第6話 宝剣の儀



 スゥトゥの朝は早い。

 日の登る前に目覚め、サッと身支度を整えると鈴音は部屋を出た。朝は井戸から汲んだ水を神殿内の杯に注ぎ、祈りを捧げねばならない。

 ここへ来た当初は目覚ましアラーム無しの生活に慣れず、獣神子に無表情にたたき起こされたものだ。しかし歳月を経た今では誰よりも先に起き出し、準備万端で碌影ろくえいを迎えるまでになっていた。

 そしてハレの日の今日は日課に加え、やることがてんこ盛りの日だ。

 閉じられたスゥトゥが開かれる日。宝剣の儀があるのだった。


「炊事場にリンインが摂取する食物がある」

「有難うユェ。食事、してくるね!」


 朝も早くから宴の準備に取り掛かり、もう夕方近くの頃合いだ。

 やっと休憩が取れると、鈴音は仲の良い同僚に一声掛けた。

 快く送り出してくれたのは兎の獣神子、ユェだ。


 スゥトゥには数多くの獣神子がおり、碌影に仕えている。それら人形の姿は性別が無い代わりに、名の通り人型に動物が持つ耳や尻尾が付いていた。

 獣神子は鈴音達人間と違い、特別活動維持に必要な栄養は必要ない。碌影曰く、この地の神気は特別。スゥトゥ内に居さえすれば、動作に支障は無いのだという。

 製作者である碌影の指示に従い、儀式の準備から戦闘までこなすというのだからすごい。鈴音に対しても碌影が命じているのでしっかり認識はしているそうだが、どれだけ顔を合わせようとも無表情は変わらないので、鈴音などは時折物足りなさを感じている。

 獣神子とはそういうもの。慣れれば良いだけとは言っても、せっかく一緒に住んでいるのだし鈴音としては打ち解けたいのが本音だ。


 それだけにユェの存在は有難かった。

 玥は獣神子には珍しく自我が存在する個体で、慣れないスゥトゥ暮らしで困っていた鈴音を何度も助けてくれた。何とかやってこられたのも玥のお陰だ。

 玥は兎の神子と言うだけあって、赤い瞳を持ち白に近いグレイヘアーからはぴょっこりウサミミが生えている。背格好も鈴音と似たり寄ったりで、ボーイッシュな女子にも見える造形をしていた。

 そして神子共通の藍色の胴着を腰布で縛り、先の丸い革靴を履いている。

 お揃い。それが鈴音にとってはとても嬉しく、仲良しである印の様に感じていた。


「笑ってくれたらいいのにな。そしたら絶対、きっともっと仲良くなれる気がする」


 炊事場に来た鈴音は碌影に出した薬草粥の残りを鍋からよそい、玥が煎じた薬湯茶を淹れる。部屋の隅っこでもそもそ少し早めの夕餉を食しながら、鈴音はひとりごちた。

 

 『獣神子とはそういった存在ではない』。夏雲シアユンならぴしゃりと鈴音にそう言うだろうか。思い浮かんだ懐かしい顔に、鈴音は笑みを零した。しかしすぐに、胸の中についた灯は寂しさに小さくなり、揺れた。

 

「早く食べちゃおう。夕の宴の準備をそろそろしなくちゃだし。その前に午前の部の片付けと~、大忙しだわ!」


 粥の残りを一気に掻き込み薬湯茶を飲み干すと、使った食器を洗う。 

 炊事場に入って来た牛の角を持つ獣神子に次の仕事場に向かう事を伝えると、鈴音は駆け出した。




 別れの日。夏雲に矢が刺さったと思い駆け寄った鈴音は、結果身代わりとなる形で背に矢を受けてしまった。

 鈴音の身に起こった不思議な現象は未だ説明がつかない。事が起こる直前に見たビジョンは、まるで未来視だ。

 夏雲のその後も、よくは知らない。ここで生きていく事が精一杯で、ましてやスゥトゥの外の出来事を知る方法など、鈴音には無いに等しいのだ。


 唯一碌影ろくえいに問う事は出来たろう。それを選択しなかったのは、自分自身不確かであるこの力を碌影に悟られそうに思えた、そしてこの世界での自分の立場を少なからず理解したからに他ならなかった。


