【14:辞令と届け物】
あれからそろそろ10日ほどが経つ。
あの日以降、レフノールは、討伐作戦の煽りで泊りの客がほとんどいなくなった宿の部屋をまとめて借り上げている。兵たち全員が投宿できるほどではなかったが、それでも、体調を崩した者や砦から戻った者のために屋根と壁を確保できたのは大きい。
レフノールとリディアは、それぞれ2人用の部屋を確保している。つまり、小さいながらも執務用の部屋や机と椅子を確保できた、ということでもあった。
冒険者たちがもたらした情報はあの翌日、砦へ送った。
妖魔を掃討したという連絡が砦のグライスナー少佐から送られてきたのが4日前。50ほどいたという妖魔の大半を討ち果たし、残りは逃亡した、ということだった。
当面はこの村も、この先の街道沿いも、おおむね安全になったと言っていいだろう。
先遣隊の死傷者はわずか、と書き添えられていた。
――やはりあのグライスナー少佐、有能な指揮官のようだ。
レフノール自身の仕事は可もなし不可もなし、というところだった。与えられた状況どおり、という意味で。
仕事場を移したのは正解だった。当然のことではあるが、薄暗い天幕の中、ピクルスの臭いが沁みついた樽に腰掛けて仕事をするよりも、借り上げた宿の椅子の方が遥かに良い。
兵士たちにしても、交代ではあるが課業が減り、ベッドで休むことができるのだから、評判は悪くなかった。
もっとも、減った分は訓練で埋め合わせているので、毎日の仕事が楽になっているわけではない。
ともあれ、ひとまず兵站の仕事として問題は出ていない。
リディアの仕事ぶりはてきぱきとしたものだったし、その内容も的確だ。
レフノールが予備として持ってきた仕事道具は、ラーゼンに戻って早々にリディアに手渡していた。
算盤に算石、蝋板と尖筆、それにペンナイフ。どれも官給品には入っていないが、効率的に仕事を進めるためには便利なものだ。ある程度の年季の兵站将校ならば誰もが持っているものでもある。
「俺の使い古しで悪いが、手許に道具がないのなら、しばらくこれを使ってくれ」
さらりと言ったレフノールに、リディアは何度も頭を下げて嬉しそうに礼を述べた。
「大事に使わせていただきます、中尉」
そのように礼を言ったリディアは、以来、言葉通り、それらを大事に使っている。
レフノールはと言えば忙しさは相変わらずで、補給のための計画を立てては修正し、の繰り返しだった。
アンバレスからの輜重品はおおよそ計画通りに届くのだが、ラーゼン近辺で調達する物資の来着はしばしば遅れ、あるいは量に過不足がある。
それらをいちいち補正し、計画を立て直し、追加で必要なものを用立て、あるいは過剰に持ち込まれたものを突き返すのもレフノールとリディアの――主にレフノールの仕事だった。
加えて、輜重のやり方を少々変える必要があった。
アンバレスからすべての荷を――輜重そのものが往復で消費する糧秣も含めて――輸送するのは効率が悪すぎた。
道中の村で糧秣の秣の方、荷駄が消費する餌だけでも補給できれば、その分前線へ運べる量は増える。
理屈としては単純な話ではあるのだが、そのための手配は、レフノールがしなければならなかった。
前任者がおらず、残っている資料にもまともなものがない、というところで面倒は覚悟していたものの、こうも頻繁に計画を修正したり別の業務が発生したり、というところまで、レフノールは想定していなかった。
想定が甘いと言われてしまえばそれまでなのだが、将校が足りない兵站部隊には、こういった細かいあれこれが堪える。
今日もそのような仕事をこなしながら、元はと言えばあの隊長とやらが迂闊にくたばるから、と、レフノールの心に八つ当たりに近い恨みが湧いてきたあたりで、開け放した扉のところへベイラムが顔を出した。
「中尉殿」
「どうした、曹長?」
こういうときに頭が切り替わらないとろくなことを考えないから、別の話題を持ち込んでくれるベイラムの存在が有難い。
たとえそれが仕事の話であっても、だ。
「軍団本部から荷が届きました。
それと、こちらは中尉殿に、と」
渡すものを渡したベイラムが、では、と去る。
