第21話 新たなる仲間
彼の左頬は赤黒く変色していた。さっきよりも腫れはじめた様に思え、鈴音は気が気では無かった。
ほんの数十分前の事、青天の霹靂が起きた。
皆で
村長が名乗り、夏雲に深々と礼の型をとる。
直後だった。唐突に
「おい」と声を掛けられ振り向いた夏雲に向け、虎礼は拳を繰り出した。
強烈な一撃は夏雲をよろめかせる。踏み止まったものの、地面には衝撃を物語る跡がしっかりと刻まれていた。
皆驚いたが、その中でも村長の狼狽は大きく、即座にひれ伏し縮こまる姿は哀れに思える程だった。
当然だ。身なりから夏雲が誰かは一目瞭然なのだから。
貴族に不敬をはたらいたとなれば、文字通りただでは済まない。
しかし怒りをあらわにすると思われた夏雲は黙って唾を吐いただけだった。切れた唇の端を拭い、虎礼に向き直る。その瞳にはこれまで虎礼に対して向けられていた色は、浮かんではいなかった。
「これは俺のケジメやって事にしといてくれへんか? 鳥人族の貴族さん」
「なんということを……ああ、どうすればっ……。どうか、どうか寛大なるご容赦を……!」
「判っている」
夏雲は淡々と言った。
どちらに答えたのだろう。いや、夏雲はきっと二人に応えようとしているのだ。
「顔を上げてくれ」
すると夏雲は、ひれ伏した村長の前に跪いた。思わず顔を上げた村長の顔が強張る。そんな彼と向き合い、夏雲は前腕を地面と平行にしながら両手を胸の前まで上げ、礼の形をとったのだ。
「十年前の飢饉の際、我ら南方貴族の行いは間違っていた。……償いをさせてくれないか。都へ帰還次第、
「そんなっ……そんなことが……」
「それに伴い、この村は朱 夏雲の庇護下に置かれる。その事を了承してほしいのだ」
「朱……その名は、南方皇帝の……そのような高貴なお方が私なぞの為に膝をっ……」
「皇子とは名ばかりの第三皇子だ。畏まらなくていい。あいつみたいにな」
村長の了承を得た夏雲は立ち上がった。虎礼を意味ありげに見やり、赤くなった頬を歪めてにやりと笑う。
しかし、てっきり青くなると思っていた虎礼はふいに真面目な顔になった。
そして虎礼もまた跪いたのだ。
胸の鼓動が早くなっていく。鈴音は息をするのも忘れ、その光景に見入っていた。
「朱 夏雲様。どうか俺をお連れ下さい」
彼らの覚悟の場に、今自分は立ち会っている。
鈴音はその場を動けなかった。静かな廃村はスゥトゥの厳かな雰囲気は有りはしない。けれどこの何者の立ち入りも許さない空気は何なのか。
そして同時に鈴音の胸は高鳴ってもいた。
虎礼が鈴音の言葉を受け取っていた。共に歩もうと望んでくれていた。自分の想いは確かに彼の心を打ったのだと震えた。
しかし夏雲は黙っていた。
誰もその場を動こうとせず、答えを待っている。
とても長く感じられる沈黙が続いた後に、先に口を開いたのは虎礼だった。
「俺は、リンイン姐さんに仕えます。この命、使ってくれっ!」
「っ!」
彼の瞳は金だ。それはこれまで見た事の無いほどに輝き、生命力に満ち溢れている。何と眩しいのだろう。
虎礼はそれきり口を真一文字に結び、夏雲から視線を逸らそうとしなかった。
「お前には
「あります!」
二人の視線が交錯する。
暫くして
瞬間、安心した表情をしたのを鈴音は見逃さなかった。虎礼に駆け寄り、手を引いて立ち上がらせる。
「これからも宜しく」と言うと、照れくさそうに虎礼は笑った。
点と線。結ばれた先に見る未来。
今新たに開かれた道を歩む。
大切に、一歩一歩、共に。
「着いたぞ。いったんここで休憩する。諸々の準備があるのでな」
鳥人族の都を目前に控えた高原。
ある地点を過ぎると土の色が変わり、徐々に緑が増えてきた。馬に乗り、ある程度の速度もあった為、植生分布の境界がはっきりとしなかった。
とはいえ、南に位置する鳥人族の都は緑豊かな土地であるようだ。
「これは夏雲様、リンイン様、お疲れ様でございました。もう鳥人族の都は目と鼻の先で――夏雲様、頬はどうされたんです? 皆さんの装束も随分と汚れてしまっているようですが」
「だからお前を
「賢明なご判断かと。しかしながら、この関所に着く前に、ご自分に治癒術を施さなかったのは疑問ですね。治していたなら私に突っつかれもしないでしょう」
「それよりも、鳥文に書いた通りの品は準備出来たのか」
麗孝は頷いた。このような夏雲の態度には慣れているのだろう。鈴音も驚く切り替えの早さだ。片手を上げ合図をすると、すぐに夏雲の求めるものを侍女に持ってこさせた。
「いいだろう。では、すぐ支度に入るぞ。鈴音は侍女に付いて行くといい。
ひとまず別行動らしい。鈴音は言われた通り侍女に続く。
この女性は二人おり、一人が先導し、もう一人は平たい桐箱を両手で持っていた。二人共に同じ草色の詰襟姿で髪はまとめている。鈴音よりも年上に見え、二十代前半といった所だろうか。
関所の中は中央に真っすぐ通った通路、その両端に幾つか扉があった。比較的手前の扉に通されると、むわっとした熱気が鈴音を包み込んだ。
どこかで体験したことのある感覚と、微かな香の匂い。
「もしかして、お風呂なの?」
けして広くは無いが、それは紛れもなかった。脱衣所には小さな籠と布。さらに奥からは水音まで聞こえる。
自然と口元が綻んでしまう。スゥトゥを出て、今日で丸四日だ。途中、川で濡らした布で清めたりはあったけれど、鈴音からすればそれは風呂に入った認識ではない。道中様々な事もあった。その汚れをついに湯で落とせるのである。
「リンイン様、どうぞ汗をお流し下さい。私共はこちらにて待機してございます」
侍女はしずしずと頭を下げ、跪いた。
「はっ、はい! 有難うございます。行ってきます!」
――えっと、こちらの方々はここでこのままずっと待ってるって事よね。
目は軽く伏せられているものの、跪いた人の前で素っ裸になるのに多少の躊躇はある。が、今は大差で風呂欲が勝つのだ。
にんまりとした鈴音は「シュババババッ!」と目にも止まらぬ速さで服を脱ぎ捨て、風呂場に飛び込んだのだった。
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