「それにしても、私だけ夕の宴の手伝いから外されるだなんて。やっぱりこの間の事を碌影様は怒ってらっしゃるのかしら……」


 本日執り行われる宝剣の儀は、この国に住まう貴族の通過儀礼的な位置づけにある儀式だった。

 成人した男子に神器が与えられるのだ。各々に最適な武具は神託によって選ばれ、専門の職人によって作られた物が神殿に納められる。武具は神官の祈りによって真に完成するのだと聞く。

 明朝から始まる宴は夜まで続き、月が一番高く上る時間に神官がその者に武具を授け、儀式は完了だ。

 その一連の流れの補助を行うのが獣神子で、もっぱら鈴音は宴に出す食事の準備担当だった。失敗の許されない授与儀式には、これまで一度も参加した事が無い。 宴の場に必要な物を運ぶ、酒を注ぐなど簡単な作業の中で感じたのは、はっきりとした身分の差だった。

 儀式を受けられるのは、その一族の中でも高位の者達。例えば夏雲シアユンの様な長の息子達、その親類などだ。

 元の世界では軽さや深さに違いはあるにせよ、不特定多数に対して礼のやりとりは発生する。しかし彼らは獣神子に対して、また身分が下の者に対してそれが一切無いのだ。

 獣神子は傀儡。それにしたって、ここまで何も見えていないかの様な振る舞いが出来るものなのだろうか。


ユェみたいな獣神子だって少なからずいるのに」


 鈴音はこれまでに、貴族相手に何度か目を合わせ笑ってみたりしたが、怪訝な顔をされただけに終わっていた。それでも交流を試みようとした所を玥に摘まみ出された事もある。以来、儀式に訪れた者達との接触は出来なくされてしまっていた。

 これが異世界での現実で、常であるのだと身をもって知った。


 となると鈴音の脳裏に浮かぶのは、赤髪の少年の事だ。

 出会った時の夏雲は鈴音の事を盗っ人と思っていたにも関わらず、随分と寛容だったと今では言える。


「それなのに八つ当たりしちゃって、初対面でめっちゃ泣き喚いた私ってば……うー」


 鈴音はブツブツと独り言を言っている。

 諸々の片付けも終わった夜半過ぎ。細長い梯子を持って碌影の言いつけ通り、スゥトゥ中央から数ブロック離れた塔の前までやって来た。

 それにしても、碌影に持たされた赤い梯子は三階建て程の尺はあるものの、驚きの軽さだ。恐らく碌影による何らかの術が掛けられているのだろうが、住んで数年、この世界は未だに驚きで溢れている。


 『お前は塔に登っておいで。今日の儀式が終わるまで、そこに居るように』


 これまで鈴音が何か失敗をしても碌影は叱ったり罰を与えたりはしなかった。しかし、ついに何か逆鱗に触れてしまったのかもしれない。


「もしくは、今日の儀式でまた何かしでかすと思われたのかしら。でも変ね、客人に話し掛けたりしたのはユェしか知らない筈で――」


 『碌影は神官だぞ。お前の行いなど、すべてお見通しだ』

 夏雲なら言いそうだと鈴音は笑った。

 意識せずとも頻繁に、鈴音は彼の事を思い出しては懐かしんでいた。出会いから別れまでが鮮烈過ぎて、中々忘れられるものではない。あれから年数が経った今も夏雲の炎の様な髪色と強気な翡翠の瞳がはっきりと思い浮かぶ。


