【4:不備と不祥事】

 牧草地に戻ったレフノールは、手近な兵にベイラムと本部要員を呼ばせた。

 兵を引き連れて現れたベイラムに、負傷者が治療を受けられる見込みが立ったことと戦死者の葬儀の手配がついたことを簡潔に話し、負傷者の移動と妖魔どもの遺骸の処理を命じ、人数を揃えて墓地で埋葬の支度をするよう言い、領主の館へ使いをやって会談したい旨を伝えるよう指示し、最後に、戦死者の遺体を分遣隊長が執務に使っていた天幕の前にいったん運ぶよう伝える。

 ベイラムはそのひとつひとつに対して、律儀に返答した。


 レフノール自身はそのまま分遣隊長が使っていた天幕に入った。

 吊り下げられたランプに明かりを入れ、中を見回す。

 天幕は中央でふたつに仕切られていた。手前側が執務室、奥が私室、というのが通例だ。

 執務室といっても天幕の中のことだから、まともな調度があるわけではない。

 樽が机代わり、木箱に畳んだ毛布を載せたものが椅子代わりのようだった。ピクルスかなにかの樽を使っているのだろう。染み込んだ酢の匂いがうっすらと漂っている。

 樽の蓋の上に置かれたインク瓶の縁では、インクが乾いて固まり始めていた。書きかけの書類の上に、羽ペンが貼りついている。

 机の脇に重ねられた空き木箱が棚代わりなのか、帳面がいくつか乱雑に収められていた。


 仕切りの布をめくり、奥を確認する。

 こちらの調度は簡易寝台と折り畳み式の小さな椅子、やはり棚代わりの積み重ねられた木箱。

 私物と軍服の替えが積まれる中に、レフノールは目的のもの――大ぶりな手提げ式の文箱を見つけた。

 機密にあたる書類や部隊で使う金の類はおそらくこの中に入っている。

 持ち上げたときの重量感もその推測を裏付けていた。

 かすかな期待を抱いて蓋を引いたが、開かない。分遣隊長は、レフノールが期待したほどいい加減な人物ではなかったようだった。

 とはいえ、金と書類がなければレフノールにできることはほとんどなくなってしまう。

 壊す、という手段もないではないが、無用の面倒は避けたかった。

 常識的にいえば分遣隊長は手提げ文箱の鍵を持ち歩いていた筈だから、あとはそれを本人から譲ってもらうほかはない。

 あまり気分のよい作業になるとも思えず、またため息が漏れる。

 この日何度目になるか、もう数えるのは諦めていた。


 軍記物でよく語られる「指揮官の壮烈な戦死」とやらの裏にはこういった、散文的としか言いようのない現実がある。

 「壮烈な戦死を遂げた指揮官のあとを引き継いで活躍する若輩」というのもひとつの定番ではあるが、もちろんこの類の現実は語られない。

 気を取り直し、せめてあの曹長が戻る前に記録のひとつも目を通しておくか、とレフノールは執務室に戻った。樽の上に乗せられた書きかけの書類をざっと読み、次いで手近に置かれた帳面を手に取って開く。


