【29:設営と索敵】

 レフノールたちが渡河点の高台に戻ると、もうあらかたの整地は済んでいた。

 行って確かめて戻るその間に、結構な時間が過ぎていたらしい。

 グライスナー少佐も北岸へと渡ってきていた。

 これから夜に向けて、天幕の設営をするのであれば相応の人手が必要になる。

 このタイミングで渡河を済ませてしまうのは、まず手堅い判断と言えた。


「中尉」


 先遣隊の将校たちに囲まれて何やら話し込んでいたグライスナー少佐が、その輪が解けたタイミングで、レフノールを呼んだ。

 はい、と応じたレフノールが、早足で少佐のもとへと向かう。リディアも一緒だった。


「浮かない顔だが、中尉?」


「ええ。

 念のため確認したいのですが、少佐、先遣隊が渡河して足跡を発見したというのは……?」


「ああ、ここよりもう少し下流のあたりだな。

 さほどの数ではない、まばらな足跡だったが――何か?」


 レフノールはリディアと顔を見合わせた。どちらからともなく頷く。

 つい先ほどヴェロニカに案内された足跡は、高台よりも上流側だった。


 ため息をひとつ吐いたレフノールは、ヴェロニカが見つけた足跡と籠罠のことを説明した。


「いるな、それは。

 近くに。間違いなく」


 何かを諦めた口調で、グライスナー少佐が断定する。


「防柵の設置を急がせよう。

 ひとまずあの、北側だけでも塞いでしまいたい」


 レフノールとしてもまったくの同意見だった。

 防柵の設置もままならないままでは、丸裸のまま襲われかねない、という危機感がある。


「こちらの準備はそれでどうにかするとして」


 グライスナー少佐としてはやはり、もうひとつの問題が気になるところ、ということであるらしい。


「やはり索敵、ですか」


「ああ。早晩、我々がここにいることは連中に知られる。

 だが、妖魔どもがいることは解っても、その根城がどこなのかが判然としない」


 敵にだけ根拠地を知られている、という状態は、土地勘のない混成大隊にとって、分の悪すぎる状況だった。


「せめて当たりだけでも付けねばどうしようもない。

 支流沿いをいくつか当たってみるつもりではあるが」


 大規模な集団の根城があるとすれば、おそらくは水を支障なく利用できる場所。

 頻繁に移動しがちな妖魔のことならば、使うのは井戸よりも川。

 そうであれば、アルムダール川の支流沿いというのは、根城の候補地としてはあり得そうな場所ではある。


 とはいえそれは可能性が高いというだけで、確実なものとは到底言えない。

 闇雲に手探りするよりはまし、という程度のものでしかなかった。


「先が思いやられますね」


 ため息とともにレフノールが吐き出す。


「まあ、本隊が来着したならば、進言だけはしてみよう」


 誰にとも何をとも言わず、平板な口調で、グライスナー少佐が言った。

 なにも期待してはいない、という口調だった。



※ ※ ※ ※ ※



 索敵の困難とは対照的に、拠点の設営は順調に進んでいた。

 川の上に張り渡したロープと滑車を使って次々に物資が運び込まれ、ゴーレムたちの手で防柵が作り上げられてゆく。

 整地され、平らになった高台の上には、工兵たちの手で天幕が張られ始めていた。


「今夜の寝床は問題なく確保できそうです、隊長殿」


 作業の合間を縫って、ベイラムがそのように報告する。

 レフノールは、御苦労、よくやってくれた、と凶悪な面相の曹長をねぎらった。


「あのゴーレムというやつは、あれは大したものですなあ」


 ほとほと感心した、という態でベイラムが言う。

 実際にゴーレムたちは大した働きぶりと言えた。

 細かい作業には向かないが、この類の設営作業では、何よりも力と手数がものを言う。

 大人の10人分になろうかというゴーレムの膂力は、それだけで大きな戦力だった。

 細かい作業はできずとも、力仕事を疲れもせずにこなしてくれるのであれば、そこで浮いた人数を細かい作業へ向かわせて十二分な釣銭が来る。


 工兵たちはそのようにゴーレムを使い、計画よりも随分と早く作業を進めているのだった。


「まあ、これで、設営も済まないうちに妖魔の群れに襲われる気遣いはなさそうだが」


 実際のところ、渡河するまではそれが大きな懸念点のひとつではあったから、その心配が消えた、ということは喜ぶべきところだ。

 問題点は多々あれど、ひとまず目の前のひとつが片付いた、という話でもある。


「あとは、連中が来るまでにどれだけ仕上げられるか、だろうな」



※ ※ ※ ※ ※



 翌日と翌々日の2日間を、先遣隊は拠点の設営と索敵に費やした。

 その甲斐はあったと言ってよいだろう――初日はどうにか北側だけに設置された防柵だったが、翌日の終わりには、川の屈曲に沿って南側に張り出した台地の全周を囲んでいた。

 翌々日には、北側の通廊部分に空堀が掘り込まれ、擬装された落とし穴や移動を阻害するための棘付きの杭が設置された。防柵の内側、北側の通廊に臨む位置には簡素な作りの櫓が組まれ、上から周囲に睨みを利かせている。