 スゥトゥで生活し始めた頃は、偶には会えるのかもしれないと期待を膨らませもした。実際は夢物語甚だしく、外界の人間と会える事も稀で、ましてや貴族の人間と言葉を交わすなんてとんでもなかった。それが現実だった。


 でも悲観はしない。

 夏雲と碌影が鈴音の秘密を守り、ここへ匿ってくれている。異世界で生きる場所を与えてくれたのだから。


「わぁ。塔の上ってこんな造りになっていたんだ。綺麗」


 鈴音は感嘆の声を上げる。塔の上はぐるっと円状の平場になっており、中心には鈴音の背丈程の石碑があった。石には光の玉がおぼろに輝き、暗闇の中でも一定の光源で平場を照らしている。

 

「ここなら、大丈夫よね」


 そろそろ、月が昇る頃合いだろうか。

 今いる円状広場の縁は、積まれた岩で段違いに組まれている。その間から、今日の儀式の様子を眺めよう。

 竹筒に入れた薬湯茶と饅頭の入った紙包みを出すと、腰高の壁の上に置く。

 するとまもなく、外界との隔たりが解かれ、スゥトゥの門が開いた。同時に儀式のある神殿まで続く道筋に次々と炎が灯る。


 夜闇の中、炎に揺らめく神聖の場。認識出来たのは鮮やかな赤の民族衣装だ。それらが炎の光に浮かび上がった様はとても幻想的で、鈴音は飲もうと開けた竹筒の蓋を手に持ったまま、暫し儀式の様子に見入っていた。

 屈強な男達の列が中央の神殿へと連なる。幾人かは揃いの甲冑を付け旗を掲げていた。一糸乱れぬ歩みだ。かなりの人数がいるのに、僅かの音も、声も拾えない。何と厳かな風景なのだろう。


「すごい……」


 高所なので障害物に視界が遮られる事もなく、正に絶好のスポットだ。塔の上にやられたが、これは碌影からのお仕置きではなくご褒美だったのかもしれないと鈴音は思い直した。

  

「今日はどの一族の儀式なのかしら」


 視力は良い方だ。しかし風ではためく旗の判別は思いの外難しい。おまけに鈴音の居る塔の上は容赦のない強風である。ガン見をしていた目はすっかりシパシパとなっていた。

 すると隊列の最後尾がキラリと光り、地上からふいに何かが浮かび上がった。


 ――何だろう?


「わきゃあ!」

 

 確かめようとし、僅かだが身を乗り出した。鈴音の腕に竹筒が当たり、咄嗟に手を伸ばした身体は一気にバランスを崩してしまう。

 頭から持って行かれ、すぅっと胸が冷えた。


 ――落ちる!


 重力に従って落ちる身体は、どうしようもない。ものすごい勢いで自分の身は落下していく。しかし反して頭の中は微睡み、何とも不思議な感覚に鈴音は囚われる。

 鈴音が意識を手放そうとした、その時だった。


 衝撃と共に、鈴音の身は何かに強く支えられていた。


「今度は受け止めたぞ」

「ほえ?」

 

 恐る恐る、鈴音は目を開いた。耳元をくすぐる音は風である、というのと。

 どうやら自分が宙に浮いているらしい事が判った。


「お前は相変わらずのようだ」

 

 そして間近の吐息は誰かの存在を伝える。

 途端に鈴音の脳内はフル稼働し、誰かが受け止めてくれたのだと認識するに至った。


「うっううう浮いてる? 飛んでるっ!」


 お姫様抱っこをされている鈴音が騒ぎ出すと、その人物は少し笑ったようだった。

 間近で翼の音が聞こえる。


「このまま塔の上に行く。下は騒がしい」

「えっ! はいっ!」


 眼下は先ほどまでの静けさは何処へやら、もはや隊列も無くなり、とんでもないガヤが飛び交っていた。ある者は月を仰ぎ、またある者は大声で指示を出している。


「えっと、その――離してもらえると……」

「俺はこのままがいい」


 無事に塔の上に降り立ったわけだが、何故かお姫様抱っこをされたままなので鈴音は訊ねた。助けてもらい感謝しているが、この状態は恥ずかしい。

 少し落ち着きを取り戻した鈴音は、そっと面を上げた。


 鈴音を救ったのは背の高い男だった。翼を持つ有翼人。胸元からちらりと青年の横顔が確認できる。

 