「……ん?」


 嫌な予感がした。

 開いた帳面を閉じて元の場所に置き、また別の帳面を手に取って開く。


「おいおい……」


 それを幾度か繰り返すうちに、嫌な予感が嫌な確信に変わる。


 レフノールが期待したもの、記してあるべきものがそこにはなかった。

 後方から受領した物資の目録、前線へ送った物資の目録はある。

 廃棄した物資や追加で購入した物資の目録があり、経費の支出についてまとめた帳簿もある。

 日々の状況を記した記録もあるにはある――いささか簡潔に過ぎる表現ではあったが。

 つまりここには、最低限の事項だけが記された出納簿があり、日付と「異状なし」の語だけが並ぶ日誌のごときものがある。

 それだけだった。


 レフノールが最も知りたかったこと、すなわち日々の課業をどのように切り回していたかが、まったく記録として残っていない。

 帳面の表紙に標題すら書かれていないところから、ある程度は察するべきだったのかもしれない。


「――クソが、悪魔に喰われろ」


 呪いの言葉が、レフノールの口をついて出る。自分自身にしか聞こえない低い声だった。


 ――自制心はいつだって重要だ、ってことだ。畜生め。


 心の中で投げやりにそう言いながら、ばさりと帳面を樽の上に投げ出し、頭を掻く。

 レフノールは、彼自身が寸刻前に下した「期待したほどいい加減な人物ではない」という亡き隊長の評価を「期待していない部分でだけ几帳面な人物」に切り下げていた。

 湧き上がる殺意を、いや待てそいつはもうくたばってる、と自分に言い聞かせてどうにかやり過ごす。


 この日最大のため息を吐き出して、レフノールは手を動かすことにした。

 まだ白い紙の束と綴り紐を探し出してきて新しい帳面をひとつ作る。

 新しい羽ペンをインク瓶に浸し、すこし考えて表紙にペンを走らせた。

 表紙の上半分に大きく「陣中日録」と書き込み、下に「分遣隊長代理」と職名を記して署名する。

 この惨状を呪い、罵ってしまった以上、レフノール自身は同じ真似をするわけにいかなかった。


 自制心と同じくらい、道理だって重要だ――レフノールはそう自分に言い聞かせている。

 たとえ、理不尽が通り相場の軍隊ではあっても。


※ ※ ※ ※ ※


 ほどなくして、ベイラムが顔を出した。

 手伝え、と命じて分遣隊長の遺体を天幕の中へ運び込む。


「遺体の検分と遺品の整理をせねばならん。

 戦死者の私物はまとめて定期便の戻りで送り返す。

 と言っても、兵は大したものはないだろうが。あとは遺髪もだな。

 襲撃の状況はあとで詳しく聞かせてくれ。遺族に一言書いてやらねば」


「はい、中尉殿」


 応じたベイラムは、天幕の外にあった水桶と手拭を持ち込んでいた。

 顔と風体に似合わず、気働きのできる男だ、とレフノールはいささか失礼な感想を抱く。

 分遣隊長の遺体は、首を深々と抉られていた。

 まあ苦しんだとしても大した時間ではなかっただろう、とわずかな慰めになりそうなことを思い浮かべる。

 目立たない場所から髪の毛を一房切り取り、細紐でまとめ、指に嵌められたままの指輪を外す。

 それらはすでに革帯から外されている長剣と一緒に、遺品として遺族に返すことになるだろう。

 レフノールが求めていたものは、ベルトに通されたポーチの中にあった。

 紐のついた小さな鍵がふたつ、いくらかの銅貨や印章とともに入っている。どうやら文箱を壊さずに済みそうだった。

 片方の鍵で文箱を開け、中の金貨を数えて帳簿と照らし合わせ、書類をまとめてまた鍵をかける。

 手間取りはしたが、どうにかこうにか前任者のいない引き継ぎを済ませることはできそうだった。

 副長の遺体を同じように検分し、遺品を整理して、兵の分は戦友に任せる、とベイラムに告げる。


「装具はまとめておいてくれ。

 遺体の処置が済んだら、この天幕の外に安置。葬儀の支度が済んだら兵を使って墓地へ運ぶ」


「はい、中尉殿」


「別件だが、損害の取りまとめは終わっているか?」


「完了しとります」


 こちらに、と付け加えてベイラムが書面を差し出す。

 目を通したレフノールの口から、ほう、と声が漏れた。


「よくまとめてくれた」


 短い賛辞を、先任下士官に送る。

 渡された書面には品目ごとにまだ使えるものと廃棄せざるを得ないものの数量が記されており、何をどれだけ補充せねばならないかが明らかになっている。

 言葉足らずのきらいがないでもなかったレフノールの指示の意図を的確に汲んだ仕事と言えた。


「ありがとうございます、中尉殿」


 どうということもない、という表情は、自信と自負の表れだろう。

