【28:発見されたもの】

 輜重隊の渡河は、おおよそ順調に進んだ。

 幾人か、川の中で転倒しかけるものがいないでもなかったが、皆ロープを使って難を逃れている。

 流されて失われた荷もない。ひとまずは無事と言ってよい渡河だった。


 輜重隊が1往復半の渡河を終えるころ、並行して作業をしていた工兵たちが、ロープを張って、滑車の仕掛けを作り終えた、という報告が入った。


「曹長」


 レフノールがベイラムを呼ぶ。


「はっ!」


 駆け寄ってきたベイラムが、背筋を伸ばして踵を合わせた。


「半数はあちらへ戻して、荷を渡す準備をさせろ。

 残りはこちらで荷解きだ。工兵が必要とするものから優先。具体の調整は任せる」


「承りました、隊長殿!」


 敬礼で応じたベイラムが、てきぱきと指示を飛ばし、半数を対岸へ戻らせる。

 南岸組の指揮は、ノルダール軍曹が執る、ということになっているようだった。


 ひとまず任せてしまってよい、と見たレフノールは、コンラートのところへ歩み寄る。


「どうしました、中尉?」


 気付いたコンラートが振り返った。


「ああ、渡河の支援、御苦労だった。

 御苦労ついでで悪いんだが」


「何なりと、中尉。

 あなたは大事な依頼人ですからね」 


 にやりと笑みを浮かべたコンラートが応じる。


「このあたりのな」


 言いながら、レフノールは一帯をぐるりと手で示す。


「整地を手伝ってやってくれ、ゴーレムで。

 ここに拠点を整備することになるが、ひとまず地面を平らにしたい……というか、邪魔な木だの岩だのを取り払いたい。具体的な指示は工兵の下士官に出させるから、そいつの言うように地ならしをしてくれ」


 要望を聞いたコンラートが、顔に苦笑を浮かべる。


「……あなたは大事な依頼人ですからね」


「不満かね?」


「いいえ、中尉、我ながら便利なものだな、と思っただけですよ」


 違いない、とレフノールが笑う。


「おそらく、防柵の設営やら何やら、まだまだ便利に使わせて貰うことになると思うが」


「もちろん、あなたは大事な依頼人ですからね」


 コンラートが笑いながら肩をすくめた。

 仕草とは裏腹に、陰のない笑い声だった。



※ ※ ※ ※ ※



 ほどなくマイエル軍曹がコンラートに付いていろいろと指示を出し、コンラートがそれに従ってゴーレムを動かし始めた。

 高台の上に生えていた細い木を雑草かなにかのように引き抜き、残った根もほんの寸刻で掘り出してしまう。高台の一隅には引き抜かれた木々や掘り出された岩が小山のように積み上げられてゆく。


 指示を出してしまうと特にすることがないレフノールは、ぼんやりとその様を眺めていた。


 ――兵站の工兵隊にはゴーレムを使える魔術師を配属する、ということでいいんじゃないか?


