第7話 宝剣の儀:二





 鳥人族の宝剣の儀は大変な騒ぎとなった。

 宝剣を授与される者が頓挫し、儀式の再開も困難かと思われたその時。スゥトゥの神殿内に颯爽と現れた当人は、膝をつき首を垂れた者達に目もくれず、部屋の奥へと歩みを進めた。


 名を夏雲シアユン。鳥人族長の三男であり、本日神官によって生涯を共にする武具を授けられる者だ。

 黒衣と膝下まである革靴。重ね着された豪奢な白絹の礼装に赤毛がなびいていた。

 彼の紅翼は今は仕舞われている。鳥人族に配慮された衣は肩甲筋沿いが剥き出しになっており、そこには大人の手の平大の羽元が存在していた。

 成長し、伸びた背。しっかりと鍛え上げられた夏雲の精悍な肢体は、数多の戦を潜り抜けたであろう傷痕が幾つも残っていた。

 その彼に手を引かれていた鈴音は、すぐに場の視線を一手に引き受ける事となってしまう。それはそうだろう。獣神子と同じ衣服を身に付けた者が本日の主役と一緒に現れたのだ。

 

「やれやれ。やはり二人は出会ってしまわれたか。お早いご帰還にございます、夏雲様」

「嫌味はいい。碌影ろくえい、儀式を中断した事は謝罪する。しかし鈴音に危機が迫ったのだ。大事が無く安堵したが、どうしてあのような場所に鈴音を行かせた」


 神殿の奥には神官である碌影が控えていた。祭壇を降り、夏雲と鈴音を交互に見やると少し体を丸める。表情はいつもフードで隠れているので判らないのだが、何となく躊躇している風に鈴音には思えた。


「違うんですよ。それは私が頼んだ事です。碌影様は関係ありません」

麗孝リキョウか」


 横手から現れた男に、夏雲は眉をひそめる。

 年の頃は夏雲よりも上だろう、恐らく兵士ではない。他の控えている者達と違い、彼だけは鎧では無く紫衣を纏っていたからだ。麦穂色の髪には紺色の布が巻かれており、腰にはベルトで小さな本が留められていた。

 

「夏雲様、いくら何でもやりすぎです。まったく、こんな事になるのなら大人しく対面させるんでした」


 麗孝は大仰に言って、肩を竦める。

 色の付いた眼鏡の下で本音は何を思っているのか。しかし夏雲は彼のそのような態度に慣れているのか、片手を振って顔を背けた。


「相変わらず失礼な奴だな、お前は」

「今回も事前にお伝えしていましたからね。当然の言い分です。それにしても――」


 突然視線を向けられ鈴音は縮み上がった。眼鏡を下げた事で露わとなった空色は狼の瞳かと思えるほどに透き通っており、彼も異種族なのだと鈴音は瞬時に察した。

 麗孝リキョウは顎に手を当て、鈴音の周囲を左右に行き来している。まるで品定めだ。思わず鈴音は唇を尖らせて威嚇した。


「おっと。これはこれは、中々面白い御仁だ。なるほどねぇ」


 麗孝はチラリ、夏雲を見やった。


「おれはともかくとして鈴音を馬鹿にするのなら許さんぞ。それとも小言か?」


 夏雲が一睨みするも、麗孝は怯むことなく笑みを浮かべただけだった。


「とんでもない。この麗孝、そのようなことは露ほどにも思っておりませんよ。そもそもの話、まず夏雲様には本日スゥトゥを訪れた目的を果たしてもらわねば。さぁ、時間は差し迫っております」

「無論だ。碌影、続きを頼めるか」

「承知致しました」


 宝剣の儀。ここ一帯の貴族の者は成人した証に神官によって専用の武具が授けられる。一生を共にする神具は、その者にもっとも適した時期、種類が神託により選ばれるそうだ。専門の鍛冶師が創り出した武具は神官の祝福を数か月受けた後、ようやく神具となり完成する。