 内容は当初の見立てのとおり、7割方は使い物にならない、という結果だった。


「3割残っただけよしとしよう。不足分は調達するしかない。ここの領主殿に掛け合う。

 まあ、幾度か取引はしているようだから、量を除けばさしたる問題はないと思うが」


「ここで調達、でありますか?」


「細かい品目や量までは覚えていないが、ここで調達していただろう。

 買い上げという形で。エールだの腸詰めだの麦だのと記録があったぞ」


「嵩の張る飼葉程度ならば、たしかに調達しましたが――」


「――なんだって?」


 レフノールには、目の前の曹長が虚言を吐いているようには見えなかった。

 この類の現地調達を行うのであれば、先任下士官のあずかり知らぬところで行われる筈はない。

 しかし分遣隊長と副長の署名つきの帳簿に取引の記録は残っており、残金の帳尻は合っている。


 推測される事態はひとつしかなかった。


 金銭を管理するための帳簿には、部隊の指揮官のほかに次席の署名が必要とされている。不正な経理を防ぐための措置だが、逆に言えば、指揮官と次席が結託すれば不正などいくらでも可能なのだった。

 王都や普段の駐屯地では他の将校の目があるが、辺境へ出てしまえばその歯止めもない。


「……他言するな」


 軋るような声で、レフノールはそれだけをベイラムに命じる。

 飲みさしのスープの器の中に蝿を見つけたような気分だった。


「は、自分は何も伺いませんでした」


 ベイラムの返答は簡潔だった。

 それでいい、とレフノールは頷いてみせる。

 ことをどう片付けるか決める前に兵に漏れてしまえば士気に関わる。

 着任から間がなく、まだ部隊を掌握しきれていない状況で、それだけは避けたかった。


 ――それにしてもなんでこう次々と。


 切実に前任者を呪いたくなってくる。


「告発されるのですか」


 ベイラムが尋ねる。


「筋を通すならそうなる。

 しかし、抜いた額はそれなりのものだろうが、当の本人は戦死しているし、証拠も乏しいと来てる」


 レフノールはため息をひとつついて付け加えた。


「……何より、面倒がな」


 監察に告発するとなれば、レフノール自身がいま部隊を預かる者として査問を受けねばならない。

 上官の戦死を奇貨として不正を働いたのでは、などと痛くもない腹を探られる可能性もあった。

 無論、監察官は現場の都合など一顧だにしてくれないから、査問で削られた時間は分遣隊長としてこなすべき諸々のための時間を直撃する。

 兵たちにも取調べが及べば、要らぬ恨みを買うことにもなるだろう。


 面倒、というのはそういうことだった。

 蝿入りのスープを飲まされたからと、料理人を呼びつけて済ませられるような話でもない。

 そして、罰を受けるべき当の分遣隊長と、おそらくおこぼれにあずかっていたであろう副長は、ともに戦死している。

 それが、レフノールが今ひとつ筋を通しきる気になれない理由でもあった。


「生き返らせて面倒を全部押し付けられるような罰があれば是非そうしたい」


 ぐっ、とベイラムが喉の奥で呻くような声を漏らして下を向く。


「笑いたければ笑え。本当にそういう気分なんだ。

 くたばるだけならまだしも、まともな資料もなく面倒だけ残していく上官など、俺は真面目に悼む気になれない」


「迂闊に死ぬものではありませんなあ」


 どうにか笑いの発作を押さえ込んだベイラムが言った。


「まったくだ。貴様も勝手に戦死などしてくれるなよ」


「中尉殿も、ですな。――それで、どうなさいます」


「分遣隊長と副長の私物を整理するときに抜いた金を頂戴して、それで手じまいにする。

 万が一を考えて家なりどこなりに送っている分もあるだろうから、満額の回収は無理だろうが。

 使いみちはあとで考えるが、俺の懐に入れたいようなものでなし、まあ、帳簿に載せずに済む金だから使いどころには困らない」


 古参の曹長は、それで納得したようだった。


「納得したなら忘れろ」


「忘れました、中尉殿」


 よし、と頷いてこの一件を棚上げする。

 犯罪者のやり口としか言いようがないが、今は誰がそれを指摘するでもない。

 無論、レフノールもベイラムもそのようなことを気にしてなどいなかった。


「差し当たっては戦死者の遺品の整理、物資の方は使える品の整理と再梱包だな」


「整理と再梱包はもう始めとります。

 終わり次第、今回の分の荷下ろしに入ります」


 任せた、と言い置いて、レフノールは天幕を出る。

 兵站将校としての本来の業務に取り掛からねばならないからだった。

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