【26:河畔へ】

 明けて翌朝。

 いつにも増してレフノールの気分は重かったが、だからと言って毛布を被ってやり過ごすというわけにもいかない。

 もたもたと起き出して身支度を整え、食事を済ませ、己の装具を点検して出発の準備をする。

 どうにか時間に間に合ったのは兵学院と軍での生活で身についた習慣の為すところだった。

 司令部そばの広場に顔を出すと、もうあらかたの人員は集合していた。


「おはようございます、隊長」


「おはよ、中尉さん」


「いい朝だね、中尉」


 レフノールを見つけたリディアとヴェロニカ、それにアーデライドが口々に挨拶を送ってくる。


「おはよう、ひとまずは晴れて何よりだ」


 応じて空を見上げる。頭上には秋晴れの空が広がっていた。

 この季節特有の、常よりも高く感じられる空の遠くに、刷毛で塗ったような白い雲が浮いている。


 ――この分ならば少なくとも今日明日に雨になることはないだろう。


 荷運びと渡河をこなし、拠点を設営しなければならない身としてはせめてもの慰めだ。


「出立の準備はできとります。

 あとは荷駄に荷を負わせればいつでも」


 ベイラムが踵を合わせて報告した。

 荷駄が広場の外れに並び、その傍らにはまとめられた荷が置かれ、少し離れた場所には荷を担いだゴーレムが立っている。


 ――荷を担いだ?


 昨日はたしか革帯で固定していたはずだったが、と思いながら、レフノールはベイラムに尋ねた。


「ゴーレムの、あのあれは?

 昨日は使っていなかったと思うが」


「こちらに余っていた資材で作らせました。

 背負子のようなものがあった方が荷の上げ下ろしが楽かと」

 にやりと笑ったベイラムが答える。


「なるほどね、よくやってくれた」


 柔軟に動く人間の身体とは違うから、人間のように背負ったり下ろしたりはできないだろうが、それでもひとつずつばらばらに荷をゴーレムの身体に固定するよりは、それ用の運搬具に固定した方がよい。


