覚り乙女と対の宝剣 ~皇子に告白された神殿神子は恋も冒険も忙しい!?

まきむら 唯人

第1話 出会い




 遥か長い五千年の歴史の中、人々の間でまことしやかに語られる。

 かの地では人とも獣とも、判然としない存在が確かに生きているのだと。

 巡り合わせとは不思議なもので、今日この日、異空より現れし乙女がその神話へと加わる。





 薄暗く長い廊下の先には明るく開けた場所がある。頭上より遥か高い天井からは、昼夜で顔を変える光が降り注ぎ、たもとに鎮座する白い石碑をいつの日も美しく照らしていた。

 僅かばかりの燭台に飾られたとりどりの花が、祈る者に色彩と香りを届ける。

 ここスゥトゥの神殿の最高責任者である碌影ろくえいは目深い白のローブの下、くぐもった声で唸った。

 礼拝に使用していた水鏡にはかつてない煌きが映っている。


「ほぅ。これはこれは……」


 ポトリ。神の悪戯か、そこへ一滴の赤い雫が落ち、羽の様にふわりとまざり合う。

 碌影は枯れ枝のように分かれた指を顎に当て、喉で笑った。








 鈴音は暗闇の中にいる。

 ぼんやりとした頭で、とりあえず身を起こした。何故だかすごく身体が重い。その上少しでも身動ぎしようものなら後ろ頭がツキンと痛んだ。

 「ここはどこなのだろう?」当然の疑問が浮かぶも答えは出ない。その代わりに鈴音の脳は、今日の記憶を鮮明に思い起こしていた。

 

「えっ、と、さっきまで青葉台公園にいたよね? 何これ夢?」


 しかし、掌に伝わるのは明らかに芝生の感触ではなく、ひんやりとした床だ。つねった頬は勿論痛い。

 鈴音は飛び上がり、僅かに零れる光に向かって走り出していた。その音だけが反響している。


「何なの、どこなの? 誰かー!」


 光は突き当りの石壁の隙間から漏れていた。壁沿いに歩き確かめるも、扉的な箇所は見当たらない。石壁にはよく見ると細かな模様が彫られており文字にも思えるが、何の言語なのか見当もつかなかった。

 

「どうしよう……どうしたらいい?」


 自分が置かれている状況が全く判らない。

 手と足を動かしていなければ。ともすれば呆然としてしまいそうになる自分を、鈴音は必死に奮い立たせた。

 石壁をよく見るとレリーフには隙間が幾つも存在しており、上方には外を覗けそうな大きさの空間を確認出来る。


「こんなの、木登りと変わりないんだから」


 小さな頃から活発で、スマートフォンよりも外遊びが好きだった。とは母談だが、もしも今の姿を見られたら高校生にもなってと嘆かれるかもしれない。いやいや高校デビューしてからは、ちゃんと身だしなみには気を付けているし、こんな事だってしていないから大丈夫。などと脳内一人劇場をしながらも、鈴音は着実に上を目指していた。

 注意深くゆっくりと、隙間につま先を引っ掛けて登る。

 命綱も無く、漏れる僅かな光だけと視界も悪い。自分の荒い息遣いが石壁から跳ね返り、砂ぼこりでむせそうになるも何とか堪えた。

 そして指先がチクチクと痛み出すにつれ、鈴音の熱くなっていた筈の身体は徐々に冷えていった。妙な感覚だった。汗も噴き出している。

 そうだ。これは夢ではないのだ。

 もうかなり登って来てしまった。恐ろしくて下方は確認出来ない。レリーフの凹凸を握りこみながら、もう片方の手は身体を引き上げる為に隙間に指を三、四本突っ込んでいた。その動きもそろそろ限界だ。

 自然の木々と違って直立不動の壁はこれほど上りにくいのかと後悔していた、その時。


「よい、しょっっと! ……やっと、ついた」


 目標地点にようやく到着。開いた空間は鈴音の身体が何とか通りそうな広さがあった。両手を枠に掛け何とか身を持ち上げると、壮麗な光景が目に飛び込んで来た。


「すごい……」


 立ち並んでいる白の建造物はみな鈴音の居る建物よりも高い。屋根が朱色に塗られていて、乳白色の外壁は滑らかに輝いている。

 汗ばんだ肌に風が心地よい。

 見渡すとパノラマから覗く青空とのコントラストは圧巻で、鈴音は状況を忘れ暫しその光景に魅入っていた。


「何者だっ!」


 すると突如、下方から幼い声が轟いた。

 鈴音が視線を向けると、赤い髪をした少年が植え込みの向こう側で仁王立ちになっていた。鈴音と目が合うと、その人物は肩をいからせ壁に近付いてくる。


「怪しい女め! ここはお前のような輩が立ち入って良い場所ではないぞ。もしや神殿の祭具を狙った盗人か? 何と罪深い。しかるべき裁きを受けさせてやる!」

「ちょっちょっと待って待って! そんなわけないでしょう。と言うか危ないからお子様は登って来ちゃ駄目よ!」

「うるさい! 誰がお子様だ! いいからお前は黙ってそこでじっとしていろ!」

「ほんとに来たー! えっと、あのねボク。ほんっとに危ないからやめとこう? ほらっ、お母さんは何処かなー?」

「忍び込んだ上に、この俺を愚弄するとは良い度胸だ」

「もーっ! どうしろってのよ! えっ、きゃあっ!」


 次の瞬間、支えていた手が滑り、鈴音は空中を踊っていた。何も支えるものが無い身体は、あっという間に落ちてゆく。「ジェットコースターのてっぺんから滑り落ちる時みたい」なんて、呑気な考えが浮かんだのも束の間。どすんと、何かにぶつかって鈴音の身体は止まった。


「アタタ。いったー……ふぎゃっ!」

「重い、どけ……」


 硬い石のタイルではなく、ふにふにとした温かな感触を確かめていたらそれが動いたのだ。鈴音は心臓が飛び出んばかりに驚き、だがすぐに気付いてあたふたとした。

 幼児を潰してしまった。

 なんてことをしてしまったのか。さらに冷えた下腹を押さえる鈴音の顔は、青を通り越して真っ白だった。

 しかしどうやら被害者は意識があるらしく、ゆっくりと身を起こした。なんと少年はしゃっきりと立ち上がり、何の事は無い表情で埃の付いた衣を払っている。


 滑らかに身に沿う黒衣は細かな刺繍が金糸で施され、鈴音が見ても上等と判る代物だった。中国の舞踏家が履いている爪先が丸みを帯びた靴。帯には柄頭に特徴のある短剣を差している。


「あ、あの、だだだだ大丈夫ですか?」

「お前などに心配されるいわれはない。ふん。運の良いヤツだ」


 少年は、にべもなく鈴音を一瞥した。 

 上から見た時は赤い髪ばかりが印象に残っていたが、何より少年を際立たせているのは、この鋭い翡翠の瞳なのだと鈴音は思った。

 

「どこか怪我、骨が折れてるかもしれないよ? だって私、あんな所から落ちて貴方にぶつかったのよ? なんなの、貴方超人か何かなの?」


 鈴音の言葉に、少年の瞳は見開かれた。


「ほぅ。俺が鳥人族だと見抜くとはな。ふっ、ではよく判ったろう。俺から逃げおおせるなど出来ぬという事がな!」


 キメポーズを取る少年を前に、鈴音は小刻みに震えている。

 今になって表れた全身の痛みを逃す術を、鈴音はまだ知らない。

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