 碌影が数段の階段を再び登り、台座の中央に収められていた包みを掲げ上げた。

 夏雲からその場にいるよう言われた鈴音は、碌影の元へと向かう彼を静かに見守っていた。

 

「スゥトゥの加護を受けし武具を、鳥人族 しゅ 夏雲シアユンに授与する。この短剣は如何なる時も汝を守り、鼓舞し、奇跡を授けるであろう」

「謹んでお受け致します」


 碌影の前に膝まづいた夏雲が首を垂れる。

 神殿の天井から月光が降り注いでいた。とても神秘的な輝きだ。

 

 その光はまるで彼を祝福しているようだと、鈴音は思った。


 

 儀式はそれ以降つつがなく進み、終了した。麗孝の指示の下、鳥人族の兵士達がぞろぞろと会場を出て行くと、場内は途端に静けさに覆われた。

 灯していた炎の爆ぜる音が聞こえる。

 

「終わったぞ」


 碌影と話していた夏雲が階段を降りて来る。こうして見ると、本当に夏雲は大きくなった。出会った頃はそれほど変わらなかった身の丈が、今やゆうに見上げるまでになり、肩幅の広い鍛え上げられた体躯は精悍さに溢れている。

 それはもう立派な武人だ。

 高圧的で冷たい印象のあった眼差しは変わらずだったが、翡翠色の瞳の奥に優しさが秘められている事を鈴音は知っている。


「俺の顔に何かついているのか?」

「ううん。すっかり大人の男の人になっちゃったんだなーと思って」

「……その事を話さねばならないな。ああ、でもまずはこれだ。一つは鈴音に持っていてほしい」


 夏雲シアユンは腰から引き抜いた黄金色の物を鈴音に手渡す。

 条件反射的に受け取ってしまったが、両掌の上に乗ったものを見て鈴音は固まった。


「これって、授与された短剣じゃない。夏雲だけの専用の武器なんでしょう? 他人に渡したら駄目なんじゃないかな」

「何をしているんですか夏雲様! 大事な宝剣を手放すなんていけません!」


 驚いたのは鈴音だけに止まらず、出入り口付近で兵士に指示出しをしていた麗孝リキョウが飛んで戻って来た。

 麗孝が声を上げるのも無理はない。宝剣の儀で授与される神具は一生涯に一つ。ただの記念品という扱いでもなく、神官の力が宿る神具は霊具の部類に入り、そこいらの武具とはそもそも質が違う。

 スゥトゥにいる間、学びとして鈴音も霊具に関しての書物を読んだが、霊具は持ち主の資質、素質を何倍にも高めるらしい。一突きで岩をも貫き、一振りは滝さえ切り裂くという記述もあった。

 麗孝の慌てぶりからすると眉唾でも無さそうだ。


「俺に与えられた武具は短剣で、二本あったのだから構わない。宝剣は持ち主を守護するのだと聞く。だから鈴音は持っておくべきだ」


 しかし夏雲は、何食わぬ顔で一人頷いている。目の前で頭を抱える麗孝の事など目に入っていないのだろう。


「いえ、夏雲様、そういうことではなく……」


 今ばかりは鈴音も麗孝に賛同だった。おいそれと譲り受けて良い代物ではけっして無い。


「あのね、夏雲。麗孝さんもこう言っているし」

「行くぞ。お前を連れて出る前に話がある。それからあいつの事は呼び捨てで良いぞ」


 鈴音の声を遮ったのは、少々不貞腐れた夏雲だった。そのままぐいと手を引かれ、歩き出す。すぐ後ろには困り果てた麗孝が付いて来ていた。

 それにしても聞き捨てならない。夏雲は今、何と言ったのだったか。


「行くってどこに……というか今何て言ったの? ちょっと待ってってば、夏雲――」

「ちょっと待って下さい夏雲様! また勝手は困ります。駄目ですよ、今度こそちゃんと手順を踏んでもらわないと!」


 慌てふためいた鈴音と麗孝。二人の声が神殿内に響き、反響していた。


 

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