 思わずそんなことを考えてしまうくらい、ゴーレムの力は圧倒的だった。

 半日はかかるだろうから今日は最低限のところだけ、と考えていた整地作業が、わずか半刻ばかりのうちに片付こうとしている。


「中尉さん、ちょっといい?」


 不意に傍から発せられた声に、レフノールはびくりと振り向いた。

 アーデライドとヴェロニカが立っている。


「何かまずいことでも?」


 内心の動揺を隠すように問い返したレフノールに、ヴェロニカは曖昧に頷いた。


「んー……今すぐにまずい、という話じゃあないんだけれどもね。

 ちょっと、来てもらってもいい?」


 ああ、と頷いて、レフノールはリディアを探す。

 生真面目な少尉は、レフノールとは少し離れた場所で、作業の様子を見守っていた。


「少尉!」


「はい!」


 こっちへ、というレフノールの手振りに、リディアが駆け寄ってくる。


「メイオール少尉、参りました!」


 型通りの敬礼をするリディアに、レフノールが幾分曖昧に答礼した。


「済まないが、ちょっと付き合ってくれ。

 彼女たちが何やら見つけたらしい――ということでいいんだよな?」


 レフノールの言葉の後半は、ヴェロニカとアーデライドに向けられたものだ。

 うん、とふたりの冒険者が頷く。


 レフノールは軍曹のひとりを呼び、ちょっとそのあたりを確認してくるから、何かあったら大声で呼べ、と命じた。

 軍曹が駆け去るのを確かめて、冒険者たちに頷く。

 じゃあこっちへ、とヴェロニカが先導して、4人は高台を離れた。



※ ※ ※ ※ ※



「さっき、このあたりを探してて見つけたんだけどさ」


 冒険者たちに続いてしばらく岸辺を歩き、やや開けた場所に出た頃合いで、ヴェロニカが河岸の砂地を手で示す。

 いくつもの小さな足跡が、そこに残されていた。


「……これは」


「靴を履いてるから、これだけで何かはわからない。でも、こっち岸に人は住んでないんだよね?」


「そのはずです」


 念を押したヴェロニカに、リディアが真剣な表情で頷く。


「いくつも混じってるから、実際の数がどのくらいかはわからない。でも、たぶんいちばん最近来たのは3かそこら、時期は1日か2日前。3日は経ってない、と思う」


「少佐からの情報のものとは別、ということか?」


「たぶんね。

 あの少佐がどういう人かあたしは知らないけど、こういうのを黙ってるような人じゃないでしょ?」


 レフノールが見る限り、それはまさにそのとおりだった。


「まあ、少佐は向こう岸にいるから、すぐに確認は取れるが」


「でね、まだあるのよ」


 あそこ、見える? と尋ねながら、べたべたと足跡のついた砂地の中ほどを、ヴェロニカが指さす。

 雑な作りの杭があり、同じく雑な作りのロープが、それに結び付けられていた。

 ロープの先は、そばの丈の高い草の陰の水中に消えている。


「なんだあれは。

 舟でも繋いであるのか?」


「魚用の籠罠。

 中に餌を入れておくと、釣られて入った魚が出られなくなる仕組みのやつね」


 淡々とした口調でヴェロニカが答える。

 レフノールとリディアが、顔を見合わせた。


 罠であるのならば、仕掛けてそのままということはあり得ない。

 見回り、中に獲物がいれば取り出して、また仕掛け直す必要がある。


「……なるほどね」


 おそらく定期的に川岸へ出てきているのだろう、と言ったグライスナー少佐の言葉が思い出された。

 ほかに何箇所こういった罠が仕掛けられているのかは定かでないが、少なくとも、罠を仕掛けて魚を獲ろうという程度の知恵の働く妖魔が、それが必要になる程度の規模で、近くにいる、ということになる。


「只で済むとは思っちゃいなかったが」


 ひょっとしたらこの近辺にも、大規模な妖魔の集団というのは存在しないのかもしれない、という、レフノールが朧げに抱いていた希望が、潰えた瞬間だった。

 どうあっても衝突は避けられないということが、嫌でも理解できてしまう。

 あとはあの大佐殿が上手くやってくれることを祈るだけだ。


「わかった、ありがとう。

 ヴェロニカ、ここで連中を待ち伏せることは?」


「できなくはないよ。

 ただ、タイミングがわからないから……」


 いつ来るともしれない敵を、緊張を保ちながら待ち続けるのは難しい。

 交代で見張らせるにしても、先に見つかってしまっては意味がない。そして兵の大半は、効果的に身を隠す術など習得してはいないのだ。


「仕方ないな」


 ため息を吐き出して、レフノールが呟いた。


「まあ、離れた場所から監視できるように手配をしよう。

 できるだけ情報を持ち帰らせたくはないが……」


 首尾よくこちらが妖魔どもを先に発見し、討ち果たすなり捕らえるなりができたとして、送り出した仲間が戻ってこないという事実は、それ自体が妖魔どもにとって、危険の存在を示す情報になる。

 あとはどれだけこちらが柔軟に対応できるか、というところだが、とレフノールは思う。


「果断にして強固な意志をお持ちの方が、我々の隊長様だからなあ……」


 絶望的な気分で口にしたレフノールの言葉に、聞いていたリディアががっくりと肩を落とした。



※ ※ ※ ※ ※



「あの足跡なんだが」


 渡河点への帰り道、レフノールはヴェロニカに尋ねた。


「なあに、中尉さん?」


「あの騒ぎを見て、逃げ帰った、という可能性は?」


「わかんないわ、正直なところ。

 あそこまでは出てきてない、というのは確実。あとはどれくらいの頻度か、だけど、籠罠の大きさからして、毎日とか1日置きとかじゃないとは思う。でもこれも想像でしかないし、確かめるには足跡を追うしかないんだけど――」


 言葉を切ったヴェロニカが、肩をすくめる。


「土地勘がなくて味方もいない場所で、あんまり深追いはしたくないのよね」


 狼騎兵を追うことができたのは、それがおそらく突出してきた遊兵で、大規模な集団がいないという目算があり、逃げた相手を後ろから追う、という条件が揃った上でのことだった。

 加えて言うならば、今はもう午後も半ばを過ぎている。

 夜になる前に戻る前提であれば、無理に足跡を追っても成果のないまま戻る可能性の方が高かった。


 このあたりが、いつ、どこまで偵察を行うか、という、計画立った索敵が必要な理由でもある。

 それはそのまま、敵地への侵攻を慎重に行わなければならない、という理由でもあった。


「何もかも教本通りがいい、と言うつもりはないんだがなあ」


 思わず愚痴めいた言葉が漏れる。


「もう少し、定跡への敬意というものを払っていただきたかったところですね」


 その言葉に反応したのは、リディアの声だった。

 意外な思いで立ち止まり、振り返ったレフノールに、リディアがぶつかりそうになって足を止める。


「……隊長?」


「いや、まさか君からそういう言葉を聞こうとは思わなかった」


「わたしにだって、」


 小さく笑ったリディアが、後ろで結んだ髪をばさりとかき上げる。


「たまには率直になりたいときがあるんです」

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