【3:司祭の務め】

 村に見えた小さな尖塔は、やはり神殿のそれだった。

 神殿は小ぢんまりとしたものではあったが、手入れの行き届いた様子だ。

 レフノールは礼拝堂ではなく、その傍らに建てられた質素なつくりの司祭館に向かい、扉を叩きながらごめんくださいと声を張る。

 現れたのは老境に入った男だった。

 おそらく下働きなのだろう、使い込まれた麻地の服を纏っている。


「小官は陸軍第2軍団分遣隊のアルバロフ中尉と申します。

 司祭様のお力をお借りしたくお邪魔しました。お取り次ぎを願えますか」


 昔からの習い性で腰が低い。

 兵学院時代にも任官してからも、それで馬鹿にされたことはある。

 だが、レフノールにはあまり改めるつもりはなかった。

 任務と出自の両方が原因だった。


 任務とは無論、兵站に、なかでも輜重に関することだ。

 王国の軍において兵站といえば、戦場で実際に戦う以外のほぼすべてを指し、輜重は物資を前線に供給するためのすべてを指す。

 それは後方から物資を運ぶことに留まらず、調達や、それらの計画も含まれる。調達にも、そしてときには運搬にも、軍の外とのやり取りが――命令でなく、契約と金を介したやり取りが、必須のものになる。

 相手にしてみれば、横柄な将校よりは丁寧な将校の方が付き合いやすい筈だった。


 出自についても似たような事情があった。

 二代前まで、レフノールの家はどうということのない商人の家だった。

 先代の当主、つまりレフノールの祖父が家業の商いを大いに成功させ、多額の資金援助と引き換えに、落魄した男爵家の養子に入った。つまり、貴族の地位を金で買い取った、ということになる。