「では俺が座ろう。お前はこのまま膝の上に」


 よく見ると青年はとても端正な顔をしている。きりりとした眉に、鋭い瞳。一纏めされた長い髪は風にたなびき、紅玉のピアスが揺れていた。腰布に刺した短剣、筋肉質な体躯は一見して鈴音に武人を連想させる。

 胸が逸る。目を泳がせつつも、鈴音の意識は自然と青年の身に纏う衣服へと注がれていた。

 ノースリーブの黒衣。その上に重ねられた白絹布には細やかな金の刺繍が施され、首や腕は豪奢な装飾品で飾られている。

 彼の恰好を確認していく内に、鈴音の予感は確信に、冷や汗は徐々に脂汗へと変化していた。


 もしかしたらこの青年は宝剣を授与される者なのではないか。過った考えはどんどんと鈴音の腹を冷えさせる。


「あ、あの有難うございました。儀式が、その、中断してとても騒ぎになっていて、ごめんなさい!」


 今は重要な儀式の最中だ。自分はとんでもない騒動のきっかけを作ってしまったのではないか。最悪の未来をも想像し唇が震え出すも、鈴音は何とか言葉を紡いだ。


「どうお詫びしたらいいか! 私はもう大丈夫ですので、貴方様はどうぞお戻り下さい!」

「嫌だと言ったら?」


 青年は肩を竦める。「何だ、そんなことか」とでも言いたげな口調はさらに鈴音を混乱させる。


「……は。はあぁぁっ! なにっ、どうしてですっ! 何言ってるの!」


 思わず大声を出してしまって慌てて口を抑えるも、降ってきたのは青年の笑い声だった。一通り楽し気にしていた様子の青年が、ふいに黙り込む。薄闇の中、何となくではあったが目が合ったように思えた。

 

 するとふいに雲に隠された月が顔を出し、朧げな光が彼を淡く照らした。

 

「あの、貴方、様は……」


 自分は今、どんな顔をしてしまっているのだろう。

 混乱と、驚き。

 去来した、ある予感が胸の中でどくどくと音を立てている。

  

「すまなかった。武人としてあるまじき振る舞いだった」


 眼差しを和らげた青年は、そんな鈴音を宥める様に優しく言葉を掛けた。

 その鳥人族は、夏雲シアユンと同じ髪の色をしていた。翡翠色の瞳は月明りを受け、少し黄緑がかって見える。

 滲んでいく視界を、鈴音は慌てて袖口で拭った。

 

「泣いているのか?」

「そーよ……でも悲しいからじゃなくて、これは嬉しいからでっ……うっ、夏雲シアユン、また、会えたあぁぁっ! ふえぇーーん!」

「ようやく思い出したか」


 夏雲はカラッと言った。会わない間に声質も変化している。でも口調も仕草も夏雲だ。


「だって、久しぶりだしこんな時だったし、判るわけないよ。ねえ、どうしてそんなに大きくなってるの? 夏雲、すごく成長したんだね」

「質問の答えは後だ」


 鈴音の顔に影が差す。雲が隠したのではない。

 月を遮っていたのは夏雲シアユンの翼だった。

 窮地から自分を救ってくれた。そして今、月光に濡れる紅翼はまるで鈴音を守るように緩く弧を描いていた。

 

「やっと逢えたんだ、鈴音に」


 きつく抱き締められながら、鈴音は思わずその広い胸に顔を埋めた。 


 「おい」でも「お前」でもなく名を呼ばれる。

 それはこんなにも嬉しいものだっただろうか。

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