手渡されたのは2通の書状だった。
2通ともレフノール宛てで、仰々しく軍団の印章で封がされている。
差出人は、いずれも軍団司令と軍団付きの書記官の連名。
それだけで、レフノールには、なんとなく中身の想像がついてしまった。
封を開け、中を読む。最初の1行で想像通りとわかった。
「メイオール少尉」
「中尉、なにか?」
同じ部屋の別の机で仕事をしていたリディアが顔を上げた。
「俺と君に辞令が来ている」
「辞令、ですか。
軍団本部は何と?」
立ち上がりながら少尉が尋ねる。
「『貴官の派遣将校の任を解き、分遣隊兵站小隊長に任ずる』だとさ。
これで俺がここの指揮官だ」
「おめでとうございます、中尉。小官としても嬉しく思います」
「……めでたくもありめでたくもなし、というところかなあ。
正式な立場として指揮権限を得られるのはいいんだが」
言いながら、もう1通の封を開けて中身を取り出す。
「こっちが君宛ての辞令だな、少尉。
『貴官を分遣隊兵站小隊副長に任ずる』だそうだ」
言いながら、軍団司令の署名が入った辞令を手渡した。
「微力を尽くします、ちゅ……隊長」
ぴしりと踵を合わせたリディアが、背筋を伸ばして宣言する。
実際は微力どころではない。ここしばらくの仕事ぶりは、レフノールが目を見張るほどのものだった。
「今までどおりにやってくれればそれで十二分だよ、副長。
君はよくやってくれている」
だから、副長への実質的な昇格についても特に異存はない。
どちらにせよ、ここにいる将校は2人だけなのだ。
むしろそのこと自体が問題だった。
辞令は2通だけ。他に将校の人事に関する書面はない。
つまり、当面、将校の補充はない。
わかってはいたことだ。将校の補充には時間がかかる。まして今は作戦の直前という時期でもある。あれこれと人事をいじれるような状況ではない。
他に手がなければレフノール自身でもそうする、という人事だから、まあ順当と言えば順当だ。
軍団にとってあまり素性の知れていない派遣将校を隊長に据えるのはどうかと思わぬでもないが、誰かが思い切ったということだろう。
つまりこれでレフノールにとっては当面の間、将校が足りない部隊で指揮を執らねばならない、という話になるのだった。
「いずれにせよ将校は相変わらず2人だけだ。
根を詰めすぎないようにしてくれ、倒れられたら困る」
「はい、隊長」
※ ※ ※ ※ ※
更に2日後。
「隊長殿、お届け物です」
ドアがノックされ、ベイラムが顔を出した。
「届け物? 補給物資ではなく?」
リディアが尋ねる。
「ええ、隊長殿宛てに。荷馬車が」
「届いたか。それは直接俺が受領しなければな」
レフノールが応じて立ち上がる。
小さな机と椅子は、仕事の環境として決して最良とは言えないが、前線の近くへ出向いているのだから贅沢は言えない。
少なくとも、尻も腰も痛くならないというのは重要だった。
「木箱が結構な数、荷馬車に積まれておりました」
「先に行って、丁寧に扱うよう、兵たちに言っておいてくれ」
「はっ」
敬礼したベイラムが、廊下を足早に去る。
「俺宛ての荷だが、ちょうどいい。少尉も一緒に来てくれ」
「はい、隊長」
リディアを伴って外に出ると、広場に荷馬車が停まっていた。
兵士たちが木箱を降ろしている。
「や、中尉」
「君たちか、アーデライド」
荷の護衛はアーデライドたちだった。
「アデールでいいよ、中尉。
王都で手紙を届けたら、すぐにこれを急ぎで、ってね。
全額前金、いい報酬だったよ」
アーデライドがにやりと笑う。商会が依頼したとすればまさにそうなのだろう。
レフノールの兄にも父にも、必要な場面で金を出し惜しむ習慣はない。
「アデール、直接渡すものがあるでしょ?」
とヴェロニカ。
「ああそうだった、これを。
片割れはアンバレスに届けてきた」
革張りの箱を、アーデライドが差し出した。両手に乗る程度の小箱だった。
「ありがとう。
報酬は全額前金だったって?」
「そ、バストーク商会から受け取ってるよ」
「じゃあこれは俺からの心付けだ」
小箱と引き換えに、レフノールは銅貨の入った小袋を手渡す。