 成りあがりの金上げ貴族と蔑まれることもないではないが、レフノールも含めた当の本人たちはそれを一向に気にしていない。

 それは紛れもない事実であるからだった。

 レフノールの父は小さな領地を経営する男爵家の当主ではあるが、家の経済的な基盤は相変わらず商売の側にある。

 家風も同様で、貴族というには商売っ気が抜けきっていない。成りあがりと蔑まれる所以でもあった。


 レフノールが物心ついた頃から既に、長兄は男爵家を継ぎ、次兄は家業を継ぐことが決まっていた。

 成年に達しようかという年齢になったとき、三男であるレフノールの選択肢は三つあった。

 王都に常駐する長兄の代官として領地に下り、領地経営の実務を担うか。

 次兄の下で働き、いずれはどこか別の街で、ひょっとすると別の国で、支店の一つも任される立場になるか。


 レフノールはそのどちらも選ばず、第三の選択肢――家を出ることを選んだ。

 二人の兄はどちらも有能で、しかも弟を可愛がってくれたから、その下で働くというのは悪くなかったかもしれない。

 しかし部屋住みの身に甘んじるよりは、少々苦労があっても自力で身を立てたい、と当時のレフノールは考え、軍人になって家を出ることを選んだのだった。

 軍の将校を養成する兵学院にいた頃から、幾度かその選択を後悔したことはある。

 というよりも、理不尽な目に遭うたびに、こんなことなら、と後悔している。

 そして今回がこれまでのところ最大の後悔案件だった。


 レフノールがそんなことを考えているうちに、一旦は奥に下がった老人が戻ってきた。

 こちらへ、と奥へ通される。

 司祭は通された部屋で待っていた。

 柔和な面差しの、小柄な老女だった。

 髪はもうすっかり白く、肌には深い皺が刻まれているものの、背筋はしっかりと伸びている。


「よくおいでになられました。どうぞおかけください」


「ありがとうございます」


 老司祭の言葉に答えて一礼し、勧められた椅子に腰を下ろす。

 部屋の調度は、けっして値の張るものではない。しかしそれらはよく磨き込まれ、長く丁寧に使われた家具にしか持てない風合いを出している。


「この神殿をあずかるエマンです。わたくしにご相談がおありと伺いましたが」


「陸軍第2軍団分遣隊のアルバロフ中尉と申します、司祭様。

 先刻、村のはずれで妖魔との小競り合いがあったことはご存知でしょうか」


「ええ、若い兵隊さんが伝えてくださいました。危険ゆえ外に出ないように、と」


「幸い、妖魔どもは撃退しましたが、我が方にも3名、戦死者が出ております。負傷者も。

 相談というのはそのことなのです。戦死者の葬儀を行いたいのですが――」


「司式を、ということでしょうか」


「はい。部隊を預かる者として、ただ埋葬するのみというのは心苦しいのです。

 不躾とは思いますが、これでどうか」


 レフノールが懐から取り出した小さな革袋を机に置く。

 じゃらり、と音がした。中には銀貨が幾枚か入っている。


「司式はお引き受けいたしますが、軍のお方からそういったものを受け取るわけには」


 落ち着いた様子で断る老司祭に、レフノールは食い下がった。

 一度出したものを、はいそうですかと引き下げるのは格好がつかない。


「これは寄進です。個人的な。それに」


「なんでしょうか、中尉殿?」


「自分の生まれは商家です。父から、頼み事の折には、対価を払わねばならない、と」


 一瞬のあいだ目を見開いてレフノールを見つめた老司祭が、おかしげに笑いだした。


「……まあ、率直な御父上ですこと。

 ならばわたくしも率直にならねばなりませんね?

 あなたからの寄進として、ありがたく頂戴することにしましょう」


「ありがとうございます。もうひとつ、よろしいでしょうか」


 軽口が通じる相手でよかった、と安堵しながら、レフノールが続ける。


「何なりと、中尉殿」


「殿はやめてください、司祭様。あなたのような方に殿付けで呼ばれても気恥ずかしいだけです。

 ええ、それで、もう一つのお願いなのですが、さきの負傷者の件です。

 我々の中にも療兵としての訓練を受けた者はおりますが、休養する場所が天幕では怪我をした身には堪えようと思います。

 もし差支えがなければ、負傷者が身を休める場所をお貸しいただけないか、と」


「大きな街の施療院には及びませんが、幾人かお休みいただく程度であれば、勿論、差支えなどありません。わたくしは奇跡を起こすことができませんが、夫には薬医の心得があります。

 それはそれとして」


「なんでしょうか、司祭様?」


「わたくしに殿付けをやめさせるのであれば、あなたも様付けをやめていただかねばなりません」


 謹厳な顔のままに老司祭が言う。

 今度はレフノールが目を見開く番だった。降参ですと両手を挙げて首を振る。


「いや、これは失礼を。まったく仰るとおりで。

 では、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか?」


「エマンで結構です。イレーネ・エマン。夫はクロード」


 目許をほころばせた司祭が言い、後ろに控えていた老人が会釈した。


「夫君でしたか。よろしくお願いいたします。

 では自分もアルバロフとお呼びください。レフノール・アルバロフ」


「クロードです、アルバロフ中尉。

 怪我をなさった方はいかほど?」


「3名と報告を受けております。怪我の程度はまだ詳しくは。

 ほかにも軽傷者が幾人か。こちらは立って歩けるということです」


「では、まず怪我の重い方をお連れください。

 こちらの用意はさほど時間もかからず整います。寝台は客人用のものがありますので、特に怪我の重い方はそちらに。軽傷の方は申し訳ありませんが即席の寝台を使います――イレーネ、礼拝堂の長椅子とクッションを借りるよ」


 最後の一言は彼の妻――老司祭に向けたものだった。

 そうしてくださいなクロードさん、と司祭が答える。


「幾人か、兵をこちらに寄越します。力仕事に使ってください。

 他になにかご入用のものは」


「薬草の類があればお持ちいただけますか。

 こちらに今ある分だけでは少々心もとないのです」


「薬草はお持ちできます。ほかに精製した散薬や水薬、膏薬もいくらかは。

 ああ、使わなかった分もお返しいただく必要はありません。村の方を治療する際にお使いください」


 助かります、とクロードが頷いて礼を述べた。

 村の規模はそう大きなものではなく、そうであれば寄進の額も知れている。

 領主からは相応の寄進があるのが通例だが、神殿そのものの維持もせねばならないとなれば、高価な薬の類まではなかなか手が出ない、というのが、小さな村の神殿の実情だ。


「ご協力、まことに痛み入ります。部下に代わって感謝を」


 レフノールがそう言って頭を下げ、腰を浮かせた。


「葬儀は半刻ほどで支度をいたします。

 ああ、力仕事でこちらに来ていただく方は、墓地へ直接お願いします」


 老司祭も答えて立ち上がる。

 墓地へ云々は、3人分の遺体を埋める穴を掘らねばならないからだった。


「怪我をされた方をお迎えする準備には四半刻ほど」


 クロードがそう補った。

 もう一度礼を述べ、墓地の場所を確認して、レフノールは神殿を辞した。

 そのまま急ぎ足で部下たちのもとへと向かう。

 葬儀の前に、レフノールにはまだいくつも、なすべきことがあるのだった。

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