる結論もろくでもないものになるのだろう――たぶん。
「出たとこ勝負、というやつかもしれないな」
そう言って、レフノールは肩をすくめる。
「ま、いずれにしても俺たちのやることがそう大きく変わるわけじゃない。
引き続きよろしく頼むよ、副長」
「はい!」
リディアが、いい笑顔とともに目の覚めるような敬礼をしてみせた。
※ ※ ※ ※ ※
その日の夕食時。
アーデライドたちが一通り食事を終えたのを見計らって、レフノールは彼女たちの席に近付いた。
「邪魔するよ」
「や、中尉」
どうぞ、とばかりに引いてくれた椅子に、素直に腰を下ろす。
「頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「内容次第」
「頼みごとそのものはそう大したことじゃない。
もう1日ここに逗留してくれないか、という話だ」
「ベッドと食事を持ってくれるなら、ってとこだけど、理由を訊いても?」
「ざっくり言えば、明日いっぱい小回りが利く人手を確保しておきたい、ってことなんだが――」
「明日、何かあるの?」
ほんの少し考えて、まあ仕方ないか、とレフノールは自分を納得させた。
「他言無用に頼むよ」
レフノールの言葉に、アーデライドが頷く。
「明日、俺たちの上役がここに来る。で、今後の軍の出方をそこで決めることになってるんだが、正直なところどうなるかわからない。
こっちでやった準備を多少修正するくらいで済めばいいんだが、それで済まない話になったときに、ってことだな」
「荒事で解決――って話じゃないよね、まさか」
物騒極まりない台詞にヴェロニカが目を剝き、コンラートが笑いをこらえながら視線を逸らす。
「アデール」
リオンが念を押すような口調でたしなめた。
――少尉が聞いたらどんな反応をしただろう。
「声がでかいよ。当たり前だろ、そういう話じゃない。冗談でもやめてくれ、そういうのは。
ただな、王都なりアンバレスなりとモノのやり取りをしなきゃいけなくなるようなことはあるかもしれないわけだよ」
ああ、とアーデライドが納得した表情になった。
「で、まあ、何があるかわからんから、何があってもある程度は対応できるようにしておきたい、だから人手が欲しい、とりわけ小回りが利いて腕のいい連中なら、って話なのさ」
「だいたいわかった。
この件、待機の話ってことでいいんだよね?」
「ああ、その先に何か頼むとしたら別依頼だ。
今の話はその前段、宿代食事代酒代くらいは出すから、帰るのを1日延ばしてくれ、という話だな」
4人の冒険者たちが互いに視線を交わし、頷きあう。
「じゃあ、そういうことで。せいぜい1日、休ませてもらうよ」
アーデライドがそうまとめた。
「中尉さん、ちょっと色がつくといいなー。ちょっといいお酒とか食事とか?」
「ヴェロニカ」
冗談めかして言うヴェロニカを、リオンが小さく叱る。
生真面目な神官は、仲間内でこういう役回りなのだろう。
「構わない。飯で釣れるなら安いものさ。
ま、何か1品2品足してくれ」
言いながら、銅貨を幾枚かテーブルに置く。
なんだかすみません、とリオンが詫び、いいよいいよとレフノールは手を振った。
「宿は明日も泊まれるようにしておく。食事は基本俺たちと同じだ。
明日の分の酒代はそこから出してくれ。よほど飲まなければ足りるはずだ」
※ ※ ※ ※ ※
翌朝。
ベッドから起き上がったレフノールは、空気を入れ替えようと部屋の扉と窓とを開けた。
爽やかな朝の風が部屋に入ってくる。
見るともなしに窓から外を見下ろすと、少々離れた小さな裏庭で、リディアが剣を振っていた。
動きに合わせて、後ろでまとめた長い銀の髪が揺れる。
「見事なものだと思わないか」
揺れる銀色に朝日の金が映えるさまにレフノールが見惚れていると、隣の窓から声がかかった。
グライスナー少佐だった。
同じように裏庭を見ていたらしい。
「見事なものです」
低い声でそう応じて、なんとなくリディアから視線を逸らす。
「欠かさぬ日課だそうだ、兵学院時代からの」
「毎日これを?」
「四半刻な。砦では毎日やっていた」
ひとつ頷いて、レフノールはリディアに視線を戻した。ただ剣を振り回しているだけではない。
踏み込み、振るい、下がり、身体を振ってもう一度踏み込み、薙ぐ。
ひとつひとつの動作はさほど複雑なものではなく、目新しいものでもない。しかし目の前でそれらが淀みなく繋がり、途切れなく流れてゆく。
これを毎日欠かさず続けている、とグライスナー少佐は言った。
――この努力が、彼女の剣技をここまでのものにしたのだろう。
剣技そのものもさることながら、積み上げた軌跡こそが見事なものだ、とレフノールは思う。
「どなたに師事したのでしょうね」
「誰にも」
短い返答。
レフノールは思わずグライスナー少佐に視線を向けた。
「リディアは祖国の子だよ」
ちらりと見返したグライスナー少佐が応じる。王立孤児院の在籍者や出身者は、祖国の子、と呼びならわされる。
――あそこに入るのは戦災孤児か軍人遺族。
王立孤児院では、最低限暮らしを立てるに必要なことは一通り教えてくれるし、出来がよければ兵学院なり法学院なりにも入らせてくれる。
彼女はおそらくその口だろう、と、レフノールはリディアの日頃の仕事ぶりを思い返した。
しかし、王立孤児院でも兵学院でも、武術の師匠を付けてくれるというようなことはない。
「ではどこで」
「剣技は兵学院でも教えてくれるだろう」
たしかに兵学院でも剣技を一通りは教えてくれる。
だが。
「あそこで教えているのは基礎動作だけ――」
自分で口にした言葉の意味を飲み込んで、レフノールはもう一度、リディアに視線を戻した。
滑らかに繋げてはいるが、よく見ればひとつひとつの動作は確かに兵学院で教わるものだ。
つまり目の前の流麗な動きは、兵学院での教えをひたすら繰り返し身体へ叩き込んだ結果、ということになる。
「見事なものだと思わないか?」
グライスナー少佐がもう一度、先ほどと同じ問いを繰り返した。
「――見事なものです」
リディアへの、そしてリディアが積み重ねたものへの敬意とともに、レフノールももう一度同じ台詞を口にした。
ちょうど四半刻が経ったのだろう、リディアが足を止め、剣を鞘に納めた。
さすがに息が上がったものか、肩を上下させながら井戸の傍へ行き、置いてあったマグを手取って振り向く。
レフノールとリディアの目が合った。
「少佐、隊長!」
上気した顔をさらに赤くさせながら、責めるような口調で小さく叫んだ。
「ご覧になっていたのなら声をかけてください!」
「すまない、リディア。
二人して見惚れていた」
笑みを含んだ口調でグライスナー少佐が答える。
「見事なものだと思っていたんだ、少尉。
邪魔をしては悪いと思ってね」
いささか言い訳がましい話だが、嘘というわけでもない。
「邪魔などではありません。
――隊長も一緒に身体を動かされればよいのです」
――冗談じゃない。ついていけるわけがない。
どこか拗ねたようなリディアの台詞の後ろ半分を聞こえなかったことにして、レフノールは曖昧に視線を逸らしたのだった。
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