まあ酒場で何か食べてくれ、程度の意味合いだった。
「ああそれと、宿にはうちの連中も泊まってる。
特に迷惑をかけるようなことはないと思うが、よろしく頼むよ」
「大丈夫、大部屋暮らしには慣れてるよ」
応じたアーデライドたちが宿へ引っ込むと、木箱を降ろし終えたベイラムが近寄ってきた。
「こいつらはどういたしましょうか、隊長殿?」
そもそもこの木箱には一体何が入っているのか、と言いたげな様子だ。
「そうだなあ」
言いながら、レフノールは近くに置いてあった金てこを手に取った。
木箱の縁に差し込み、軽くこじる。音を立てて釘が抜け、木箱が開いた。
中身は丁寧に藁に包まれている。
藁を取ると、クロスボウが姿を現した。
「――これは」
とベイラム。
「30挺ばかり注文した。
太矢は1挺あて100あるはずだ」
にやりと笑って、レフノールが答える。
「山羊足式ですか」
クロスボウを手に取ったベイラムが、感心したような声をあげた。
新しい玩具を与えられた子供のような表情――の筈なのだが、元々の人相が悪すぎた。
獲物を追い詰めた山賊の頭目のような表情になっている。
「……そのようだ」
俺が頼んだのは普通のクロスボウの筈だが、と考えながら、レフノールが応じた。
たしかにベイラムの言う通り、クロスボウには弦を引くためのレバーが取り付けられている。
「軽く速く引けるに越したことはありませんからな。
自分も実際に使ったことはありませんが」
戦場で遠距離攻撃を担当する打撃歩兵も、使うのは基本的にロングボウであってクロスボウではない。
レバーつきの山羊足式は機構が複雑で高価なこともあり、軍の外も含めてそう普及してはいないのだ。
「兵どもには交代で訓練させて、射手を決めておくように。
これだけで襲撃を撃退しきるようなものではないかもしれないが、いざというときに距離を取って対応する手段があるなしで変わってくることもあるだろう」
「変わってくる、どころか」
それだけで勝敗が入れ替わることもある、とベイラムは言う。
――それはそうかもしれない。
敵の手が届かないところから一方的に射てるのならば、その後の展開は大きく変わる。
敵に与える損害、味方の死傷者の数、戦線を維持できるか否か――そういったものが。
「いずれにせよ、何かが変わるとしたら訓練と習熟があってこそ、だ。
全員に一度は必ず扱わせろ。その上で射手を決める。訓練を怠るな」
「はっ」
ベイラムが踵を合わせる。
「全員、というのは、小官もでしょうか?」
傍で聞いていたリディアが口を挟んだ。
「俺も君も含めて全員だ、少尉。
君が射手をやる必要はないが、扱い方は把握しておいてくれ」
「了解しました、隊長」
将校が戦場でやるのは指揮であって戦闘ではない。戦闘に加わることもままあるが、本業は指揮の方だ。
とはいえ、基本的なところは知っておかねば、いざというときに確かな指揮が執れないことも事実だ。
クロスボウをどう扱えばよいのか、射撃と射撃の間にどの程度の時間がかかるものなのか、それなりに当たる射程はどのようなものか、というようなことは実感として知っておく必要がある。
――アーデライドたちに1日なり2日なり、訓練を見てもらってもいいかもしれない。
クロスボウは短期間の訓練で農夫をいっぱしの射手に変えてしまう、とも言われる。
兵学院出身の将校ならば一通りの扱いは知ってはいるが、同じ訓練をするならば冒険者たちの方がましな教師であるはずだった。あとで話をしてみることにしよう、と決めて、レフノールはベイラムに向き直った。
「曹長、ひとまず今日のところは通常の訓練でいい。
訓練をこれから変えるのも手間だからな。明日から射撃の訓練を取り入れる。
個別の戦技の訓練を減らしてその分を射撃に回そう。
俺と少尉も参加する。取っ掛かりのところだけになるだろうが」
「はっ」
「はい、隊長」
「それから曹長、今日はその荷を運んできた連中が宿に泊まる。
5人だ。済まないが、人数の調整を頼む」
「かしこまりました、隊長殿」
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