 話をするうちに、司令部からグライスナー少佐が姿を現した。

 全員が一斉に敬礼し、グライスナー少佐が答礼する。


「みなご苦労。

 準備は――できているようだな。よろしい、ただちに行軍隊形を組め。出発する」


 全員がふたたび敬礼し、持ち場へと散る。

 輜重は隊列の中ほど、冒険者たちは隊列の先頭のあたりが指定された位置だった。


 ほどなく隊列が動きだす。

 街道を外れ、北へ――アルムダール川の渡河点へと向かう行軍が始まった。



※ ※ ※ ※ ※



 事前に聞いていた話のとおり、アルムダールの川岸までは半日弱の行程だった。

 部隊が渡河点に到着したのは昼よりも少し前。太陽は高く昇り、歩いていれば汗ばむほどの陽気になっている。

 木がまばらに立つ林の先、丈が高く剣のような形の葉を持つ草が茂り、動物の尾のような穂が微風に揺れる中を抜けると、そこに川があった。


 これも事前に聞いていた川の屈曲部、南に向かって大きく張り出すように曲がった、ちょうどその付け根のあたりであるらしい。


 川幅は50歩ほどもあるだろうか。澄んだ水がゆるやかに流れている。

 先に着いていた騎兵と冒険者たちが、さっそく渡河の準備を始めていた。


「渡るのか。あちらの様子は?」


 レフノールが、手近にいたアーデライドに声をかける。


「さっきヴェロニカがそこの木に登って見た限りでは、妖魔はいない。

 岸の近辺に足跡はなかった、とも言ってたな。

 とりあえず渡ってみて、その先のことはそれからだね」


 準備の手を止めずにアーデライドが応じた。

 事前の情報とも符合する話ではあるし、まずは偵察も兼ねて渡河、というところなのだろう。

 一度渡ったことのある騎兵が冒険者とともに先に渡り、そのあとにゴーレムを渡らせる、という手順のようだ。


 手堅いやり方と言ってよい段取りだった。

 現状、対岸に妖魔がいないのであれば渡河に問題はない。

 こちら側の岸で足跡を見つけられなかったという話だから、やはりまだ大規模に進出してきているということもなさそうだった。

 それはつまり、ひとまずは騎兵と冒険者たちに任せておいて差支えない、ということでもあった。

 そういう話であれば、兵站は兵站の仕事に専念できる。


「曹長」


「はっ」


 控えていたベイラムを、レフノールが呼ぶ。

 一歩進み出たベイラムが背筋を伸ばして踵を合わせた。


「総員大休止。

 騎兵の渡河と対岸の偵察が済み次第、我々も渡河する。

 大休止ののち、渡河の準備だ。駄載した荷はまだ下ろさずともよい。

 騎兵と冒険者の渡河の様子を見て渡し方運び方を決める」


「承りました、隊長殿」


 行っていいぞ、とベイラムに頷く。

 ベイラムは敬礼し、大股で歩み去った。


「少尉」


「はい」


「君は俺と川岸へ出る。様子を一緒に確認してくれ。何か気付いたことがあれば遠慮なく言うように」


「はい!」


 レフノールはリディアと2人、改めて川岸へ出る。

 葦原を抜けた先は柔らかい砂地だった。目の細かい砂を、ゆるやかに流れる川の水が洗っている。


「この様子だと」


 あたりを見回しながらリディアが言った。


「歩けば確実に足跡が残るでしょうね」


 リディアが指差した先には水鳥のものらしい足跡がある。細い4本の指の跡がくっきりと残っていた。


「水鳥でこうだから、妖魔の足跡ならばもっとはっきり残るだろうな」


 それが見当たらないということはやはり、少なくともこの近辺で妖魔が最近行動したことはない、ということになる。


「たまたま最近このあたりで渡河していないだけ、ということかもしれないが」


「川を日常的に渡っているのなら、渡る場所が毎回ばらばらということはないかと」


「なるほど、もっともな話だな」


 川の流れや深さ、川岸の地形、そういったものは場所によって異なる。

 そうであれば、毎回別の場所を渡るよりも、ある程度見知った場所の方が安全で確実なはずだ。


「このあたりは、渡河点としては使われていない、と」


「はい、そう思います」


 この近辺で日常的に渡河するような状況ではない。

 あとはどれだけ頻繁に河岸へ出てきているのか、というところだが、これは対岸で直近の活動の痕跡を見てみないことにはよくわからない。


 何から手を付けたものか、とレフノールが考え始めたところへ、ざばざばという水音が割り込んだ。

 先行して渡河を始めた騎兵と冒険者たちだった。

 水量は相応にあるものの、流れはそう早くはない。

 川底の泥を巻き上げて水を濁らせながら、騎兵たちはあっさりと川を渡り切った。

 一部が馬蹄型に張り出した台地の上へと移動し、問題なしという合図を送ってくる。

 川岸に残った馬を見ると、濡れているのは馬の腹の下あたりまで。

 人の背丈であれば腰の上、胸の下、というあたりだ。


「荷駄は荷物を減らせば、というところかな」


「はい。先導も付けた方がよいかもしれません」


 会話を交わすうちに、ゴーレムが1体、川を渡り始めた。

 何やら太いロープを身体にくくりつけている。渡河の補助か架橋の準備か、そういったものだろう。

 工兵連中がなにか注文をしたのかもしれない、とレフノールは考えている。


 ほどなく、ゴーレムも騎兵同様、問題なく渡河を終えた。

 岸に上がったところを見ると、ロープは1本ではなく、3本をまとめて渡したらしい。

 こちら側の端のうち1本は太い木の枝に掛けられ、もう1本は別の木の幹の根元近くに巻かれ、最後のやや細い1本はまとめて岸辺に置かれている。


「低い方のロープは渡河のときの手がかりでしょうか」


「おそらくそうだろうな。

 掴むもののあるなしで渡りやすさはだいぶ変わるだろうから」


 先ほどの騎兵たちの渡河を見る限り、渡ること自体が危険というような川ではないが、そうは言っても水は深い。

 たとえば、川底に足を取られたりなどすれば転んだり流されたりも十分にあり得る。

 しかし、手で掴める高さにしっかりしたロープが一本張ってあれば、それを手がかりにすることができる。

 転びそうになったとき、流されそうになったとき、掴めばひとまず安全を確保できる、というのは有難い話だった。


 渡河の先陣を眺めているうちに、少々時間が経っていたようで、気が付けば大休止の終わる頃合になっていた。

 兵どものところへ戻り、荷駄や兵の渡河について指示を出さねばならない。


「よし、戻ろう」


 レフノールがリディアに、部隊が集合しているあたりを親指で示す。


「はい」


 リディアが頷いて後に続いた。

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