 整地も進み、拠点は今や、混成大隊を収容できる大きさになっていた。


 ラーゼンを出て以来レフノールは、毎日1度はアンバレスと連絡を取り、不足している物資や器具を要求していた。リンクストーンの向こうのライナスはその都度、可能な限り速やかに送る、と請け合ってくれた。


 軍団本部でどのような調整が行われているのか、レフノールに知る術はない。大人しく待つ以外の選択肢はなかったが、その点でレフノールは、数少ない友人と言ってよい同期を信頼していた。結果はどうあれ、少なくとも最善の努力を怠らないことだけは確信している。


 索敵は、翌日こそ空振りに終わったものの、翌々日、拠点よりも上流側の支流のひとつを遡った地点で、妖魔が行き来していた痕跡を発見している。これまでの経緯からすれば、その支流を遡っていった先に、妖魔どもの根拠地があることはほぼ間違いがないと考えてよい。


 問題は、その具体的な位置が判然とせず、だからどれだけの距離があるのか、どれほどの時間がかかるのかが解らないことだった。しかし、現状でそれ以上の捜索は危険が過ぎると判断されている。長くとも半日行程を出ることはないだろう、というのが、グライスナー少佐の見立てで、その点についてはアーデライドたち冒険者も、そしてレフノールも意見を同じくしている。


 懸念点もあった。

 漁のためと思われる籠罠を仕掛けた妖魔は、その後現れていない。

 危険を察して逃げた、と判断するしかなかった。


「妖魔どもが根拠地そのものを放棄してくれていればよいのだが」


 そうであるとは信じていない口調で、グライスナー少佐は言った。


「ないでしょう、それは。残念ながら」


 疲れた表情で、レフノールが否定する。

 レフノールの傍らに立つリディアが、緊張した面持ちでふたりのやり取りを見守っていた。


「余程の小勢であれば別ですが、おそらくそうではない。

 そうであれば――」


 疲労の浮いた顔のまま、レフノールが付け加える。

 籠罠があったことから察するに、アルムダールの河岸は妖魔どもにとっても食糧の供給源のひとつであるはずだった。だとすれば、余程明らかな戦力差がある、というような場合でない限り、そこを簡単に手放すような移動をするものとは思われない。


 この場所を手放さないのならば、妖魔が取る行動はふたつしか考えられなかった。


「やはり、来ると思うかね、中尉」


「ええ、間違いなく、少佐殿」


 根拠地の守りを固めて待つか、逆にこちらの拠点と思わしき場所を潰しに出てくるか。

 妖魔の行動として、可能性が高いのは圧倒的に後者だった。両方、ということもあるかもしれないが、いずれにしても攻めてくるということを前提に準備をしておかなければならない。


「いくらかでもここに兵数を残す、と言ってくれればいいのだがな」


「ないでしょう、それは。残念ながら」


 レフノールがもう一度否定した。先ほどと同様の、疲れた表情だった。

 主語はない。ふたりとも意図的に省いているのだった。


 指揮官会同の折の言動を見る限り、状況が変わったからとて容易に当初の作戦を変えるものとは思えない。レフノールにとってもグライスナー少佐にとっても、カウニッツ大佐とはそのような指揮官だった。

 だからおそらく、カウニッツ大佐は、主力のすべてを手許に置いて、妖魔の根拠地への攻撃に投入することになるだろう。戦力の集中は戦略の基本だ、とでも言って。


 特に申し合わせることもなく同じ想像をしてしまったふたりの指揮官は、どちらからともなくため息をついた。


「そうであれば、隊長のご準備が役に立つとき、ということです」


「俺の?」


 確信に満ちた口調で断言したリディアに、レフノールが聞き返す。

 リディアの視線の先に、まとめて置かれたクロスボウがあった。


「役に立つような事態にならなければ、それが一番だったんだがなあ」


 レフノールとしては喜んでよいのかどうか、よくわからない。

 だが、危険に臨んで頼るべきものがひとつもない、という事態よりは遥かにましなはずだった。


「『たとえ最善が叶わずとも』」


 悪戯っぽい笑みを浮かべたリディアが引用したのは、兵站将校のための教則の一節だった。

 兵站将校であれば誰もが暗誦できるほどに叩きこまれる。


「『次善の、あるいは少しでも最善に近い結果のために備えよ』、か。

 くそ、少尉、まったく君の言うとおりだ」


 愚痴を吐いている場合でも腐っている場合でもない。

 いくつか年下の銀髪の部下は、言葉を変えてレフノールを叱咤しているに違いなかった。


「ここで防戦、ということになるのなら、あれほど心強い備えもないな」


 いくらか笑みを含んだ口調で、グライスナー少佐がリディアに頷く。

 ままならないことが多すぎる任務で、それはこの後も変わる見込みなどなかったが、レフノールの気分は少しだけ明るくなっていた。

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